第3話 ルール
謁見の間に響いた変な音。
例えるなら何かをすするような、何かスープに浸された麺類をすするような音だ。
唐突に聞こえてきたそんな聞きなれない音に、王を含めこの謁見の間にいるすべての人が周囲を見渡し始める。
王や貴族たちがキョロキョロと不審そうに見渡しているなか、壁際に立つ近衛兵と魔法師たちだけは音が聞こえてきた瞬間に、自分たちの本分を果たすかのごとく即座に警戒を強めた。
近衛兵たちは流れるように槍を構えだし、魔法師たちは剣を抜くがごとく各々の懐から三十センチ程度の杖を取り出すと瞬時に動けるような態勢を取りつつ油断なく周囲を警戒している。
さすが謁見の間を任されていると言えるほどに、なめらかで洗練された動きを見せた。
謁見の間の中がにわかにざわめきだすも、四人の高校生たちだけは良くも悪くも日常的に聞き覚えがあるその音に、すぐさま唯一心当たりがある方向へと顔を向けた。事前に綿密な打ち合わせをしていたのかと言わんばかりのタイミングで、四人同時に振り向いた。
つまるところそれは、一番左端に座っている五人目。
唯一の男子大学生である青年へと四人は顔を向けたと言うことだ。
四人が顔を向けた先には、四方八方に寝ぐせが跳ねた無造作な黒髪に眼鏡をかけ黒い作務衣を着ている、どこにでもいそうな青年が自室でくつろぐかのようにゆったりと胡坐をかいて座っていた。
服装以外は本当にどこにでもいそうな量産型の男子大学生なのだが、手には綺麗に割られた割りばしと大きめのカップメンが握られており、今まさに容器の中から麺を持ち上げて口に運ぶ最中である。
手に持っている容器には『極楽ラーメン』とポップな字体で大きく書かれており、青年はそんな容器からすくい上げた黄金色に輝く麺をなんとも美味そうになんとも幸せそうに音をたててすすりだす。
その姿は、ちょっとした地方のCMになりそうなほどの食いっぷりであった。
いや、大手の食品会社のCMでもなかなか見ないほどの食いっぷりで、全国区のCMにすればかなりの影響があるだろう。
なんとも食欲をそそる青年の様子にスポーツ少女はキラキラと、ショーケースに飾られたトランペットを前にした男の子のように目を光らせていた。
ただ、そんな純粋な反応を見せたのはスポーツ少女だけである。
他の三人は青年のいまこの状況にそぐわない唖然とする行動にどうしていいのか分からずただただ困惑気味に視線を向けていると、周囲もようやく青年の存在に気が付いたのか流れるようにしてこの場にあるすべての視線が青年へと向けられていった。
近衛兵たちは槍の構えを解き、魔法師たちも手に持った杖をおろし出すも警戒を緩めずにいる。
謁見の間にある何十、何百という視線が青年へと集まり、最終的には物理的に穴が開きそうなほどに熱い視線となり、いくら鈍感でも確実に気が付くだろう。
だがそれでも青年は自身に向けられている視線に気が付いていないのか、続けて一口と二口と麺を口の中に運び舌鼓を打つ。
そうして三口目を食べようとしたところでようやく周りの異変に気が付いたのか、ハタッと手を止め箸を止めた。
おもむろに青年は容器の中から麺を取り出した状態で顔を上げて周囲を見回し、
「あ、気にしなくていいんで続けてください」
などと知人に声をかけるがごとくそう軽く言うと、持ち上げていた麺をスープにつけなおして何もなかったかのように口へと運ぶ。
いつもそうしているかのように、当たり前で自然な動作で。
いままさに重要な話を始めようとしていたこの状況下、この現状下。
ここまで何もなかったかのように普通に食事をしている姿をみせられた周囲は、非常に困惑していた。
青年のその何でもない自然な普通さを目にし、時間が止まったかのように誰も動けず誰も声を上げることができない。
静かな謁見の間には、継続的に麺をすする音だけが響き渡る。
そんな静けさがおおよそ一分ほど経った頃、ようやく意識を取り戻したかのように周囲が動き出し始めた。
なかでも一番に行動を起こしたのは、四人の高校生のうちの一人、秀才君である。
秀才君は困惑を振り切るように動き出し青年のそばまで移動すると、座っている青年を物理的に見下ろして、
「この状況の中、あなたはなぜそこまで冷静なんでしょうか?」
と、これまた周りから注目されることを前提とし非常に意識したキメポーズを忘れることなく青年へと問いかけた。
かけられた声に反応を見せた青年は、もぐもぐと麺を咀嚼しながら秀才君を見上げる。
秀才君に目を向けた青年は「何変なことを聞いているんだ?」と言わんばかりの心底不思議そうな表情を浮かべつつ、なんの戸惑いもなく容器のふちに唇をつけてスープを口の中へと流し込んでいく。
数秒ほどその状態を維持した後、青年は目線を何もない空中へと巡らした。
何かを考えているような様子を見せつつも頑なに容器を口から離すことなくスープを飲み続ける青年は、スープを完全に飲み干すとようやく容器から口を離し、目線を秀才君に戻すと口を開く。
「あ~そうだな。俺がなぜ冷静なのかって話だが、別に冷静だと言う訳じゃない」
肩をすくめて青年はまずそう口にする。
次に青年は容器を頭の上あたりまで持ち上げ、周囲の目をそこに集中させるように振って見せる。
青年の思惑通り、全員の目線がカップへと引き寄せられた。
「まず、前提の話をしておこう。前提として、大前提として、前提条件として俺はカップラーメン食べるときは必ず麺硬めで食うことにしている。
例えるなら、俺は容器にお湯を入れて一分から二分少々で食い始めると言うことだ。これは普通のラーメン屋で硬さを選べる時も同じで、必ず硬麺を選ぶ。バリカタ可でハリガネも可。あと、粉落としってのもあったな。つまり、そういうことだ。そういった食の趣味嗜好を持っている」
たとえラーメン通やラーメン好きに「まったくもって食べ方がなっていない」と言われたとしても、これが俺の趣味嗜好だから仕方不が無い。
と、おかしそうに苦笑を浮かべながら、蛇に足を付け足すようにおどけて青年は言葉を付け足す。
「んでだ。このルールは俺自身の趣味嗜好で好みの問題だから破ったところで罰も何もない。だが、趣味嗜好が故に破りがたいルールだ。いわゆる、自分ルールと言うやつだな。たとえ大きな地震が起きようと、目の前に雷が落ちようと、家が火事になろうと、みっともないと親父に怒られようとも破ることのない俺のルールだ」
そう強く熱い口調で説明している青年は、少しだけ誇らしそうに胸を張る。
「まぁ、さすがに火事や地震になれば放り出して逃げるだろうが、基本的に命の危険が無い場合はこのルールを破ることはない。あ、いや、いやいや。俺ならどんぶりを持って食いながら逃げるな、たぶん」
そんなもしもの光景を想像したのか、少しおかしそうに笑う。
しかしながら、秀才君を含め周りは特に反応はない。
「そして、ここからさっきの問いに関係してくる。
俺はこのカップラーメンの容器に熱々のお湯を入れ、心からワクワクしながら一分後の未来を、完成を今か今かと待っていた。だが、ちょうど適量の熱湯を注ぎ入れたその瞬間だ。その瞬間、この見知らぬ場所へと強制的に召喚されてしまった。一瞬にして景色が変わり、困惑しつつも目の前にあるこれをどうしたものかと一秒もの長い時間を使って本当に悩んだ。本当に悩んだ。これ以上ないと言うほど生真面目に真剣に」
青年は本当に悩ましそうな表情を浮かべ、本当に悩みに悩んだような声を出す。
「今この状況が直接的に生命の危機なのか、この大切なラーメンを放り投げるに値する危機なのかを。一分を過ぎた麺がどれほどまで柔らかくなってしまうのか、などなど非常に大切なことを延々と一秒の間に思考を巡らせた。
そしてかの有名な名探偵と同じ灰色の脳細胞で出した結果が、食べごろである瞬間に食わないのは罪だと言った結論に達し、一分少々待ってようやく口にした」
青年は名探偵がトリックを解き明かし事件の真相を話す時のような自信ありげな表情を浮かべ、まっすぐに秀才君へと顔を向けた。
本当に、得意げに。
「つまり、俺が冷静に見えたのは、ただただ俺の食い意地が張りに張っていたというだけの話だ。それに、よく言うだろ。食い物の恨みは恐ろしいって。食べられずに捨てられてしまった食材が化けて出るんだぜ。もったいない、もったいないと恨み言を妬み言を言いながら。そんなことになるのなら、状況がどうあれ現状がどうあれ命の危機が無いのなら食うしかないだろ」
その後に「なんてたって、もったいないお化けは怖いからな」と嘯くような口調で口にした。
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