第26話 帰宅
繋は口にした通り、一人暮らしをしている自宅へと帰ってきた。
日本のどこにでもあるような住宅街。
その一角にある三階建ての一軒家。
一般的に建て売りされている一軒家よりも目に見えて一回りから二回りほど敷地面積が広く、一人暮らしするにはもったいないほどに立派な自宅。
ごくごく普通の平均的なサラリーマンの給料ならば、どれほどのローンを組まなければならないか分からないほど立派な家である。下手をすれば親子二代にわたっての返済になる可能性があるほどだ。
そんな自宅のリビングの出入り口付近に開いたゲートの中からぬっと姿を現した繋は、掃除が行き届いているフローリングの床に足を付けるとおもむろに両腕を大きく上にあげ身体を伸ばし始めた。
深く大きく深呼吸しながら、どこまでも伸びていくように背筋を伸ばす。じっくりと細胞一つ一つをほぐすかのように念入りに。
そのためなのか、繋はなんとも気持ちよさそうな表情を浮かべている。
そうして数秒間そのままの状態を維持したのち、天井を触らんとばかりに上げていた腕を下すとスッキリした声で、
「ただいま」
と口にする。
律義に口にする。
一人暮らしが故に言う必要もないだろうが、それでも繋は口にした。
ルーチンワークじみた動作を終えた繋はどうやら喉が渇いているらしく、労わるように喉をさすりながらリビングの奥にあるキッチンへと歩き出した。
短く言葉を漏らしながら喉の調子を確かめつつ一歩二歩と足を動かし、
「ん?」
ふと、何か違和感に気が付いたような様子を見せ動かしていた足を止めると、顔をリビングのテレビへと向けた。
リビングの入口から見て右手側。
窓際に設置されているおおよそ七十インチ以上もある大きなテレビから軽快なリズムのBGMが流れ、その画面には草原を走る一人の男の後ろ姿が映っている。画面の男が走るたびに草を踏む効果音が聞こえ、風景が後方へと過ぎ去っていく。グラフィックにこだわって作られているのか、風で揺れる草がやけにリアルで実写映像を使っているのかと思ってしまう。
繋はそんな画面から目線を手前に移動させ、テレビの前にコの字型で並べられている座り心地のよさそうなソファへと向けた。
そこには一人の少女──繋の四つほど年下で一番上の妹である、
「来ていたのか、真琴」
その後姿に、繋は声をかけた。
「ん~ああ、兄ちゃんお帰り。家に居なかったけど、どっかいってたの?」
声をかけられた真琴は、サイドテールを揺らして振り向く。
振り向いた真琴の口にはアイスの棒が咥えられており、繋の姿を目にするとアイスの棒を揺らしながら返事を返す。
「いつものだ」
その一言ですぐに理解したのか、真琴は納得したように頷く。
「あ~いつものね。で、今回は誰の?」
「エアリエルの要請で新人発掘の手伝いだ。今回も緊急時の監視員みたいなもので、基本的にほとんど関わることがないだろうな」
「クゥちゃんのノルマの手伝いね。兄ちゃんお疲れ」
「ありがとよ」
簡単に真琴と言葉を交わした繋は、止めていた足を動かしてキッチンへと向かう。
食卓テーブルを迂回してキッチンの中に入ると、上にある棚から二つのガラスコップを取り出し、次に冷蔵庫からお茶が入ったピッチャーを持ってソファまで移動する。
ソファまで戻ってくると持っていたピッチャーと二つのコップを前のテーブルに置き、ため息を吐きながら真琴の左隣に腰を下ろした。
ソファに座った繋の口から漏れる疲れを含んだ深い吐息に、真琴はどこか同情しているような表情を浮かべるとコントローラーから片手を離し無言でねぎらうように軽く肩を叩く。肩を叩かれた繋はそのお返しとばかりに、ちょっと荒めの手つきで真琴の頭を撫で返す。
普通であれば高校二年生の花も恥じらう女子高生なら、大抵の場合こうした兄妹の接触に嫌がる反応を見せるだろう。だが真琴は一切嫌な顔をせず、それどころかちょっと楽しそうに撫でられている。
真琴の頭をひとしきり撫でまわした繋はその手をピッチャーに伸ばし、二つのコップにお茶を注ぐと一つは真琴の前に置きもう一つは自身の口元へと運んだ。
真琴は咥えるアイスの棒を揺らして、
「ありがと~」
と、おざなりにではあるがお礼を口にするも目線は画面の方へ向けて動かさない。
真琴のそんな様子に苦笑しつつ繋は一気にお茶を飲み干し、新しくお茶を注いでチビチビと口に含みながら視線と意識をテレビ画面へと向ける。画面には草原のフィールドで片手剣を振り回し、数体の人型のモンスターと戦闘を行っているキャラクターが映っていた。
「それで、これはどこの世界だ? 多少なりと見覚えはあるんだが……」
「ん~えっと、一六三世界(仮)ってタイトルだから、たぶん一六三番目の世界ってことなんじゃない。あと、これが今の最新作の試作品って緋色さんは言ってたよ」
真琴はテーブルに置いてある透明なケースに手を伸ばし、黒のマジックで適当に書かれたタイトルを口にした。それは本当にゲームのタイトルなのかと疑問が発生する物ではあったが、試作品のタイトルとしては別に変ではないだろう。
「毎回の毎度のことながら番号で言われてもパッと思い出せないし、運よくそれっぽい世界を思い出せたとしてもそれが本当に正しいのか判断が付かないんだがな。まったく、相変わらず細かい奴だよ《技 術 屋》《エンジニア》は。いや、これを細かいって言っていいのか分からないが」
タイトルを真琴から聞いた繋であったが、聞いたからと言って思い出したようなリアクションをとることはなく、むしろさらに首を傾げ喉に魚の骨が刺さっているような微妙な表情を浮かべた。
繋の様子を横目で見ている真琴だが、特に口を開くことなくコントローラーを操作し続け戦闘を有利に進める。
「あ~くそ、やっぱり思い出せん」
ゲームを楽しんでいる真琴の横で腕を組み背中を背もたれに預けて画面を見ながら悩んでいた繋だったが、どうにも思い出せないのか降参とばかりに組んでいた両腕を解いて一旦上にあげると膝に手を置いて立ち上がった。
それでもどこか後ろ髪を引かれるような様子を見せていたが、そのくすぶる感情を振り切るため思い出せないものはしょうがないと言った風に息を吐くと再びキッチンへと繋は向かう。
キッチンに入り冷蔵庫前に立った繋は腰をかがめ冷凍庫の引き出しを開けると手を中ほどまで突っ込み、ピタリとその動きを止める。
急ブレーキも真っ青になるほど急に止めた手を繋は引っ込めると、冷凍庫の引き出しを戻した。そしてその場にしゃがみこんだ繋は目頭を押さえ、一目で分かるほどにどうにも悩ましそうな表情を浮かべる。
だがすぐに気を取り直した繋は再び冷凍庫の引き出しを開け、そこにあったはずの確実に存在していたはずの、たしかに備蓄してあったはずのアイスが消えていることを再度確認すると冷凍庫をそっと閉めた。
なんとも渋い表情を浮かべる繋は一直線に躊躇なくキッチンのゴミ箱の前に移動すると中を覗き込み、入っている大量のゴミを確認して両目を閉じて天を仰いだ。
そのまま天を仰ぎ、
「真琴。確かにアイスを食うなとは一言も言っていないが、それと同じように全部食っていいとも言っていないぞ」
ソファに座っている真琴に対して呆れた声で言葉をかけた。
「兄ちゃんがその時にいないのが悪いし、ちゃんと言わないのも悪い。つまり、兄ちゃんのミスだね。あたしは、悪くない」
声をかけられた真琴は繋の方へ顔を向けると、なぜか得意げな表情を浮かべ本当に得意げな声でそう言い切った。その表情はなんとも腹の立つほど似合っており、それと同時に一発殴りたくなるような表情である。つまるところ、反省の色は一切見えない表情だ。
「真夏にアイスを全部食うなら分かる。いや、それでもかろうじて分からなくもないってレベルだが、今はまだ五月の半ばだ。腹を壊しても知らないからな」
「大丈夫、大丈夫。冷寒耐性持ってるから」
「持っているからなんだよ。持っていたとしても、アイスを全部食う理由にはならないんだが」
真琴とのやり取りで、もうアイスと言う存在がこの場にないと諦めた繋はソファの方へと戻り座りなおす。
「冷凍庫の中にアイスがあれば全部食べるのは当たり前だよ兄ちゃん。それはもう、マナーとか常識だとか言っても過言じゃないと言えるほどに」
隣に戻ってきた繋に向かって、さっきみせた得意げな表情のまま説明口調で言い聞かせるように口にする。
「いや、過言も過言で過言すぎるだろ。あと、どんなマナーと常識だ。俺は一切合切聞いたことがない」
「それは兄ちゃんが無知なだけだよ。日々勉強しなきゃ」
さも当たり前のことのようにのたまう真琴の頭を、繋は無言で軽く小突く。
小突かれた真琴はぐわ~と棒読みで叫び、少々オーバー気味なリアクションをとりつつ体を横に倒した。
「まったく。ほんと、困ったくらいに可愛い妹だよ、お前は」
と、繋は苦笑交じりでこぼす。
「それで、今回の異世界はどんなとこ?」
「……少しは反応を返せよ。はぁ、まぁいい」
自身の言葉をさらっと流した真琴の手のひらを返したような態度に少々寂しそうに呟くも、すぐに気持ちを切り替えた繋は左手を軽く伸ばして前に出し、
「──
スキルを発動させた。
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