05 ふるさと



 それから一週間がたった、ある夕方。

「じゃあ、今日は最後の曲です」

 ミーカはそう言うと、客席の反応を待たずギターをつま弾き始めた。甘い旋律が、しわぶきの音一つしない酒場に満ちる。犬の頭も、人の頭も、蟻の頭も、公平の頭も、みな、ミーカに見入っている。青白い、不思議な光を投げかける魔灯ランタンが、ステージにミーカの影を伸ばす。ローポニーテールで後ろに流している黒髪がかすかに揺れる。ステージ衣装のシンプルな黒いワンピースは、ミーカ自身の妖精じみた不可思議な存在感を際立たせている。


「 三つの月 照らす道 遙か彼方 あの家は

八つの山 連なる穴 今は遠い あの家は

帰らない家へ 戻らない家へ あの家は

どこまでも続く 道の始まった あの始まりの家は……」


 低く囁くように掠れ、けれど甘く響く声。異世界では一般的な、吟遊詩人の語り歌風の歌。普通は英雄譚や、神話を歌い上げるものだが、これはミーカのオリジナル。

 郷愁をかき立てるのではなく、胸の中にそっと呼びかけるような不思議なメロディだった。客席の中には涙ぐんでいる者もいる。すでに涙を零し、すすり上げるのを堪えている者も。

 タバーン・カンポが位置しているのはドラン大陸西端、ガァトナ英雄王国の首都、ガァト。自由な国風に惹かれ、誰もが歌に歌われる英雄に憧れて集う、活気に溢れた街だ。

 だが希望を胸に移住してきた者も、一年もしないうち、自分は英雄にはなれないと悟っていく。だがそれでもこの国で生きていかなければならない。故郷への想いをくすぶらせて、帰れない理由を積み上げて。それはどんな種族でも変わらない。

 公平はカウンター席で彼女の歌を聞きながら、故郷を思い出す。一人暮らしの自宅から、特急電車で五十分、という微妙な位置に実家がある二十五歳の彼には、望郷の想いは薄い。けれど周囲を見渡してみれば、彼女の歌が皆の心を打っているのは、はっきりわかる。

 普段の朗らかな姿とは似ても似つかない妖艶さ。十七歳ということが信じられない、神秘的な声。物憂げに目伏しがちで、なのに、世の中の何もかもをも見通しているような瞳。

「…………まったく、いい職場なんだか、悪いんだか……」

 厨房の中から料理人のキィハァルが、公平にだけ聞こえるように囁いた。少し目が赤い。

「……ええ、ほんとに」

「…………もう帰れねえんだ、って思うと、やっぱり、な」

 ずずっ、と鼻をすする音。

「…………ご出身は、どんなところだったんですか?」

 歌が終わりにさしかかり公平が尋ねると、キィハァルは首を振りながら答えた。

「トチギのキツレガワってとこでね。今じゃサクラシだのなんだのになったそうだが……よくウツノミヤまで、チャリで出たもんさ」

 しばらくの間、それが異世界の地名なのだ、と思っていた公平。だがやがて、栃木とちぎ県、喜連川きつれがわ、さくら市、宇都宮うつのみや、という日本の地名で、チャリは自転車だ、と、気付いて、目をぱちくりさせてキィハァルを見た。けれど彼は真っ赤な目をしてミーカに見入っている。

「……以上、ミーカ・ワイスでした!」

「おっといけねえ、今日はこっからだ」

 と、そこで曲が終わり、ミーカがそう言うと、客席は割れんばかりの拍手に包まれ、すぐに来るであろう注文のラッシュに備え、キィハァルは厨房の中に引っ込んでいった。


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