第28話 便利屋の日常

 繋の口から急に出てきた予想外のさらに外にあった名前に、


「ん? 猫ちゃんがどうし──って、まさか……」


 真琴は心底不思議そうな表情を浮かべたあと、すぐその理由に思い当たったようで苦々しく嫌そうな顔へと変わっていく。本当に嫌そうな顔で、若干絶望の色が見え隠れしている。


「そのまさかだ。今回の召喚に呼ばれていたぞ」


 なんとも名状し難い複雑な表情を浮かべ現実から目を逸らしたそうにしている真琴に向かって、繋はさらっと事実を口にする。

 無慈悲と言える事実を突きつける。


「いやいや、何かの間違いとかじゃ……」


 それは、真琴にとって非常に耳を塞ぎたくなる事実だったようだ。

 真琴はコントローラーを横へと放り投げ、小さな小さな希望を求めている瞳で繋に詰め寄るも、


「この広くて狭い日本国内で猫柳猫と言う珍しい名前が、つまり同姓同名の人物がそうそういるものじゃないだろう。そもそもの話しだが、この地球上で一店舗しかない地域密着型ならぬ機関密着型スーパーである極楽マートを知っていた。さらに言えば、去年あたりお前は俺に友人の誕生日プレゼントにと極楽ラーメンをいくつか頼んだよな。俺の会った猫柳猫と名乗った少女が、誕生日にそれを貰ったと言っていた」


 駄目押しとばかりに次々と語られる繋の言葉で、真琴は体中の力がすべて抜け落ちたような動きでソファの背もたれにすべてを預け、まったく力のこもっていない両手で両目を覆いながら天を仰ぐ。


「あ~マジでか~。うわ~うわ~クゥちゃんほんと勘弁してよ。ものぐさのスゥちゃんじゃないんだからさ~。いや、面倒くさがりのクゥちゃんだけどさ、そこはちゃんとしようよ~。友達には絶対知られたくないってあれほど言ったじゃんか~」


 その姿はまさに、絵にかいたような現実逃避の図である。

 見事なまでに現実から目を逸らし、現実を直視したくないと言った様子だ。


「大丈夫だ。お前がそうなると思って、俺の一存でこっち側に関わらないようすでに言ってある」

「兄ちゃん大好き!」


 だが今までの言葉すべてをまるっと覆す繋の言葉を聞いた瞬間に真琴は身体を勢いよく跳ね起こし、ひまわりのような心の底からの満面の笑みを浮かべ両手を天へ突きあげ喜びだした。なんとも強く濃い喜びだが、さすがに抱き着きはしないようだ。

 百面相じみたそんな真琴の変化に、繋は現金なものだと苦笑する。


「そういや、何で知られたくないんだ?」


 ここまでの変わりようを見せる真琴の様子を見た繋は、ふと不思議に思ったようで理由を尋ねた。


「え、恥ずかしいからだけど」


 返答として即座に返ってきたのは、実に女の子らしい答えであった。

 いや、この返答が女の子らしいかは議論の余地がたっぷりと残されてはいるが、少なくともこれほど分かりやすい答えはそうはないだろう。


「そういうものなのか?」

「そういうものだよ。いつだって物事はシンプルなものってこと。ま、兄ちゃんは違うみたいだけどさ」

「そういうものなのか……」


 しかしながらその返答を聞いた繋はどうにもしっくりきていないのか、胡乱な表情を浮かべていた。

 だがそんな表情を浮かべていたのはほんの数秒だけであり、すぐにそれはそういうものだとして繋はそれ以上考えるのをやめる。

 他人はもとより自分自身を含め、人間と言う生物が胸に抱える気持ちほど複雑怪奇で理解できないものはないのだから。


「まぁ、でも。あたしが個人的に恥ずかしいってのを脇に置いておいても、友達がこういったことに関わってほしいことじゃないんだけどね」


 真琴は自嘲気味に笑みを浮かべて言う。


「あたしの場合は、家庭の事情で若干諦めていたところがあったし」

「ああ、それは分かる。すべての異世界とは言わないが、大半の異世界は血なまぐさいものばかりだからな。ただ、俺の場合は何の説明もなかったからなぁ」


 真琴はのっそりと緩慢な動作で上半身を動かし横に投げたコントローラーを回収しつつちょっとばかり真面目な口調で口にすると、繋も繋で何かを思い出すかのように自然と目線を宙へ向ける。


「でもさ、召喚するなら自分たちと同じような剣と魔法のファンタジーな異世界からすればいいのに。それなら訓練とかしなくても即戦力で戦えるはずだし」

「そんなことを今更言っても仕方がないだろ。この世界は最初からそういうことのために作られたんだから。文句なら、オーディンの爺さんかゼウスのおっさんあたりに思う存分言ってくれ。とりあえず、いまのトップはそこらへんだし」

「分かってるけど、納得できるかはまったく別の問題だって。それに兄ちゃんもよくそういったことを言ってたじゃんか。あと、あの二人は会った途端にナンパしてくるから絶対ヤダ。絶対の絶対で絶命的にヤダ」


 今度は真琴の方がまったくと言っていいほどに納得いっていない表情を浮かべると、続けて本当に嫌そうな顔へと変化させた。

 その様子はどうにもならない現実に憂いているという感じではなく、どこか子供のように拗ねていると言った感じである。ただし後半の台詞と表情は、完全に感情任せなものではあるのだが。


「あんの主神どもは俺の妹にいったいなにをやってんだ。ちっとは懲りろよ、いろんな意味で。つか、それで奥さんに何回も折檻受けてただろ」


 繋は真琴が口にした言葉を聞いて、呆れたように顔をしかめ頭痛を抑えようとするように額へと手をやった。

 だがため息一つついたあと、すぐに何でもないと言った表情へと戻ると何でもないかのように口を開く。


「まぁ、無理に納得するものじゃないからな、こういうものは。

 それにお前が言ったように、俺だってこの世界の裏事情に対して完全に納得しているわけじゃない。言いたいことはたくさんあるし、感情的にはそれなりに否定的だ。ただ、納得はしていないが許容はしている。俺のスタンスはそんなところだ」

「ふ~ん、許容ね。法律みたいな感じ?」

「そうだな、その例えが一番近いかもな」

「そっか」


 繋の言葉を聞いた真琴は理解したように頷くも、やはりまだ納得しきれていない表情を浮かべていた。だが、その表情は心なしか軽くなっているように見える。

 ここで繋の言葉を借りるなら、それでいいのだろう。

 納得しきれないのなら、それでいい。

 無理に納得しなくても別に死にはしない。

 無理して納得する方が死にやすくなる。

 心が、死にやすくなる。

 そう言うことだ。


「それじゃあとりあえず、猫ちゃんは大丈夫ってことでいいんだよね」

「ああ、一応今回召喚された全員にはアンカーを打ち込んで、シーフを一人ずつ付けておいたから何かあったらすぐに連絡が入るようにはしてあるし、一瞬で飛べるようにしてある。あと、明日は接続してくるから一通り大丈夫だな」


 真面目な声で繋は答える。


「それに当人たちが言っていたことが正しいなら、少なくともこれから一カ月間は訓練で城に缶詰めって話だ。なら、訓練程度で命がどうとかはないだろう。大切な勇者様たちだしな」

「うん。やっぱ、兄ちゃんは兄ちゃんだね」


 先程とは違い心から納得するかのように首を縦に振った後、真琴は本当にうれしそうな笑顔を浮かべ顔を傾けて覗き込むようにして向けた。繋は唐突に向けられたその笑顔に照れたようで、顔を見られないようあからさまに逸らす。

 そんな繋の行動を見た真琴は、にんまりとからかうような笑顔を浮かべた。


「あ~そうそう、真琴。俺がまた呼ばれたことを衛には黙っておいてくれ」


 視線を向けていなくても真琴の雰囲気がからかうようなものへと変わったことを察した繋は、仕切り直しとばかりにゴホンとこれ見よがしな大き目の咳を一度すると強引に話を逸らす。


「ん~、兄ちゃんも分かってると思うけどさ。できるだけ今日のうちに言っておいた方がいいと思うよ」

「そうなんだろうが、どうにもなぁ……」


 なんとも珍しく困ったような声を漏らす。


「衛ちゃんは心配性で真面目で兄ちゃん大好きだからね~。結局、またいつもと同じことになるだろうけれど。うん、いいよ。分かった」

「ああ、助かる」


 返ってきた答えにほっとため息をつき、繋はおもむろに立ち上がる。

 立ち上がった繋は腰に手を当てて背を逸らし背筋を伸ばして元に戻すと、瞬間的に右腕を鞭のように振るう。


「──あっ」


 残像すら残すことなく振るい終わった右手を元の位置に戻すと、人差し指と中指の間に真琴がずっと咥えていたアイスの棒が挟まれていた。

 すぐに自身の口元からアイスの棒を奪われたことに気が付いた真琴は反射的に繋へ顔を向け、顔全体を使って悔しそうな、本当に悔しそうな表情を感情を惜しげもなく隠すことなく現している。

 反対に繋はしてやったりと勝ち誇った顔だ。


「油断したな」

「くっ! 今回は勝ったと思ったのに」

「いつも言っているだろ。それは行儀が悪いってな」


 そう言いながら繋がアイスの棒を指だけではじくとアイスの棒は華麗に宙を舞い、リビングにあるゴミ箱の中へと吸い込まれるようにして落ちていく。そして最後には、カランッと乾いた音がリビングに響いた。


「確か衛は今日、生徒会で遅かったよな?」


 ゴミ箱の中にアイスの棒が入ったことを確認した繋は、よしと首を縦に振ると顔を戻して真琴に尋ねる。


「そうだよ」


 尋ねられた真琴はぶすっとした顔で短く答え、そんなむくれた表情を見下ろす繋は苦笑を浮かべた。


「なら、今のうちに俺はあっちの家に行って母さんに報告してくるわ。明日以降の相談もあるからそのままあっちにいるけど、お前はどうすんだ?」

「あ、そう」

「ったく、相変わらず負けず嫌いだな」

「うっさい」

「へいへい。んじゃ、俺は行くぞ」


 真琴の態度に繋は苦笑を浮かべてリビングを出ると、家の奥へと足を向けた。

 自宅の敷地面積が他と比べて広いとは言え、大体の作りはごくごく普通の一軒家とそう変わらない。家の奥に行くのに一分どころか三十秒もかかることなく、繋は目的の場所に到着した。


 そこは、どこにでもあるような木製のドアの前である。

 明るめの木材を使い、どこにでもあるレバータイプのノブが付いたドア。

 ただ設置されている場所は廊下の突き当りで家の一番外側に位置する壁にあり、立地的にはこのドアの向こうは外である。

 ならこのドアは勝手口や裏口なのかと言えばそうではなく、別の場所にちゃんとした勝手口は存在している。木製ではなく、強度もある金属製の扉が。


 そんなドアのノブを繋は掴み押し開けると、その先にはまっすぐに伸びる廊下が存在していた。まっすぐ続く廊下は学校にあるような渡り廊下的なものではなく、周囲が壁と天井で囲まれ上部に細長い窓のある普通の廊下である。

 ドアのすぐ足元には三段ほどの小さな階段があり、繋はその階段を軽やかに降りると廊下を歩いていく。


 当たり前のように繋はその廊下を通り、突き当りにあるドアを開けて中へと入った。

 ドアの先は隣の家に繋がっておりその隣の家と言うのが、繋が大学生になるまで住んでいた家である。つまるところ、繋の実家だ。


 勝手知ったる他人の家ならぬ、勝手知ったる自分の家に足を踏み入れると繋はまっすぐにリビングへと向かった。

 こちらの家も繋家と似たような構造をしており、玄関すぐ横にあるリビングに通じるドアを開けて中へと入る。

 中に入ると奥にあるキッチンでは今まさに夕飯の準備にいそしんでいる自身の母親の姿があり、それを確認した繋は後ろから声をかけた。








 みなさんは異世界に召喚され、異世界を救った人間がその後どうなったか知っているだろうか。

 無事に元の世界の帰った?

 元の世界に帰ることができずその世界に残った?

 自分の意思で帰還せずにハーレムを築いた?

 だまし討ちに合い復讐に燃える鬼になった?

 他にもいろいろと意見があるだろうが、その全てが正しく、どれも間違っている。

 むろんそういった経緯を、運命を辿る転移者がいただろう、転生者がいただろう。


 だが、世界の管理者──いわゆる神様と呼ばれる高位存在が、金脈たるそんな人材を何の考えもなく手放すだろうか。

 今、この瞬間にもどこかの世界では崩壊の危機にさらされている中で、手放すであろうか。

 答えは言わずもがな──否である。


 これは、そういった物語。

 神様たちの便利屋となった青年が過ごす、ごくごく普通の物語。





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