第二章 竜血の乙女、暴君を穿つのこと2

 園衛に教えられた左大億三郎の住所は、隣のつくし市の田園地帯にある。

 瀬織と景はバスを降りると、暫く歩くことになった。景は大きな箱の入った紙袋を持っているが、見た目よりも軽いらしく特に苦労はないようだった。

 10月だがまだ気温は高く、晴天ということもあって散歩するには丁度いい。

 道端の彼岸花は枯れ、代わりに山を紅葉が彩る季節。

 古い市街地を抜けて里山の麓に至ると、目的の家が見えてきた。

 瀬織はスマホのナビに入力した住所を、もう一度確認してみる。

「ん~~? ここが左大さんのお宅……ですかあ?」

 目の前にある家は、事前に聞いていた左大家の恐竜的スケールとは相当な乖離かあると感じざるを得ない。

 里山を背に、敷地はせいぜい50坪ほどの、ごく一般的な二階建て住宅が建っているだけだ。財産を保管できるような大きな蔵の類も見当たらない。

「なんだか、聞いていたよりショボいですわねえ……」

 目を凝らして更に良く観察すると、壁や塀の表面には所々ヒビが入り、手入れも怠っている状態なのが見て取れた。

「ねえ、景くん。左大さんのお宅ってお金持ちだと聞いていたのですが」

「んー……僕も良く知らないけど、お爺さんの遺産相続で何か揉めた……って、昔父さんが言ってたかな」

 話に聞いた恐竜愛狂家の左大千一郎が亡くなったのは五年前。景がまだ小学生の頃なので、子細を知らないのは無理もない。

 確か、その葬式については園衛も話そうとはしなかった。

 何か事情があるのは確かだが、ここで議論しても仕様がないので瀬織は件の家に近づいていった。

 すると、玄関の前に誰かがいるのが見えた。

 日本の田舎に不釣り合いな格好の少女がいる。エキゾチックな民族衣装を着た、褐色の肌の外国人の少女。

 少女は玄関脇のインターホンを何度も押して、家の中に呼びかけているようだった。

「オネガイしマース! カエして! カエしてくだサ―イ!」

 片言の悲痛な声で懇願しているが、インターホンは壊れているらしくカチカチと空しくボタンを鳴らすだけ。

 瀬織はやや遠巻きに、その様子を眺めていた。

「うーん……どうしましょ?」

「どうって……ねえ?」

 景と顔を見合わせる。どうしようもない。他人の家の問題なのだから首を突っ込む義理などないのだ。

 インターホンは壊れていても少女の声は届いていたらしく、玄関のドアが小さく開いた。

 その隙間から、住人と思しき男が睨みを効かせて少女を見下ろした。

「しつっけーなテメェ……。返すも何も知らねっっつの!」

「ワタシの故郷からアナタのグランパ取っていった! カチナ! 竜のカチナ! カエしてくだサ―イ!」

「爺さんのことならイタコにでも頼んで本人に聞け。日本語分かる? 分かるよな? そもそもパスポート持ってんの? 何人だよテメーおいコラ」

 話している内に感情がエスカレートしたのか、ドアが開いて中の男が出てきた。

 大柄な男だった。筋肉の塊のような男だった。肩幅は眼前の少女の二倍以上ある。身長は2メートル近く、長袖をまくった腕は丸太のように太い。

 そんな大男が少女を遥か高みから見下ろした。

「あのよ、俺が怒らない内にとっとと出てってくんねーかな。ここ俺の土地。お前勝手に入ってる。分かるな? 分かるよな? 俺なんか間違ったこと言ってっか?」

「カ……返シテ……」

「出てけっつってんだよあーーーーーっ!」

 男が叫び、地面を踏んで威嚇すると少女はビクリと肩を震わせ、後ずさり、敷地の外へと走り出した。

 少女は瀬織と景の脇を走り抜けていった。涙を浮かばせた悲痛な面持ちだった。

 なんとも声をかけ難い雰囲気で景は萎縮したが、瀬織は空気など読まずにスイスイと敷地内に入っていった。

「どうもお邪魔しまぁす。こちら左大さんのお宅でよろしいでしょうか?」

「あ……なに、きみ?」

 男は粗暴な雰囲気をいくらか和らげた。

 宮元学院の制服を着ているから、少なくともさっきの少女より身分はハッキリしているし、流石に見ず知らずの女子高生をいきなり怒鳴りつけるほど凶暴ではないらしい。

 瀬織はそこまで計算づくで踏み込んだのだ。

「わたくし、東瀬織と申します。左大億三郎さんでしょうか? 実は今日は、宮元園衛様から左大様のお宅を見てきて欲しいと頼まれまして」

 軽く会釈をして簡潔に挨拶をすると、左大億三郎は怪訝な顔をした。

「あん……園衛ちゃんの? それに東っていうと……」

 瀬織の後の景の姿を見ると、表情は一転。親しげな笑顔に変わった。

「おー、景ちゃんじゃないか。久しぶりだなあ」

「えーと……会ったことありましたっけ」

「ちっちゃい頃だから憶えてないかな? 恐竜のオモチャで遊んであげた左大のお兄ちゃんだよ~っ」

「憶えてるような憶えてないような……」

 景は判然しない記憶を辿っているが、憶えていないのも無理はない。

 瀬織が園衛に聞いた所、景が2歳か3歳の頃に親戚の集まりで左大は良く遊び相手になってくれたのだという。景に同行してもらった理由がそれだ。赤ん坊の頃から知っている親戚の少年を連れていけば、左大が偏屈な人間でも態度は和らぐ。

 そして、打つ手はもう一つある。

「あの、左大さん」

 景が持っていた紙袋から箱を取り出した。

「うちの蔵にあったんですけど、こういうの好きなのかなー……って」

「うおっ! こっ、これはっっ!」

 その箱を見た途端、左大は満面の笑みで瀬織と景を歓迎して、日当たりの良い縁側に上げてくれた。

 縁側にて、左大はニヤニヤしながら箱を眺めていた。

「これ良いね~っ。実にいいっ! 箱は一切日焼けしてないし保存状態は最高! 開封するのも勿体ないつ! 景ちゃん、これがどんだけ凄いモンか分かる? 分かるぅ?」

 見た目は単なる白い紙製の箱で、表面に〈1/24 Regulus Mk.2 Prototype Assemble plastic kit〉と黒いインクで判が押されているだけだ。封をしているテープは黄色く劣化しているが剥がれてはおらず、景にしてみれば中身は不明だった。

「うちの蔵にあったので昔のプラモだと思うんですけど……」

「そう! 昔のプラモなんだけど市販品じゃあないぜっ! うちの爺さんがプレゼン用に少数作った1/24戦闘機械傀儡シリーズだ! しかも、こいつは合計20個しか作られなかった海外セールス用の超限定品! ジゾライドの近代改修型の幻の海外仕様! レギュラス・マーク2!」

 左大は饒舌に自らの知識を披露した。ご覧のとおり、かなりの好きモノである。

「確か海外版はシールと成型色が違うんだよ! 未組み立ての実物は初めて見たぜ~っ! 俺も国内版なら持ってんだよね~っ! あぁっ、ちょっと待ってて!」

 そう言って、左大は速足で廊下を進み、二階へと上がっていった。

 全ては瀬織の思惑通りだった。

「思った通り。ちょろいですわねぇ、人間って」

 園衛からの情報では、左大億三郎は祖父と同じ大の恐竜愛狂家なのだという。祖父の作り上げた戦闘機械傀儡にも深い愛着があり、ならばと思って瀬織は景の協力で蔵から貴重な過去のプラモデルを発掘。左大を懐柔する道具として投入したのだった。

 ちなみに〈レギュラス〉というのはティラノサウルス型戦闘機械傀儡〈ジゾライド〉の海外セールス用の名称らしい。

 程なく、左大が行きと同じ速度でばたばたと音を立てて階段を降りてきた。

「これが国内版だよ~っ!」

 左大が持ってきたのは、大型の恐竜型戦闘機械傀儡のプラモデル。その完成品だった。尾を含めた全長は30cmを超え、背中のハードポイントに装着された二門の巨大な榴弾砲が目を引く。

 瀬織としてはどうでも良いのだが、景はその完成品に目を輝かせていた。

「わぁ! おっきい!」

「ふふふふ……分かる? 分かってくれるかあ、景ちゃんは! こいつはね、モーター駆動するんだよ!」

 景の反応に気を良くした左大は完成品を縁側に置き、背中のレバーを〈ON〉に入れた。

 すると、ジ――というモーターの駆動音と共に、ゆっくりと動き始めた。

「こいつはジゾライドの近代改修型、ジゾライド改だな! ターボシャフトエンジンを背中に積んでパワーは従来型の10倍! ペイロードも大幅に上がって、155㎜榴弾砲を二門装備可能! 他にもロケット弾ポッドや35mm機関砲、赤外線センサー等の兵装を積んだ最強の戦闘機械傀儡なんだぜっ!」

 誇らしげに語られる重武〈ジゾライド改〉の性能。そのかつての栄光を再現するかのように、モーター駆動でアッセンブルプラスチックモデルが動く。

 両目を赤く光らせ、首を振り、両腕を振り、のしのしと歩く。背中のターボシャフトエンジンは音を立ててファンを回している。

 景が特に注目したのは、エンジンのファンの動作だった。

「ぎゅんぎゅん動いてますね! これどうなってるんですか!」

「これはね、輪ゴムがギアと連動して回転してるのさ。経年劣化で千切れちゃうのが注意点だな。実際、ここのエンジンファンがジゾライド改の唯一の弱点なんだ」

 件のファンの周囲には、対空防御用なのか4基のロケット弾ポッドが装備されていた。

 左大は〈ジゾライド改〉の背中に設置された、別のパワーユニットのスイッチも入れた。

「そして、こいつは必殺のチェイン・マグニーザーだ! メインエンジンとは別のAPUから動力を伝達するチェーンソーさ。こいつでどんな妖魔でもグチャグチャの粉々ってえワケだ!」

 手動で〈ジゾライド改〉の右腕部に装着されたコンテナを展開すると、背中のパワーユニットからチューブを通して動力が伝達され、チェーンソーが音を立てて回転駆動を始めた。

「か……かっこいいっ! モーターライズの醍醐味ってやつですね!」

 景は本心から感激して、スマホで写真と動画を撮り始めた。

 瀬織としても、景が喜ぶのなら結構なことである。

(やっぱり景くんも男の子ですわねえ)

 と微笑ましく思うも、それはそれとして本懐は果たさねばならない。

「ところで左大さん。お仕事の方は最近どんな調子なのでしょう? 園衛様が心配なさっておられましたが……」

 さりげない話題で探りを入れる。

「あん? まあ……ギリギリ食っていけるって感じかな」

 左大は景と遊びながら答えた。

 仕事は自営業らしいが、実際何をやっているのかはハッキリしない。

 上の空といった感だが、どことなくばつの悪さが滲み出ている。家の様子から察しても、あまり儲かってはいないのだろう。

 庭の隅に停まっている車も型落ちの軽自動車。とても資産家には見えない。

「おじい様の遺産とか、もう全部処分されたのでしょうか?」

「ははっ、遺産ねぇ」

 左大は肩をすくめ、自嘲気味に笑った。

「爺さんの遺産といったら、この他愛もない恐竜のオモチャだけさ。他がどうなったか……園衛ちゃんから聞いてない?」

「それについては、園衛様も言葉を濁しておられましたが……」

「ぶっちゃけるとね、爺さんの遺言で全部吹っ飛んじまったのさ」

 左大は瀬織の方に向き直ると、胡坐をかいたまま、頭をかきむしって「カーッ……」と喉を鳴らした。

 どことなく、無念そうな表情をしていた。

「爺さんの遺言は葬式で発表された。遺族や取り巻きの連中はおこぼれに預かろうとワクワクしてたが、すぐに真っ青になったよ。遺言は『恐竜の巨大博物館を作り、末代まで経営する者に遺産を相続させる。俺の骨は恐竜の骨格標本に混ぜて飾ってくれ。それが出来なければ遺産は恐竜の研究機関に全額寄付する』って内容だった」

「誰も相続しなかったんですの?」

「爺さんの言う巨大博物館ってのは、この辺の山全部丸ごとテーマパークにするって内容だったのさ。そんなモン建設して経営したら、あっという間に遺産は溶けて大赤字。全くの夢物語さ。遺族会は荒れの大荒れした末に、爺さんの取り巻きはみんないなくなった。金の切れ目が縁の切れ目よ」

「諸行無常……盛者必衰の理、でございますか」

 いつの世も変わらぬ離散集合の儚さと空しさ。左大家は正しく恐竜のように肥大化し、恐竜のごとく滅んだというわけか。

 瀬織は、左大の表情の奥に人生の辛酸を垣間見た。左大億三郎は現在32歳。5年前に家は没落し、親族間のいざこざに巻き込まれ、人の濁った面を否応なく見せつけられたのだろう。

 この世捨て人めいた生活の理由も、それとなく察することが出来る。

 園衛は左大家に隠し財産の疑惑があると言うが、そんな気配は微塵もない。

 戦闘機械傀儡を隠し持っているにしても、それをこの狭い家のどこに隠すというのか。稼働状態の維持、モスボールできる環境で保存するにしても金はかかる。

 遺産のフル装備の戦闘機械傀儡というのは、目の前で動いているこのプラモデルのことが曲解されて伝わっただけなのではないだろうか……。

 瀬織はモーター駆動する〈ジゾライド改〉を眺めて、そんな疑念を抱きつつあった。

 1時間後、縁側には〈ジゾライド改〉のほか、翼竜型やステゴサウルス型、トリケラトプス型の1/24戦闘機械傀儡が並んでいた。

 景はモーターライズプラモデルの数々を十分に堪能して帰り支度を整えたが、持ってきた白箱は縁側に置いたままだった。

「いやぁ、マジで貰っちゃって良いのアレ?」

 左大は上機嫌に笑って頭を掻いた。

 景が発掘した〈レギュラス・マーク2〉のキットは左大に譲渡するために持ってきたものだ。

「はい。僕は写真と動画さえ撮れれば、それで良いんで」

「そっかー! ありがとね、景ちゃん!」

 実物を欲するコレクターと、記録だけ残せれば良い蒐集家との違いか。ともあれ景と左大はWINWINの良好な関係に収まった。

 これで今後も左大に近づき易くなる。瀬織の思惑通りであるが、景を利用する形になったのは正直あまり良い気分ではなかった。

 人を利用して罪悪感を覚えるのは、瀬織にとって初めて感じる痛みだった。

「それでは左大様。今日はこれにて失礼いたします」

 会釈をして、瀬織は景と共に左大の家を出た。

 瀬織の隣で、景は歩きながら左大から狙った大判の本を開いていた。

「お返しに貰ったんですの?」

「うん。戦闘機械傀儡の資料本なんだって」

 本のタイトルは〈戦闘機械傀儡のすべて〉。表紙には〈ジゾライド〉の実物写真が掲載され、在りし日の姿を留めていた。編集者名も表紙の隅に記載されている。左大億三郎と。

 時代に翻弄され、栄華の果てに失われてしまった戦闘機械傀儡たちの姿を残すことは彼の祖父の生きた証を残すのと同意だったのかも知れない。

 それは切なる人の願いの一端を見るようで、瀬織の胸が俄かに疼いた。

 空は、日が傾いた秋の逢魔が刻。

 鮮烈な夕焼けが西の空を染めた頃、里山の風の中に妙な違和感を覚えた。

「あら……?」

 瀬織は立ち止まり、既に50メートルは離れた左大の家に振り返った。

「何か……いますわね」

 冷たい視線で、家の塀の影を見る。

 そこには、ぼろを被った異様な人影が列を成していた。

 列はぞろぞろと蠢き、左大の家の玄関に至るとインターホンに手を伸ばして呻いた。

『カァァァァァ……エェェェェェ……せェェェェェェ……』

 死霊の列が一斉に、しゃがれた声で唸った。

『カァァァァァァェェェェェェェセぇェェェェェェェ……』

 人気のない夕暮れの里山に、死霊が葬列のように並んで左大の家に殺到していた・

 異様な光景であった。常人なら卒倒するか逃げ出すかの二択であるが、家主の左大は平然と玄関のドアを僅かに開け、面倒臭そうに死霊に対応し始めた。

「んだこの野郎……うっせぇな……」

『カァァァァエェェェェェェセェェェェェェ……』

「お前らもう帰れや!」

 厄介な宗教勧誘か押し売りでも追い払うかのように対応している。

 左大の目の前で、ぼろきれの奥の死霊は依然として呻き声を上げていた。

『カエセェェェェェェェェェ……』

「あんだこの野郎オイ。日本語分かりますかー。聞こえてますかー。おーい。おーーーーーーい!」

 左大はドアを少し開けて死霊を威嚇した。

 そして酒を一杯飲んだ。

 その辺のスーパーで150円程度で売っている、缶チューハイを飲んだ。アルコール度数は12%だった。

 玄関のドアは内側から蹴り開けられ、ガツンと死霊の体にぶつかって姿勢を崩した。

 左大はその死霊の頭部のぼろきれを掴むと、踏み込みと同時にハンマーのような剛拳を顔面に叩きこんだ。

「だらっしゃおらぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ぼろきれが千切れ、中身の死霊が後方に吹き飛び、頭から地面に落下した。

 人間の頭蓋骨を模した顔面が完全に陥没していた。もはや発声も出来ず、ノイズまじりに呻き声を上げている。

「kaka……ェェェeeeee……」

 呻き声が止まり、その死霊は活動を停止した。

 他の二十体を超す数の死霊の群れは一瞬、動きが止まった。硬直し、小首を傾げて左大を見ていた。

 左大は酒をまた一杯飲んだ。

「はぁぁぁぁぁぁっ……おらーーーっ!」

 臍下丹田に力を込め、そして脱力させる呼吸。左大は缶チューハイを放り投げ、八歩の編み込みと同時に両腕を捻って死霊の首を掻いていった。

 一歩踏破につき一体の死霊の首を掻き切る動作であった。

「はーーーっ、恐竜酔拳。ラプトル八歩ォ!」

 八歩進み終えるや、投げた缶チューハイをキャッチ。

 そして酒を一杯飲んだ。

 八体の死霊の首が千切れ、だらりと横にぶら下がり、活動を停止した体躯が八連続で倒れていく。

「ラプトル八歩! それは! ヴェロキラブトルの動きを再現した套路である! 鋭い爪の一閃! その破壊力は凄まじい!」

 左大は何かのナレーションめいた口調で自らの技を説明した。顔が赤い、完全に酔っ払っていた。

「はーーーーっ、あっちいなクソァ!」

 酒が回った左大は薄手のシャツを脱ぎ捨てた。

 露わになる、鋼鉄の筋肉。鍛え抜かれた防弾筋肉。力を入れればパンブアップ胸板。ギリギリ音を立てる背筋。

 酒を一杯飲む。缶チューハイはそれで終わりだった。空き缶は、自分の敷地に投げ捨てる。

 両手で構えるは、恐竜の咢を再現した形象拳の構え、すなわち中国拳法で言う套路であった。

 緩慢な動きでようやく振り返った死霊の一体に、すかさず掌底を叩き込む。そして両手で相手の首を掴むと、下半身の捻りと共に捩じ切った。

「はーーっ。恐竜酔拳! ティラノ掌!」

 死霊の首から潤滑液が噴出する。それは、死霊を模したカラクリ人形だった。

 それも左大にしてみれば、プラモデル以下。メーカー不肖の海賊版チープトイに等しい駄玩具であった。

「おーーーい! これ作ったバカ見てっかよおーーーーっ! こんなクソみてーなゾンビ人形でよーーっ! 俺をどうにか出来るとーーーーっ」

 鈍い動きで掴みかかってきた死霊人形の首に拳骨をぶち込み、横合いから叩き折る。

「本気で思ってたんでずがーーーっ! あーーーーっ!」

 叫ぶと喉が枯れたので、左大は腰のポケットからガラス瓶の清酒カップを取り、口を開けて一杯飲んだ、アルコール度数は15%だった。

 恐竜酔拳――名前を聞いただけでは酔狂か戯言か妄言にしか聞こえないが、左大の動きを見れば実用に適した破壊的拳法であることは明らかだった。

 しかも、それは左大なりの理屈を通した拳法だった。

 アルコール度数20%以下の酒を飲むことにより、適度な酩酊状態を発生させる。人間は酔うことで大脳の旧皮質、つまり原始的な本能を司る部位が活発となる。

 脳の遺伝子の記憶は人間を遡り、原人となり、猿となり、更に遡って爬虫類となり、遂には恐竜と成る。

 脳が恐竜と成ったのなら、恐竜の動きを再現した拳法が最も威力を発揮するのは道理であろう!

 左大の筋骨隆々とした肉体は祖父からの遺伝も一因であるが、それ以上に彼自身が目指す理想のために鍛え続けた成果だった。

 この世界に、もう恐竜はいない。

 だから祖父、千一郎は自分で恐竜を、戦闘機械傀儡を作ることにした。

 しかし現在、その機械の恐竜も諸々の事情で滅んでしまった。

 ならば! 左大億三郎は、自分自身が恐竜になれば良いじゃあないか――と思ったのだ。

 酔った左大はアグレッシブ・ダイナソー。人型の恐竜となって、2割の理性と8割の野生で恐竜酔拳を叩きつける。

「ほぉぉぉぉぉあたぁっ! しゃあっ!」

 夕暮れの青い地平に怪鳥音が響き渡る。

 また、ただの一撃で死霊人形の首が飛んだ。

 単なる力技ではない。より複雑な構造の空繰や戦闘機械傀儡の構造に精通した左大にとって、単純な死霊人形の構造的弱点を突くのは容易いことであった。

 また、物理的な力だけで破壊しているのではない。同時に精神力で圧倒しているからこそ、一撃で死霊人形は破壊されているのだ。

 ゆらゆらと揺れて左大を取り囲む死霊人形たちだったが、その一角が外から切り崩された。

 狛犬型空繰〈雷王牙〉が、死霊人形を踏み潰し、噛みつき、振り回していた。

「うーん……助太刀不要……でしたか?」

〈雷王牙〉の後から、瀬織が困惑した様子で左大を覗いている。

 瀬織の様子を一瞥して、左大は大方の事情を察したらしい。

「ぬはははは! 雷王牙たぁ懐かしいなあオイ! 園衛ちゃんからそいつを任されてるたあ、大したモンだぜっ!」

 言いつつ、左大は踏み込みと共に両腕を突き出して、死霊人形を盛大に弾き飛ばした。

「恐竜酔拳! トリケラ雷撃打!」

 トリケラトプスの頭突きを再現した打撃に吹き飛ばされて、死霊人形は塀に激突。その衝撃で、みしりと音を立てて丙にヒビが入った。

「あっ……もしかして家にヒビが入ってるのって……」

 瀬織は理解した。

 左大が厄介な来客に辛辣な理由と、その対応である暴力的手段に手馴れている理由を。

 今日のような事態は初めてではないのだ。家や塀に入ったヒビの数を見れば、それこそ何十回と経験しているのだろう。

「ぬはははは! 俺が無駄にイキってるだけのオッサンだと思ってたかーい!」

「ええ、まあ……」

 もしくは、血の気の多い昔の貴族や武士の類だと思っていた。平安の頃は誰も彼も殺るか殺られるかの殺伐とした世相だった。今の世ではチンピラか異常者のような人間でも、生まれる時代さえ間違えなければ一角の武将になれるかも知れない。

 尤も、左大は平安鎌倉戦国よりも遥か昔、それこそ恐竜時代がお似合いなのだろうが。

(そもそも恐竜酔拳ってなんなんですの……)

 色々な意味であまり近づきたくないので、瀬織は距離を空けて戦いの経過を眺めていた。

 敷地の外では、景が心配そうにこちらを覗いている。付近の林の木の上には、〈雷王牙〉と共に園衛から貸与された〈綾鞍馬〉が待機しており、周辺に注意を払っていた。

 それから死霊人形が全滅するのに、5分とかからなかった。

 瀬織は破壊された死霊人形の頭部を指で小突いた。それだけで、どういう仕組みの人形かは理解できた。

「人形に死霊を入れただけの単純な傀儡ですわ。遠隔操作もできない、簡単な命令を実行するだけのお粗末な代物……」

 それは特筆すべき点もない、ごく初歩的な呪術人形であった。

 実につまらない代物だが、人形そのものとは別に気になる点がある。

「左大さん、これって毎日やって来るんですの?」

「いや。たまーにやってくるんだ。週に一回か二回かな?」

 左大はまだ上半身裸のままで、軽い調子で言った。いかにも日常茶飯事といった具合に。

「爺さん色々と恨み買ってたみたいでね~。世界中から色んな奴らが、しょっちゅうお礼参りにやってくるんだよね~っ」

「この人形は今日が初めて?」

「ああ。このタイプは初めて見るな。まあ、どうせウチのパチモンだろうが」

 瀬織は「ふん……」と鼻を鳴らして家の周囲の気配を探った。

 逢魔が刻の暗い風に、違和感はもう無かった。

「この人形、何かに誘導されてる感じがしたのです。中身が死霊なら、その怨念を呼び寄せる道具でも設置してあるはずなのですが」

「おおっ、若いのに詳しいね。道具じゃないなら人間が呼び寄せたんだろ。ほら――」

 左大は背後に振り返るや、塀の方向を指差した。

「――あいつみたいな」

 少女が塀の上に首を乗せて、こちらを覗き込んでいた。つい一時間前、玄関で左大に追い返された外国人の少女だ。

 少女の視線が左大の目と合って、はっとした顔で首を引っ込めた。

「待てコラおいぃぃぃぃぃぃっ!」

 左大は塀に向かって一直線に駆けだすと、助走をつけて塀を飛び越えた、外の道路を走る靴音が聞こえて少しすると、左大の大声がした。

 少女を捕らえたようだった。

「テメーはどこの誰ちゃんなんですかーーっ! おーーーーーっ!」

「ヤメテ! シラナイ! ワタシ違ウ! ナニも知らナイ!」

「すっとぼけてんじゃねえぞオイ! オイ! オーーーーイ!」

 傍から聞いていると実に不穏な会話が交わされている。

 瀬織の制服の裾を景が不安げに引っ張った。

「ね、ねえ……なんかヤバくない……?」

「別に関わる必要もないと思いますがあ」

「い、いやあ……止めた方が良いよ。やっぱり」

 瀬織としては見ず知らずの他人が煮られようと焼かれようと知ったことではないのだが、景の頼みとあっては仕方ないので、渋々様子を見に行くことにした。

 景の盾となるように先導しながら、その更に後に〈雷王牙〉を引きつれて、瀬織は塀の外側をぐるりと回って、問題の場所に到着した。

 田んぼに面した農道で、異様な修羅場が展開されていた。

 上半身裸の中年が、自分の半分以下の年齢の外国人少女に掴みかかっている。

「おいガキてめぇよ。自分の口で喋んのと俺の拳で口割られんのと、どっちが良いよ? おい」

「ヤメテクダサイ! ワタシ、ヒト呼びマス! 叫びマス!」

「あー呼べよ。呼べばいいじゃねえかよ! 呼んで困るのはどっちなんだろうなあ、オイ!」

 どう見ても困るのは左大の方だと思うので、瀬織は止めに入ることにした。

「あの~、左大さん。ここじゃちょっとマズいのでは……」

「マズいもウマいもねーよ! 不審者をよ、尋問してんだよ尋問!」

「いやあの、不審者ってどう見てもあなたの方では……」

 瀬織の懸念は的中し、パトカーが農道のカーブを曲がってきた。

 この辺りは田舎とはいえ多少なりとも民家はある。しかも遮蔽物はないので左大の行動は丸見えであり、騒音もないので叫び声も遠くまで聞こえる。誰かが警察に通報し、パトロール中のパトカーが急行したというわけだ。

「ほほほ……これでは、わたくし達がヤバいですわね。逃げましょう、景くん」

「逃げるって……。あの子と左大さんはどうするのさ!」

「他人のことより自分のこと。これ以上の面倒は御免でございますわ」

 半ばトラブルを楽しみ、半ば面倒事から逃げる良い口実が出来たと喜びつつ、瀬織は景の手を引いて小走りに場を後にした。〈雷王牙〉は跳躍して一瞬で姿を消し、〈綾鞍馬〉も夕暮れに紛れて飛び去った。

 それに気づかない左大の真後ろに、パトカーが停まった。

 運転席の警察官が無線で現場到着の連絡を入れつつ、助手席からもう一人の警官が降りてきた。

「あのー、どうしましたか~」

「あぁ? 取り込み中だよこのヤロー!」

 左大は酔いと興奮で判断力を喪失していた。

 客観的に見れば、上半身裸の酔っ払いが少女を襲っている。現行犯逮捕案件である。

 遁走する瀬織が100メートルほど離れた所で振り向くと、上半身裸の左大が警官と揉み合っている所が見えた。少女の姿はいつの間にか消えていた。

「ほほほ……ああいう方とは関わりたくありませんわね~、ほんと」

 それきり瀬織は振り返ることなく、厄介事に捕まることなく景とバス停まで逃げ切ることが出来た。



 5年前――。

 当時の左大家には力と富があった。

 かつての妖魔との戦いでは海外に戦闘機械傀儡を輸出するだけでなく、現地に法人を設立して機体の整備や操縦者の派遣を行い、持続的に利益を得ていた。

 金が回れば人も回る。

 左大千一郎は持ち前の口の上手さで、金の匂いに釣られた政財界の人間と太いパイプを築き、その人脈で相互に利益を生み出していた。

 多少手段が汚くても、みんなで幸せを分け合えば問題なかろうという、金と政治の悪しき習慣を利用したわけである。

 積もり積もった左大家の総資産額は1000億円はくだらない、とも言われていた。

 なので、左大千一郎の葬儀は、それは盛大に行われた。

 都内の大ホールを貸し切った告別式の会場は、かなり異様な飾り立てをされていた。

 入口の両脇には人間大のティラノサウルスの模型が参列者を出迎え、ホールに入れば多種多様な恐竜軍団の飾られた祭壇が目を眩ませた。

 しかも、その恐竜軍団は内側から発光している。内部の回転灯がぼぅっとポリ製の体を透過して、ミラーボールのように光を壁や天井に反射させている。

 更にBGMとして、恐竜の鳴き声らしき妙な音声が式場内に延々と流れていた。

 この狂った内装が祭壇中央、棺の中に納まる左大千一郎の生前の指示によるものであろうことは、参列者の誰もが理解していた。

 しかし、誰もが安堵の表情で席に座って式が始まるのを待っていた。

 ああ、やっとあの厄介な爺さんが死んでくれた。これで我々はもう自由なのだ、とはっきり言葉に出さずとも肩の荷が下りた安楽に浸っていた。

「日本ほど恐竜愛狂家が野放しになってる国は他にないんだ。国はもっとああいうのを何とかしてくれないとね」

「ええ、全く本当にねえ。父は……困った人でした」

 と、親族と談笑する老年の女性は左大伊万里。千一郎の娘であり、遺産の相続者と目されている人物だ。

 200人を超す参列者一同、この左大伊万里に媚びを売れば今後も食いっぱぐれないと打算していた。

 当の左大伊万里もそんなことは百も承知で、遺産さえ継いでしまえば良いわけで、取り巻きどもにちやほやされるのも満更でもなかった。

 そして、葬儀が始まろうとした頃、読経に先んじて一人の男が壇上に立った。

「失礼。皆様がた、どうぞご清聴ください。わたくし、故人の遺言書、及び相続の管理を任されております、弁護士の二階堂と申します。故人の遺言に従い、この場にて遺言書の内容を発表させて頂きます」

 二階堂と名乗った弁護士は遺言書を開くと、淡々と抑揚の欠けた声で読み上げた。

「『私、左大千一郎が公に有する財産の一切は以下の条件を満たす者にのみ相続させる。一つ、恐竜をこよなく愛する者。二つ、私が所有する土地に恐竜博物館を建設。これを後世まで存続させられる者。なお、博物館の設計は別紙にして指定した設計を厳守すること。三つ――』」

 二階堂の読み上げる内容が進行するのに合わせて、プロジェクターがホールの正面スクリーンに次々と条件を図案やグラフと共に映し出していく。具体的な数字、金額、規模が明らかになるや、それらが無理難題であると参列者は悟った。

 みるみるうちに式場に不穏な空気が満ち溢れ、席はざわめき、どよめき、人と人の繋がりに亀裂の入る音がした。

「『最後に、これらの条件を満たせない場合、遺産は恐竜の研究を行う大学、博物館等に分配される。これは国内外の複数の預金口座から一斉に、かつ迅速に行われる。相続しても条件を不履行した場合は同様である』……以上です」

 二階堂が遺書を閉じると、最前列の席で左大伊万里が立ち上がった。

 表情が引きつっている。

「なっ……なに言ってるんですか。そんな遺言……っ、無効ですよっ! 無効っ!」

「いいえ、有効です。法的に100%。いかがいたしますか。娘のあなたが第一の相続人です。あなたの是非で全てが決定します」

「そっ……そんな遺言……っ」

 イエスと言えるわけがない。

 遺言を飲んで遺産を相続しても、スクリーンに提示された規模の博物館を経営すれば、三年と経たずに財産は底をついて破産してしまう。

 ここに至り、左大伊万里は我慢の限界を超えた。

「ふっ、ふひいぃぃぃっ……遺言んんんんっ……飲めるわきゃないだろぉぉぉ~~っっ!」

 歪んだ悲鳴を上げて握っていた数珠を、祭壇中央の棺へと投げつけた。数珠が四散し弾け飛ぶ。

 狂った父に付き合わされて50年強。耐えに耐えて耐えきった人生の堤から、心が溶けて泥水となって血塊決壊大崩壊。

「嘗めてんじゃあねぇぞっ! この恐竜気ぶりがぁぁぁ~~~っ! 最期の最期まであたしの人生邪魔しやがってぇ~~っ!」

 左大伊万里の全てが砕け、周囲の制止を振り切って、狂った父の棺をば、女の限界を超えた力で引っくり返した。

「クッソァ!」

 棺が蓋がばらりと開いて、低温保存された左大千一郎の遺体が転げ落ちた。

「きぃぃぃぃえぇぇぇぇーーーーーッッッ!」

 左大伊万里は手近な花を掴んで、奇声を上げて何度も何度も父の遺体を叩いていた。

 狂乱するのは実の娘だけではなかった。

 参列者たちは皆、口々に遺産について話し始めた。

「つまり一銭も遺産は残らないって?」

「こんなの聞いてないんだけどさあ!」

「ちょっと誰か! 伊万里さんを止めてぇー!」

 騒乱を尻目に、二階堂は携帯電話を耳につけ、式場の出口に差し掛かっていた。

「はい。相続はノーということでした。遺言の通り、振込み手続きをしてください。それで仕事は終わりです」

 二階堂は自分の役目を終え、式場を後にした。

 それに続いてもう一人、醜い喧噪から逃れようとする者がいた。

「冗談ではないよ……。なんたる茶番か。来るべきではなかった」

 宗家の当主、その一人。宮元園衛である。

 園衛は呆れた顔でカッチリと着込んだ喪服の首元を緩め、溜息混じりに式場を出た。

 怒号と悲鳴が支配する式場の片隅で、ただ一人、左大億三郎だけは薄笑いを浮かべていた。

 彼もまた、園衛と同じく遺言の真意を汲み取った人間だった。

「爺さんに相応しい葬式じゃあねえか。爺さん。あんたこれが見たかったんだろ?」

 祖父、千一郎は人生の最期に、自分の築き上げた虚構と薄氷の人間関係を完全に破壊したかったのだろう。そこで起きる阿鼻叫喚を浴びながら、愉悦に満ちて涅槃へと旅立つのが望みだったのだろうと、理解していた。

(てめぇら寄生虫にくれてやる遺産なんざぁビタ一文たりともねぇんだよこのスダチがぁ~~~っ!)

 そんな罵倒と高笑いが聞こえてくるようだった。

「爺さん、あんたやっぱ地獄行きだぜ」

 遺言にはもう一つ、含みがある。

 相続させるのも、譲渡するのも、あくまで「公の財産」だと言っていた。世の資本家は多かれ少なかれ、財産を隠し持っているのが常である。

 左大はさりげなく、暇つぶしを装ってスマホのディスプレイを覗いた。

 表示されているのは、生前に祖父から送られた一通のメール。ふざけた内容だった。

〈お前が本当に恐竜を必要とした時、必ず恐竜はお前の力になる。お前自身が恐竜になるのだ〉

 まともな人間ならこんな文章、意味が分からない。血迷った老人の戯言にしか見えない。

 メールには小さな画像ファイルも添付されていた。海の見える、どこかの埠頭の写真だった。

 それが何を意味しているのか。

 考えると、左大は自分も謎解きゲーム、あるいは遺産相続争いの駒として祖父に弄ばれているような気もしたので、少しだけ反抗してやることにした。

「いらねぇよ。バーカ……」

 そう小さく呟いてメールを閉じて、二度と開かないことにした。

 頭の横では、母が祖父を花で叩く音がまだ聞こえる。

 怒った参列者が祭壇の恐竜を蹴り倒す音が聞こえる。

 女たちの泣き叫ぶ声が、男たちの怒号が、恐竜の鳴き声が入り混じる破滅のカオスの淵に居座り、左大億三郎は全てが壊れ果てるのを見届けた。


 左大の家の夕方の騒ぎから一晩明けて、警察署。

 つくし市の北部を所轄にする、つくし北警察署のロビーにて、左大億三郎はようやく解放の目を見ることになった。

 ジャージを羽織った左大を見上げるのは、スーツ姿の無表情の女性。眼鏡の奥の冷たい視線が左大を突き刺す。

「左大さん、これで何度目ですか」

「さぁ~~っ、いちいち数えたこともねぇな~~っ」

 背中をぼりぼり掻きながら笑う左大に悪びれた様子は一切ない。揉め事を起こして警察の世話になるのは馴れていた。

 尤も、今回の身元引受人である女性に関しては初対面の相手だった。

「ところで、あんた初めて見る顔だな。どこの誰ちゃん?」

「この度、園衛様の秘書を務めることになりました、右大鏡花と申します」

 鏡花は左大よりも大分年下のようだが、一度も頭を下げようとはしない。会釈すらしない。敬語を使ってはいるが、内心厄介者として見下しているのは明白だった。

 それは兎も角として、右大という名字は宮元家、右大家と並ぶ宗家の一つだ。一応、序列としては同格のはずである。

「右大ねえ……。鏡花ちゃん……だっけ? 宗家の集まりにいたっけか?」

「西の分家の人間ですので。そういった会合に出席したことはございません。それと、馴れ馴れしく名前を呼ぶのはご遠慮願います」

「はいはい、分かりましたよ。鏡花ちゃん」

 嫌味たらしい物言いに、鏡花は無言の圧力で応えた。

 その凍りつくような眼差しの冷気が心地いいのか、左大は胸を張って笑い飛ばした。

「ぬははははは! まあ~っ誰でも良いさ。それでさあ、鏡花ちゃん。昨日か一昨日、なんか世の中変わったことないかねぇ?」

「は?」

 左大の漠然とした物言いを解せず、虚仮にされたと感じた鏡花は威圧的に首を傾げた。

 誤解を解くべく、左大は説明しながら警察署の外に向かう。

「ちょっとネットでニュース調べてみてくんねぇかな~? 俺、捕まった時にスマホ持ってなかったからさ。国内関係の事件。たとえば密入国とか武器の密輸とか……」

「どうしてそんなこと……」

「あったま悪ぃなオイ~~? そんなので良く園衛ちゃんの秘書が務まるモンだ。それとも園衛ちゃんも平和ボケしちまったかな~~?」

 軽率な行動で警察に捕まるような狼藉者に言われる筋合いはないと、鏡花は横目で左大を睨む。

 と同時に、スマホで大手ニュースサイトの国内関連を開いた。

 意外なことに、左大の言った通りの事件が記事にされていた。

「……横浜港で武器密輸が摘発されています。ロケット砲だとか……」

「型式とか口径とか書いてあっかな?」

「それは流石に……。あっ、いえ……待ってください」

 一般向けのニュース記事にはそれほど専門的な内容は書かれていないし、記者にもそんな知識はない。だが、そのニュースサイトにはユーザー向けコメント欄が設置されており、兵器マニアが自らの知識を披露していた。

「M162ガンランチャー……という武器みたいです。『どうしてこんなレア物があるんだ』とかコメントされていますが」

 鏡花もこの方面の知識は全くないので、たどたどしくコメントを読み上げた。

 左大は何故かニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて、歩きながら続けた。

「そうかそうかー。見つかった武器は一つだけ?」

「はい……。証拠品として並んでいるのは一個だけです。弾もありません」

「むふふふ……そうかそうか」

 何か納得した様子で、左大は車の前で立ち止まった。警察署の駐車場に停めてある迎えの車だった。鏡花とは初対面だが、宮元家の車には何度も世話になっている。

 鏡花は不審に思いながらも、リモコンキーでドアのロックを外した。

「なんですか? このニュースが……どうかしたんですか?」

「鈍いなね~っ? わかんない?」

「分かりません」

 遠く横浜で起きた密輸事件と、田舎に住まう左大の生活と一体なんの関わりがあるというのか。

 鏡花は早々にこの厄介者の面倒を済ませたい。無表情でもその意思が滲み出ている。

 しかし、無視して運転席に乗り込んだ鏡花の耳に不穏な一言が聞こえた。

「戦争する気だよ」

「は……?」

 思わず、鏡花は助手席に乗り込んだ左大の方を見た。

 左大は実に楽しそうに、凶暴な笑みを浮かべていた。

「楽しいねえ。嬉しいねえ。ここまでマジにやってくれる連中、いまどき珍しいぜ~~っ」

「あの、何を言って……」

「園衛ちゃんに言っといてくれよ。ドンパチやるから後始末お願いってよぉ~~っ?」

 狭い車内に漂う異様な空気に、鏡花は困惑するだけだった。

 かつて妖魔と熾烈な戦いを繰り広げた宗家の人間とて、平和な時代に生きる鏡花には、左大という人間はあまりに異質で理解しがたい存在だった。


 富嶽重工宇都宮製作所は、景や瀬織の住む街から北西に20kmほどの場所、県境を越えた隣県の県庁所在地に存在する。

 富嶽重工は一般的には乗用車のメーカーとして有名だが、航空宇宙産業や防衛装備の分野でも高い実績を持つ。

 現在、製作所内のラボの一つは貸し切りの状態だった。

 出入りするのは社外の人間ばかりで、日曜日の今日も作業中であった。

 ラボの中には、分解状態の戦闘機械傀儡〈マガツチ〉が置かれていた。

 中枢回路である赤い勾玉の組み込まれたユニットにはメンテナンス用のケーブルやハーネスが接続され、剥き出しのフレームに仮止めされたカーボンナノチューブ製の黒い人工筋肉が脈動している。

 私服姿の瀬織は、青い勾玉を摘まんで数秒間、それに念を送り、精密機器輸送用の小箱に戻した。箱の中には総計40個もの勾玉が収められていた。

「ふうん……こんな感じでしょうか?」

 自分のこなした作業の正否が良く分からないので、当事者の瀬織は首を傾げた。

 すかさず、既に瀬織の従僕と化した西本庄篝が低姿勢でやってきて、勾玉を容器に入れてパソコンに繋いだ。

 アプリケーション上に暫く〈loading〉と表示された後、何らかの波を示すグラフが表示された。

「うひひっ、オッケー! オッケーです、お嬢様っ! 流石は人間を超えた偉大な存在! パ~~ペキですぅ~~っ!」

 肩を震わせ、二へ二へと笑う篝。

 出資者として金と場所を手配した園衛も、実際何を作っているのか、詳しいことは分からなかった。

「篝……分かるように説明してくれないか」

「だから言ったじゃないですか園衛様~。これは、昔実用化寸前で断念された疑似人格呪術行使用人工知能をですね、瀬織お嬢様の偉大な神の御力で完成させたものでぇ」

「分かるように説明しろと言った」

 園衛の鋭い命令に篝はいくらか正気を取戻し、「ンフゥ」と軽い咳払いをして説明を始めた。

「この勾玉、正式名称は天地荒御霊。本来なら動物の怨霊を込めて傀儡の集積回路にしたり、術者の精神を転写して傀儡を操縦するための道具です。それを応用して、術者の精神を丸ごとコピーして大量生産しよう! という計画がありました。コピーされた疑似人格はコンピューターみたいなものですから、分かり易く言えばMP消費なしで呪術使い放題というワケです。でも、そう上手くはいきませんでした」

 篝は青い勾玉を容器から取り出し、つまみ上げて見せた。

「全く同じ人間が複数同時に存在するパラドックスに術者が耐えられなかったのです。過去のテストでは三個同時使用の時点で錯乱しています。これでは大量生産なんて無理な話です。だから、この理論はお蔵入りしてしまいました」

「だが瀬織は人間ではないから耐えられる……というわけか」

 話題を振られた瀬織は唇に指を当てて、妖しく嗤った。

「わたくしにとっては、自分の分身を増やすのは造作もないこと。100個でも1000個でも問題ありませんわ」

 事実、1000年前は無数の蟲型傀儡の分身を生み出して使役していたというし、先日の戦闘でも荒神による同様の現象は見られた。

「で、それを使って何をする気だ?」

 園衛は肝心な所を問うた。

 そもそも瀬織は人間ではない。呪術など呼吸をするのと同じで、発動には詠唱も道具も必要ない。また精神力の消費もない。物理的なエネルギーさえあれば元より使い放題だ。

 篝は「うーん……」と唸って少し思案した後、きっぱりと言った。

「色々です」

「だから、その色々とはなんだ」

「詳しく説明すると長くなりそうだから色々と省略したのですがあ……」

「金を出したのは私だ。説明責任を果たせ」

 園衛の言っていることは正論である。出資者が自分の金で得体の知れない物を作られたのでは、たまったものではない。

 篝はしぶしぶ、きっと説明しても叱られるのだろうと分かっていながらも、改めて説明を再開した。

「強化……というのは本来、なんらかの仮想敵を想定して行うものですが、今回はその仮想敵自体が判然としません。だから、瀬織お嬢様のご要望に沿った改装強化を行いました。色々できるというのはまず、対妖魔電子戦です。電子妨害により、妖魔の出現自体を抑制したり、電磁波構造を撹乱、破壊するというアレです」

 対妖魔電子戦――という概念は園衛も知っている。

 過去の戦いでは、ステゴサウルス型戦闘機械傀儡などがその類の戦術行動で戦闘をサポートしてくれていた。

「ふむ。戦わずして勝つための術だな。それは分かる」

「この疑似人格人工知能をマガツチに複数装備します。つまり瀬織お嬢様の演算、処理能力が単純計算で数倍に跳ね上がるわけです。これを応用すれば、大きな方術……つまり必殺技を使う時のタイムラグを大幅に短縮できるはずなんです」

 ここで言う大技とは、瀬織が荒神を浄化討滅する時に用いた方術のことだろう。

 園衛は実際に目にすることはなかったが、瀬織から報告は聞いている。〈天鬼輪〉を媒体にして、瀬織の神としての力と可能性を一時的に物質化して召喚する術だと。

 だが、篝の物言いには引っかかりがある。

「なんだ、その漠然とした物言い。『はず』とはなんだ」

「そればっかりはデータが少なすぎて……。お話によれば、瀬織お嬢様は時間的閉曲線を発現させて、一種のタイムスリップで別の世界線を実体化させたと聞きました。これはマガツチのデータログにも残っていません。全てがエラーで何の記録もない。100%の再現性を求められても……」

「うん……?」

 園衛の眉間に皺が寄る。また、分からない単語の羅列が始まったからだ。

 叱られそうだと悟った篝は、ぱくぱくと口を開閉させて言葉を選ぶ。どう砕いて説明したものか、と。

 そこへ、瀬織が後から助け舟を出した。

「神の御業を人が知るには、暫し時間が必要というわけです。でも心配は無用ですわ。ぶっつけ本番でも、わたくしが失敗するわけありませんもの」

「さっ、流石です! お嬢様ぁ!」

 自信に満ちた瀬織の言葉を、篝は全霊で賞賛した。

 その勢いに乗ったまま、篝は改装中の〈マガツチ〉と、その改修部材に向き直った。

「全体としてはいい感じ、いい感じなんですぅ! 富嶽重工のラボ使えたおかげで、お嬢様に相応しい万全の戦闘機械傀儡が仕上げられそうなんですよぉ! 装甲は部分的に単結晶素材を使えました! これはですねぇ、温度変化にも強い超剛性の金属でして、お嬢様の反射速度があれば小銃弾くらいなら弾けます! バッテリーは衝撃に弱いリチウム系からセラミック系の電池に変えました! 実戦用ならこれは当然の仕様変更です! ああでもエンジン搭載だけはご勘弁ください! このサイズで誘爆しない設計にできる自信ありません! 人工筋肉は自衛隊の支援用機材にも使われてるタジマ式219型を採用しました! マッチングには人工筋肉の大御所である但馬博士の協力も――」

「ほほほ……西本庄さん♪」

「はい? なんですかお嬢様!」

「今は口よりも手を動かしてくださいまし♪」

 瀬織がにこやかに釘を刺すと、風船が萎むように篝は縮こまり、小声で「はしゃぎ過ぎましたぁ……」と呟いて、〈マガツチ〉の方に歩いていった。

 篝の長い説明の中に〈タジマ〉という、どこかで聞き覚えのある名字があったが、現代ではそんな名字の人間はゴマンといるだろうから、瀬織は気にしないことにした。

「ところで、園衛様。左大さんについてなのですが……」

 瀬織は昨日の左大家の調査と、揉め事について園衛に報告した。

 園衛は腕を組むと、疲労感の篭った溜息を吐いた。

「ふう……。まあ、あの人が厄介事を抱えるのはいつものことだ。警察からも連絡は来てるから、迎えの者をやっている」

「隠し財産も、あの家にはなさそうですわ。というか、傀儡がなくても十分なのでは……」

「ああ……例の恐竜酔拳か……」

 あの怪しげな拳法には園衛も心当たりがあるらしく、更に疲れた様子で眉間を揉んだ。

「あれは大分おかしい……。昔、あれを採用しろと言ってきたことがあったが、誰も習得できなかった。それ所か急性アルコール中毒で何人も病院送りに……。ああ、そんな昔話は止めよう」

「昔話といえば、戦闘機械傀儡というのは今ではそんなに貴重な物なのでしょうか?」

 かつては数百体も配備され、海外にも輸出されていたというのだから、何も左大家の隠し財産のデッドストックをアテにする必要はないと思う。

 が、事情はそれほど単純ではないらしい。

「昔、大きな戦いがあった。戦場ヶ原での最終戦。戦闘機械傀儡はそれに全て投入された。海外に輸出したのも全て買い戻して、再整備して投入した。戦闘終了時の損耗率は80%以上。ほぼ全滅。勝ちはしたが、大絶滅の再現さながらだった」

「でも二割は残ったのでしょう?」

「残った二割も半数以上が中破という有様だ。そいつらの無事な部品を引っこ抜いて、マシな状態の奴の修理に充てた。機体が無事でも、中身の恐竜の怨念は成仏してしまった奴が多かった。戦った敵は滅びの概念そのもの。それを倒して、6000万年前の絶滅の恨みを晴らして、みんなスッキリ昇天してしまったというワケだ」

 話を聞くと、瀬織が眠っていた間に随分とスケールの大きな戦いがあったことが分かる。それは、園衛が青春の全てを注ぎ込んだ決死の戦いだったのだろう。

 ともあれ、過ぎた事に興味はない。

「ふうん……。して、残ったのは具体的に何機なのでしょう?」

「私の知る限りは20機程度だ。残存する機体は各地に分散してモスボールされている。再稼働させるのも召集するのも手間だ。運用にも金がかかる。そもそも、扱える人間がな……」

 存外に残存機が少ないのも意外だったが、操縦できる人員がいないというのは妙な話だと思った。

「扱う……ですか? 恐竜傀儡の活躍の話を聞いていると、自律して動いているようでしたが」

「それでもある程度の制御は必要だ。放置してると暴走する。それにな、高性能な戦闘機械傀儡は恐竜に近い精神でなければ動かせん」

「つまり……どういうことですの?」

「粗野で、凶暴で、後先考えずに相手をブン殴りにいくような……」

 言われて、真っ先に思いついたのは左大億三郎だった。

 なるほど、確かにあんな暴力人間は現代では珍しい。

「頭恐竜な人間でないと動かせない、と」

「我々人間に恐竜になれと言われても無理な話だ。適性がないのが無理に動かすと最悪、発狂する」

「そんなので良く戦力に出来ましたわね……」

「なので、敢えてグレードを低く調整したり、操縦補助にAIを使ったりしたそうだ」

 どれほど強力な兵器でも、知性の制御下に置いて戦術に組み込まなければ戦力にはならない。瀬織自身が制御不能の兵器だったから、尚のこと分かる話であった。

「それで、仮に左大さんの戦闘機械傀儡が見つかったとして……誰が使うんですの?」

「瀬織、お前は使えんか?」

 そんなことを、真顔でアテにされても困る。

「恐竜……ですかあ? どう……ですかねえ」

「全ての空繰はお前の子供みたいなものだろう」

「千年、二千年も後の子孫なんて他人と同じですわ。そもそも、恐竜はわたくし共とは存在の根幹が違うというか……」

 瀬織の原型は、せいぜい樹齢1万年程度の神樹である。

 何千万年、何億年も前に存在した恐竜とは生命の系統に何の繋がりもない。そもそも、恐竜とは神も魔も存在しない時代の生物である。自分たちより以前に存在した原始の野生を、神がどうこう出来るものではない。

 恐竜という知り得ぬ存在。分かり得ぬ生命。未知未踏への恐怖すら感じる。

 自分の理解を超えた原始生物の存在に、瀬織は思わず身震いした。

「冗談ではありませんわ……」

 ここで思い当たるのは、左大が戦闘機械傀儡を本当に持っていなかった場合のこと。そして現存する他の戦闘機械傀儡が戦力化できなかった場合のことだ。

「あのぉ、園衛様。補充できる戦力が不足した場合……もしかして、わたくしを戦力に組み込もうとか思っていませんか?」

「ム……」

 園衛は些かばつが悪そうに目を閉じた。

 当たらずも遠からず。最悪のケースとして考えていなくもない、といった所か。

 それこそ冗談ではないので、瀬織は薄く笑いながらも、はっきりと意思を伝える。

「ほほほ……園衛様。学生を戦場に送るなんて、マトモな大人のすることではございませんよね? 女子供を前線に送るようでは先が見えております。国破れて山河あり。城春にして草木深し……など、冗談にも程がありますわ」

「分かっている……それは分かる」

「治安の維持は警察や軍隊の仕事でございます。私共がそれに取って代わろうなど、身の程を弁えるべきでしょう。それとも、今世の警察、軍隊は女子供に頼らなければならないほど落ちぶれているのでしょうか? ほほほ……わたくしを厄介事に巻き込むのはご遠慮頂きますわ」

 瀬織は園衛に恩義を感じてはいるが、それとこれとは別の話だ。

 そもそも、園衛は瀬織を兵器として飼っているわけではない。人として生かすために存在を許したはずだ。瀬織を戦力化するのは、その基本理念に反する大罪である。

 自我を認められた一個人として、瀬織は戦闘への積極的参加は断固として拒否する所存であった。

「わたくしが求めるのは、愛する人との穏やかな生活。それのみでございます」

「ああ、その通りだ……」

 反論の余地のない真っ当な正論だった。園衛も異論はなかった。

 瀬織がラボの時計を見ると、午後1時を回っていた。

「あら、そろそろ時間です。この辺りで、おいとまさせて頂きますわ」

「何か用事か?」

 園衛が問うと、瀬織はとても上機嫌に笑って、席を発った。

「うふふ……。景くんと、お買い物の約束をしておりますの」

 くるり軽やかに身を翻す。心躍る様に表裏はない。今の瀬織は、青春を謳歌する思春期の少女そのものだった。




 午後3時を回って、瀬織は景と共に帰宅のために電車に乗っていた。

 日曜とはいえ夕刻時には混雑が予想されたので、早めに用事を済ませて帰ろうと提案したのは瀬織だった。

 直線距離なら帰宅まで1時間とかからないが、それはマイカーを持っていればの話だ。

 学生の身ではそうもいかない。電車を乗り継ぎ、バスに乗って2時間もかけなければ家には帰れない。

 だが、瀬織はそれが良かった。

 無駄に生き急ぐでもない我が身ゆえ、景と共にゆったりと今世の風景を眺めながら帰るのも新鮮な喜びに満ちた時間だった。

 とはいえ、隣に座る景は憔悴し切った様子。ぐったりと座席に身を預けていた。

「うふふ、景くんは女の子の買い物に付き合うのは初めてでしたか?」

「そんな経験……あるわけないじゃん」

 元より運動が不足しがちな景は、馴れない街と初めての店を歩き回ったことで肉体的に疲労していた。

 同時に、精神的にも疲れ果てた。

「女の子って……買い物にあんな時間かかるの?」

「わたくしなんて、これでも早い方ですよ。服を選んで試着して、景くんに見て貰ってお買い上げ。ほぼ即決ですわ。世の女性は、わたくしの三倍、四倍は普通と心得てくださいまし」

「えぇ……」

 つまり、普通の女性は服を買うのに3時間以上もかかると聞かされて、景は青ざめた。

 女性の買い物に付き合うことの困難さと過酷さ、果てしない価値観の断絶に恐怖していた。

「ほほほ……何事も人生経験ですわ。いつの日か、景くんが素敵な女性とお付き合いする時のちょっとした予行演習と思ってくださいませ」

 と、ベテランぶってはいるが、実のところ衣料店に買い物に行くのは瀬織の長い存在期間でも初めてのことだった。女性の服選びに膨大な時間が必要だと知っているのは、平安の頃の貴族の女たちの様子を観察した経験からだった。

 人として現代の社会に生き、人として経験を積むのは知識の更新にも役立つ。

 そして景と一緒なら、新鮮な喜びも感じることが出来る。

「やっぱり通販で買うよりも、直に見て触れて選んだ方がしっくりきますわ」

 瀬織は足元に置いた買い物袋を開けた。

 中には、黒い服と黒い下着が畳まれて収まっている。

 横目で車両に他の客がいないことを確認すると、瀬織は不敵に笑った。

「ほうら、景くん。この下着なんか素敵ですわねぇ~」

 言いながら、黒いレースのショーツを広げてみせた。

 景は「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げて、座席の上で仰け反る。

「景くんはご覧になりませんでしたが、わたくしこれもちゃあんと試着したのです。あのお店では人目がありましたが、幸い今ここには景くんとわたくしの二人きり。見てますか?」

「み、見るって……なにを……」

 瀬織は景の肩に手を置いて、逃げられないように優しく体を抑えて

「わたくしがこれを、履くところ……」

 耳元で、甘い毒のように囁いた。

 ぶるっと震える景の慄く様を掌で味わいながら、瀬織は愉悦に満ちた捕食を続ける。

「ほぉらぁ……試着したんですのよ、これぇ……?」

 景の眼前でショーツを広げて、鼻先に内側を近づける。

 試着の一時とはいえ、ほんの1時間前まで瑞々しい女体に密着していた薄布を見せられる。肉薄される。人生で初めての体験に、少年は混乱していた。

 あわあわと狼狽し、されるがままの景の様子はいとおかしく愛おしく、このまま骨の髄まで食い散らかしてしまうのも一興かもと魔が差し込んだ。

 人間の生殺与奪を握るのは、なんと愉快なことだろう。この快感は今も昔も変わらない。背中の芯に甘い痺れがじわりと走る。

 子犬のように怯える景の頬にふぅぅっと生暖かい吐息をかけて、思考力を完全に奪い取る。

 そして片手でショーツを掲げ、一方の手でそぉっとゆっくりと、瀬織は今履いている腰のものに手をかけた――その矢先、車内に英語のアナウンスが流れ、続いて日本語の車内放送が流れた。

『まもなく、小山田。小山田に停車します』

 小山田駅は新幹線も乗り入れる大きな駅だ。乗客も大勢乗ってくるし、瀬織たちはここで乗り換えなければならない。

「あらあら残念。時間切れですわ」

 瀬織はあっさりと景から身を放し、黒いショーツを畳んで袋に入れた。

 意外そうに、だがどこか名残惜しそうにこちらを見る景の視線がおかしくて、瀬織はくすりと笑った。

「楽しかったですか、景くん?」

「ちっ違うよぉ! からかうの止めてよっ!」

 景の顔は真っ赤に染まっていた。

 戯れを堪能した瀬織は景と共に電車を降りて、別のホームを目指そうと階段に差し掛かると、意外な人物と鉢合わせた。

「ぬおッ! 貴様は東瀬織!」

 銀色の髪が否応にも目立つ同級生、クローリク・タジマがいた。

 狼狽した様子で自分を指差すクローリクに、瀬織は不機嫌そうに小首を傾げた。

「あら、クローリクさん。なんですの、こんな所に」

 学校でも事あるごとに衝突する目障りな小娘に、景との時間を邪魔されるのは気分が良くない。

 だが、エンカウントしたのが運の尽きだった。

「私はお爺ちゃんの付き添いで宇都宮に行っただけだ」

「ん~? おじいさま?」

「そう。私のお爺ちゃんはノーベル賞一歩手前まで行った凄い学者なのだ! 今、世界中に普及してるカーボンナノチューブ製高分子アクチュエータ! つまり人工筋肉の原型を作ったのが、わ・た・し・の! お爺ちゃんだッ!」

 フフンと鼻を鳴らして、誇らしげに胸を張るクローリク。

 そういえば、篝がタジマ式人工筋肉がどうの、但馬博士がどうのと言っていた。

 瀬織は少し気になってスマホで検索してみると、大手インターネット百科事典の単独記事がトップに出てきた。

「はぁ……但馬賢吾博士。70年代にソ連に亡命して結婚。そこで人工筋肉を実用化。ソ連崩壊後に妻子と共に日本に帰国。実業家の左大千一郎氏に保護されて人工筋肉を改良……ああ、なるほど」

 有名人の公の情報から、人の奇縁が見えてしまった。戦闘機械傀儡の関節駆動に人工筋肉が採用されたのは、クローリクの祖父と左大家の繋がりが背景にあったというわけだ。

 現在、その祖父が〈マガツチ〉の改装に関わっているのだが、当のクローリクは細かい事情は知らないらしい。

 証拠に、相変わらずの調子で瀬織に突っかかってくる。

「貴様こそ……後のその少年とはどういう関係だッ!」

「あなたに、そんなこと関係ありますの? 仮に交際相手だとしたらぁ……どうしますかぁ?」

 瀬織は自信に満ちた不敵な表情で、背後の景の手を握ってぐいっと引き寄せ、クローリクに見せつけた。

「うおお~~ッ! なん・たる! 不純ッ!」

「ああ、ちなみにわたくし、こちらの景くんと同棲しておりますの」

「な、なんだと~~ッ?」

 鼻息荒く、声震わせるクローリク。

 景が反論訂正する隙もなく、クローリクは景のもう片方の手を握って瀬織に肉薄した。

「少年! こんな毒婦に惑わされてはいかんぞッ! 目を覚ますのだ!」

「ええっ、ちょっ、ちょっと! なんで僕の手握ってるんですか!」

「君はこの女の催眠にかかっているんだ! 私がついているから気合を込めて邪気を振り払うんだッ!」

「はぃぃぃぃ~~?」

 妙な正義感と対抗心を燃やして、クローリクは景の手を両手でぎゅぅっと握りしめた。

 賢しい小娘が景に気安く触れるのは気に障ったものの、瀬織はあることに気付いた。

 このシチュエーションは、なんだか愉快であると。

「あら~~? 聞きましたか景くん? わたくしは悪い催眠術師ですって。じゃあ、もっと催眠かけちゃいましょうねえ~? ほ~らほらほら催眠催眠♪ ほら催眠♪」

 瀬織は、景に体をぐいぐいと押し付け密着させた。

 景は自分より背が高い瀬織とクローリクの胸のあたりに顔を挟み込まれるような形になった。

「あう、ぅあ……ちょっ……やめっ……」

「止めろと言われて止めるワケないじゃないですか~~? ほぅら負けちゃえ負けちゃえ♪ 身も心もトロトロに溶けてなくなってぇ、敗北宣言聞かせてくださいな♪」

 対するクローリク、景に胸を押し付ける今の自分の状況を一顧だにせず、瀬織に向かって牙を剥いた。

「きっさま~~ッ! この少年をたぶらかして何を企んでいる!」

「バカ正直にそんなことあなたに言うワケないじゃないですか~~? ほほほ」

 ムキになるクローリクと、それを面白がってあしらう瀬織の間でもみくちゃになって、ついに景は失神。その場に膝を着いた。

「あふぅぅぅぅ……」

 そこで漸く、クローリクは景の様子に気が付いた。

「うおッ! 少年、しっかりしたまえッ!」

「あら、ちょっとハメを外し過ぎましたわ」

 弄んでいた景がノックアウトされたので、瀬織の戯れはそこでお開きとなった。

 その後、二人で失神した景をベンチに座らせ介抱した。

 落ち着きを取り戻した景が瀬織の誇張した発言を訂正し、それを聞いたクローリクは漸く誤解を解いた。

「なんだ二人は親戚だったのか。こちらの学校に通うために理事長の紹介で同居しているだけ、と」

「はい……。そうなんですよ」

 以前に園衛に言われた通りの建前を、景はそのままクローリクに伝えた。真実を言うわけにはいかないので、それで納得してもらえたのは幸いだった。

「しかし東くん、こいつは油断ならん女だ。何かあったら私に相談しなさい。念のために連絡先を交換しておこう」

「は? はあ……」

 親切心から言ってくれているので断るわけにもいかず、景はスマホの赤外線通信でクローリクと各種アドレスを交換した。

 瀬織は余裕の表情でそれを眺めている。クローリクごときに景との関係が邪魔されるわけがないという絶対の自信の表れだった。

 クローリクは不信感に満ちた視線で瀬織を睨んだ。

「貴様……まさか私の邪魔をしに現れたんじゃないだろうな」

「はあ?」

 何をすっとぼけた事を言っているのか。バカなのか自意識過剰なのか、あるいその両方なのかと瀬織の蔑む視線はクローリクには伝わらず、証拠を突きつけるようにスマホの画面を見せつけてきた。

「これに心当たりがあるんじゃないのかッ!」

 どうせ下らない写真でも貼ってあるのだろうとタカをくくった瀬織だったが、表情が俄かに強張った。

 画面には誰が撮ったものなのか、夕闇の空に舞う巨鳥の影の写真が映っていた。そのシルエットには見覚えがある。園衛から貸与された空繰〈綾鞍馬〉だ。

 まさかクローリクに素性を知られた? と危惧したのも束の間

「これは昨日の夕方に隣のつくし市で撮影された写真だ! これはどう見てもUMA! 未確認生命体ッ!」

「はあ……?」

「ネイティブアメリカンの伝承に語られるサンダーバードに似ている! その正体は既に絶滅した巨大生物、アルゲンタヴィスだという説も――」

 まるで見当違いのオカルト論を展開し始めた。

 これなら警戒する必要はないと思った瀬織だったが、そう簡単に油断できる状況でないとすぐに悟った。

「ちなみに! 現代では鳥類は恐竜の進化した姿だという説が濃厚だ! その恐竜に関係する人間がつくし市にはいるッ!」

 続いてクローリクがスマホに映したのは、動画サイトに掲載された妙なサムネイルだった。

 タイトルは〈これが必殺! 恐竜酔拳だ!〉。

 非常に厭な予感がした。

 クローリクがサムネイルをタップすると、悪夢のような動画が始まった。

 上に表示されている紹介分は〈缶チューハイ1本で竹を吹っ飛ばしてみた〉と簡潔で分かり易い。

 動画にて、あの左大億三郎が上半身全裸でチューハイを一杯飲む。

 このサイトでは視聴者のコメントが動画内に表示される仕様だった。

『なんだこのオッサン!』

『ウホいい体』

『ただの酔っ払い。死ね』

 と最初は面白半分のコメントがぽつぽつと表示されるだけであったが、動画が進むに従い状況は一変した。

『はーっ恐竜酔拳! パキケファロ散打ァー!』

 左大の猛烈な鉄拳連打が竹に撃ち込まれた。

 竹といっても一本竹ではない。太い青竹が十本以上も束になった剛直が、連打でメキメキと音を立てて粉砕され、最後の一撃で上空に打ち上げられた。

『はらーーっ! ディノニクスキック!』

 左大が回転を加えて上空高くジャンプすると、凄まじい破砕音がした。カメラは固定されているので追随できないが、バラバラにされた竹の残骸が地上に降り注ぎ、何が起きたのかを視聴者に伝えた。

『うせやろ……』

『映画化決定』

『これマジ?』

『特撮だろ特撮。騙されんなよ』

 瀬織は動画の視聴数とリスト登録数に目をやった。前者は50万回を超え、後者も1万を超えている。動画には広告リンクも張られており、左大の収入源がなんとなく分かってしまった。

 加えて、左大は意外と有名人であるらしい。

 住所は公開していないが、背景には田舎の山々が映っている。これでは場所の特定は容易である。左大の家に世界中から復讐者がひっきりなしにやって来るわけだ。いや、敢えて動画を載せて敵を誘き寄せて返り討ちにしているという可能性も……。

「このおじさんは恐竜マニアの拳法動画配信者として世界的に有名だ。これは謎の巨大鳥と何か関係があるはずだ!」

 あるわけないだろう、普通なら。

 しかし残念ながら、実際かなり関係あるのだ。

「で……クローリクさんは、これを調べていると。なんたのために?」

「身近に謎や不思議があったら探究してみたいと思うのは当たり前だろうが!」

 要は単なる子供じみた好奇心だと瀬織は判断した。クローリク自体に興味はないが、変に首を突っ込まれると面倒になりそうではある。

 聞いてもいないのに、クローリクは勝手に話し続けていた。

「それだけじゃないぞッ! わが県内には他にも恐竜関係の都市伝説があるんだ! 夜中に恐竜の群れがトラックに積み込まれてどこかに運ばれていったとか、クローン再生された恐竜が暴れたとか、海沿いの研究所で今でも恐竜復活の研究がされているとかな!」

 どこかで聞いたような内容と、それとなく繋がりがありそうな噂ばかりだ。恐らく左大家の戦闘機械傀儡がこれら都市伝説の元ネタなのだろう。

 瀬織は黙って話を聞き流しながら、クローリクの好奇心をどうやって削ぐか思案していた。

「私は明後日、海沿いを調べに行く予定だ。他の五方央のメンバーと一緒にな」

「明後日ぇ……?」

「明後日は我が校の創立記念日。つまり休みだ。私の邪魔をしようなどと思うんじゃないぞ」

 間抜けなのか天然なのか。瀬織が本当にクローリクの邪魔をしようと思っているのなら、わざわざ自分の行動予定を話してどうするのか。それとも敢えて話すのはブラフなのか。

 いずれにせよ、明後日には全く見当違いの場所に行ってくれるのは好都合だ。

 クローリクはスマホの時刻表示に気付くと、再生中だった動画を閉じてスマホをしまった。

「じゃ、私はもう帰る。貴様は少年と一緒に次の電車に乗れ」

「言われなくとも。あなたと同道なんて冗談ではありませんからね」

「はッ! 少年、その女にはくれぐれも気を付けるようにッ!」

 減らず口を叩き合って、クローリクは小走りにホームの階段を上がっていった。

 瀬織は自分のスマホを取り出すと、アドレス帳から園衛宛てにメールを作製し始めた。

「景くん。申し訳ありませんがこの後、左大さんのお宅まで同行して頂けませんか」

「えっ、なんで……?」

 淡々と機械的に話し、行動する瀬織の様子に冗談は無かった。

 瀬織は真顔でメールを送信。戸惑う景を見下ろした。

「左大さんの厄介事、今日の内に始末してしまいましょう」


 瀬織と景が、つくし市行きのバスに乗り換えた頃には、既に日が傾いていた。

 二人はバスに乗る前に一旦帰宅していた。瀬織が準備があると言っていたからだ。

 その準備というのは、瀬織が買ったばかりの服に着替え、先日に景が左大から貰った資料本〈戦闘機械傀儡のすべて〉を持ち出すことだった。

 心細い照明が照らす薄暗いバスの車中にて、瀬織は〈戦闘機械傀儡のすべて〉を開いていた。

 そして、パラパラとページをめくって、人間を超えた速度で内容を知識として吸収している。

「ねえ……その本、どうしたの?」

 隣に座る景が尋ねた。

 左大に関わりたくないと言っていた瀬織が、突然こんな資料に興味を抱くのは不自然である。

「この本……ですか」

 瀬織は機械的で、抑揚に欠けた声で応えた、思考の容量を情報習得に割いているので、感情面が少し希薄になっていた。

「あの左大という方……思慮の浅い野武士に見えましたが、侮っておりました。景くんはこの本、読みましたか」

「うん。途中までは」

「この本、正しく全てを網羅しております。試作機から正式採用型、その細かな仕様変更まで記載されています。各機種の長所と短所、製造時期に由来する構造的欠陥までも」

 瀬織が開いているのは、巻末のページ。そこには戦闘機械傀儡〈ジゾライド〉の改装の歴史と、機械的欠陥の割り出しがずらりと写真つきで、びっしり書き綴られていた。

「そ、そこまではまだ読んでないなあ……」

 景としては物珍しい恐竜メカの写真と戦史解説が面白いと感じたので、巻末の文字列にまでは興味が及ばなかった。

「つまるところ、左大さんはいかなる戦闘機械傀儡が現れても対処できるということです。動かすにしても、壊すにしても」

 瀬織の語る所の真意が理解できず、景は首を傾げた。

 程なく、二人は目的のバス停で降車。夕闇に包まれた昨日と同じ道を辿って、左大の家の近くまで歩いた。

 暗がりの中に左大家のシルエットが見えてくると、瀬織は不意に立ち止まった。

 そして、目を凝らして左大家の周囲を見ている。

「なに……どしたの?」

 景が不審に思って声をかけると、瀬織は闇の中の一点を指差した。

「ああ、やっぱり。いましたわ」

 いる、と言われても暗すぎて景には何も見えなかった。

 瀬織と共に件の場所に向かう。そこは、左大家を囲む塀の一ヶ所だった。

 近くに寄れば、確かにいた。

 先日、左大と揉め事を起こした外国人の少女が。

 少女は、上体を塀に乗せて敷地内を覗き込んでいた。

 その背後にすぅっと身を寄せて、瀬織は中腰で囁いた。

「こんばんは」

 急に声をかけられた少女の肩がびくりと震え、怯えた様子でこちらに振り向いた。

「あ……アノ……ワタシ……」

 相変わらずの片言の日本語。昨日の今日なので怯える理由も良く分かる。しかも瀬織と景は左大の家にいたのを見られている。あれの身内と誤解されるのも仕方ない。

 瀬織は不自然なほどニコニコと微笑みながら、腰を曲げたまま少女に目線を合わせた。

「安心してください。わたくし達、ここの方とは特に関係ありませんので」

 瀬織は景に横目で視線をやった。話を合わせてくれ、という意図のアイコンクトだった。

「う、うん。そうだよ。僕らはただのお客だから……」

 景も相槌を打って少女に言った。実際、嘘は言っていない。

 未だ警戒の解けない少女に対して、瀬織は親しげに、優しく続けた。

「わたくし、東瀬織と申します。あなたのお名前は?」

 僅かな逡巡の後、少女は上目遣いに瀬織を見返した。

「ワタシ……カチナ。カチナ・ホワイト、いいマス」

「そうですか。カチナさんですか。して、カチナさんはどこから来たんですの?」

「ワタシ、アメリカから来まシタ。故郷から持ってカレタ、竜のカチナ、見つけるタメ」

「そうですかそうですかあ」

 ニコニコ笑いながら何度も頷く瀬織は、一瞬だけ酷薄な笑みを浮かべた。

 景はそれを見逃さなかった。そして察した。

 瀬織はカチナなる少女との会話で、何かの手ごたえを掴んだのだと。

「そうですか探し物ですかあ。その探し物は左大さんが持っているワケですねえ?」

「イエス! ダカラ! ワタシ、この家キタ! 見張ってルノ!」

「なるほどなるほどぉ。でも左大さんはこわぁい人ですからねぇ。一人ぼっちでは心細いですよねぇ。可哀想ですから、わたくし達も協力してさしあげましょう。ねえ、景くん?」

 話を振られて、景はとてつもなく厭な予感がした。

 瀬織はきっと、恐ろしいことを企んでいる。カチナも酷い目に合わされるかも知れない。

 だからといって、ノーと首を横に振る気概は景にはなかった。

 瀬織の無言の圧力、同調の誘惑は抗いがたく、少年は上位存在の少女に屈服して

「うん……。僕も手伝う……よ」

 と、ぎこちない笑みで同意するしかなかった。

 カチナは水を得た魚のように、待ちわびた協力者を得て無邪気に笑っている。

 一見、カチナは年相応の少女にしか見えない。

 そのカチナの頭を、瀬織は自然な仕草で撫でた。

「良かったですわね~。カチナさん」

「キャッ! くすぐったいデス♪」

 子犬のように喜ぶカチナの頭上で、瀬織は首を大きく上げて息を吐いた。

 はぁぁぁぁ……っ、と満足げに。闇の中で支配者が笑っていた。

 さて、探し物を手伝うと言っても、具台的に先ず何をやるかと言えば、左大の家に真正面からコンバンワすることである。

「突撃~、隣の左大さ~ん♪ というワケですわ」

 瀬織は後に景とカチナを引きつれて、敷地の中に踏み入った。

 だが、どういうわけか真っ直ぐに玄関に向かわない。わざわざ塀の内周を沿うようにして、迂回する形で玄関に歩いていく。

「ちゃんとついてきてくださいね~」

 と言うので景もカチナも素直についていく。意図は全く分からなかったが、質問する暇はなかった。

 左大家には電気が点いており、在宅中なのは間違いない。

 瀬織はインターホンを押した。壊れているようで反応はないが、構わず連打する。

「こんばんは~左大さ~~ん? 東でーーす♪ 景くんもおりますわ~~」

 良く通る声で呼びかけつつ、ガチガチとインターホン連打。

 だが返事がない。

「あら~~? いらっしゃいませんかぁ~~? 扉の鍵わぁ~~?」

 瀬織、ドアに手をかける。

「ん~~? 閉まってますね~? 居留守でしょうかね~? 明日にしましょうか、カチナさん?」

 首を傾げて横目で後のカチナを伺う。

 カチナは呆然と目の前のドアを見ていた。否、視線は真っ直ぐではあるが、虚ろな目は何も見ていない。

 明らかな異変だが、瀬織はニタニタと笑ってドアから手を離した。

 左大の家に呼びかけるのも止めた。

 誰も何も言わず、物音もせず、夜の里山に静寂満つる。虫の鳴く音だけが遠くに響く異界のような現世に、やがて奇妙な物音が混ざってきた。

 ズン……ズン……という何かの重い足音。それが一つ鳴る度に、みしっとアスファルトの軋む音が続く。

 同時にブゥーーンというエンジンの駆動音も聞こえた。

「え……なに……?」

 景が音の方向に振り返る。

 それは次第に左大の家に、こちらに近づいているのが分かった。

 そして、巨大な何かが遂に道路と左大家との境目に到達し、家からの僅かな照明の照り返しで、闇の中にぼぅっと姿が見えてきた。

 戦闘機械傀儡――としか言いようがない物体。

 装甲で覆われた、動物型の巨大傀儡。身長は5メートルはあるだろうか。しかし恐竜ではない。〈雷王牙〉や〈綾鞍馬〉のような幻獣型でもない。強いて言えば、ゴリラのように見える意匠。

 長い両腕の拳が接地している様は確かにゴリラに似ているが、現生のゴリラにはあり得ない形状も見られる。

 左肩には戦車の主砲ほどもある大型の火砲を搭載している。その部分だけがやけに現実の兵器じみていて、全体の幻想的な意匠から浮いていた。

 その砲に狙われているような気がして景は「ひっ」と小さく悲鳴を上げたが、瀬織が小声で呟くのが聞こえた。

「多分……まだ大丈夫」

 と。

 ゴリラ型傀儡は体内からエンジン音を響かせながら、敷地内に入ってきた。進行方向は真っ直ぐ、景たちのいる玄関である。

 その矢先、突如としてゴリラ型傀儡が傾いた。足元の地面が陥没し、横転する形で地中に沈んでいく。

 ボンっ……と存外に地味な落着音がして、ゴリラ型傀儡は穴の底に沈んだ。

 何が起きたかは見れば分かる。事前に落とし穴が仕掛けられていたのだ。それも、ああいった巨大な傀儡の来襲を想定した、深く大きな落とし穴のトラップが。

 瀬織はこれを予測して、迂回ルートで玄関に至ったのだと景は悟った。

 それは分かる。だが、どうしてこんなものを事前に用意していたのか。そもそも瀬織も何故にそこまで予測できたのか。それが景には分からなかった。

「ど……どういうこと、これ?」

「どうもこうもぉ……」

 瀬織に問うている間にも事態は急変。

 エンジン音が穴の中から地表に近づいてくる。古い型のトラックが強引に坂を上がる時のような悲鳴に似たエンジンの唸りと共に、ゴリラ型傀儡は落とし穴から這い上がってきた。

 対傀儡としては、単純に深さが足りないのだろう。人力で掘削するとなれば、深さ5メートルの落とし穴でも労力は凄まじい。

 自宅に危機が迫っているというのに、未だ左大は姿を見せない。そもそも、こんな罠を用意しているくらいだから家にはいないのでは……?

 と考えを巡らせる景の後で、瀬織はゴリラ型傀儡の様子を冷静に観察していた。

 関節の動きはぎこちない。駆動方式は人工筋肉ではなく旧式の油圧式。

 エンジンからの排気は背中から。歩く度に背面構造物が妙な揺れ方をしている。工作精度が明らかに低い。武装も右肩のランチャーが目立つが、他に火器は見当たらない。照準装置もランチャーに備わった物だけだ。対人装備はない。

 つまり、この傀儡の撃破を狙うなら――

「うしろ――」

 瀬織が呟くと同時に、敷地の外の草むらが持ち上がった。

「うおらっしゃうああああああああああああッッッッ!」

 左大億三郎が、雄叫びと共に出現。密林でのゲリラ戦、あるいはスナイパーのギリースーツのように草を被った偽装を放り投げて、同じく偽装して寝かせていた大型の金属タンクを起こした。

 そのタンクは、プロパンガスの50キログラム容器であった。

 この界隈は都市ガスの普及が芳しくなく、未だにプロパンガスに頼る家庭が多い。これ自体は決して珍しい物ではない。そこらの家に、もちろん左大の家にも備わった普及品である。

 この容器、当然にして重い。50キログラム容器ならば、ガスを充填した際の重量は100キログラムに近い。まともに持ち上げるのは常人では不可能。左大の腕力を以てしても迅速な輸送は不可能である。

 しかし、熟練したガス業者はこの容器を斜めに接地し、回転させることで滑らかに移動、運搬せしめる。

 それに倣って左大はプロパンガス容器を、張り手を連打するような形でグイグイグイと回転押し出し。前に前にと突き進み、ゴリラ型傀儡の背面へと蹴りつけた。

「はーーっ、恐竜酔拳っ!」

 ガス容器の弁は開いていた。シューっとガスの漏れる音がする。

 左大は小型のガンタイプガスライターに着火し、投擲。同時にバックステップで退避した。

「翼竜大爆散(サラマンダーボンバー)――――っ!」

 ライターはガスへと引火。ぼっと火柱が立ち上がったと思えば、夜闇にオレンジの火球が爆ぜた。

 爆音自体は一瞬。ゴリラ型傀儡の背面構造物が弾け飛ぶ金属破砕音の方が大きい。その爆炎は雑な作りの機体内部へと達した。

 ゴリラ型傀儡が緩慢な動きで転回しようとした瞬間、爆発の衝撃で生じた燃料パイプの亀裂に炎が触れて、機体は一気に炎に包まれた。

「ははーーっ! テメェみたいなパチモン相手に傀儡なんざぁ必要ないぜっ!」

 勝ち誇る左大の目の前で、ゴリラ型傀儡は身もだえしながら倒れた。

 そして、左大家の裏の塀から何者かの絶叫が上がった。

「ぎぃぁぁぁああああああああああ!」

 断末魔の叫びであった。

 それを聞いた瀬織は、酷薄な笑みを浮かべた。

「うふふふ……生きながらに身を焼かれる感覚ぅ……。普通の人間じゃ耐えられませんわよねぇ?」

 何者かの叫びは、ゴリラ型傀儡の炎上する感覚をまともにフィードバックした操縦者のものだった。

 燃え上がる傀儡の横を通って、左大が瀬織たちのいる玄関までやってきた。

「ようガキ。昨日も今日もよくやってくれたなオイ」

 左大がガラの悪い口調でカチナに食いかかった。

 昨日の再現になりそうな不穏な雰囲気に、景は慌てた。

「あの左大さん、違うんですよ。この子は……」

「違う? なにがぁ……?」

 左大と瀬織が同時に、似たような顔で笑った。凶暴な殺意に満ちた笑いだった。

「景くぅん……まだ分かりませんかぁ? 左大さんは後から奇襲したんですよ? その時、カチナさんはどこを見ていたでしょう?」

 当のカチナは、依然としてドアの方に顔を向けて動かない。景は彼女が怯えて動けないとだと思ったが、何か雰囲気がおかしいことに気付いた。

 左大は両手の指を組み合わせ、ウォーミングアップのように関節を鳴らした。

「カチナ……ねえ? カチナっつーのはネイティブアメリカンの精霊のことだな。そんで、このガキは一見そっちの部族に見える。女の子が『ワタシの部族の宝物を返してくださーい』と泣きついてくるなんて……ハッ、出来過ぎた話じゃあねぇか? それで情に流されてホイホイ協力する?」

 鼻で笑って、左大はカチナの肩に掴みかかった。

「景ちゃんみてぇーなウブい男の子ならいざ知らず! その手のハニトラに俺が引っかかると思ってんのかあーーーーっ!」

 左大は強引にカチナを自分に振り向かせ、噛みつく勢いで叫んだ。

 それはカチナに向かって叫んだのではなかった。カチナの虚ろな目の奥にいる、別の存在に向けて叫んでいた。

 状況を飲み込めず戸惑う景に、瀬織は解説を始めた。

「先程、カチナさんの頭に触って思考を読んでみました。この子、なにを考えていたと思います? 空っぽですよ」

「空っぽ……? どういうこと」

「言葉の通り。何も考えておりません。経歴もただの嘘の設定です。カチナさんは誰かさんの命令を実行するだけのお人形。同時に、傀儡の死角を補完する目……ですかねえ?」

 言うと、瀬織は玄関のドアを開けて見せた。鍵など最初からかかっていない。

 こうして、左大と瀬織は家の中にカチナの注意を引きつけていた。そしてカチナの視界の死角である敵傀儡の背面を狙って攻撃を仕掛けた、というわけだ。

 改めて考えると、左大が昨日カチナに行った乱暴な対応と言動の数々も合点がいく。「テメーはどこの誰なんだよ!」という尋問にしても、最初からカチナの正体を見抜いていたと思えば筋が通る。

「ってことは、カチナちゃんって瀬織と同じ……?」

 景の問いかけに、瀬織はくつくつと嘲笑で応えた。

「まさか。これはもっと悪趣味なモノですわ。一応人間ですよ、これ」

「えっ」

「生まれてから今の今まで何も教えられず、何も学ばず何も聞こえず何も見ず。そうして作った肉人形。ああ、なんて非道い♪」

 言っている意味が理解できず、景の思考が停まった。

 左大はカチナから目を逸らし、吐き捨てるような口調で続けた。

「聞いたことがあるねぇ。爺さんの時代、そういうことしてたクソカルト共がいたってなあ~~っ? オイ、そろそろ出てきたらどうだよオイ?」

 左大の目線の先、燃える傀儡の背後から、三人の人影が現れた。

 黒いフードを被った二名の男に挟まれた中央には、身長2メートルはあろうかという巨漢がいた。

 肩まで伸びた長髪、左大に負けずとも劣らぬ筋肉。それは服を内側から押し上げ、はち切れんばかりに胸板は厚い。骨格、体幹、全てが太い白人の男。

「流石はサダイィ……。アンクルDの孫よ。ウェンディゴ1体は貴様を侮ったことの代償――」

 殊勝に余裕ぶる男が言い終わるより早く、左大は駆けだしていた。

「死ぃねオラー―――――ッ!」

 速い。ディノニクスより早い疾風の突撃。ほとんど跳躍に使い疾走の勢いを乗せて、剛拳が男に襲いかかるッッッ。

 男がその奇襲攻撃を寸前で避けることが出来たのは、彼の者にも相当の技があることを物語っていた。しかし完全には避けられなかった。

 男の横に控えていた黒フードの付き人が一人、脇腹に左大の拳の直撃を受けていた。

「ぎぼぶごぶえぅぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 人とは思えぬ絶叫を上げて吹き飛ぶ黒フード。

 攻撃を避けたとはいえ、男は狼狽していた。

「うおおおおおお! 貴様ァーーーー!」

 いきなりこんな攻撃を受けるとは思っていなかったようだ。額に冷や汗が浮かんでいる。

 左大は容赦なく剛拳を連打。男、打撃を次々に確実に捌く。

「はっはっはーーーっ! どこの誰だか知らねぇが、良い腕前じゃあねぇか! 即殺するつもりだったがぁ、名前を聞いておこうか!」

「うぬぅ~~っ! ふざけたことを~~っ!」

「言えよ名前ぇ~~っ! 殺すぞ~~っ殺すぞ~~っ」

 呪言めいた歓喜の殺意が夜闇にこだまする。

 常人なら恐怖で戦意を喪失するような左大の叫びを跳ね除けて、男が応えた。

「我が名はデイビス! デイビス・ブラックよぉっ!」

 デイビスは左大の殺意と拳を捌き切り、バックステップで距離を取った。片足で立つ、独特の構えであった。

 左大は愉快げに笑う。自らの拳を見事跳ね除けた強者との出会いに、ティラノサウルスのように歓喜する。

「デイビスゥ! 初対面だなあ! どうせすぐにサヨナラだが覚えとくぜぇ。刻んどくぜぇ。テメーがどこの誰だかは大体分かったしなぁ」

「ほざけぇ! 貴様の祖父に奪われた我らの誇りは返してもらうわ!」

「女々しいなあ! 何十年も昔のことをあーだこーだと! 雄々しいテメーの筋肉が泣いてるぜっ!」

「知った風な口を聞くなぁ~~っっっっっ!」

 デイビスは感情を露わに奥歯を噛んで顔を歪めた。年輪のように積み重なった憎悪と辛苦が込められた歪みが全てを物語る。この男の過去が、左大の祖父がつけた傷跡に満ちたものであると。

 夜が殺気戦気が充満する死地へと変貌する寸前、残った一人の黒フードが恐々とデイビスに進言した。

「そ、宗主様! ここはお引きください! 我らの本懐、この男を殺すことではありますまい!」

「う、うぬぅぉぉぉぉ~~っっっ!」

 正に臥薪嘗胆。肝を嘗めるがごとく憎悪を抑え込み、デイビスは引き下がることを承諾した。

「サダィィィィ……。貴様との勝負は預けた。次はレギュラスもろとも貴様を打ち殺してやるわ!」

「へぇ? そいつは楽しみ」

 意外にも、左大は追いかける素振りを見せなかった。

 それどころか、背後の瀬織たちに目配せをして

「そのガキも返してやりな」

 と、カチナをあっさりと解放するように指示した。

 瀬織は肩をすくめて、軽い溜息を吐いた。

「はあ。ま、どうせ人質には使えませんしねえ」

 カチナは何事もなかったかのように歩いて、デイビスたちに合流した。

 デイビスは動きの鈍いカチナの手を強引に引っ張って、敷地の外へと出ていった。

 ただ一人、左大の剛拳に撃たれた黒フードを残して。

 左大は昏倒した黒フードの上半身を起こすと、気つけの気合を入れた。

「ふぅ~~っ、せいっ!」

 心臓マッサージのような衝撃を受け、意識を取り戻す黒フード。混乱する黒フードへにじり寄る左大。

「さーて、じゃあ吐いてもらおうかな~~。テメーらのアジトの場所」

 なるほど、捕虜を尋問するから追撃の必要はなかったということか。

 しかし当然ながら、素直に吐くわけがない。

「ふざ……ふざけるな。そんなこと言うワケ……」

「ふーん。じゃあ拷問すっか」

 さらりと恐ろしいことを口にした左大に、景は戦慄した。

「ええっ! いや、それは流石にマズイですよ!」

「大丈夫だいじょぶ! 後遺症残るようなことしねーから!」

 軽い調子で言う左大に取りつく島はなく、景は瀬織に救いを求めたが

「ほほほ……今世の拷問。どんなものか見てみたく思いますわあ」

 無駄なことだった。

「貴様の拷問など効くものか……」

「ほぉ~~? じゃあ試してみっか」

 言うと、左大はズボンのポケットから小瓶を取り出した。

 それは、どこにでも売っているような、大手食品メーカー製の劇物。

 一味唐辛子であった。

 左大は瓶の蓋を開けると、中身をぱらぱらと自分の掌に振った。まじりっけ無しの真っ赤な唐辛子の粉末が、大きな手に万遍なく振りかけられた。

 黒フードは何が起きるのか予測できず、左大の手と顔を何度も交互に見返している。

「おっしゃいくぞオラァ!」

 左大、黒フードのズボンに手をかけるやベルトを弾いて一気に脱がす。

 そして趣味の悪い紫色のトランクスの隙間から、唐辛子に染まった右手を中へと突っ込んだ。

「おお? おあ? おっ、おっ、おっ……」

 当惑に満ちた黒フードの悲鳴は、数秒後――

「おぉぉぅぅあぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 地獄の業火に焼かれる絶叫へと変化した。

 唐辛子の粉末を最もデリケートな粘膜に直接塗り込むという拷問。なるほど確かに後遺症はない。100%天然成分の口に入れてもあまり危険ではない劇物である。

 しかし同じ男としてその苦痛を想像できるがゆえ、景の表情は暗い。

 瀬織は意表を突いた拷問方法を満足げに眺めている。

「さーて、どっかの誰ちゃんよ。助けて欲しかったら洗いざらい話してくんねーかなあ?」

 痛苦に悶える黒フードに、左大は救いの手をちらつかせた。

 たかが唐辛子。この程度耐えてやると強情を張る黒フードだったが、いつまで待っても股間の炎が止むことはなかった。

「うぬぉ…お、おっ、おっ、おおおおおおお……」

「生憎だが、いつまで待っても痛みは変わらないぜ。こいつぁ以前、乾燥唐辛子をバラした手のままトイレに行って間違ってアソコに触っちまった経験から思いついた拷問でな~~っ。苦痛を取り除く方法は一つしかない。さぁ~~っ、どうするよぉ?」

「おぅぅぅぅぅっ、ぉっ、おっ……教える! 教えるっ!」

 敗北を認め、必死に頷く黒フード。

 言質を得るや、左大は黒フードの体を担ぎ上げた。

「じゃあ行くってみっかーーっ!」

 左大は庭の片隅に駐車してある軽自動車の助手席に黒フードを投げ入れ、自らは運転席のドアに手をかけた。

 背後では、未だに〈ウェンディゴ〉と呼ばれたゴリラ型傀儡が炎上している。

 遠くから消防車のサイレンが響き、防災無線も聞こえてきた。

『ただいま、つくし市北条地区にて住宅火災が発生しています。消防団の方は大至急現場に向かってください』

 これは流石に少しまずい、と瀬織は思った。

「あのぉ~、左大さん。燃えてますけどぉ……」

「オウ、後はよろしく」

「いやあの……」

 瀬織の話に聞く耳持たず、左大は全てを丸投げして軽自動車を発進。転回して敷地の外に走り去ってしまった。

「面倒を始末するつもりが……余計に面倒臭くなってしまいましたわ……」

 自らの予想を超える頭恐竜な人間に、瀬織は心ならずも翻弄されていた。

 瀬織は裏の里山の林に意識を向ける。そこには〈綾鞍馬〉が待機していたが、火災を鎮める機能は無い。自分には対処不能な事態ゆえ、〈綾鞍馬〉は林の奥に引っ込んだ。

 瀬織は塀の影に目を向ける。そこには〈雷王牙〉が潜んでいたが、火事なぞどうしようもないので無理だと首を振って、尻尾を落として後に下がっていった。

 そうこうしている内に、最大の脅威が左大家に近づきつつあった。

 消防車&消防士。サイレンはもはや至近距離。

「ねえ……どうするのさ瀬織……」

「ふふふ……さぁて、どうしてくれますかねえ……?」

 初めて相対する極めて面倒なシチュエーションに、瀬織は肩をすくめて軽く笑った。


 暗いタクシーの後部座席。

 園衛に宛てたメールを送信し終えてタブを閉じると、時刻表示が否応なく目に入った。

 23時20分。

 瀬織にとっては感情的には闇が心地良い時刻だが、世間体的にはよろしくない時刻である。

 タクシーの運転手の不審の目がミラー越しにチラつく。景は瀬織によりかかる形で寝息を立てている。

 こんな夜中に男子中学生と女子高生がタクシーを拾う時点で怪しまれて当然だ。

 左大の家での騒動から数時間後、県庁所在地の駅で降りタクシーを拾った時に、瀬織はさりげなく「弟と遊んでたらこんな時間になってしまいましたの~」と適当な嘘を吐いたのだが、目的地がまずかった。

 県庁所在地から直線距離にして20kmほど離れた海岸線を指定してしまった。

 周囲に民家はなく、国立の海浜公園と商業施設、大型貨物船が乗り入れ可能な重要港湾があるだけだった。

 真夜中の海にうら若き男女二人、何が起きるか分かったものではない。

 これは下手をすると通報案件ですわね……と瀬織は内心危惧した。

 現在の瀬織の立場上、公権力とはあまり関わりたくないのである。

 瀬織には戸籍も出生記録も存在しない。園衛の庇護下にあるからこそ人並に生活できる危うい存在である。

 警察や消防の捜査に巻き込まれると、少しばかり面倒なことになる。

 園衛の権力が及ぶ範囲内なら事は握り潰せるだろうが、この界隈で生活する以上、末端の公僕に不審がられるのは出来るだけ避けたい。

 そして暫くして目的の海浜公園付近に入ると、タクシーはにわかに速度を緩めた。

「お客さーん、本当にここで良いんですかあ?」

 運転手の声、かなり疑り深い。客というより厄介者を扱うような声色だった。

 こうなっては仕方ない。

 瀬織は「はあ」と小さく溜息を吐くと、シートベルトを外して運転席の真後ろに顔を寄せた。

「ええ。でも、もう少し先です」

「さき……?」

 運転手の様子が変わった。瀬織に精神を操作され、自己を失いつつある。

 催眠状態の運転手を導くように、瀬織は後からそっとカーナビのタッチパネル画面に指を置いた。

「ここに行ってくださいな」

「ああ……はい。そこですね。分かりました、お客さん」

 運転手は機械的に受け答え、瀬織の思う通りにタクシーを加速させた。

 この手はあまり使うなと園衛に言われたが、非常時なのだから仕方がない。

 カーナビの目的地は、海浜公園の更に先、港湾区画周辺の工場地帯だった。

 街灯もろくにない四車線の大型県道。両脇には無機質な工場と空地がどこまでも続く殺風景な夜道の途中で、タクシーは止まった。

 瀬織と景が降りてタクシーが走り去ると、周囲は無音の闇。工場が防犯用にうっすらと照明を点けている以外は、星の灯りだけが頼りの世界だった。

 なんとも不気味で馴染みが浅い雰囲気に、景は怯えて瀬織に身を寄せた。

「ね……ねえ、なんでこんな所に来たのさ……」

「左大さんの車、アレに追尾にしてもらったんです」

 アレとは、瀬織が指差した方向、三階建ての工場建屋の上にいた。

 星灯りにぼうっと黒い鳥のシルエットが浮かぶ。鴉天狗型傀儡〈綾鞍馬〉。飛行可能なこの傀儡を偵察機として用い、左大の車を追ったというわけだ。

「それに、ここの近辺は作業車両の会社の施設があるんです。ここに来るまでにすまほで調べましたが、その会社って少し前までは軍隊の装甲車も作ってたんです」

「だから、左大のお爺さんとも関係あるって?」

「推測ですよ。木を隠すなら森の中と言いますし」

 記録では、戦闘機械傀儡の近代改修に際して左大千一郎は軍需産業と深いパイプを作っていたという。完動状態の戦闘兵器を保全するとしたら、粗末な個人宅や倉庫より、こういった場所の方が可能性は高い。

 瀬織が闇の中へと目を凝らすと、敷地内に大量の重機が駐車してあるのが見えた。その施設には大きく〈NAKASUGI〉と会社のロゴが張り出されている。

 中杉製作所。日本シェアでは一位、世界シェアにおいても二位を誇る大手重機メーカーである。

 スマホに表示される地図によると、ここは中杉製作所の開発試験センターだそうだ。

 道路の反対側には、大手家電メーカーの工場もある。

 そこから50メートルほど間隔を空けて、大きな四角い建屋があった。

 コンクリートの壁は白く塗装され、一見すると周囲の工場の同類に見えるが、良く見ると少しおかしい。

 どこのメーカーロゴもない。窓も見当たらない。電線の類は他の工場同様に地下に設置されているのだろうが、排気口や空調システムも無い。

 トラックが何台も停められるほどに余裕のある敷地だが四方はやけに高いフェンスに囲まれ、外からの侵入を頑なに拒む。

 海からの風をまともに受ける四角い建物。

 その前に軽自動車が一台、路上駐車していた。左大の車だった。

 瀬織と景はその妙な建物の前に来た。

 敷地内に入るための唯一の入り口は、立ち入り禁止の看板ごとフェンスが破壊されている。

 厭な予想をしつつ、瀬織が目を向けると――ああ、いた。

「うっわあ……」

 探していた、あまり見たくもない蛇蝎のごとき――いや恐竜のごとき男がいた。

 左大億三郎。

 彼はマグライトを片手に、足元にポリタンクを置いて、建物にどう入るか思案しているようだった。

「あのぉ~……左大さん?」

 瀬織が不安げに声をかけると、左大はニタリと笑って振り返った。驚いた様子はなかった。

「よぉ~? 良くここが分かったな?」

 左大がニタニタと笑っている。こちらの苦労も知らずに。

「まあ、色々と……」

 瀬織は背後に目配せをした。闇の中に潜んでいた狛犬型傀儡〈雷王牙〉が己の存在を示すように、一瞬だけ角から電光の火花を散らした。

 傀儡に精通した左大は、それだけで自分を追跡できた理由を悟った。

「ほぉ? で、消防には何て説明したんだ?」

 左大が丸投げした火事の件だ。

 何だか左大に探りを入れられているような気もしたが、疑問としては当然だ。押し付けた面倒事は容易く回避できるものではない。火災現場、しかも謎の残骸が炎上中とあっては消防だけでなく警察沙汰になっても不思議ではない。

「消防の方々には、たき火ということで納得して頂きました」

 瀬織は、嘘を吐くのは馴れている。

 実際のところ、荒っぽい気質の消防士の半数には瀬織の精神操作が通じず「たき火なワケねーだろッ!」「あの燃えてるゴリラっぽいの何だよオイ!」と詰問されたが、直後に消防本部からの連絡を受け、消防士たちは渋々と帰っていった。単なるたき火として処理しろ、という園衛からの根回しである。

 左大も園衛の政治的影響力は知っているので

「ふぅん、あっそ」

 と適当な返事で納得した。

 今度は瀬織から二つ三つ、聞きたいことがある。

「捕虜の姿が見えませんが……」

「大体ゲロってくれたから警察署の前に縛って捨ててきた」

「拷問の方はどうしたんですの?」

 例のトウガラシ拷問の解毒方法が少し気になっていた。割とどうでも良いことだが。

 左大はポケットから小瓶を出してみせた。どこにでも売っている、食用ゴマ油の瓶だった。

「トウガラシの辛味成分カプサイシンは水じゃ洗い流せない。油に溶かして除去するしかねーのさ。どうやったかは……みなまで言わせんな」

 流石に瀬織もそこまで言わせる気はない。

 左大は建屋を観察して入口らしい入口がないと悟ると、車両用と思しき大きなシャッターにライトを当てた。

 そして、シャッターに拳を当てて何度かコンコンと小突いた。シャッターの厚みを確認しているようだ。

 瀬織と景が厭な予感を察知した。

 ああこれ絶対シャッターをぶち破る気だな、と。

 左大が実力行使の手段として自分の軽自動車に目を向けた時、シャッターの奥から声がした。

『億三郎……きたのかああああ……』

 金属の隔壁越しに響く震動のような声だった。人間の発声というより、電気的な音響装置の出力に聞こえる。

 左大は動揺した様子もなく、不敵に笑って答えた。

「ああ、来てやったぜ?」

『なら答えろ……。何をしに来た……。本当に必要だから来たのか……』

「開けゴマの呪文が必要かい?」

『答えろ……答えろぉぉぉぉぉ……』

 一方、夜の静寂に響く異様な声に、景は怯えて瀬織の服を掴んだ。

「え……ちょっと、なにこれ……。中に誰かいるの……?」

「いる、と言っても生きた人間ではないでしょうねえ」

 瀬織はシャッターの奥に人ならざる気配を感じていた。ここがどういう場所で、誰が何を仕掛けてあるのかも察しがついたが、今は当事者の出方を待つ。

 さて、問いになんと答えるのか――と注視した瞬間、左大は大きく振りかぶって、シャッターに向けて拳を叩きこんだ。

「俺の答はコレじゃオゥラー―――ッッッ!」

 剛腕の打撃がシャッター全体を震わせて、轟音と共に破孔が生じた。シャッター自体はさして厚くはない。左大の腕力があれば破壊できる程度の強度だった。

 何も考えない恐竜的直情と筋肉と、破壊のみに特化した頭脳は正しく左大億三郎という人間そのもの。

 これ以上ない、肉体的回答。

『そうだ……お前は……それでいいぃ……』

 シャッターの破孔から、相も変らぬ震動めいた声が響いた。

 そしてゆっくりと、シャッターは軋みを上げて開いていった。

 左大はポリタンクを持つと躊躇なく建屋内へと踏み入り、背後の瀬織たちに声をかけた。

「どうする? 景ちゃんは帰った方が良いんじゃねえの?」

 一理ある忠告だが、帰すつもりなら瀬織は最初からこんな所に連れてこない。

「あの連中に景くんのことは見られています。一人で帰す方が却って危険ですわ」

 自分が付いている方が景を狙われるリスクは少ないという判断だった。仮に人質にでも取られたら更に面倒なことになる。

 左大は「そうかい?」と納得したとも心配するとも取れるような声色で返すと、真っ暗な建屋の中をライトで照らした。

 見慣れない無骨な物体の一部分が暗闇に浮かび上がる。

 それは固定具に設置された大型の火砲だった。色あせた紙製のタグには〈三式破星種子島〉と記されている。他にもロケット弾ポッド、機関砲、迫撃砲などの現代兵器が無数に並んでいる。

 建屋の中身は、瀬織の予想通りだった。

「やっぱり、こういう場所に隠してたんですね」

 園衛に調査を依頼された左大家の隠し財産の在り処に、ついに辿りついたというわけだ。

 だが左大は財産を暴かれて取り乱す、といったありきたりな反応は示さなかった。

「俺の知ったことじゃないねえ。そもそも、俺もここに来たのは初めてなんだぜ」

「ご存知なかったと?」

「大体のあたりは付いていた。爺さんがこの辺に何か隠してるってのはな」

「恐竜型戦闘機械傀儡……持ってるような口ぶりでしたが?」

 先刻の左大の家での小競り合いで言っていた。「この程度の敵にジゾライドを出すまでもない」といった旨の発言のことだ。

「ありゃブラフだ」

「ブラフ?」

「連中の狙いをハッキリさせたかった。それも大体分かった」

 そういえば、あのデイビスという男は〈ジゾライド〉の名前を挙げて相当激昂していた。その確執の理由、彼らの正体を瀬織は聞かねばならない。

「あの人たち、なんなんですの?」

「むかーし……そうだなあ……60年くらい前に爺さんがイギリスのウェールズっでド田舎に行った時にブッ潰したカルトの生き残りだ、多分」

「それじゃちょっと説明が簡潔すぎるのでは……」

「詳しくは後で俺の書いた本でも読んでくれや。傀儡バトルヒストリー全6巻の第2巻『激斗! 欧州クソッタレ妖魔全殺し作戦!』編を参照だ。関係者に配布したのが園衛ちゃん家にあると思うからよ」

 左大の説明不足を瀬織が想像力と断片的な知識で補完するとしたら、恐らくはこうだ。

 あのデイビスなる男たちの一族はウェールズ地方で異端の神を崇めていた集団で、左大の祖父千一郎は多分にして恐竜を求めて彼らの集落を訪れた。その信仰対象が恐竜だと期待して。

 だが集落で崇められているのが恐竜ではないと知った千一郎と彼らとの間でトラブルが生じ、〈ジゾライド〉で集落を壊滅。彼らの一族は長きに渡って苦渋の日々を送る羽目になった……といった所か。

 尤も、カチナのような空っぽの人間を作っている時点でデイビス達一族が平和的な集団でないのは明らかなのだが。

「それはそうとして……あの人達の物騒な傀儡はなんですの?」

「ジゾライドを倒すために作ったんだろうな」

「どうして分かりますの?」

「あのウェンディゴってパチモンの肩についてた大砲な。ガンランチャーといって対戦車ミサイルも撃てるんだ。直撃ならジゾライドでもヤバい。だが兵器としては失敗作の部類だから、ブラックマーケットじゃ在庫がダブついてて安く大量に買えたんだろう」

「大量……ということは、あの一体だけでないと」

「連中の目的は、最強の戦闘機械傀儡ジゾライドを倒して復讐を果たすと同時に、裏の世界で名を上げること。そしてジゾライドから最強の座を取って代わったウェンディゴを売りさばく……と、そんな所だろうな。ま、爺さんが昔やったことの意趣返しってワケだ」

 左大のライトが何か巨大な物体を照らした。所々角ばった複雑な意匠は火砲のそれではない。

 ようやく建屋内部に照明が灯り、物体の正体が明らかとなった。

 整備用に足場に囲まれ、関節のサーボモーターを固定具、いや拘束具で固められた、巨大な恐竜型戦闘機械傀儡〈ジゾライド〉。

 写真で見たままの在りし日の姿が、完璧な状態で保全されていた。

 しかも、単なる保存ではない。モーターの駆動音と共に、大型のクレーンが巨砲を持ち上げた。155mm榴弾砲FH70。全長9.8メートル。〈ジゾライド〉本体よりも大きい。それが二門、クレーンで懸架され、ゆっくりと〈ジゾライド〉の背面ハードポイントに近づいていく。

 クレーンを操作しているのも、〈ジゾライド〉の回りで整備を行うのも人間ではない。人間と同サイズの傀儡、いわゆる空繰が黙々と作業を進めている。

 空繰は一般的には遠隔操作される呪術人形だが、機械整備といった複雑な作業は出来ないはずだ。

 複雑な命令を実行できるのは自律行動が可能な高位の空繰のみで、その数は決して多くはない。

 だというのに、周囲には〈ジゾライド〉を整備したり、弾薬や燃料を運ぶ人間サイズの空繰が数十体もひしめいている。

 その辺りの答も、瀬織には察しがついていた。

「勾玉に人格を移した人工知能……でしたっけ? この空繰さんたち、それを使ってますわね。実用化は断念されたと聞きましたが?」

 昼間に篝から説明された疑似人格人工知能。それが搭載されているのは確実だろう。

「生きてる人間とバッティングしちまうから実用化はできなかったんだろ? つまり、死人なら何人何十人コピーしても問題ないってこった」

 左大は首をくいっ、と上げて〈ジゾライド〉を囲む足場を見上げた。

「なあ? 爺さんよう?」

 目線の先には、〈ジゾライド〉の骨格標本めいた意匠の頭部。その傍らには、周囲の傀儡と同型の骸骨に似た汎用空繰〈祇園神楽〉が腰かけていた。

 否、正確には――

『その通りだ……億三郎』

 5年前に死んだ祖父、千一郎の複製品がそこにいた。

 きびきびと動く周囲の同型とは対照的に、千一郎は老人のような緩慢な動きで、危なっかしく足場を降りてきた。

 そして最後の一段を踏み外して、床に倒れた。硬い陶器がコンクリートに跳ね返る音がした。

『体の癖が……抜けやしねぇな……』

 感情に欠けたスピーカーのような声で、千一郎は呻いた。

 心配した景が、おそるおそる声をかけた。

「あの、大丈夫ですか?」

『痛みはない。この体には俺の記憶が入っているだけだ……。他の連中は知識だけが入っている。こびりついた妄執で、生きていた頃を真似て動くのが空繰。幽霊と同じだ』

 セラミックで出来た機械仕掛けの体を軋ませて、千一郎は立ち上がった。腰は老人のように曲がっている。

 その無機質な目が景の顔を見て、何かに気付いた。

『お前さん……北宮の……ひ孫か。大きくなったな……』

「会ったこと……ありましたっけ?」

『お前さんがずっと小さな頃にな。大きくなっても、あいつには似てない……な』

 景の曽祖父と千一郎は並々ならぬ関係だとは聞いていたが、そんなものは無縁の景本人にしてみれば対応に困る。

 だが千一郎の声には、ほんの僅かに感傷の揺らめきがあった。

 次に千一郎は瀬織を一瞥すると、首を傾げた。

『億三郎……こいつは、なんだ』

「見りゃ分かんだろ。女の子だぜ?」

『バカな。お前だって気付いているはずだ。俺はああいうモノと戦うために……』

「やれやれ……一回くたばっても頭ボケてるみてぇだな」

 左大は肩をすくめて溜息を吐いた。

 瀬織は自分の正体が悟られているらしいのは兎も角として、後に続く言葉が気になった。

「このおじい様……何を仰ってるんですの?」

「死ぬ前には会うたびに同じこと言ってたんだよ。『いつか人の作った神が人間を支配する』だの『神と戦えるのは神よりも前に存在した原始の力だけ』だの……。だから大金かけて恐竜のクローン作ったのが逃げ出して騒ぎになったりした。困った爺さんだったよ」

 左大は呆れた様子で、度を越した年寄りの奇行を嘆いた。

 そういえば、園衛が小型恐竜を素手で倒した云々の話や、クローリクが言っていた恐竜関連の都市伝説があったと瀬織は思い出した。

 全てが厄介な年寄りの哀れな妄想の結果……ということになる。常識的に考えれば。

(さりとて、元より非常識な方々を常識で計れるものでしょうか……?)

 戯言と切り捨てるには妙に引っかかると、瀬織は感じた。

 しかし、子細を千一郎に問い詰める時間はもう残されていなかった。

『億三郎……お前が来たのなら、俺はもう満足だ。墓守は墓に帰るとしよう……』

 どこか疲れたように千一郎は足場の階段に座り込んだ。

「往くのかい、爺さん」

『俺はもう逝く。俺の遺産はお前が使ってくれる。竜には戦場、俺には死に場所、お前には生き場所。相応しい全てが与えられる』

「そうかい。じゃあな」

 左大が簡潔な別れを告げた時には、千一郎はもうそこにはいなかった。

 人格のコピーが封入された〈祇園神楽〉の胸の勾玉は白く不活性化し、亡骸は二度と動くことはなかった。

 景には状況が上手く飲み込めなかった。

「えっ、あのお爺さんさっきまで普通に話してたのに……」

「幽霊ってのは未練を晴らせば消えてなくなるモンさ。爺さんは門番で墓守だった。自分自身を管理システムと認証装置にして、俺を待ってたんだろうよ」

「左大さんは……悲しくないんですか」

「爺さんはとっくの昔に死んだ人間だぜ?」

 左大には未練も悲哀も欠片もなかった。こぼれた水は器に返らず、時も命も有限にして巻戻ることはない。それが当然の断りであると、完全に割り切っている。

「お強い人間ですわね。本当、こういうのとは関わりたくないです」

 左大は、瀬織が最も苦手なタイプだった。こういう隙間のない人間は、操ることも付け入ることも出来ない。

「では、わたくし共はこれで……」

 瀬織が帰る素振りを見せると、左大は意外そうに目を丸くした。

「えっ、帰っちまうの?」

「帰りますわよ。わたくしが確認したかったのは、あの戦闘機械傀儡の存在だけです」

「付き合っちゃくれないのかい?」

 左大の凶暴な破壊の笑みに、瀬織は包み隠さぬ邪悪な本性の微笑で返した。

「あなた一人で十分でしょう? それに、夜中の乱痴気騒ぎは趣味ではありませんの」

 会話に取り残された景が、左大と瀬織の顔を交互に見た。

「二人とも、なに話してるの……?」

「面倒事の処理は左大さんにお任せする、ということです。まあ、警察に通報するのも一興ですが~?」

 瀬織は未だ事態を飲み込めない景の手を握ると、引っ張る形で姿勢を崩した。

 それと同時に、建屋の外に大量のエンジン音が集まってきた。10台もの大型トレーラーのディーゼルエンジンが、アイドリング状態で騒ぎ立てる震動と音は無視できない。それらが一斉に荷下ろしを始めた。明らかに周囲の工場関係の車両ではなかった。

 瀬織は景を抱き上げると、人間以上の脚力で〈ジゾライド〉の足場へ跳躍。それを更に踏み台にして、瞬く間に照明整備用のキャットウォークにまで飛び乗った。

「うぅわっ!」

「おっと、景くんお静かに」

 キャットウォークの端にうずくまると、瀬織は悲鳴を上げる景の口を手で塞いだ。

 瀬織と対面する形で密着した景の鼻孔に甘い香りが満たされる。どくりと胸が鳴るようなシチュエーションだが、それ以上の悪寒に景の背筋がぶるっと震えた。

 眼下では、シャッターが外部から打ち破られていた。破孔部分を〈ウェンディゴ〉の両腕が押し広げ、完全に破壊。大きく広がった亀裂から、20人を越すフード姿の男たちが侵入してくる。拳銃やテーザーガンで武装している者もいる。

 男たちの最後尾から一際大柄な人物、デイビス・ブラックが現れた。

「あっ……あの人たち、なんでここが……っ」

 尾行されたのか、それとも未知の追跡手段でも使われたのか、こうもタイミング良く現れる理由が分からない景に、瀬織は全ての予想外の答を告げた。

「左大さんが教えたんでしょう」

「はっ?」

「捕虜から携帯電話なり無線機を拝借して、それでこの場所を……」

「なっ、なんでさ!」

「あら? 答は簡単ですわ」

 瀬織はぐっと景に顔を近づけて

「ここで全員始末しちゃえば……後腐れありませんもの」

 毒花のように鮮やかに香り笑って、囁いた。

 少年と魔女の眼下にて、破壊と殺戮が開幕する。

「サダイィィィィィィ! 我らをわざわざ呼びつけるとは、大した自信――」

 デイビスの高らかな口上の途中ながら、左大は関係ないとばかりに、知ったことではないとばかりに、肉体言語を答として突進した。

「デイビスーーーーッ! もらったーーーーーーッ!」

 ああ、戦いの歓喜に奮える恐竜のような狂った男が、ここぞ己の生きる場所だと殺意殺傷に絶唱して、敵の群れへと襲い掛かる。

 右手に掴んだポリタンクの蓋は開封済み。その中身の液体をどばっっっとフードの男たちに振りかけた。

 鼻をつくは刺激臭。有象無象の男たちは一瞬で液体の正体に気付く。

 灯油である。どこのガソリンスタンドでも容易に購入できる燃料。そして容易に発火する燃料。体に付着し、揮発した状態で火器を使えばどうなるかは明白。その想像力と保身が判断を鈍らせた。

 一瞬の隙でも、左大にとっては必殺の瞬間。

「恐竜酔拳っ! カルノクラァッシュ!」

 剛脚恐竜カルノタウルスの蹴りを再現した一撃が。フードの男を顔面を砕く。即死。

「死ねオラこの野郎――――――ッ!」

 格闘戦の間合いに入った左大の必殺恐竜酔拳の前に、フードの男たちは無力だった。

「すぅいてぃ~~~っっっ?」

「ぬぅえぶるぅ?」

「でごぽんっっっ!」

 拳で砕かれ、蹴りで潰され、断末魔の奇声と共に死体が続々と増えていく。

 腕力、技量、殺意、判断力、全てにおいて左大に及ばぬ戦場劣等種に生き残る道はなかった。

 ものの3分と経たない内に、血煙舞う建屋の中には左大とデイビスの二人だけが立っていた。20人の手勢は赤黒い血だまりに浮かぶ肉塊と化していた。

 デイビスの表情には明らかに恐怖、狼狽が張り付いていた。

「きさっ……きさ、貴様ァ……! ナニを……っ、なっ、なっ、なっ……ナニを考えて……ッッ」

「あぁ~~~ん?」

 左大は口をぼかんと空けて、莫迦にした様子で首を傾げた。

「デイビスゥ……でぇぇぇぃびすゥゥゥゥ! なぁに寝言ほざいてんだテメーわよ~~? 殺るか殺られるかでここに来たんだろうが、このポンカン野郎がぁ~~~」

 そして、まるで無防備に、真正面からずかずかとデイビスらに歩み寄って行く。

 デイビスは無意識に後ずさっていた。

「お……お前は……おかしい……狂っている……」

「ゴリラメカで人様の家にカチコミかけるカルト野郎がそれ言うか? 自信を持てよデぇイビス~~。俺よりお前らの方が5000倍狂ってるぜ」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ?」

 デイビスが疑問と理解不能の悲鳴を上げた。

 左大の狂った凶暴な顔が、デイビスの目の前にまで来ていた。

「お前らって1500年くらい変なトカゲを拝んでたんだよな? 生贄にするために町から人攫って食わせてたんだよな? ほら、すげーイカレてるじゃん」

「トカゲじゃあない! ズライグ! ドラゴンだッッッ!」

「恐竜じゃねーんならトカゲだろ。で、そのトカゲと話をするための巫女を作ってた。赤ん坊の頃から。何の知識も感情もない更地みたいな人間を。やっぱ超絶イカレてんじゃん。忌憚のない意見って奴だぜ?」

「我らの歴史を愚弄するか……ッッ」

 デイビスは気勢を張らんとしているが、完全に気圧されている。

 左大はデイビスの肩を、いたわるようにボン、ボン、と二回叩いた。

「逆だよ。誉めてんだよ。夢の21世紀だっつーのによ、未だに変なトカゲ拝んでるクソカルト集団が俺個人に戦争ふっかけによ、わざわざウェールズのド田舎から来てくれたんだぜ~~? ここまで最高に愉快に狂ってる奴らは古今東西他にいねぇ~~っつ~~の!」

 そして、左大は真正面からデイビスの目を覗き込んだ。

「自覚しろデイビス、テメーらは狂ってる。人類史上トップクラスに狂ってる。超究極SSRのレア物! 排出率0.001%以下のクソガチャから生まれた奇跡!」

「なぁ……っっっっ?」

「断言するぜ。テメーら一族の歴史は腐ったグレープフルーツに生えた青カビ以下! ヨッ! 発狂一筋1500年!」

 意味が分からない、だが確実に民族の全てを極上に侮辱されたのをデイビスは理解できた。狂気の一端を理解してしまった。

 その瞬間、デイビスの中に溜まった感情の堤にヒビが入った。

 デイビス・ブラックという存在が、暴れ狂う感情と共に崩れ落ちていく。

「ふうっ……ふっっっっっっっ……」

 口をすぼめた途切れ途切れの呼吸。一呼吸の度に、デイビスの虚飾と人間性が吐き出されて、彼の者は人ならざる

「ふざけているのかぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~ッッッッッッッ!」

 激情の竜と化して、吼えた。


 デイビスたちの祖先は1500年ほど前、サクソン人との抗争に敗れてウェールズの山中に逃れたブリトン人の一派だと伝えられている。

 傷ついたまま冬の山中をさまよい、力尽きる寸前の彼らは自分たちと同じくサクソン人に打ち負かされ、住処を追われた黒竜と出会った。

 祖先たちは仲間の中で最も弱った者を贄として黒竜に与え、黒竜は対価として炎で彼らを温めた。

 これが、祖先と黒竜との最初の契約だった。

 以来、黒竜との契約を頼りにウェールズの荒涼たる山中で生きることを選んだ。

 下界の村から同じブリトン人を、時には海を渡ってサクソン人を攫って、黒竜に生贄として捧げた。

 黒竜は井戸を掘り、森を焼いて切り拓き、一つの集落が生きていける程度の恩恵を与えてくれた。

 実益を伴う信仰による、原始的な契約社会が成立していた。

 黒龍への信仰は、彼らにとっては当たり前な生活の一部だった。

 倫理的な良いも悪いもない。他の宗教との優劣など論ずる意味もない。

 そもそも。黒竜が人間以上の力を持っているとしても所詮は同じ敗北者なのだ。敗者が優位を語るなぞ滑稽で惨めなだけだ。

 そうして1500年間、竜に慎ましく人間を食わせて生活してきた。

 産業革命以降は農民が減ってしまったので都市部に、時には遠くロンドンまで人攫いに出かけることも増えた。人工の密集した都市での誘拐は容易で、労働者が失踪した所に気に留める者もなく、却って容易でさえあった。

 ヨーロッパ全土を巻き込むような大きな戦争が起きると、生贄の調達は更に簡単になった。

 十人単位で拉致を行っても、徴兵逃れの雲隠れだの、ドイツ軍の工作員の仕業だのと勝手に噂が広がって事実を有耶無耶にしてくれた。

 その頃になると都市に紛れ込んだ一族の中には有力者に昇りつめた者もいれば、まんまと議員になった者もおり、拉致は更にやり易くなった。

 更に時は過ぎ、二度目の大戦も終わって20年ほど経った頃、おかしな東洋人がやってきた。

「ハロー! ワターシはセンイチロー・サダーイと申します!って、ウェールズって英語通じんのか?」

 お付きのガイドに「イギリスデースから! 通じマースよ普通に!」と叱られ、ぬははと悪びれる様子もなく笑う大柄な東洋人。

 彼は、左大千一郎という日本人だった。

 千一郎を含めて日本人が十人と、イギリス人のガイドが一人。この地方の風俗や伝承を調べに来たのだという。

 連中は、山道にやたら大きなトラックで乗り付けてきた。

「俺は世間じゃ恐竜おじさん、アンクルDとも呼ばれてるのよ~。ホラ、こんな風に手当たり次第に恐竜のオモチャ配るから!」

 と、千一郎は親しげに子供たちに恐竜のゼンマイ玩具や、ソフトビニール人形を配付していた。

 自分たちを辺境の部族と思って莫迦にしているのか、あるいは単純に子供好きなのか、いずれにせよ良いカモだと思った。

 黒竜は外国人の肉を好む。

 食べている物がイギリス人とは違うので味が違うのだと、巫女を介して言っていた。

 数日間、純朴な田舎者を装って千一郎たちをもてなし、適当に集落を案内した。

 千一郎はしきりに

「この辺に恐竜の化石とかない? なんかこう、ドラゴン的な伝説とかさ」

 と聞いてきたので、自分達の素性がバレているのかとも危惧したが、観察する内に単なる恐竜バカだと確信を持った。

 何の脅威もない、いつも通りの無力な生贄の肉だと――勘違いしてしまった。

 生贄として一行を始末すると決めた夜

「ワタシ、この調査が終わったら息子にブラキオサウルスの模型を買ってあげるんデース!」

 などと談笑していたイギリス人のガイドから締めることにした。

 ガイドが用を足そうと屋外のトイレに向かった所を狙った。背後からロープで首を絞めて窒息させた。辛うじて息はあるが脳はほぼ死んでいる。こうすると、イキが良いので黒竜が喜ぶ。

 後は、日本人たちが寝静まってから一網打尽にする予定だった。

 ガイドを引き摺って運ぶ途中で、千一郎に見つかるまでは。

 瞬く間に千一郎に村人が数人撲殺され、豹変した日本人一行が村に火を放った。

「優しい村人装ってぇ、その正体は人食いカルト軍団ってパターンかよあーーーーっ! こういうパターンはよ~~~っ、戦争中に大陸で慣れっこなんだよオラー――ッ!」

 千一郎に投げ飛ばされた村人が煉瓦の壁に頭から粉砕突入。即死。

 村の一族は千一郎たちを見誤っていた。

 彼らは無知な学術調査隊などではなく、恐竜の化石収集目的でやってきた頭のイカレた破壊的戦闘集団であったのだ。

「ジゾライドォ! 起動ォ!」

 千一郎がスターティングハンドルを豪快に回転させ、ガソリンエンジンが始動。トラックの荷台の屋根を突き破り、夜天に赤い眼光が映え、ティラノサウルスの咆哮が響き渡る。

 戦闘機械傀儡〈ジゾライド〉が、山中の村を破壊し尽くすのに30分とかからなかった。

 更に、〈ジゾライド〉は黒竜の住まう洞窟にまで攻め込もうとしていた。

「やめてくれぇ! 頼む! ワシらの神まで殺さんでくれぇ~~っ!」

 足にすがりつく村の長老を、千一郎は無慈悲に蹴とばした。

「テメーらは殺しまくったくせに自分らは殺されたくないだぁ~~~っ? 脳ミソ温州ミカンかよあ~~~っ?」

 黒竜も抵抗した。

 炎を吐き、爪で切りつけ、牙で噛みついた。

 だが、鋼鉄の恐竜には全てが無意味だった。

 炎は装甲の表面を焦がすのみ。爪は逆にチタニウム製のプレッシャークローで握り潰された。

 そして噛みついた牙ごと〈ジゾライド〉に上下の顎を掴まれた。そのまま黒竜の長い首がチーズのように真っ二つに引き裂かれて、竜は死んだ。

 黒竜の亡骸を、〈ジゾライド〉は何の関心も持たずに投げ捨てた。もはや一顧だに値しない虫けらであるかのように。

 夜が明けるころ、千一郎たちは村の四方の山肌にダイナマイトを仕掛け、爆発させた。

 崩れ落ちる山肌に瞬く間に村は飲み込まれ、全てが土砂に埋没した。

「悪は滅びた! ぬははははは!」

〈ジゾライド〉を傍らに、千一郎の高笑いが朝焼けに響き渡った。

 この惨劇で生き残った村人は数人。三百人以上が撲殺され、あるいは〈ジゾライド〉に踏み潰され、土砂の下に埋められた。

 数日後、ウェールズのポーイズ地区の地方紙に〈日本人探検家、山中の邪教集団を壊滅せり!〉と題した記事が掲載され、一族の黒竜信仰や生贄拉致の一切が暴露されたが、その翌日の朝刊には〈山中の集落が地滑りで全滅〉との訂正記事が掲載された。恐らくは政治的判断による隠蔽工作だろう。

 その更に一週間後、一族出身の議員が海に投身自殺。「私は恐竜に殺される」といった不可解な内容の遺書を残して。

 生贄の拉致のために都市部に出張っていた二十人程度の生き残りは、故郷も後ろ盾も失って孤立した。

 それからの生活は悲惨だった。

 財産も収入もろくにない生き残り達は、不景気のイギリス社会でホームレス同然の暮らしを強いられ、屈辱の日々を送った。

 故郷と信仰の喪失は、民族としてのアデンティティの喪失に等しい。

 生贄の収穫、人ならざる存在に寄りそう生活、自分達にとっての当たり前が失われてしまった苦痛を、誰が理解してくれるというのか。

 一般社会に溶け込めず、孤立無援の黒竜の一族は何十年と漂泊した。

 転機が訪れたのは1990年代、欧州連合の成立だった。

 ヨーロッパ諸国は国の垣根を超えて経済的な繋がりを強めた。そこに付け入る隙があった。

 安価な労働力として導入された移民を利用した犯罪で資金を稼ぎ、それを元手に格安の旅行会社を設立した。これは一種のペーパーカンパニーであり、輸送名目で旅客機を飛ばすなどのイリーガルな手法で低品質な航空サービスを安価に提供する商売だった。

 安い価格に釣られたバカな旅行者をカモり続け、墜落事故を起こすまで十分に稼ぐことが出来た。

 これは登記上の会社はイギリスにあるが、書類上の本社はエストニア、無人の事務所はスウェーデンにあるという出鱈目な経営実態であり、警察当局の捜査を大いに撹乱し、事件はスケープゴートの社員数名の逮捕で終わった。

 こうして溜めた資金で、一族は故郷の村を掘り起こすことが出来た。

 ミイラ化した黒龍の亡骸も回収し、その霊体のサルベージに成功した。

 黒竜の魂と対話するための巫女の作成も再開された。適当に攫うか買ってきた赤子に目を覆い、耳を封じ、栄養だけ与えて何の感情も知識もない空っぽの素体を作る。

 素体には黒竜から採取した竜血を点滴し、体質的に竜に近づけていく。適応しない者は途中で死ぬが、代わりはいくらでも補充できた。

 デイビスの代になって、一族は復興の兆しが見え始めた、

 幼少の頃から聞かされ、連綿と伝えられてきた恨みを晴らす時が来たと確信した。

 歴史を、文化を、人並の生活を、全てを奪った諸悪の根源、左大千一郎への復讐に備え、準備を始めた。

 とはいえ、大量の戦闘機械傀儡を保有する全盛期の左大家に対抗するのは、戦力的にも経済的にも不可能だった。結果的に左大家が没落し、戦闘機械傀儡の大半が失われたのは天佑と言わざるを得ない。

 ヨーロッパの魔導関係者の間には、戦闘機械傀儡に近似した魔導兵器を作る技術が成立していた。

 かつて左大千一郎が大量にリースした戦闘機械傀儡を真似た、テクノ・ゴーレムと呼ばれる科学的魔術人形である。恐竜型戦闘機械傀儡の再現は出来なかったが、近しい物は作れたという程度の物で、完成度も戦闘能力も本家には遠く及ばない。

 このテクノ・ゴーレムを、ブローカーが半ば詐欺に近い形でデイビスたちに売りつけた。

「これさえあれば、サダイのレギュラスに雪辱戦ができますよ」

「設計も生産ラインもこっちで用意しましょう。あなた達はレギュラスに勝ったテクノ・ゴーレムを売れば良いんです」

「勝てるかって? もちろん勝てますとも! レギュラスといっても現代兵器との戦いは想定していない。対戦車ミサイルには耐えられません」

 知識に乏しいデイビスたちは、ブローカーの用意した試作機を見て購入契約を結んでしまった。

 最初に納品された対レギュラス用テクノ・ゴーレム試作2号機〈ウェンディゴMk.2 局地戦限定型〉は大出力のガスタービンエンジンを主機として人工筋肉で滑らかに駆動し、最新型のレーダーと連動した火器管制システムで標的に正確に対戦車ミサイルを撃ち込んだ。

 だが、それはあくまで試供品で、コストダウンされた東欧某国の下請け工場の量産ラインで生産された〈ウェンディゴ〉は工作精度も低く、エンジンも型落ちした重機用ディーゼルエンジンを流用。武装や火器管制システムも簡略化された、お粗末な代物だった。

 それでも対戦車ミサイルを発射可能なガンランチャーが主砲だから大丈夫! と説得もとい押し切られ、24体の〈ウェンディゴ〉が納品された。試作機2体を含めれば合計26体である。

 兵器に頼るだけではなく、デイビスは自分自身をも鍛えた。

 千一郎の孫がふざけた恐竜拳法を動画配信しているのを知り、奴を捻じ伏せるために己も拳法を編み出した。

「奴が恐竜なら! 俺はワイバーン! 我らの黒竜を象った飛竜の拳でぇっ、奴を叩き伏せてくれるわ~~~っ!」

 プロの格闘家をトレーナーとして雇い、最新のトレーニング機器を用いて肉体を鍛えて鍛えて鍛え抜いて、仕上がったのは――

 飛竜!

 デイビスたちの信仰していたズライグ、飛竜のごときしなやかで強靭なる肉体! デイビス自身も鏡の前で思わず見とれた。

 今や動画の中の左大億三郎に負けぬ鋼鉄のドラゴン・マッスルを完成させたのだった。

「この俺の竜の筋肉と竜の技でぇ……貴様を殺すゥぇ!」

 万感の思いを込めて、デイビスは左大億三郎の恐竜酔拳動画の映るモニターを拳で叩き割った。

 26体の〈ウェンディゴ〉と、最後の切り札たる新型テクノ・ゴーレム3体は分解し、大型重機名目で日本国内に運び込んだ。

 小さな銃器類の持ち込みは困難でも、大きな機材ならば割と誤魔化しが効くものだ。税関の担当者がテクノ・ゴーレムの部品を見ても正体が分かるわけがない。

 この戦いは、デイビスたち一族にとって復讐であると同時に、民族の大切な儀式でもある。

 失われた信仰と誇りを取り戻すための復讐の儀式。

 絶対に失敗は出来ない。絶対に成功する自信がある。

 今や戦力でも財力でも、デイビスは左大を上回っている。

 落ちぶれた中年一人、時代遅れの戦闘機械傀儡一体、捻り潰すのは造作もない。

 負ける要素も一つもない――

 はずだった。


 現実として、デイビスには敗北と死が迫っていた。

 ようやくここまで増えた一族の同胞の半数にあたる20人は、あっさりと殺し尽くされて辺りに転がっている。デイビスと苦楽を共にした彼らの送ってきた人生は一瞬で無意味になった。

 俺たちの人生はなんだったのか。ここまでの苦労はなんだったのか。

 死んでいるのは全員、子供の頃から知っている顔ばかり。

 一緒に町のスーパーマーケットから菓子を盗んだこともある。自分達を貧乏人と見下したイギリス人のガキ共を10人の手勢でシメて全裸に剥いて学校の校門に晒したこともある。組織犯罪を始めた頭の頃には、スウェーデンでケチな詐欺と恐喝で稼いだは良いものの、現地の中東系移民と取り分で揉めてケンカになったこともあった。あの時は殴り合いで負けて9割持っていかれたのを全員泣いて悔しがった。

 青春時代と哀しき過去の思い出が駿馬のごとく駆け巡り、愕然と目を見開くデイビスを、左大は鼻で笑った。

「フ……ギガノト哀れな奴」

「はっ……?」

 わけの分からない言い回し。だが虚仮にされているのは分かった。

「哀れだとぉ……?」

「弱い。お前は弱い。哀しいほどに弱っちい。狂ってるくせに何でそんなに弱い? くだらねぇ形式だの段取りだのに拘ってるからお前らは負けたんじゃあねぇのか? 俺に勝ちたいなら、初手からとっとと家にミサイルぶち込みゃあ良かったんだよ」

 それでは儀式にならない。本懐を果たせない。単なる復讐をするなら、わざわざこんな大がかりな仕込みをするものか。

 それも全て分かったような顔で、左大は不敵に凶暴に笑っている。

「今からでも遅くない。こだわりなんぞ捨てちまえ。手段を選ぶな。目の前の敵を倒さなきゃお前もここで死ぬ。後先なんぞ考えてる余裕があるのか? え?」

「貴様に何が分かる……。後先考えずに突っ込むだけの猿以下の爬虫類野郎め……。貴様なんぞに一族の命運、未来を背負う責任の何が分かる……!」

「女々しいんだよデェェェイビスゥ。負け犬の泣き言ォ~~」

 左大は胸を張って首を上げて、強引にデイビスを見下ろした。

「デイビスよォ……。お前も俺と同じになれ」

「なァにぃ~~……?」

「戦いのために全てを捨てろ。狂人らしく脳ミソのリミッターを外せ。ただ目の前の敵を殺ることだけを考えろ。未来も明日も一時間後も、生き残ってから考えろ。一秒先も那由多の果て。思い馳せるだけ無意味の極致ィ!」

 この、狂った男の戯言を聞かされる度に、一呼吸の度に、デイビスは頭の中から人間性が失われていくような気がした。こいつの狂った思考に引き摺られて、ごっそりと頭の奥から何かが抜け落ちていく。

 まだ理性がある内に、一刻も早く儀式を進めねばならない。

 本当の目的のために過程を踏まねばならない。

 だから、この左大という狂人は、鍛え抜いた肉体と拳法で黙らせる。

 デイビスが右足を上げ、左足のみで立つ。

 それはワイバーンの構え。彼の一族が長年信仰し、共に生きてきた黒竜を模した殺人拳法のスタイル。

「死ねぇいサダイ―――――ッ!」

 右足の踏み込みと同時にデイビスの超音速の手刀が左大めがけて殺到した。パンパンパンと音速突破の空烈音が無数に重なる。手刀の連打はワイバーンの爪の猛攻そのもの。服を引き裂き、肉を千切り、骨をも磨り潰す。

 いける! 効いている! 勝てる! 勝てるぞ!

 デイビスは指先に感じる。確かな手ごたえ。人体を破壊し、血飛沫迸る生臭い勝利の芳香!

 空烈音が鳴り止む。周囲の空中には微細に粉砕された服の残骸と血煙が漂っている。

 血煙が晴れれば、胸を抉られ立ったまま意識を失った左大の無様な姿があるはずだ!

 しかし次第に、デイビスの表情から勝利の笑みが消えていった。

 血煙と上昇気流に乗るのは衣服の繊維のみ。

 露わになった左大の胸板には傷一つついていない。逆にデイビスの爪が剥がれ落ちていた。

 人体の破壊される感触とは、デイビスの指先が破壊される感触だったのだ。

「ばかなぁ~~~~っ……」

 何ゆえに、こんな結果になったのか。

 その答は左大が教えてくれた。

「フーッ! 恐竜酔拳! アンキロアーマーッ!」

「はぁぁぁぁぁぁぁ?」

 何もかも意味が分からず大口を開けるデイビス。

 左大が胸に力を込めると、ブッッッという音と共に爪の欠片が排出された。

「アンキロサウルスの近縁種ノドサウルスは完全なミイラが発掘されている。見た目が分かっているのだから、その呼吸方法や筋肉の動きを真似るのは容易! 俺はアンキロサウルスの無敵装甲を人の身で再現したというわけだぜ」

 要は中国拳法における硬気功の同種なわけだが、左大の人知を超えた超理論を突きつけられ、デイビスはもはや何も言えなかった。

 アンキロアーマーの無敵装甲の前には、ワイバーンの爪など爪楊枝以下であったのだ。

「のぉぉぉっ、おっ、おっ、おっ……そんな………こんなの納得できるわけ……」

「次は俺のターンだぜデイビス」

 左大は臍下丹田に力を込め、両手の爪を立てた。

「テメーがトカゲの爪なら、こっちは黄金の爪! いくぜ!」

 呼吸が唸り、アンキロサウルスの胸の躍動が人体で再現される。

 生命の危機を察したデイビス、もはや逃げる暇なし。

「恐竜酔拳! 黄金砲撃千連射(アンキロ・ローリング・ガンブラスター)―――――――ッ!」

 左大の両腕が円を描きながら超高速の指突をデイビスの全身に撃ち込んでいく。

「ほぎぃっ! ぶぎっ、ぎっ、ぎっぎっぎっぎっぎっぎぃっ……っっっっ!」

 刺突の嵐に晒されたデイビスは水風船も同然だった。

 肉体が破裂する寸前でデイビスは後方に跳んだ。刺突連打の勢いで吹き飛ばされ、シャッターにぶち当たって金属音を響かせた。

「黄金砲撃千連射……肉食で獰猛なアンキロサウルスの一種が持つ千本針を再現した攻撃よ」

 左大がまたわけの分からないことを言っている。アンキロサウルスは草食だし、千本針を背中に持つ種類もいない。

 デイビスは死の間際にいた。

 とっさに後に跳んでダメージを減衰したとはいえ、ぶ厚い胸板には無数に風穴が空いている。左大がその気なら、一秒後には頭を潰されて死ぬ。

 この生死狭間には、もはや打算も形式もなく。脳の奥の原始的な生存本能が無意識に、ただ目の前の脅威から己を守ろうとしていた。

「ころせ……奴を……ころせぇ……」

 デイビスの体がめり込むシャッターのすぐ脇には、〈ウェンディゴ〉がいる。

『しかし宗主……ここで奴を殺してしまっては……』

「しぃぃぃぃぃ……っっっっ」

 戸惑う〈ウェンディゴ〉の操主に、デイビスは喉を震わせて叫びを振り絞った。

「早くころせと言っとるだろうがァァァァーーーーッ! 俺を殺す気かっっっこのダボカスがァーーーーーーッッッ!」

 血と唾を吐いて必死の形相でデイビスが吼えた。

 その姿、その声に、左大は心底喜ばしく笑った。

「そうだ! お前が決めた全力の戦いの中でなら! 俺はお前に殺されてやっても良い!」

 左大は両手を掲げてデイビスの感情を迎え入れる。

 自分と同じ死線の向こうに達した同胞を歓迎する。共感者と成り得る一匹の竜を祝福する。

〈ウェンディゴ〉の肩に装備されたガンランチャーからの、対戦車ミサイルというデイビスからの最適解が左大の真横を通り過ぎ、壁に当たって炎が爆ぜた。


 建屋の中に血風熱風が吹き荒れる最中、瀬織は景を連れて外に脱出していた。

 千一郎が〈ジゾライド〉と各種装備を保管するために作った門外不出の格納庫とはいえ、公の建築物として作られた以上は消防法に則った構造でなくてはならない。

 つまり、災害時に使用する非常階段が必ず設置されている。

 混乱に紛れて、瀬織は誰にも見つからずそれを見つけて、まんまと建屋の裏手に降りたというわけだ。

 しかし、逃げた先はフェンスで閉じられている。肝心の道路側はデイビス一派のトレーラーで埋め尽くされており、流石に今の装備で正面突破する度胸は瀬織にも無かった。

「あーあ、面倒臭いですわねえ~。雷王牙さん、いるんでしょう?」

 闇の中に呼びかけると、ぬっと〈雷王牙〉の白い顔がフェンスの向こうに現れた。

「ここ、開けてくださいます?」

 瀬織の要請に対し、〈雷王牙〉はぐうと喉を鳴らして渋って見せた。

 それくらい自分でやれ。お前のくだらない命令なぞ聞きたくない、といった態度だ。

「ちょ……わたくしは兎も角、景くんもいることお忘れでは?」

 善なる空繰は人間の味方である。守るべき対象がいるから仕方ないと、〈雷王牙〉は不承不承に爪を一閃。切り裂かれたフェンスの金網がベロリと捲れた。

 逃げ支度を進める瀬織の後で、景は不安げに建屋に振り返った。

「左大さん、一人で大丈夫なの……?」

 戦闘に突入する直前には場を離れていたので、景は左大がどうなったのか知る由もない。

 瀬織は戦闘の経過は大体の想像がつくので、景に惨劇を見せずに済んで良かった程度にしか思っていない。

「心配はないと思いますがあ?」

「助けに行ってあげないの?」

 景が懇願の視線を向けてくる。

 それがたまらなく、くすぐったくて、思わず瀬織は前に向き直った。

「あ~……やめてくださいまし。そういうお顔……。わたくし、人の願いを受けるのに弱いの知ってるでしょう? 大体、わたくしの仕事は隠し財産の探索であって、左大さんの警護ではありません」

「でも、面倒事の始末をつけるって言ったじゃない」

 面倒事には、デイビスたち一派の対応も含まれている。

 瀬織は困ったように溜息を吐いた。

「はぁ~~……。あのですね、景くん。頼まれた以外の仕事をする、というのは経営者目線ではありがたいかも知れませんが、労働者目線では愚の骨頂でございますよ? たった一度の善意でも、それは上手く利用されて果てしない譲歩と後退に繋がるのです」

「そういう話じゃなくて! 人が死にそうなら助けるのが普通でしょ!」

 打算ではなく情の話、というのは瀬織にも分かる。

 常識的に考えれば丸腰の男一人が武装した数十人に敵うはずもない。素人目にはそう映る。

 戦う力を持っている瀬織が〈雷王牙〉と〈綾鞍馬〉を使って介入すれば助けられる、“かもしれない”という淡い期待も理解できる。

 だが全ては、実戦を知らぬ景の甘い考えでしかない。

「景くん。実戦の勝敗は単純な数で決まるものではありません。戦いの経験と技術、そして何より相手を殺すという覚悟と気迫こそが肝要。恐らく、負けるのはデイビスさん達です。それも全滅でしょう」

「そっ……そんな簡単に……何十人も殺すって……」

 冷たく現実を述べる瀬織に、景は狼狽えた。

 以前に空繰や荒神との戦いを見たとはいえ、景は現代日本に生きる普通の少年だ。瞬時に何十人もの人間が死んでいく様など想像もできない。全く無縁の世界に考えが及ばないのは当然だ。

「左大さんは……なんというか、生まれる時代を間違った人なんですよ。1000年前の日の元はああいう方ばかりでした。なんなら、景くんのひいおじい様も同じ種類の方でした」

「人を殺すのに躊躇とか……ないの」

「わたくしからすれば、自分を殺そうとする人間に囲まれながら『殺したくない』と情けをかける人間の方こそ狂っていると思いますわ。自分の命より他人を心配できるほど余裕があるのでしょうか?」

 瀬織の現実主義に、景は何も言い返せなかった。

 仮に、自らに殺意を向ける敵に対して余裕があるほどの実力差があったとしても、下手な情けをかけるのもまた戦を知らぬ素人の考えである。

「左大さんが何となく寂しそうだった理由、今なら分かりますわ。戦う力を持っているのに自分に相応しい戦場がない。力を存分に振るえる相手も場所もない。あの方は、戦場不在の孤独な竜というわけです」

「だから戦うのが嬉しいって? 自分が死ぬとか……思わないの?」

「もちろん、自分が死ぬ可能性も込みで刹那を満喫するのです。左大さんにとって、デイビスさん達は待ちにまった互角に戦える好敵手なんです。たとえ文化の異なる敵同士でも、剣を交えて理解し合える戦いの妙味がある……と昔、偉い方が仰っていました」

「誰が言ってたのさ」

「阿倍比羅夫という方です。蝦夷との戦いで何度か扈従した折に、お話を聞く機会が――」

 話の途中だが、景が聞き慣れない言葉の羅列に目を白黒させているので、瀬織はこの辺りで止めることにした。

「アベノピラフ? コショウ?」

「うーん、まあそのうち、日本史で習うと思いますわ」

 瀬織が切開されたフェンスを潜り、敷地の外に出ると、建屋の中から爆発音が聞こえた。空気を伝わった衝撃が耳から入り込み、震動が全身に浸透した。

 景は、この感触に覚えがあった。

「ねえ……これって爆発じゃないの」

「でしょうね」

 戦場の空気が変わったと、瀬織は察した。

「あのデイビスという方、戦いの中で一皮剥けたようですねぇ」

 左大を殺すつもりはない云々と言っていたので、何か思惑があったようだが自らの死と直面したことで吹っ切れたのだろう。

 いや、正確には左大が意図的に誘導し、自分に相応しい敵として鍛え上げたのか。

 追い込まれたデイビスがもはや手段を選ばず、〈ウェンディゴ〉の火砲を使ったのは想像がつく。

 こうなると、戦いの結果は分からなくなってきた。

「さて、どうしましょうねえ~? わたくしは、とっとと逃げてしまいたいのですが~?」

 ちらり、と横目で景の様子を伺う。

 何か言いだけに、上目遣いでこちらを見ている。それがたまらなくいじらしく、瀬織は痺れる。

 景の要求が分かっているから、瀬織は少しばかり景を苛めてやるのだ。

「景くん、勘違いされていませんか? わたくしは別にイイモノではないのです。縁の薄い人を助けてさしあげる義理は欠片もございません。ぶっちゃけた話、景くんに害がなければ他の人間が何千、何万死のうと知ったこっちゃないのですよぉ~?」

 愉快げに、半分本心で瀬織は邪悪に嗤った。

 こうして景をどんどん要求を口に出し難い状況に追い込んであげたい。

「左大さんを助けたいのなら……ほら、電話で警察に通報すれば良いのです。でも、そしたら大騒ぎですよね~? 明日の朝刊載っちゃいますよね~? 一応親戚だから、園衛様の所にも取材きちゃうかも知れませんね~? それに何より、今世の警察は犯人の逮捕がお仕事であって、やっつけるのは仕事ではないのです。つまり、捕まえてもデイビスさん達はお役所仕事で国外退去。またやって来るかもですね~? ほほほほ……」

 瀬織はくるりと回って頭を下げて一礼すると見せかけて、下からくいっと景の顎を指で押し上げた。

「景くぅん……わたくし、これでも一応神様のはしくれなんです。人が神様にお願いをする時、何が必要ですか?」

「お……お賽銭とか……?」

 間近に迫る香り立つ暗黒の魅力に圧倒され、半ば怯え、半ば魅了されて、景はおずおずと声を搾り出した。

「そう、貢ぎ物です。景くんは、わたくしに何か捧げられますか?」

 景は少し考えた。

 願いに見合うようなお金は持っていない。瀬織が喜ぶような物品も思いつかない。女の扱いなど微塵も知らない14歳のうぶな少年が顔を真っ赤にして思考を巡らせ、葛藤と苦悶の末に

「な……なんでも瀬織の言うこと聞くよぉ……。それで許して……」

 少女の姿をした黒い邪悪に、完全に屈服した。

 瀬織は満足のいく答を得た。支配の悦楽に酔い痴れ、首を大きく上に向けて笑った。

「くくくく……あっははははは! いいですわあ~っ! なっさけない顔とびくびく震えた声ぇぇ……っ! これぞ最高の供物ですわぁ……っ」

 愛する少年の恥辱を食らい、東瀬織は身震いした。

 そして瀬織は景に体を密着させて、耳元で甘く問いかける。

「さあ……聞かせてくださいな。景くんのおねがい……」

 肝心の願いを、少年の体を妖しい手つきで撫でまわしながら、闇に染まった女神が問うた。

 景は絶対的上位存在に捕食されるような本能的錯覚で無意識に涙を滲ませて、か細い声で答えた。

「さ……左大さんのこと……助けてあげて……」

「うふふ……了解ですわ」

 瀬織が身を翻すと、景は脱力してその場にへたり込んだ。

〈雷王牙〉は景を心配して身を寄せつつ、瀬織を威嚇するように唸った。

 自分を威嚇する格下の空繰は無視して、瀬織はスマホから電話をかけた。登録した番号の名前は〈西本庄〉と表示されている。

「こんなこともあろうかと、一応準備して頂いてるんです」

 そう都合良く左大がデイビス達を始末してくれるとは最初から考えていない。現実は常々に予想を裏切るものである故、ここに来る道中で園衛や篝に連絡を入れていた。

 1コールの後で篝が電話に出たが

『も……し……もしも……あれ? なんか声……電波が……』

 通話が断続的にしか聞こえない上に、妙に音量が小さい。

 瀬織がスマホのディスプレイを見ると、電波状態を示す三段階のインジケーターが最低ランクになっている。

 大企業の工場や重要港湾のある場所で、この電波状態は不自然だ。

「さっきまでは普通だったはずですが……。もしもし、西本庄さん? 今どこにいますか?」

 瀬織は、やや声を張り上げて電話に向かった。

 篝も同様に大き目の声で返してきた。

『今ですねぇ! あの……高速降りて……あと3分くらいで……多分』

「近づいたら荷物は降ろしてください。後はこっちで何とかします」

『お嬢さ……ちょっとこれ……電波悪いの……ヤバ……ヤバいです!』

「何が……ヤバいんですの?」

 なんとも容量を得ない口振りに瀬織は怪訝な顔をした。電波状態程度で慌てる意味が分からない。

 対する篝は、電話の向こうで焦燥と恐怖で声を張り上げた。

『このレベルの電波干渉……っ! ジゾライドがぁっ……起動してますよぉ!』



 対戦車ミサイルの着弾の余波は、建屋の床にばら撒かれた灯油に引火し、一面を火の海に変えていた。

 左大は粉塵と瓦礫と炎の中に消えた。しかし、仕留めたわけではないとデイビス自身が良く分かっていた。ミサイルは左大に直撃していない。

「貴様ァーーーーッ! なぜ攻撃を外したァーーーーーッッッッ!」

 血の混じった唾を飛ばし、デイビスはミサイルを放った〈ウェンディゴ〉に食ってかかった。

 操主の感情を反映した〈ウェンディゴ〉は狼狽えるように身を引いた。

『こっ……この機体のFCSは人間のような小型目標に対応していません。マニュアル照準ではロックオンも出来ず……』

「ちぃぃぃぃぃっ! どぉぉぉぃつもこぉいつもぉぉぉぉぉぉぉっ、つっかぇねぇ~~なぁ~~~っっっっ!」

 デイビスは悪態を吐いて、足元に転がる同胞の死骸を蹴とばした。周囲には灯油を被って燃えている遺体もあるが、まるで気に留める様子はない。

 まるで人が変わったようなデイビスの様子に、後続の黒フードたちは動揺していた。

「宗主様はいったいどうなされた……」

「これでは供物にならんぞ……」

「我らがズライグを降ろすための儀式が……」

 狼狽える一族の群れの中から、背丈の低い少女が堂々と歩み出た。

「人の子よ……これはどうしたことじゃ」

 半分寝ぼけているような虚ろな声で話したのは、カチナだった。それも片言の日本語ではなく、妙に時代がかった尊大な口調。

 目の焦点も合っておらず、視線はデイビスを見ているのか、左大の消えた炎を見ているのか判然としない。

「にっくきあの男の孫を打ち負かし、目の前でレギュラスを破壊し……その絶望にまみれたる肉を我への供物とする。それが契約だったはず……」

 カチナの言葉に、デイビスは「チィッ……」と苛立ちまみれに舌打ち、頭を掻きむしって、歯ぎしりしながらカチナの鼻先に指を当てた。

「残念だが予定が狂った。レギュラスは破壊する。サダイは殺す。だが食わせるのは無理だ! 諦めてくれ!」

「約束が違う……。それでは腹が満たされぬ……」

「あぁぁのぉ……よぉ―――ッ! 神様なら好き嫌いするんじゃあーーーーねぇよっ! コアラとかパンダじゃねぇーーーーんだからよぉーーーーーッ!」

 至近距離で唾を吐きかけるデイビスに何を思ったのか。カチナの内側にいた何者かは不満げな顔で消えた。元通りの空っぽの人形となったカチナは表情もなく、その場で硬直した。

「あわわ……なんたる不敬……」

「宗主様はご乱心か……」

 萎縮する黒フードたちに一瞥もくれず、デイビスは背中越しに叫んだ。

「その空っぽの器にとっととズライグを定着させろッ! もぉぉぉぉぉう手順なぞどぉーーっでも良いわ! ウェンディゴどもにアレを……レギュラスを狙わせろッッ!」

 黒フードたちは戸惑いながらも、そそくさと建屋から退出していく。

 デイビスは左大の消えた炎の壁を睨みながら

「死ね……とっとと死ね……くそ、くそ、くそ……」

 と、うわ言のように毒づきながら、あの煉獄から左大が飛び出してこないかと警戒して、じりじりと後歩きに建屋を出た。

 人の群れが去り、代わりに巨獣の群れが建屋に入る。

 テクノ・ゴーレム〈ウェンディゴ〉が5体、シャッターを破ってガンランチャーの砲口を並べた。

 内1体は黒とオレンジに塗装された試作1号機。通称〈Mk.1〉。ブローカーがプレゼン用に作成した機体で、エンジンも駆動系も量産型とは比較にならない高性能機だった。

『G11、G12、G13、G14、Mk.1の5機はガンランチャーの照準をレギュラスに合わせ。10カウント後に一斉射撃』

 指揮トレーラーからの指示に、操主たちは「G11了解」「G12了解」と各個に応答を返した。

〈ウェンディゴ〉は戦闘機械傀儡同様、全機が遠隔操作である。操主たちはトレーラーのコンテナ内に設置されたシートに座り、HUDを介して〈ウェンディゴ〉のカメラが捉えた映像を見て、コントローラーである青い石英を左手に握り、右手には射撃用のジョイスティックを握っていた。

 各機のコールサインは、たとえばG11はゴーレム第1小隊の1番機を意味している。

 これらの設備と基礎訓練もブローカーの手配したものであり、素人の犯罪集団だったデイビス達は今日の実戦のために戦闘部隊らしき体裁を整えることが出来た。

 ガンランチャーと使用するミサイルは中古市場で誰も買い手がつかなかったような、50年前の骨董品ではあるが、それを運用する火器管制システムは比較的新しい物が使われている。元々この武装を運用していた空挺戦車は失敗作の部類だったが、一応は1990年代までアメリカ軍に配備されていたからだ。

 その射撃レティクルの内に標的を捉え続ければ、発射したミサイルは目標を自動追尾し、命中する。単純なシステムだ。

 今、レティクル内に整備用の足場に固定された〈レギュラス〉もとい〈ジゾライド〉がある。

 既に背面には巨大な二門の155㎜榴弾砲が装着されているが、動く気配はない。操縦する人間がいないのだから、いかに恐るべき最強の戦闘機械傀儡とて動くわけがない。

『カウントスタート。10、9、8……』

 一斉発射までのカウントダウンが開始された。

 あとはカウント終了と共にトリガーを押せば、それで終わる。

 あくまで対妖魔用に特化した兵器である戦闘機械傀儡は、現代兵器との戦いは想定されていない。装甲は無垢の鋼鉄であり、HEAT弾には無力だ。装甲は容易に撃ち抜かれ、恐竜は再び永遠の眠りにつくだろう。

 あと5秒と経たぬうちに長年の怨みつらみが呆気なく晴らされる。

 各々に複雑な胸中を抱える操主たちだったが、ふとレティクルの異常に気付いた。

「レティクルが……マニュアルになって……?」

 これではミサイルを発射しても正確に目標を追尾しない。

 改めてジョイスティックを操作しても変わらない。異常はそれに留まらなかった。

 HUDに投映されるカメラからの映像にブロックノイズが発生し、その数が猛烈な速度で増えていく。

「指揮車! センサーに障害発生! ロックオンできない!」

 操主の一人が異常を報告するが、カウントダウンは止まらない。

『3……1……』

 指揮車からの通信にはノイズが混じり、ほとんど聞き取れない。

 異常は〈ウェンディゴ〉全機に発生したらしく、痺れを切らした〈Mk.1〉が建屋の中に踏み入った。

『こちらMk.1! ロックオンできないなら、マニュアルでも当たる距離まで接近する!』

『待て……許可……ない……』

 ほぼ通信不能状態の中、命令を無視して〈Mk.1〉が〈ジゾライド〉へと接近を始めた。

 炎上する床を踏みしめ、瞬く間に距離を詰め、〈Mk.1〉は〈ジゾライド〉に触れるほどの至近距離にまで肉薄した。

 整備の仕事を終えた空繰〈祇園神楽〉は全て停止している。155㎜榴弾砲の操作部分に2体が搭乗しているが、動く気配はない。

〈Mk.1〉は射撃の障害になる足場を引き千切り、辺りに乱暴に撒き散らした。その中には、左大千一郎の人格をコピーされた〈祇園神楽〉の亡骸もあった。

 左大千一郎だったものはバラバラに砕けて宙を舞い、白く不活性化した勾玉は炎の中へと没した。

 その勾玉を。火中にて掴む一本の腕。


「偶然にしちゃあ出来過ぎだが……人生なんてそういうモンだ。なあ、爺さんよ……?」

 左大億三郎――激情を込めて、勾玉を握る。砕かんばかりに、情熱と高熱で握りしめる。

 不活性化した勾玉に熱が注入される。人間の熱と、我が身を焼く炎の熱が、勾玉を真紅に染め上げて、眠れる竜に世界の終わりを思い出させる。

 6600万年前、この星の全てを焼き尽くした隕石衝突。繁栄の極みから成す術なく滅ぶしかなかった種族としての無念と怒りが蘇る。

 10年前、自分達を滅ぼした〈破滅〉という概念そのものと対峙し、逆に殺し尽くすことが出来たあの戦いの喜びが蘇る。

 この熱がある限り、凍てつく地獄の氷の底からでも、己は何度でも黄泉返ってこれるのだと、竜は本能で確信するのだ。

〈ジゾライド〉の目に炎が灯った。

 それは機体の状態を示すインジケーターであり、幾何学的に激しく形状を変形させる。

 人工筋肉の駆動、エンジンのセルモーター始動、冷却機関の排気開始を告げる目の形状変化。

 その意味が分からず、〈Mk.1〉の操主は混乱した。

『なっ、なんだぁっ!』

 もはや誰の命令を受けるのでもない。反射的に、〈Mk.1〉は肩のガンランチャーを〈ジゾライド〉に向けた。

『この距離ならバカでも外さんわーーーーっ! はっはーーーっ! くたばりやがれぇ~~~っ!』

 復讐の歓喜にわななくガンランチャーから放たれるミサイル。

 同時に〈ジゾライド〉のインジケーターの炎が切れ長の目を象った。

「ジゾライドォォォォォ! 起動ォ!」

 コントローラーと化した勾玉を掲げ、炎の中で左大が叫んだ。

 直後、一瞬の明滅の後に電光が走り、重金属が砕け散る音が爆ぜた。

 建屋の内部から稲妻が四方に走る。それは壁を貫き、外に待機していたトレーラー二台を破壊。

「なっ……なんだとぉぉぉ~~~っっっ!」

 身を屈めたデイビスが建屋の方向を見るや、壁を突き破って二つの物体が飛来した。それは道路上に落着し、がらんと音を立てて無惨に転がった。

 二つの物体とは、胴体から上下二つに分断された〈Mk.1〉の残骸だった。人工筋肉の破断箇所から見て、残骸は力づくで引き千切られたようだった。

 デイビスたちは知らなかった。

 この場所で〈ジゾライド〉はいつでも出撃可能な状態に保全されていたことを。

 燃料、オイル、弾薬、人工筋肉のコンディションは十全。操る人間が精神を同調させれば、即座に起動可能であったことを。

 地鳴りがする。

 全備重量50トン超の鉄塊が動く音。

 地響きがする。

 この世界に存在し得ない、破壊の化身の唸り声。

 地震にも縁のないイギリス生まれのデイビスたちは、馴れない感覚に本能的に怯え、後ずさった。

 建屋の入り口が内部から破壊されていく。

 前面に突き出した155㎜弾砲の砲口が入口上部を突き崩し、闇の中から直立二足歩行の鋼鉄の恐竜が出現した。

 戦闘機械傀儡〈ジゾライド〉。

 全身に大量の火器を積んだフル装備の威容であった。

 背面に155㎜榴弾砲二門、左腕に四連装40mmグレネードランチャーとM2機関銃を内蔵した防盾、右腕に特殊兵装コンテナ、腹部には35mm機関砲二門、ターボシャフトエンジン周囲には19連装ロケット弾ポッド四基。

〈ウェンディゴ〉とは質、量ともに比較にならない重武装。僅かなりとも知識があれば、戦意を喪失するほどの歴然たる差。

 それ以上に、生物の根幹に依る恐怖がデイビスの部下たちの腹の底から湧きあがる。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「はっ……はっ……はっ……」

 絶対的捕食者を前にした、根源的恐怖。

 どれだけの文明を得ても遺伝子にへばりついた、草原や樹上で巨大な肉食動物に怯えていた原始の記憶が首筋を震わせる。

〈ジゾライド〉は右手の爪に握っていた物体を放り捨てた。それは、腹を握り潰された対戦車ミサイルだった。

〈Mk.1〉のミサイルは確かに発射された。その直後に〈ジゾライド〉の超絶的反応速で受け止められ、完全に無効化されたのだった。

〈ジゾライド〉の炎の目が煌めき、赤熱の咆哮を上げた。

 世界の全てを震撼させる、竜王の叫び。

 至近にあったトレーラーの窓ガラスがひび割れ、何人ものデイビスの部下たちが怯えて尻餅をついた。

 己に欠けていた最後の鍵を差し込まれ、いま最強の戦闘機械傀儡が復活した。

『うあああああああああああ!』

 恐慌状態に陥った〈ウェンディゴ〉が無照準で対戦車ミサイルを放つが、当たるわけがない。

〈ジゾライド〉の脇を抜けて壁に当たり、無意味に爆炎を上げる。

『じっ……G23! 落ち着け! 各機、落ち着いてレギュラスを包囲しろ! こちらの方が数は上だ! 距離を取って正面に立つな! 奴の武装の死角を――』

 どうにか正気を保った指揮車が指示を出した。

 悪くない指揮だった。〈ジゾライド〉の火器は横方向への射角は限定される。見るからに鈍重な機体は転回もままならず、物量を活かして包囲戦闘を行えば勝利は揺るがない。こちらは対戦車ミサイル一発を当てるだけで良いのだから。

 だが、それはあくまで常識の範疇の指揮でしかなかった。

 ブロックノイズ混じりの光学映像から、〈ジゾライド〉の姿が消えていた。あの巨体が立っていた場所の地面は抉れ、僅かに遅れてアスファルトの粉砕される音がした。

『なっ! 消え――』

 指揮車が驚愕した次の瞬間、上空から鉄塊が落下した。

〈ジゾライド〉だった。

 50トンを超える巨体は尻尾の一振りで地面を打って飛びあがり、一気に距離を詰めて肉弾戦を仕掛けてきた。

 着地の下敷きになった〈ウェンディゴ〉の一体が踏み砕かれ、衝撃波で密集隊形を取っていた二体の僚機が転倒した。

『うあああああああ! くそがあああああああ!』

 半ば錯乱状態の〈ウェンディゴ〉が至近距離から対戦車ミサイルを放つが、〈ジゾライド〉は回避。一瞬で死角の外に消えた。巨体からは想像できない瞬発力と反応速度。

 次の瞬間には、〈ウェンディゴ〉は爪の拳槌を受けて頭部を潰され、その勢いで大きく吹き飛んだ。

『うっ、運動能力が違いすぎる! こぉっ……こんなのはデータにぃぃぃ……っっっっ』

 無念と恐怖の悲鳴と共に、また一体〈ウェンディゴ〉が砕かれた。超音速の尾撃を受けて、真っ二つに引き裂かれて破壊された。

 超重量の〈ジゾライド〉が戦闘機動を行うだけで、一般道路のアスファルトは粉砕される。

 ターボシャフトエンジンの激しい駆動音、〈ウェンディゴ〉が破壊される金属音、逃げ惑う人間の悲鳴、巻き添えをくらって残骸の下敷きになってクラクションを鳴らし続ける左大の軽自動車。

 戦斗の喜悦に酔い痴れるように、〈ジゾライド〉が吼えた。

 笑うように口を開いて、竜王が炎のように叫んだ。

 燃える混沌の地獄の底で、二人の男が対峙する。

「たぁぁぁのしぃぃぃぃなぁぁぁぁぁぁ? デェェェェェイビスゥゥゥゥゥ!」

 左大が笑う。この地獄で歌うように叫ぶ。

「全然まったく! たのしくないないわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 デイビスは白目を剥いて、憤怒の形相で歯を食いしばる。

 上半身裸の男が二人。はちきれんばかりの筋肉を震わせて、拳を握る。

「さぁーーあ! やろうぜデイビスゥ! 俺とお前らとジゾライドの人生最後のラストバトル! 生きるか死ぬか二つに一つ! デッドオアアラァ――――イブッ!」

「知ぃるかーーーーっ! 貴様一人であの世にぃぃぃぃぃっっっ! 行けぇぇぇぇぇぇぇいッッッッ!」

 歓喜に笑う左大億三郎と、憎悪に焦げるデイビス・ブラックとの、最後の戦いのゴングが鳴った。

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