第58話 真夜中はオバケの時間

 大学二年の夏休み。ゼミの仲間で肝試しをやってみようって話になったのは多分自然な流れだったと僕は思う。お酒も入っていたし、何より肝試しにうってつけそうなところがあったからだ。

 自然公園の奥は、今は格好の肝試しスポットになっていた。何かをシャキシャキ言わせて歩く影があるだとか、枝とかが切られているだとか、話題は枚挙にいとまがないくらいだった。

 みんなで度胸試しとばかりに見に行くのも乙だろう。そう言う塩梅に僕らの中では意見が固まっていた。



「もう夜だからさ。君らは帰って寝た方が良いんじゃないかな? ほらさ、勉強とかもあるだろうし」

「そうそう。俺も先輩の言うとおりだと思うなぁ」

 

 肝試しスポットには先客がいた。若い男の二人組だ。いや……ツレを先輩と呼んだ銀髪の方は男の子と言っても通用しそうな感じだった。帰った方が良い。彼らは正しい事を言っているのだろう。だけど僕たちは素直に応じる事が出来なかった。二人が若くて、しかも何となく頼りなく見えたからかもしれない。


「別にあなた達に心配してもらう義理なんてないっすよ」

「そうそう。君らだって若い癖に。そこの銀髪の坊やもさ、それこそ職質されるんじゃないの」


「こう見えても俺はあんたらよりも年上だからな!」


 まぁまぁ。興奮した銀髪の少年をなだめつつ、大人しそうな風貌の青年は僕たちに視線を向ける。


「そこまで言うのなら止めはしないよ。俺だって、誰かに指図されるのは嫌いだし。それは君たちだって同じだよね? 見た感じ、君らも大人っぽいし。

 ああだけど、後々何かあって俺たちを恨んでくれるなよ? 自己責任ってやつだからさ」


 物憂げな様子で青年が言うのを僕はぼんやりと眺めていた。ふいに僕は、この青年に昔会った事があるのを思い出した。何処の誰だったのか思い出そうとしている間にみんなが進みだし、それに付いて行くのにやっとだったけれど。

 青年と銀髪の若者は、その時には姿を消していた。



 しゃき、しゃき、しゃき……ざぐり。


 刃物をすり合わせる音が響いたかと思うと、すぐ隣で絶叫がほとばしる。隣にいた女の子が、蒼い顔でぶるぶると震えていた。大丈夫? どうしたの? 安心させたいのに、僕は小学生みたいなアホな質問しかできない。しかしおのれのアホさ加減を呪えるほど状況は甘くもない。


「か、か、カバンが……! バイト代八か月貯金して念願かなって買う事が出来たブランド品なのに……!」


 震え声で女の子が告げる。どうすれば良いのか僕にも解らない。僕だけじゃない、他のツレたちも、この異常事態に驚き、震える他なかった。

 そんな僕らをあざ笑うように、かすれた笑い声が鼓膜を震わせる。


「はは、ははは。中々切りごたえのある連中が集まったなぁ。楽しそうだなぁ~」


 直立歩行するそれは笑いながら両腕をすり合わせる。人間ならば腕や手がある場所は鋭い刃物が生えているだけだ。そいつが、僕たちの髪や衣服、そしてあの子のブランド物のバッグを切りつけていた。しかもそれはまだ遊びで、本命は別にある。

 そう言う化け物の考えが伝わっていた。


 なぶるような表情で化け物が近づいてくる。暗がりになった顔がニヤリと笑っているようだった。

 目の前が急に明るくなったと思った次の瞬間、明るさのせいで何も見えなくなった。化け物の驚きと怒号に混じり、獣の唸り声も聞こえる。それも数秒にも満たない間だった。

 視界が戻ると、腕が刃物になった化け物の姿は無かった。代わりに、銀白色の毛皮を持つ獣が何かを咥えてそこにいた。猫や犬なんかじゃあない。大きさは大型犬くらいだけど、顔は何となく猫や狸みたいだし、何より尻尾の数が多い。しかも暗がりにいる筈なのにその姿――柔らかく垂れた耳や翠色の瞳や毛皮の一筋一筋まで――がやけにはっきりと見えるのだ。

 銀色の獣は小さく鼻を鳴らすと、何かを咥えたまま僕たちには目もくれず歩き始めた。口に咥えている物がちらと見える。古ぼけた裁ちばさみだ。

 獣が向かった先には人影があった。よく見たらついさっき僕たちに声をかけた青年だった。背後には白くぼんやりとしたものがあり、それはやはり尻尾だった。人間の形なのに尻尾があるのだ。それも四本も。

 でもそう言うモノなのだろうなと、僕は半ば納得してもいた。何せ今しがた化け物に出会ったばかりなのだから。


「……素直に帰った方が良かったって思ってるんじゃないの?」


 獣から裁ちばさみを受け取った青年は、そう言って笑った。いつの間にか獣はあの銀髪の若者の姿になっていた。懐中電灯もないのに明るいと思ったら、彼の周囲に丸くて光るものが浮かんでいる。青年が誰だったのか、僕は不意に思い出した。姉の同級生、それも同じ部活の仲間だった、と。

 名前を思い出しながら彼に呼びかけると、彼は人を喰ったような笑みを浮かべてかぶりを振った。


「ははは、残念だなぁ。俺は見ての通りの化け狐、それも玉藻御前の末裔だよ。その俺が君の姉の知り合いだって? 単に君らは俺に化かされているだけに過ぎないさ。もしかしたら、人間として君らの知り合いとやらがいたのかもしれないが、そんな奴はもういないのかもしれないなぁ。何せ九尾の狐は人間の身体を乗っ取る事だってできるんだからさぁ」


 かつての知り合いに似た姿の化け狐は、そう言って僕をあざ笑うだけだった。


「さて、本当の化け物の恐ろしさも解った事だし、今度こそ帰るんだろう」

「言われなくてもそうするよ、この化け物が!」


 僕の言葉に化け狐が笑う。その笑みに優しさが滲んでいるのは、僕の思い違いに過ぎないはずだ。

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