いつもの通りの帰り道

あきれす県

第1話

いつもの帰路、会社からの最寄り駅で電車を待つ。

いつも乗るダイヤのいつもの車両。同じくいつも乗る人達。私の一方的な顔なじみ。

いつも通りの風景を眺めつつ帰宅するつもりだった。いや。私はいつも通りに帰宅したかった。この日に限り、そのいつも通りは訪れなかった。

気がついたのは電車がホームに滑り込んでからだった。私はいつも電車待ちの1番先頭に並ぶので、基本的に乗車する人達を目視できるのはホームに入ってきた電車のガラス越しの反射にて確認している。

この日、私の後ろには誰もいなかった。仕事疲れもあり。こんな日もあるんだなと解釈していたが、いつも通りではないことが続く。

電車が止まり、ホームドアと電車の扉が開く。下車する人はおらず、乗客も疎らだった。

私の帰宅する時間帯は、いわゆる帰宅ラッシュの時間で、いつも人がごった返している。降りる人も多ければ乗る人も多い。そんな線だった。それにも関わらず、降りる人もいなければ乗る人は私のみ。背筋に嫌なモノを感じつつ乗車した。


電車に乗り扉にもたれ掛かる。乗車直後おかしな雰囲気を感じた。何故か空気が重くまとわりついてくる感じだ。

多少の違和感を感じつつも、電車が発車してから私はいつもスマホで動画や電子書籍を閲覧しながら最寄り駅まで過ごすので、違和感にはあまり気にもとめずしばらくスマホを眺めていたのだが、あまりの空気の重さに珍しく車内を見渡そうと思いスマホをしまい顔を上げた。すると乗客の1人と目が合った。20代中頃と言った感じであろう青年だ。しかし爽やかさは無く、むしろ顔色が悪い。体調不良なのかもしれないと心配をしていたのだが、その青年はいつまでも私を見ている。目が合い続けている。気まずいので顔を背けてみたが、ずっとこちらを見ている気がする。流石に気味が悪いので、今いる車両から隣の車両へと移動することにした。


車両の間にある扉を開き普段乗ることのない車両へとやってきた私だが、その車両は空席も疎らにあった。普段の帰宅ラッシュでは座ることが出来ないが、空席があるなら座りたい。健康の為には立っている方が良いのだろうが、仕事疲れにそこまで鞭を打つ必要はないだろう。そう言い聞かせて空席に腰を下ろした。

腰を下ろしてしばらくすると、妙に腰が痒かった。しかし車内で痒い部分をボリボリとかくのは少し恥ずかしさがあったので、我慢を決め込んだ。そうなると何かに集中をして気を紛らわせたかった。そこで私はまたもやスマホを取り出し、動画再生のアプリを起動した。しかしいつまで経ってもロード画面。この路線はいつも利用しており、普段から電波の環境も悪くないはずなのに、いくら待っても動画が再生されることはなかった。

残念な気持ちになりつつも、私はなかなか次の駅に到着しないことに気づいた。普段5分もあれば次の駅であったはずだが、なにかおかしい。車内の電光掲示板で次の駅を確認しようとしたが、そこには何も表示されていなかった。

流石におかしい。いつもであれば発車したと同時に次の停車駅を表示しているはずだ。そんなことを思いつつ、電光掲示板を見ていると、その下に立っている女性に目が止まった。電車の扉を背もたれにしながら立っていた。綺麗な顔立ちの女性だった。その顔には涙が伝っていた。泣いている。女性はしくしくとは泣いていなかった。呆然と泣いていたのだ。正面を向きながらただ涙を流しているだけのような。そんな泣き方だった。


女性を見ていたら、さっきまで痒かった腰が急に熱を持ち出した。私は驚き、飛び上がるように立ち上がってしまった。座っていた席に何かあったのではとシートの方を振り返るが、そこには何も無かった。不思議なことではあるが、急に立ち上がりあたふたした自分を客観的に見ると、これがなかなかに恥ずかしく、顔が赤くなっている実感をしつつ先程の女性の方に視線を送ってみた。が、そこに女性はいなかった。見ていたのがバレたのだろうか。私は恥ずかしさを誤魔化しつつ、また着席した。

失態へのため息をつきながら前を見ると、対面の席に先の女性がいた。私は、うおっと声を漏らしてしまった。しかし女性は何の反応もなくただ前を見ていた。いや、私を見ていた。瞬きもせず涙も流さず私を凝視していた。

何か怖気を感じるその視線から逃れようと立ち上がる。女性は私の動きに合わせて首を少し上げた。私を見ているのだ。私は女性を見ている事が出来なくなり視線を泳がせながら席を移動しようとした。また車両を変えようそう考え女性に背を向けた。

「貴方は何処へ行くつもりなの?」

背中越しに女性が私に話しかけてきたのがわかった。私は驚きつつも女性の方を見た。すると女性は私のすぐ後ろに立っていた。目が合った。その目はとても黒く虚ろでそこが知れなかった。鳥肌が物凄い勢いで立った。狼狽える暇もなく逃げるため走り出した。怖かった。もはや生きた人間という感じがしなかった。悪寒が止まらなかった。私は電車の中にも関わらずなりふり構わず走った。恐怖から逃れるため走り続けた。


突然腰に激痛が駆け抜け、その拍子に脚がもつれて倒れた。小学生の時以来の盛大なヘッドスライディングだった。

腰がジンジンと痛む。私は腰に手を当て、丸くなりながらその痛みに耐えようとしていた。

そんな状況の中、前方からハイヒールで歩く硬質な音が聞こえてきた。まさかと思い、腰を押さえつつ前方を見た。女だ。女がいた。私が背を向け、逃げるに至った対象が前方から近づいてきた。何故。追いかけてきたのなら後ろからが普通だ。何故前からなんだ。

「お前、なんなんだよ!」

私は声を上げた。女性は私まであと数歩のところで立ち止まり言った。

「何って貴方と同じよ。」

さも当たり前だと言う雰囲気で言われたが、前方の女性が何を言っているのかわからなかった。腰の痛みが一段と激しさを増した。私は声を上げながら蹲る。

「貴方も私と同じでもう家には帰れないのよ。」

女性は私を見下ろしつつ、くすくすと笑っていた。そして私は意識が遠のいた。


はっと気がつくと電車のシートに座っていた。どうやら寝ていたようだ。

「なんだ、夢か。」

私は汗を腕で拭いながら軽く笑った。

座りながら寝ていたせいか腰と首に鈍痛を感じた為、首に手をあてパキパキと小気味のいい音を鳴らし、次に腰を両手で押さえながら伸びをした。そのタイミングで車内アナウンスが流れた。私はどれだけ寝ていたのだろうか、時間を確認しようとスマホを取り出したが、先程腰に手を当てていた右の手に何かがべっとりと着いていた。赤黒い液体だった。それが血液と分かるまでに時間はかからなかった。再度私は腰に右手を当てた。手には生暖かい液体が付着する感覚があった。


「次は、きさらぎ駅。次は、きさらぎ駅です。お降りの際は忘れ物にご注意ください。」


車内アナウンスと手に着いた血液で分かってしまった。私がどうなっていて、どこへ行くのかも。

前を見ると目の前に女性が立っていた。目を細め、口の端を歪に引き上げながら笑っていた。

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