第7話 異世界

 異世界『ヴェルト』


 それが、いま五人がいるこの異世界の名前である。

 この世界は地球と同じくいくつもの大陸が存在し、そこには人族以外にも多くの種族が暮らす、それはそれは平和で平穏な世界だった。

 エルフ族がドワーフ族が、獣人族が龍人族が。

 その他にも、多くの種族が暮らしている平和な世界。

 本当に、平和な世の中だった。

 天下泰平の世の中だった。


 そう、だった。

 それは、今から五年前のことである。

 モンターク王国が存在するこのズィーベン大陸から一番遠く離れたジェンド大陸。そこにある魔人族の国『フリーデン王国』の国王である魔人王エデン・フォン・フリーデンが寿命によって崩御した。


 前王エデンは民の幸せを愛す公明正大な良王であり、知勇兼備の賢王としても非常に名高く、近隣諸国だけでなく世界各国などにその名は知られている人物であった。

 そんな前王の後継ぎとして新たな魔人王として選ばれたのは、第一王子であったエンデ・クリーク・フォン・フリーデンである。

 彼は前王が存命のころから右腕として辣腕を発揮し、国民たちはこの先も変わらずに続くであろうのんべんだらりとした平和な世の中に祝杯を上げた。


 しかし、その想いは砂上の楼閣のようにもろくも崩れ去ることとなってしまう。

 新王であるエンデ・クリーク・フォン・フリーデンと言う男は、良王とは真逆の存在であった。

 悪王であり、狂王であり、欲王であり、そして愚王ではない最悪の王。

 エンデはこの世界を、この世の全てを貪欲に欲したのである。

 王位を引き継いだその翌日、野心を持って兵を率いて周辺国家を襲撃し始めたのだ。

 唐突に突如に口火を切ったその侵略と言う名の戦争は瞬く間に戦火を広げ、今では世界の半分ほどが彼らの支配地域となってしまった。




「それ故に、わたくしたちは一縷の望みをかけ伝説と言われていました勇者様の召喚に踏み切りました。それが、皆様をこの世界へとお呼びいたしました理由でございます」


 感情を意図的に意識的に抑えた声で、できるだけ客観的に説明していたミッシェル王女だったが、その声色は知らず知らずのうちに熱が帯びていっていた。

 できるだけ説明に私情を混入しないように王女は努めていたのだろうが、それでも語り手が人間である次点で感情を完全に排除することは難しい。難しいどころか、不可能だと言ってしまってもいいかもしれない。


 話している最中にこの五年の出来事を思い出さないということはできず、無意識に感情があふれてきたのだろう。故に王女が吐き出す言葉に熱と感情が込められることは必然であり、話すにつれてどんどん感情が高ぶり熱が増していくことは当然と言ってしかるべきだった。


「そして──そして、まことに自分勝手な事だと分かっております。深く、深く理解しております。ですが! ですが、どうかこの世界をこの世界の人々をかの魔人王から救ってください。ここが、ここだけが! わたくしたちが愛する世界なのです……」


 そう口にする王女は、地面についてしまうんじゃないかと思うほど深く頭を下げた。

 頭を下げる前に見せた憂いを帯びる表情と、今にも命を投げ出さんばかりの必死さ。

 その光景から、その姿から、その感情から。この世界がこの世界に生きる人間が、どれほど切羽詰まっているのかがうかがい知ることができる。

 いや、この世界の人間ではない五人には本当の意味で知ることはできないだろう。

 だがそれでも、想像することはできる。


 必死な態度を見せる一国の王女が、民のために国のために世界のために未来のために真摯に頭を下げる姿がどれほど美しいことか。

 王女がとつとつと語っている最中、周囲も説明が進むにつれて表情がどんどん暗いものへと変わり、祈るような、すがるような必死と言える視線を五人、特に高校生四人へと向けていた。


 もし、この状況でここまでの真摯な願いを断ることができるのであれば、それは別の意味でその人物は勇者だと、大勇者だと言ってしまってもかまわないだろう。だが、それは悪い方の意味でだ。

 そしてその心配がある青年へ向ける視線は、押し付けるような強制的でなんとも強いものになっている。


 しかしながら、世界の半分。

 これは文字通り、土地の半分が敵の手に落ちたのだろう。

 世界の半分というが、以前に比べて半分程度の生活環境になったのかと言えばまったくもって違う。おそらく、大打撃と言ってもおかしくないほどに現状は切羽詰まってきていると言えるはずだ。


 なぜならば、失った半分の地域でしか作れない土地柄に由来した生産品。生息域、生育域に依存した特産品。土地独自の材料や素材が確実に存在する。

 そういった物が全て流通しなくなるというのは、ライフラインの一つや二つが無くなるようなものだ。もしかしたら、それ以上かもしれない。

 これを現代で分かりやすく言うのであれば、石油が一切入ってこなくなったと考えればいいかもしれない。

 現状でここまで来ているのだ、この世界全てが魔人王の支配下になってしまえばどんな地獄が待っているのか、想像もしたくないだろう。


「──分かりました」


 頭を今も下げ続けている王女へ向けて、大地が一歩前に出て胸を張り謁見の間に響き渡るほどの声を上げた。


「この大空大地、全身全霊、命をかけてこの世界を必ず救ってみせましょう!」


 続けて口にしたその力強い言葉に部屋の中にいる人々の顔が希望にあふれ出すと歓喜の声が湧き、王女はその下げていた頭を勢いよく上げる。

 救われたような希望を得たような笑顔を浮かべる彼女の瞳には、キラリと光るものが見て取れた。


「君たちもそれでいいだろ!」

「まったく、勝手に決めないでいただきたい」


 戌亥はお決まりのポーズをとりながらため息をつく。しかし、その顔は呆れよりも笑みが漏れていた。なんとも楽しそうな笑みだろうか。


「ですが、そのような切羽詰まった事情があるのであれば、自分も微力ながらこの力をお貸しいたしましょう。人助けも国助けも結局同じこと。そして、世界を救うことでさえ同じことですからね」


 微力、と口では言ってはいるものの体からにじみ出るやる気に満ちた雰囲気から本心ではそう思っていないとはっきり感じる。が、それでも戌亥も大地同様に戦うことを承諾したため、さらに喜びの声が響き渡った。


「えっと、つまりはボクたちの力が必要だってことだよね。うん、じゃあ、ボクも精一杯頑張るよ! あ、でも、大会どうしよう」

「ありがとう、ございます」


 片手を上げぴょんぴょん飛び跳ねて自己主張する猫でさらに謁見の間は湧き上がり、王女は上げていた頭を再び下げる。

 そうして頭を下げた瞬間、王女の瞳に溜まっていたあふれんばかりの涙が重力に従ってこぼれ落ちていく。瞳からこぼれていく涙は宝石のように綺麗で、一瞬と言える時間だけその姿を見せると床に落ちて消えていった。

 大地と戌亥の二人はその涙を目にした瞬間、より一層やる気に満ち溢れた雰囲気を醸し出す。


 ただ、そのやる気は世界を救うためというよりも、王女のために命を懸けると言ったものだ。

 だがどんな動機にしろ、この世界を救うと言った結果に収束しているならば動機が何であれ同じことである。

 猫も猫で笑みを浮かべているが、唯一琴だけは険しい表情を浮かべていた。


 これまた、琴の反応は当たり前のことだ。

 王女たちが五人へ頼んでいることを極端に端的に分かりやすく短めに要約すれば、縁もゆかりも思い出もないこの異世界のために命懸けで命を賭けて命の限り戦えと頼んでいるのである。

 これはどれほど情に訴えかけても、どれほど懇願しようと根本的なものが覆るわけじゃない。本質は本質が故に、覆らない。


 ついさっきまでごくごく普通の女子高生だった彼女からしたら、これは今すぐにでも家に帰してとわめいてもおかしくない話だ。先ほど以上に、どんな頼み以上に。死にたくないから。

 しかし、それでも琴は断れないでいる。

 召喚した理由が理由だと言うこともあるだろうが、彼女は心根が優しいのだろう。だから、どこまでも悩んでしまい何も言えなくなっている。


「あ~たびたび申し訳ないんだが」


 そんな中、空気を読まないそもそも読む気が無いのか、くだんの青年が言葉とは裏腹に申し訳差の欠片もないずうずしい声で、黒板の前に立つ教師へ質問するかのように手を上げ声を上げた。


 青年が声を出した瞬間、部屋中に満ち溢れていた喜びの声がスイッチを切ったかのように途絶え、部屋にあるほぼすべての視線が再び向けられる。

 それは耳が痛いほどの沈黙で、耳がおかしくなったかと思うような静寂であった。

 謁見の間に漂う無言の圧力は、普通であれば押しつぶされそうになるほど重いものがある。だが、やはりと言っていいほどに青年は気にした風もなく飄々とした涼しい表情を浮かべ、王女の言葉が返ってくる前に、


「正味な話、俺たちは元の世界に帰ることができるのか?」


 と、続けて本題を口にした。

 何でもないように青年が口にしたその言葉。

 青年が言い放ったその言葉を耳にした琴は、飛び跳ねるほどに反射的な動作で誰よりも早く青年へと顔を向け、次の瞬間には首がねじ切らんとばかりの勢いで返す刀とばかりに王女へとさらに顔を向ける。


 王女へと向けた琴の表情は最後の希望にすがるような表情であり、王女からの返答を一言一句聞き漏らさないように真剣な眼差しであった。

 もちろん他の三人も同様に気になっているようだが、それでも必死さという点に置いては誰も琴には及ばない。


「はい、可能でございます」


 四人が見守るなか、王女は青年の問いに言葉を濁すことなく、あっさりともったいぶることなく笑顔で肯定した。

 返ってきた答えを聞いた琴は一気に安心したような顔へと変わり、その安心感からか今にも倒れてしまいそうな様子を見せる。


「ただ今すぐ、とはいきません。これは、わたくしたちの頼みごととは別の理由がございます」


 だが王女の答えには続きがあり、王女は浮かべていた笑顔を真剣な物へと変化させるとさらに話を続けていく。


「まず、わたくしたちが皆様方を召喚いたしましたのは『勇者召喚魔法』と呼ばれる特殊な召喚魔法でございます。この魔法はその名の通りこことは別の世界から勇者様を召喚するための魔法なのですが、この魔法には対となります『勇者送還魔法』と呼ばれる、これまた特殊な送還魔法が存在しております。

 皆様方は最終的に、こちらの送還魔法を使用して元の世界へとお返しすることになっているのですが──今現在、この送還魔法は使用できない状態なのです」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る