第53話 サキュバス来訪の夜
夜中に暑いからって窓を開けっぱなしにするな。変な物が入る。親の言いつけが正しかったんだって、俺は十七年生きてきてやっと気づいた。
入ってきたのは蚊でもなければカナブンや羽虫の類ではない。異形の女だった。異形の女、というのはすぐに判った。
別に山羊の角があるとか、被膜みたいな翼を生やしているとか、蜥蜴みたいな脚をしているとかではない。ごく普通のホモサピエンスの少女の姿をしている。何となれば俺にとって見覚えのある娘の姿だ。
しかしだからこそ、彼女が異形だとすぐに判った。その姿は、俺が密かに思いを寄せていた娘の姿そのものだったからだ。儚い片想いで、その俺の想いが叶う事は未来永劫あり得ない。その娘は半年前に事故でこの世を去ったからだ。
「化け物め」
俺の唸り声に、異形の女はうっすらと眉をひそめた。得体の知れない存在が、かつて惚れ抜いた相手の姿を取っている。それがどうにも気持ち悪くて忌まわしい事のように思えた。
「確かに私はあなた方から化け物と呼ばれても遜色のない存在ですが……とんだご挨拶ですわね」
「とぼけるな。俺の前でそんな姿で現れるのが悪いんだ。何の恨みがあって、失恋した相手に化けてやがるんだ」
彼女が化身している相手が実はこの世にいない事をギリギリのところで口にしなかったのは、なけなしの理性が俺の中で働いたからなのかもしれない。
異形の女は小首をかしげる。その仕草は彼女に似ていて……懐かしさと忌々しさとが同じくらいの分量で俺の脳裏を侵蝕していく。
「これでも私はサキュバスですからね。相手の望んだ恋人の姿に擬態できるのです。あなたの網膜が結ぶ私の虚像こそが、あなたが心の中で思い描く理想の恋人だからではないですか」
「サキュバスか。厄介な奴め」
俺はふーっと深く息を吐いた。ウェブ小説とかラノベとかを嗜んでいるから、幸か不幸かサキュバスの事は知っている。端的に言ってエロい事とかで誘惑する悪魔の一種らしい。力はそんなに強くないらしいが、ある意味厄介な相手だろう。
「で、俺に何をするつもりで?」
「望みの夢を魅せに来た、と考えて頂ければ問題ありません」
「あんたらの夢って、碌でもないエロい夢ばっかりなんじゃないのかい? でもって、後で精気とか吸い取って干からびさせるんじゃないのかよ」
「まぁそう言う夢も取り扱ってますけど、全年齢向けの夢もきちんとお魅せ出来ますから。別に私どもも、いつもそう言う事をやっている訳ではありません」
前までの口調とやや異なり、サキュバスはちょっと怒ったような物言いだった。全くもって勝手な奴だ。勝手に人の家に上がり込んで勝手に怒っているんだから。だけど警察を呼んでもどうにもならないし。
「じゃあさ、俺の片想いの相手とデートする夢とか魅せてくれる? あ、もちろん健全な内容で」
「お安い御用です」
サキュバスがそう言うなり、俺は急に眠気を感じて床に転がった。手足が溶けて瞼が重くなったような眠気が俺を包んでいく。
※
結局のところ、あの女がサキュバスだったのは本当だろう。俺は望み通り、片想いの彼女とのデートの夢を見る事が出来た。
ただ、やはり俺の言動は彼女の気分を害していたらしく、その夢は若干の悪夢に彩られていた。夢の中で、俺は遅刻しそうになってあたふたしたり、財布の中の所持金が少なくておろおろせねばならなかったのだから。
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