第一章_お役人と異世界
01 お役所の窓口は一つの世界である
市役所の前で交通事故のような音が聞こえてきたかと思うと……どたどたと大勢の乱暴な足音が階段を駆け上ってくる。公平が目を丸くして階段の方を見ると……いかにもあやしげな、黒服の一団。その先頭には長身の女性。
「ちょ、ちょっと、あんたたちってば! だめだってば!」
公平とは顔見知りの守衛たちが一団を押しとどめようとしていたけれど、黒服の半分が守衛を抑え、残りの半分はフロアを見回している。やがて公平と目が合うと、叫ぶ。
「いたぞ!」
雪崩をうって窓口に殺到してくる黒服たちと、女性。遠目からでもはっきりわかるほど大きな絆創膏がおでこにある。朝一番の雑然とした空気に包まれていたフロアが、黒服と女性の剣幕に驚いて、しん、と静まりかえる。こつ……こつ……と、女性の靴音だけが、妙に大きく響く。やがて、女性は窓口の椅子に座り、公平を睨み付けた。
「あー……えー、と……」
美しい女性だった。百八十センチ近いすらりとした体を、一目で仕立てがいいとわかるスーツに包んでいる。タイトスカートから覗く黒いストッキングに包まれた足は艶めかしく、スクエアタイプの眼鏡が、ともすれば冷徹にも見える風貌とあいまって、氷の彫刻じみた美貌を作り上げているが……額の大きな絆創膏が場違いなほどに主張していて、どこかおかしかった。
……順番ですので番号札お取りになってお待ちください、とは……うん、言わない方が……うん、いいよな……総理大臣が来たって番号札を取らせて待たせるのがお役人だ、が口癖の公平は、けれど黙り込み、ごくりと唾を飲む。女性は、ふう、と大きく息をつき、スーツのジャケットに手を入れ、二枚の紙を取り出し、窓口の上に拡げた。
「……吉田公平くん、だね」
疲れ切った声だった。けれどどこか、有無を言わせない雰囲気。
「は、はい、そうです、が……」
まだ呆気にとられている公平が呟くと、女性は言った。
「君に日本を、救って欲しい」
数秒、いや、数十秒の沈黙。
公平は女性の顔と、窓口の上の紙切れを見比べる。
一枚は名刺だ。特別行政執行法人ダイバーシティ推進機構、推進本部推進本課課長、
辞令、下記の者を、令和三年七月一日付を以て、特別行政執行法人、日本ダイバーシティ推進機構への異動を命ず。以下には公平の所属に名前、そして内閣総理大臣を筆頭に、厚生労働省大臣、東京都知事、清澄市長、いわゆるお偉方の署名と判子が、これでもかと並んでいる。
一分近い沈黙の後、やがて公平は呟いた。
「……えー、と……今、やってるところですけれど……」
半分冗談、半分本気の言葉。生活保護ケースワーカーとして働き三年目、うんざりすることも多いけれど、やり甲斐も多いこの仕事を気に入っている。だが女性は大きく息をつき、一言。
「どうやら適任を、見つけられたようだな……」
女性、冬杜は、右手を天に突き出し、ぱちんっっ! と大きく鳴らした。
「ちょ、ちょっと……!?」
狼狽える公平に黒服が群がり、縛り上げ、階下まで連行していった。
あれよあれよと言う間に車に乗せられ、気がつけば、
立派なビルを尻目に、裏路地を入り、小汚い三階建てのビル、その一室に入ると……。
中には魔方陣。
冬杜が横のPCで何やら操作を始めると、魔方陣は音を立てて唸り、青白い光を放つ。
「ちょ、ちょっと、あの、なにが、どうなってるんですか……?」
公平を縛り上げた黒服たちはよくよく見てみると、胸元や腰元がわずかに膨らんでいた。大きさは明らかに拳銃のそれで、まさか日本でこんなことがあるはずがないと思いつつも、怯えて無抵抗だった公平。事情はまだ、さっぱりわからない。こんなことをされる身の覚えもない。
「すまないね……本当ならオリエンテーションに時間をかけるべきなんだが……」
冬杜は椅子に腰掛け、PCの一部に指を押し当てる。なにかの認証が通ったような音がすると、押し当てた指をそのまま宙に上げ、ぴっ、と振った。
どんっ。黒服に背中を突き飛ばされた公平が、魔方陣の中に入ってしまう。
「OJTでよろしく頼むよ……まったく、申し訳ない」
「へ、ちょ、わ、なに、え、あああぁぁぁ……」
しゅっ、と音をたて魔方陣が輝くと、部屋の中にはもう、冬杜と黒服たちしかいなかった。
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