第54話 依り代キツネ
「こ……これは一体……」
「狐憑き、ですね」
青白い顔のくたびれたサラリーマン風の男は、床にまろび出たブツを見やり、上ずった声で傍らにいる女の子に問いかける。女の子はあのフジカワさんである。彼女は元々術者ではないのだろうが、長生きしている事と死なない事を逆手に取り、こうして妖怪絡みの仕事で日銭を稼いでいるらしい。
さて床にまろび出たモノについて解説せねばならない。それは一匹の狐だった。白い毛並みは若干灰色に汚れ、オコジョやイタチのようにやや胴が長い。尻尾が二股に分かれている所や、こちらを見上げるやけに理知的な瞳が、狐が異形のものである事を物語っていた――いや、男の背中から音もなく飛び出したところで既に異形である事は明らかなのだが。
「ね、姐さんか。姐さんの仕業やな」
「まぁ、あなたに関しましては署で事情を聴きましょうか。かつ丼は出ませんが」
「かつ丼よりも木の葉丼の方がわしはありがたいんやけど……ってそんな話ちゃうわ」
案の定狐は異形らしく流暢に人語を操っている。しかしフジカワさんは特に気にせず二尾の白狐の首根っこを掴み上げると、犬や猫を抱っこするかのように抱え上げてしまった。
男はただそれを眺める他なかった。狐は未練気に男を見ていた気がしたが、そのままフジカワさんは部屋を後にした。
狐が全ての元凶だったのか……男はぼんやりと自分の置かれた状況を悟っていた。長らく男はある種の異変に悩まされていたのだ。日頃より楽しみにしていた事への意欲が失せて、代わりにやりたくもない事をやらねばならないと思うようになっていたのだ。気付けば意識が飛んでいて、そのやりたくない事をやっている最中に意識が戻るという事もあった。
男の奇妙な異変に周囲は気付かなかったし何も言わなかったが……男はそれが苦痛でならなかった。何しろ趣味だったものを嫌悪するようになり、嫌悪していた物を意に反して行うようになるのだから。
しかしそれも原因があり、その上あんな狐に操られての事だったのだ。その狐も男から離れたのだからもはや恐れる者は何もない。
――やっと俺は解放されたのだ。
男の顔には喜色が浮かび、その瞳は意味深な光を宿していた。
※
「確かにやな、わしがあの兄ちゃんを選んで取り憑いた事は事実やさかい」
署というかフジカワさんの事務所に連行された狐は、悪びれる事無く男に憑依した事を認めた。
「しかしわしが取り憑いたのは、あの兄ちゃんが下らん事に精を出していたからや。ネットで創作に励む顔も知らん相手に粘着するわ、SNSで炎上を起こすわ、通勤電車に駆け込むふりをして他の人間に体当たりをかますわで碌な事をやりおらん。
その癖働くのを渋って遊び呆けるか悪事をするかやったからな、それでもって取り憑いたんや。少しでもあの兄ちゃんがまともになって……根はまともにならんでも周囲に迷惑が掛からんようにな」
これでもわし、稲荷に仕えていた身分やし……狐はしょんぼりと項垂れていた。
「でも姐さんに引き剝がされてもうてその計画もおじゃんや。また兄ちゃんは悪さしよるで」
そこまで言うと狐はそのまま窓に向かって飛んでいき、そのまま窓をすり抜けて逃走してしまった。
翌々日、三十代の男がネット上での誹謗中傷で逮捕されたという記事が小さく紙面に載っていた。狐の言が本当だったのか定かではない。しかしフジカワさんはその記事を見た時に、狐の申し訳なさそうな顔を思い出したのだ。
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