第57話 切ないシェアハウス

 彼の住むアパートに、若い娘が居候として転がり込んできたのが何時の事なのか、彼にはもう解らなかった。

 少なくとも、激務に次ぐ激務を通り越した後だという事しか解らない。骨の髄まで社畜根性に染まった彼だったが、一時体調を崩してどうにもならない時があったのだ。しかし休んだのがマズかったのだろう。気付けば彼は解雇されており……しかも上司からも同僚たちからもシカトされるようになっていたのだ。

 どうにもならないから昼間はブラブラして暇をつぶした。いい年をしたサラリーマンがそんな振る舞いをしていたら、本来ならば後ろ指を指されるのかもしれない。しかし彼はめっきり影が薄くなったらしく、誰も何も言わなかった。噂さえ立たない始末である。寂しい気もしたがその寂しさにも慣れてしまった。

 外に出れば猫や鳩や鴉たちを見る事が出来たからだ。運が良ければ狐や狸、イタチなどに出くわす事もあった。


 さて居候というかシェアハウスする事となった娘の話に戻ろう。その娘は何の断りもなく、ある日突然彼の部屋に上がり込んできたのだ。しかも彼はその娘を居候だと思っているのだが、彼女の振る舞いは女あるじそのものだった。部屋の内装も、何もかもが彼女好みに塗り替えられてしまったのだから。大学生くらいの小娘であるから、尚更歯痒い物だった。

 娘は日頃彼の存在を意識せず、自然体に振舞っていた。若い娘の自然体と言えば聞こえがいいが、要は寝そべってポテチを頬張ったり、下手な漫才を見ながら手を叩いて爆笑しているという事である。別に疚しい感情を抱いている訳ではないが、もう少し大人しくしてほしいと思う時もままあった。

 もちろん彼も大人しくしている訳でもない。しかし彼の申し出は彼女にはほとんど通じないのだ。訴えてみてもまるでこちらの声など聞こえていないと言わんばかりに無視されるのがオチだった。それでも時々こちらの働きかけが功を奏すらしく……娘にリアクションがあるときもあった。ただそのリアクションも大げさで、怯えているようにも見える時があるのだ。

 一体何があったのだろう。いつになれば俺のこの奇妙な暮らしは終わるのだろう……彼は日々そう思っていた。


「誠に残念ですが、あなたは既に現世の人間ではないのですよ」


 フジカワという若い女性は、彼の悩みを一通り聞くとそう言った。彼は既に地縛霊となっており、それに気付かないでいたのだという。それなのに生きていると思い込み、空き家になった部屋に引っ越してきた娘の言動にヤキモキしていたのだ。

 死してなお社畜根性が染みついていたのか。彼の顔には乾いた笑みが広がっていた。

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