04 福祉に必要とされる人材




「良かった、無事……帰ってきてくれたか……」

 冬杜が心底安心したような口調で言った。が、なにか妙な顔をしている。

「……早くないか?」

 彼を異世界に送ったのが午後十時頃。まだ二時間程度しか経っていない。

「え、あ、お昼休みですから」

「え? あ……あぁ、そうか、もうそんな時間だったか。だが……」

「あ、僕、お弁当なんですよ」

 きょとん、とした顔の公平。

 なに? という顔の冬杜。

 二人の間に、気まずい、と、謎、が生まれて初めてのデートをしているような、奇妙な空気が流れた。ところが公平はそんな空気の存在にまったく気がついていないので、朝からずっと疑問に思っていたことを尋ねた。

「あの、嘱託職員の人にも聞いたんですけど……ここって一体全体、どこのなにを財源としてるんですか? 特定財源の使途に、異世界ってありましたっけ?」

「……最初に気にするのが、君は、そこなんだな……」

 気まずいと謎の初デートはともかく、二人は魔方陣が設置された転移室から、扉一枚隔てた事務室に移った。見かけは、社員十人以下の中小企業オフィス、といった風情。

「いやだって……異世界? のことは秘密……機密、なんですよね。じゃあ、こっちの税金から回すわけにもいかないし……向こうで徴税があるとは聞きましたが……具体的には……?」

 福祉には、お金がかかる。

 というより、福祉とはお金なのだ。三年間の生活保護ケースワーカーとしての経験で、公平はそれを、骨の髄まで叩き込まれている。お金のかからない福祉もできるだろうが、それは結局、どこかで、誰かを、無料で働かせることになる。

「私の怪我の理由とか、なぜ自分が選ばれたか、とかは、君は……気にならないのか……?」

「あ、それも気になると言えば気になりますが」

 今気付いた、という顔の公平に、冬杜は微妙な顔をした。苦い笑いを零して、いやまったく、本当に適任だったんだな……などと呟き、自分の額、大きな絆創膏を指さす。

「私の怪我は、まあ、魔物にやられたんだ。異世界公務員として、レベルとスキルを上げるのは必須だからな。失敗、してしまったよ。なんだか妙な魔物だったが……」

「レベル、と、スキル……というと……ええと……」

「ほら、わかるだろう、ゲーム風異世界の」

「というと……宅地建物取引士とか、社会保険労務士とかのこと……では……ない……?」

 そこで冬杜の、アスパラのバターソテーを箸で口に運ぶ動きが止まった。

「…………吉田君、君はゲームとかは……ひょっとするとあまり……」

「………………ソリティアとマインスイーパなら、日本有数レベルだと」

 と、公平が答えると、冬杜はしばらく、目を丸くしていた。

だいブラとか、ほら、男の子は、小さい頃やるだろう」

「だいぶら……? あ、ああ、大喧嘩だいげんかブラザーズ、友達の家でやったことは、あります」

「……いや、待て……そうだ、だいブラの中で、知っているキャラはどれぐらいいた?」

「知っているキャラっていうと……いや、使ったのは、なんか、緑のカバと……でっかいサル……ああ、なんかお姫様と野球少年みたいなのも」

「…………問題。赤くて髭がトレードマークな、世界的に有名なキャラクターと言えば?」

「………………あ、レーニン!」

 呆然とする冬杜の頭の中、ソ連の有名人たちが大乱闘を繰り広げる。ゴルバチョフが最後の切りふだのグラスノスチで画面を真っ白にして、冬杜の頭も真っ白になった。

 ……適任、というわけではなかったのかもしれない。と思い直したものの、今更後には引けない。部下を育てるのも上司の役目だと自分に言い聞かせ、財源や彼が選ばれた理由も含め、ゼロから、根気よく説明していくことに。

「……国によって異なるが、公務員の健康診断はすべて、秘密裏に遺伝情報も採取している。そこで魔方陣、異世界転移に肉体的な適正がある人材かどうかをチェックして、リストアップしておく。本来なら予備人員がいつでも待機してるんだが……タイミングが最悪でね」

 なんでも控えているはずだった予備人員が、痔の手術により入院中なのだという。二番目の予備人員もいたがこちらは自衛官で演習中。三番目にいたっては痴漢容疑で収監中。

「そんな中で、レベル上げをしてたら魔物の攻撃で、私はスキルを使えない体にされてしまってね……一時的なものかと思ったんだが、どうやら恒久的なもののようだ。こうなってしまったら、引退せざるを得ないよ。レベル二百五十はあったんだがな……」

「はぁ……お体、大丈夫なんですか?」

「ま、たいしたことはないよ。明日は一日検査だろうが……私が使えなくなって、予備人員もいなくて……それで一番近場にいた、転移に素質がある君に白羽の矢が立った、というわけさ」

「それはわかりますが……どうもその……転生した人に税金を課せる理屈がよく、わからないんですが……だって、一度死んだんですよねその人……?」

「はは、どうしてもそこが気になるか。要すると、こういうことだ……ZOCゾックの見解によれば、転生した人間は死亡していない。書類上、地球では死亡していても、元の記憶を持ったまま異世界で生きている。で、あるならば、彼ら転生者は、依然、元の国家に所属する国民である」

「……国民である以上、当然、国家に対して納税義務を負っている……?」

「理屈はそういうことだな」

「そこは飲み込めましたが……向こう、異世界にも国はありますよね? 二重納税になっちゃうじゃないですか……租税の公平性原則に反する……のでは?」

「それは簡単な理屈で否定できる。ZOCゾック加盟の二十カ国はすべて、異世界の国家を、国とは認めていない。また異世界を異世界とも認めていない。法律上の解釈としては、異世界での出来事はすべて、ここ地球の、あの魔方陣の上で起きている」

「………………あ」

「異世界の存在は現行法には組み込めないよ。だから便宜上そうなる。そして、認証されていない国家にいくら納税しようが、それは買い物と同じだ。そこの国民である、という主張もたいした意味もない。我々は粛々と税を課すのみ。そのうち君にもやってもらうことになる」

 ははぁ、と感心しながらも、ぽりぽりと頬をかく公平。役所がこねる玉虫色の理屈には、その内にいながらも、彩りの奇っ怪さに時々、感心してしまう。

「死と税金からは、逃げられないっていうのは、本当ですね……」

「先に死から逃げたのは転生者じゃないか。税金が追いかけても文句は言わせないさ。異世界税は、転生民の義務だ。それを遵守してもらうのは、君のこれからの仕事でもある」

「なるほど……で……向こうには、何名の同僚が?」

 そこで冬杜は、あからさまに笑ってみせた。それは笑った、というより、目を見開いて口をつり上げた、と言った方がふさわしいような表情だったけれど……意味ははっきり、公平に伝わった。元の上司もよく、仕事を人に押しつけるときにこういう顔をしていたのだ。

「……人手不足……人件費削減は、異世界にも及ぶんですねぇ」

「そもそも魔方陣は一人しか使えないのでね……現地の人員……嘱託職員が手助けしてくれるから安心したまえ。ミーカくんは私が雇ったんだが、君にもついてくれる。頼りになるぞ」

「……頼りになるって、まだ子どもじゃないですか。あ……」

「……ん?」

 公平が、嫌なことを思いついてしまった、という顔をしながら不安そうに口を開く。

「……十七歳の児童を嘱託職員として働かせても、問題はないんですか? 地方公務員法では嘱託職員の下限年齢は明言されていませんが、正規職員と同程度の基準があると考えるのが妥当です。最近の事例では……」

 冬杜は一瞬だけ虚を突かれ、はっとして、喋り続ける公平を見つめた。この青年は、自分が異世界公務員として働く内に忘れてしまった、法令遵守という、公務員として大切な心根をまだ、失っていないのだ。それを間近で見るのはなんだか、自分の若い頃を目の前に突きつけられているようで、むずがゆいような、嬉しいような、奇妙な気分だった。深く深くため息をつき、それから苦く、苦く笑って、長々と語っている公平を見ながら呟いた。

「……やはり、私は、適任に後を託せたようだな……」

 ぽん、と公平の肩を叩いて、言ってやる。

「君はもう、私たち異世界公務員の一人なんだぞ」




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