第27話 書庫
繋がスキルを発動させた瞬間、頭上に直径三十センチほどの淡く輝く天使のような光の輪が突如として出現すると音もなく回転を始めた。
ゆっくりと回り始めた光の輪は回るたびにその速度を徐々に速め、おおよそ一分ほどでその回転は最高速に達しバターができそうなほどの速度を見せる。
高速で回りだした輪がその状態で安定すると、今度は輪の中心から突如として中身のない上等な洋書のハードカバーだけがどこからともなく現れた。
赤茶色をしたカバーである。
どこからともなく現れた洋書のカバーは緩慢な動きでゆらゆらと重力を完全に無視している様子を見せて降りてくると、繋が前に出している左手の手のひらから数センチほど空中に開いた状態で留まった。
手のひらの上に浮かぶカバーはゆっくりと小さく浮き沈みを繰り返し、その光景はまさにファンタジーと言ってしかるべきものである。
中身の無いカバーを吐き出した光の輪は速度を落とすことなく最高速で回り続け、次に輪の中から現れたのは淡くほんのり光る長方形をした一枚の紙だった。
カバーよりも一回りほど小さいその紙は、夏を迎えるために散っていく桜の花びらのようにひらひらとゆっくり落ちてくる。秒速で換算するなら、おそらく五センチメートルくらいだろうか。
右へ左へ寄り道するかのように落ちてくる一枚の紙は地球の重力以外の何かに従うようにカバーの内側へと吸い込まれていく。スルンと紙の長い一片がカバーに触れた瞬間、一枚の紙は一ページへと変化した。
最初の一枚が一ページとなったことを皮切りに輪の中から出番だとばかりに大量の光る紙が次々とあふれんばかりに現れ出し、続々と出現する大量の紙たちは一枚目と同じようにカバーの内側に吸い込まれ一ページずつ厚みが増えていく。
淡く光る紙の雨が降る繋の周りは神々しく、息を忘れるくらいに現実を忘却するほどに神秘的な光景であった。夢のような光景であった。
何も知らない第三者がこの光景を目にすれば繋のことを神、もしくは神の使徒として崇めてしまいそうだと言っても過言ではないだろう。教祖に祭り上げられてもおかしくないかもしれない。
しかしながら、隣に座っている真琴は一切合切の関心を見せない。
関心を向けないどころか目線をテレビ画面に固定し、ゲームを進めている。まるで見る気がない。
ただそれは、分かると言うものだ。
なにせ、真琴にすれば毎度のごとく日常の様に見慣れている光景である。
見慣れるほど見慣れており、この先も確実に見慣れるであろう光景だ。毎回毎回、感動するなんてどだい無理な話である。例えるなら、観光地に住む地元住民のような感じだろうか。
そうしてしばらく紙の雨が降り注いでいるのだが、降ってくる紙の量はページが増えるにつれて徐々に減少していき、九割九分九厘ページが埋まるともったいぶった様子で最後の一枚を吐き出した。
最後の一枚であるその紙はゆらゆらと、ゆらりゆらりと右に左に大きく小さく不安定に揺れつつ時間をかけてカバーへと落ちていく。
寄り道を楽しむかのように、道草を享受するかのように落ちてきた最後の一枚は、そこが自分の居場所だと言わんばかりに最後の隙間へと収まった。
すべてのページがカバーに収まるとひとりでにパタンと閉じられ、強めに輝き手の平の上でクルクルと回り始める。
五秒ほど続いたのちカバーの光がパタンと消え去り、それと同時に頭上の輪も消えると重力に従って手の中に落ちていく。
完成した分厚い一冊の本の背表紙を繋は上手にキャッチすると、
「──
繋は続けて別のスキルを発動させる。
スキルを発動させると、左手に持つ本に向かってどこからともなく様々な角度からいくつものレーザーのような光が照射された。
物体をスキャンする複数のレーザーは何度も何度も往復していき、完全にスキャンが終了したのか役割を終えたとばかりに唐突に消える。
レーザーが消えるのと同時に繋は右手の手のひらを下にして真琴へと伸ばせば、手のひらから放出される高濃度で高密度の魔力が集まり左手に持っているオリジナルと同じ本が複製されて現れた。
寸分たがわず寸分の狂いもない、似ているのではなくまったく同一の本。
右手に現れた複製本は重力に従って落ちていくも、繋はその前にタイミングよくキャッチする。そのまま複製本を真琴の前へ差し出すと、持っていたコントローラーを目の前のテーブルに置き差し出された複製本を受け取った。
受け取った真琴は、まず表紙に書かれているタイトルに目を向ける。
「ふ~ん、今回はヴェルトって世界なんだ」
表紙には金の箔押しで〔ヴェルトの歩き方〕と記されており、その高級感あふれる文字が赤茶色のカバーと表紙のデザインにこれ以上なく合っている。
真琴は一度箔押し部分を撫でた後、その手触りに少しばかり嬉しそうに笑みを浮かべ左手に複製本を乗せその横に右手を少し離して揃えた。
息を吐き、目を閉じて呼吸を整えた真琴は一気に目を見開く。
すると複製本の表紙がひとりでに開き、中のページもそれに倣って一ページずつ捲れていった。
パラパラと一定の速度を保って捲られていくページに真琴は目を離すことなく瞬きすることなく脳に叩きこむように凝視し、おおよそ一分程度で裏表紙が閉じられ右手へと複製本が移る。
横では繋も同様に原本を読んではいるのだが、こちらはごくごく普通に読書と言った感じでページをめくっていた。その速度は、真琴が読み終えているのに対して数ページめくった程度だ。
「どうだ?」
「ん~なるほど、なるほど。久しぶりだし、あたしもちょっと行ってみたいかな」
と、真琴は楽しそうに口にする。
「そうか。だとすると、向こうでいろいろ準備すると考えれば遅くても週末には……いやまて、お前んとこの学校はそろそろ中間テストじゃなかったか?」
繋の口から中間テストの『中間』と言う言葉が出てきたとたん、疾風のように真琴はサッと顔を反対側へ逸らしさらには手に持っている本で壁を作るように顔を隠した。
その確固たる行動から、意地でも視線を合わせないという強固たる意思がひしひしと感じ取れる。感じ取れるどころか、もうまるっきり目に見えて分かるほどだ。目は口程に物を言うと言うが、行動はそれ以上に雄弁だ。
真琴の態度を目にした繋は、またこいつはとジト目になった視線を送る。
「フシューフシュー ひゅー」
「おい。どっかで聞いたな、そのごまかし方。しかも本当にごくごく最近に。具体的にはつい一、二時間ほど前にな」
空気がかすれるような口笛もどきの音がむなしく響き、最終的にはそれさえもなくなり完全に自身の口で音を発していた。
どこぞの女神様と同じである。いや、駄女神様か。
「連れていくのは、早くてもテストがすべて返却されてからだ。それもすべて赤点を回避した場合のみ、分かったな」
「ぶーぶー! おーぼーだ!」
「文句はなしだ」
「ちぇ、仕方ないなぁ」
本を顔の前からおろし、逸らしていた顔を元に戻して真琴はぶーたれる。
だが繋はそんなことをしても反論は受け付けないとばかりに断言し、そんな繋の言葉と態度に撤回する気がないと分かり素直に引いた。
それから真琴は読み終えた複製本を押し付けるように繋へ返し、放置していたゲームを進めるべくコントローラーを握りなおす。
押し付けられるように返された本を受け取った繋は、左手に持つ原本の上に重ねるといつの間にか真横に出現していた穴の中へ差し入れた。
唐突に出現した穴。
直径六十センチほどの大きさの穴。
その穴の先には、把握しきれないほど大量に配置された本棚と、その本棚に隙間なく収まっている本の群れが本の森がひしめき合っていた。
穴の大きさ的に全貌が見渡せないものの、それでもかろうじて見えるのは終わりが見えないほどに反り立ついくつもの本棚の壁が何列も立ち並び、本棚の回廊が果てしなく奥へと向かって伸びている光景である。
ここは繋の所有する
無限に広がる知識の宝庫。
いまも増殖し続ける叡智のるつぼ。
終わりなき本の楽園。
訪れたことのある異世界の蔵書が、機関に収蔵されている蔵書がひしめき合う、ただそれだけの世界。
そんな穴の先に二冊の本を差し入れてしばらく待っていると、穴の横から静かに近づいてくる気配があった。
近づいてきた気配はちょうど穴の前でぴたりと止まり、それと同時に大きななにかによって穴が遮られる。どうやら、書庫整理用の大型自動台車が穴を塞いだようだ。
穴の前に台車が止まってすぐ、上の方から生まれてこのかた日に当たったことがないような華奢で真っ白い腕がぬっと現れた。繋は腕を動かし現れた手に二冊とも渡すと、華奢な腕は軽々と二冊とも回収して引っ込んだ。
差し出された本の回収を終えた腕は来た時のように音をたてることなくその場から遠ざかり、用が終わった穴は中心に向かって急速に収束し跡も残さず消失する。
本を渡し終えた繋はピッチャーからコップにお茶を注ぎ一口飲んで一息つくと、何かを思い出したような表情を浮かべ真琴へ顔を向けて、
「ああ、そうだ。お前の友人に、猫柳猫っているか?」
そう、尋ねた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます