七月十四日
夏にもう片足を突っ込んでいる今日この頃。中々に茹だる暑さでサボりたくなる。
ので欲望のまま恒例のサボりへと洒落込む。授業の行われていない体育館を堂々と通り体育館倉庫へ。倉庫の扉のドアノブをつかんだ瞬間思ったよりひんやりして、少しびっくりした。一悶着勝手にあって扉を開ける。
いつも通りの二十畳ほどの空間。それなりにモノはあって広いとも狭いともいえない。日が照っているが採光窓だけでは少し薄暗い。跳び箱、平均台、得点板、各種ボールの山、そして跳び箱の付け根の高橋。
限りなくいつも通り。強いて言うなら高橋はスマートフォンをいじっておらず傍らにバスケットボールが置いてあってそれを肘置きにしていた。そして上の空で何も考えていないようだ。
「おはよう。いい肘置きを見つけたな」
「これは肘置きじゃない。バスケットボールだ」
様子とは裏腹にちゃんとした受け答えだった。かと言ってこの返しに返事をするかどうか迷ったが一応「見ればわかる」と言っておいた。
僕も定位置に座り、文庫本を開く。
「どうしたんだ?スマホもいじらないで」
聞いて欲しそうだったので聞いてやる。それにこれ見よがしにぼけらーっとされてはこちらもふわふわして駄目人間になってしまう。
「考え事だ」
「とてもそうには見えない」
「頭ん中見せられたらいいんだけどな」
「それは、手っ取り早いな」
僕は本に目を落としながら、ページをめくりながら受け答えする。高橋の息をフーッと吐く音が聞こえる。
そして、
「バスケをしよう」
なんの脈絡もなく言う。
「そうか」
よくわからず本を読みながら適当に答える。
「一緒にやるんだよ」
嫌だよ、そう言おうと高橋の方を見る。しかし言えなかった。そこには一転、真剣な顔をした高橋がいた。いつかのしおらしさをも兼ね備えた。
「決心がついた。バスケをしよう」
否応なく倉庫の外、体育館へと連れ出される。決心がなんなのかは聞かなかった。どうせ聞いても答えは返ってこない気がする。
ただバスケをする決心がついたわけではないのは誰が見ても分かる顔つきだった。
ステージから見て左手前にあるゴールネット。そこが一番倉庫から近いので成り行きでそこを使うことになった。
スリーポイントラインから交互にゴールネットに向かってシュートしていく。三往復しても僕は一度もシュートを決められない。
高橋はここまで百発百中だ。少しむかつく。そして僕の番。外れる。ボールを拾う。
「ほら」
そう言って僕はボールを高橋にパスする。
「ああ」
高橋はさっきからこれしか言わない。僕はしびれを切らして、
「なぁ、決心って何だ?」
聞く。
「それはだなっ」
言いながらシュートする。少しそれた気がしたがボールはリングに吸い込まれた。
「バスケに誘う決心だ」
僕にボールを投げつけながら言う。さっきあんなことを思っていたから内心ひやりとした。
「冗談をっ」
僕も言いながらシュートする。当然外れる。
「そうだな」
短く答え、パスを受け取り、シュートする。当然入る。そして僕にパス。
僕は冗談でよかったと人知れずほっとしていた。一旦動きを止め、雑談を仕掛ける。
「それにしても上手いな」
「小、中はバスケをやってたんだ」
「相当上手かったんじゃないのか?」
「いや、スリーポイントだけ出来るんだ。ドリブルとかホント滅茶苦茶だよ」
ボールを貸してみろと仕草。渡す。
高橋はボールを手のひらに乗せるとドリブルの体勢に入る。手の甲が天井を向く。そこまではドリブルだった。
何を思ったか高橋はボールを地面に叩きつけた。実際、ドリブルしようと思ったのだろう。ただ表現としては叩きつけるが最適だ。
ボールは当然空高くへ。高橋は上を向き、両手を挙げ、ボールを迎え入れる準備をする。が上手くいかず顔面で受け止める。
「あがっ」と高橋は鳴いた。挙げた両手はせつなく空気をつかまされている。ボールは床で少し跳ねた後体育館の奥に転がっていく。
高橋はやっと痛みに気づいて顔面を手で押さえる。そして顔面を押さえたままボールを追いかける。
ボールを持ち帰ってきた後、
「ほらな」
鼻を赤くさせながらボールを小脇に抱えて少し胸を張って言う。
「わざとだろ」
事の顛末を見ればわざとでないことは察せるが茶化したいがためにつっかかる。
「わざとだったら高校のバスケ部クビになってない」
少しいじけた風に言う。
続けて、
「小中では通用したんだけど、高校ではやっぱ無理だったな」
しみじみ言う。一応うちの女子バスケ部は強豪の部類に入るのを思い出した。これではクビになるのも納得だ。
「そうか」
特に気の利いた受け答えはしなかった。
「話がぶれた。決心の話だったな」
「...あぁ、そうだったな」
ドリブル“もどき”にも満たないモノのせいですっかり忘れていた。高橋は順番を飛ばしてシュートの体勢に入る。僕は黙って見守る。
高橋は「私、」と言ってジャンプ。
「引っ越すからっ」
シュートしたボールは大きく逸れ、バックボードに当たり重力に沿って落ちた。
僕はボールを拾いに行く高橋の背中に、
「...どうして?」
そう言った。何を言っても上手く言葉にならなそうだったのでとりあえず、本当にとりあえずそう言った。高橋は背中を見せたまま言う。
「私の母親が料理人って話は覚えてるか?」
「ああ」
動揺している脳で必死に思い出した。確か弁当のときか。
高橋は振り向いて、
「それでな、腕が買われて東京のレストランで働くことになったんだってさ。夏休み前にはいなくなるから」
あと三日もしたら高橋はいなくなるのか?意味もなく胸がキュッとした。
「そんな、急に」
息が詰まる。
「あぁ、ほんと急だよ。家に帰ってたら東京に引っ越すからね、なんて軽く言うんだ」
「そう、か...」
いつまで経っても落ち着かない。言うべき事がわからない。
「...それが決意か?それを言うことが」
会話が途切れないよう取って付ける。
「違うよ」
「じゃあ、」
遮って、
「次、お前だ」
高橋は真剣な表情でボールを手渡してきた。僕はそれに従う。高橋は何も言わないまま僕の後ろに立つ。僕はシュートの体勢に入る。
後ろで「私は多分、」そう聞こえた。だが僕の反射神経は何か聞こえたからといってシュートを止められるほどよくはない。
ジャンプした瞬間、
「多分、南のこと好きだ」
聞こえる。手元が狂う。しかしなぜかボールはゴールリングをくぐり抜けた。着地してすぐ僕は振り返る。高橋はそっぽ向いている。
僕の心臓はバクバクと急ピッチで全身に血液を送っている。しかし脳には送られていないのか思考が片言だ。上手く言葉が見つからない。
「何も言うな」
短く高橋が言う。言われなくても何も出てこなかっただろうが。
小っ恥ずかしいように続けて、
「これが、まぁ、決意、だな」
少し間があって、
「多分、好きなんだと思う。...恋なんてしたことないから曖昧なのは許せ」
「な、何でこのタイミングなんだ」
少しずつ平常が戻ってきて素朴な疑問を口にする。
「何も言うなと言ったろ?」
淡々と依然そっぽ向いたまま言う。
僕は黙った。
「...日にちがないからに決まってるだろ」
そして怒濤に、
「バスケは恥ずかしいの誤魔化すためだ
よ!」
聞いてない疑問にも答えてくれた。そして僕の顔を見据える。
「何も言うなっていうのは返事は要らないってことだから」
そう言い捨て体育館の出口へ行こうとする。
「どういうことだよ?」
当惑しながらもかろうじて呼び止める。
高橋は僕に背を向けたまま、
「ここでフラれて引っ越すなんて出来ない。でも告白はしときたい。多分、初恋だしな。だから告白だけして答えは聞かない。...自己満足だよ、美しい思い出にしときたいんだ。」
枯れ枯れしく言う。そしてまた出口へ向かう。
「逃げるのか?」
高橋は黙ったまま体育館から出て行った。
僕はボールと二人きりだった。
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