ゴッドストライカー澪、投球の巻

 翌日、土曜日。

 瀬織は景と共にボウリング場にいた。

 景たちの住む町から隣のつくし市に至る県道脇には、かつてのボウリングブーム期に建てられた遊技場が今でも営業していた。

 入口には、本日一部レーンが宮元学院ボウリング部によって貸し切りの旨の札がかけられている。

「わたくし、今世の玉遊びって良く分かりませんのよね~」

 と、相も変わらず制服姿の瀬織がつまらなそうに全自動レーンを眺めていた。

 今日は何も遊びに来たわけではない。

 先日、園衛に頼まれた人材勧誘のためにやって来たのだ。

「ぼうりんぐ……ですか? 要はこの硬くて大きい玉を転がして、あそこに並んでいる棒に当てて倒して穴に入れるのでしょう?」

「ちょ……変な言い方しないでよ」

 恥ずかしそうにほんのりと頬を染める景。こちらは私服であり、大きな箱の入った紙袋を傍らに置いている。

 瀬織はテーブルに置かれた初心者向けのボウリングルールブックをパラパラとめくり、大体理解した上で「ふうん……」と興味なさげに鼻を鳴らした。

「わたくしには、なんとも単純な遊戯に見えますわ。これのどこが楽しいのか……」

 その時、既に背後に人影があることに瀬織は気付かなかった。

「あなた、何も分かっていないわ」

 唐突に真後ろから声がして、瀬織と景は同時にビクリと肩を震わせた。

「わっ!」

「にひっ! なっ、なんですの!」

 振り向けば、パンツルックの女性が鋭い視線で瀬織を見ていた。

 睨んでいるのではなく元から目つきが鋭いようだ。全身の体格も引き締まり、見る者にシャープな印象を与える。

 女性は瀬織の至近距離へにじり寄ると、息を吹きかける勢いでまくし立てた。

「あなたはボウリングの表層、薄皮の一枚しか理解していないわ。それは春巻の皮よりも薄っぺらのペラペラ。いい? ボウリングの起源は古代エジプト。棒を倒すことで厄を祓う儀式だったの。厄とは即ち負の因果律。ボウリングとは運命に打ち勝つための精神と肉体の果てしないバトルなのよ」

「あ、あの……ちょっと……。こ、これ……お遊戯ですわよ……ね?」

「ボウリングはゲームであっても遊びじゃないの。生半可な覚悟でボウリング場に来れば命を失うわ」

 瀬織はぎこちない動きで顔を景の方に向けて、事の是非を問う。

「け、景くん……ぼうりんぐって……そういうもの……なんですの?」

「し、知らない……。僕の知ってるボウリングじゃない……」

 困惑する二人の若人に、女性はぴしゃりと言った。

「昭和から続くボウリングは生きるか死ぬか。平成のボウリングとは存在の成り立ちが違う。分からないのも仕方ないわね」

 とは言うものの、女性はまだ20歳代半ばほどに見える。昭和云々を語れるような年齢とは思えなかった。

 瀬織はスマホを取り出し、記録された昔の画像データを閲覧。そこに映っていたのは十代後半の少女だったが、目の前の女性の顔と見比べると同一人物なのは明らかだった。

「あのぉ……もしかして、神喰(かみじき)澪(れい)さん……ですか?」

「そうだけど。ここではコーチと呼びなさい」

 神喰澪。現在の年齢は25歳。独身。職業プロボウラー。中学時代は園衛の配下として妖魔と戦った経験がある。宮元学院のOGでもあり、休日はボウリング部のコーチも務めていた。

 瀬織がスマホで澪の経歴データを改めて閲覧していると、妙な一文が並び始めた。

「別名ごっどすとらいかー澪……? お笑い芸人の仕事とか……されるんですの」

「コメディアンじゃないわ。私はゴッドストライカー。運命という神(ピン)を打ち倒し、ボウリングによって世界に平和をもたらすのが私の仕事」

 奇妙な話を真顔で語る澪。

 瀬織は小首を傾げて景に耳打ちした。

「この人……いい歳こいて中二病なんですの? それとも本当にこういう仕事あるんですの?」

「プロのボウリング選手なのは本当だと思うけど……なんなんだろう」

「ごっどすとらいかーって、お給料いくらなんでしょう……」

 ひそひそ話す二人の横で、澪は革製の指貫グローブに手を通し、拳を握ってギリギリと筋肉を鳴らした。

「見ておきなさい。これが真のボウリング。そして私のゴッドストライク!」

 澪は黄金のマイボールに指を入れ、臍下丹田に気を込めて後に振りかぶる。全身の体移動と気功を併用した円形の流体的投球フォーム。一連の動きに角はなく、レーンという砲身に砲弾を滑らす人間レールガンと化して、ボールは投げ放たれ――否、投射された。

 音速を超えたボールがレーン表面のオイルを炎上させ、炎の尾を引く。燃え上がるレーンロードを突きぬけて、再奥のピンが一斉に吹き飛んだ。

 しかし、ピンの弾ける方向すら制御した必中の投射はピンをレーン外に爆散させることはなく、完璧なストライクを決めて魅せた。

「ウェーーイ! ゴォッドストラ――イク!」

 後方の席で見学していたボウリング部の面々が賞賛の叫びを上げた。

 一方、レーンを監視していたカウンターの店員は、床を炎上させるゴッドストライクを恨めし気な表情で睨み「チッ……」と舌打ち。

 景は未知のボウリングに圧倒され、呆然と口を開いていた。

「な、なにあれぇ……」

「なるほど。あれが今世のぼうりんぐというものですか」

 瀬織は澪の投球フォームに何か感じるところがあったのか、初めてボウリングに対して興味を抱いた様子だった。

 その期を狙い、澪が再びぐいっと瀬織の眼前に迫ってきた。

「あなた、ボウリングに興味を持ったようね。その制服、宮元の生徒でしょ。体験入部しなさい。今すぐに」

「いえ……確かにまあ、参考にはさせて頂きますが入部というのはちょっと……」

「あなた、良く見れば良い体してるわね。ボウリング部に入りなさい。あなたならプロを目指せるわ」

 澪は無遠慮に制服の上から瀬織の肩やら太腿やらを触って筋肉のつき方、骨格の密度を確かめてきた。

 瀬織はセクハラ同然の行為に苦笑いで応えた。

「ほほほ……なに気安く触ってくれてるんですかあ。ぶっっ飛ばしますわよ」

「ボウリング勝負なら負けないわ。かかってきなさい。私が勝ったら入部。それで良いわね」

「良いわけありませんわよぉ……っ!」

 身勝手にボウリング圧をかける澪の手を振り払って距離を置き、「はぁぁぁぁ……」と溜息めいた深呼吸をして、瀬織は本題を切り出した。

「あのですね、神喰さん。わたくし、園衛様から言伝を預かって参りましたの」

「園衛様? なら電話でもかけてくだされば良いのに」

「携帯電話、いつも電源入ってないと聞きましたがぁ?」

 瀬織が皮肉を込めて言うと、澪はポケットからスマホを取り出した。ディスプレイに触れてみるが、何の反応もない。

「そういえばそうだったわね」

「携帯の意味ないと思うのですがぁぁぁ?」

「全ては過ぎたことよ。それで、何の用かしら?」

 全く懲りない悪びれない澪に苛つきながらも、ともかく瀬織は役目を果たすことにした。

「園衛様が、あなたが必要だと仰っておりました。また荒事が起きた場合は、力を貸してほしいとのこと。もちろん報酬は――」

「なんだ、そんなこと。大恩ある園衛様のたっての要請なら、断る理由はなし。とても報酬なんて受け取れないわ」

「はあ? つまり無償奉仕すると?」

 タダ働きで命をかけるなど、瀬織はとうてい信じられる話ではなかった。怪しい、胡散臭い、二心あるのではないかと疑いの目を向ける。

 平安の昔から、どんな貴族だろうと武士だろうと見返りもなく主上のために働く者などいなかった。義理だけで動く人間は体よく利用され、使い潰されるのが世の常である。

 瀬織の疑念を察して、澪は「ふん……」と小さく鼻を鳴らして腕を組んだ。

「あなたの感想は尤もね。でも、私がこうして自由にボウリングしていられるのは園衛様のおかげなの。思い返せば10年前。あの頃の私は――」

 唐突に過去の自分語りを始めた澪を無視して、瀬織は景に耳打ちした。

「うわ……なんか始まっちゃいましたよ回想みたいなの。別に誰も頼んでないんですけどぉ……」

「聞いてあげなきゃなんか可哀想だよ……」

 瀬織と景の様子に構わず、澪は勝手に話を続けている。

「――私には兄さんがいたの。妖魔との戦いを宿命づけられた私にとって、兄さんが教えてくれるボウリングだけが唯一の楽しみだった。でも、兄さんはプロボウラーを目指して父さんと大喧嘩して、家を出てそれっきり……」

 感情の篭った講談の最中であるが、瀬織は全く耳を貸さなかった。

「なんか急に悲しい過去的な設定が出て鬱陶しいですわねー……」

「誰かに聞いて欲しかったんだよ。淋しい人なんだよ、きっと……」

「今の内においとましましょう」

 澪が自分語りに没頭している隙に、瀬織と景は少しずつレーンから距離を取っていく。音を立てぬように蟹股でそろそろと歩き、店員のいるカウンターまで到達した所で、入口のドアが外から乱暴に開けられた。

 タイミングが悪い。澪に気付かれてしまったと思った矢先、新たな来客に目を奪われた。

 鳥が入ってきた。鳥といっても大きい。ダチョウよりも大きい。身長は2メートルを超えている。はるか昔に絶滅した陸生の巨大鳥類、恐鳥の類にも見える。

 その鳥の背には人も乗っている。否、人……なのだろうか。

「うえっ……なんですのこいつ……」

 瀬織ですら慄く、鳥上の怪人。マントをはためかせ、全身をチェインメイルで覆い、腰にサーベルを下げ、頭には茶色い球形の袋を被っている。

 怪人は見た目に相応しい怪しげな言語で叫んだ。

「オオゥイェー――ス! こんなカントリィにいたのデースカー! ゴォッドストライカァ~~ッ!」

 カタコトの日本語らしい言語で呼びかけられ、澪が入口に振り向いた。

「キャプテン・ハギス! 生きていたのッ?」

 キャプテン・ハギスと呼ばれた怪人は鳥の背をポンポンと優しく叩くと、大袈裟な身振り手振りを始めた。

「イェス! オゥイェス! ミーはユーとのボウリングデュエルにルーズして、えりも岬からパシフィックにフォールダウン! サンズリバーにウェルカムしかけたのを、このハギスに救われたのデース」

 ハギス、というのは彼の乗っている巨鳥のことらしい。

 瀬織がスマホで〈ハギス〉を検索してみると、キャプテン・ハギスの頭部に瓜二つの気持ち悪いイギリス料理が出てきたので、それ以上は考えるのを止めた。

 困惑する瀬織と景の様子を知ってか知らずか、澪は勝手に解説をしてくれた。

「イギリス代表の世界ボウラー。それがキャプテン・ハギスよ! ボウリング世界一を決める裏ボウリングデュエルで、私は世界ボウラーと日夜戦いを繰り広げていたの!」

「イェ~~ス♪ オゥイェ~ス♪ ミーはハギスの素晴らしさ♪ 美味しさテイスティ広めるタメ~♪ ボウリングチャンピオン目指すのデース♪」

 キャプテン・ハギスは歌い出す。このラテンなノリ、果たして本当にイギリス人なのだろうか。そもそもハギスの味とボウリングに何の関係があるのだろうか。

 カウンターの店員は謎の鳥に土足で床を踏み荒らされ、忌々しげに睨みつけ舌打ちした。

 ともかく、生命と正気の危険感じるボウリングの世界観に取り込まれまいと、瀬織は景の手を引いてそそくさと逃げ出した。

「行きましょう景くん。ここは狂気の世界ですわ……」

「うん。ボウリングって恐いなあ~……」

「神喰さんはごっどすとらいかーの世界観で頑張ってくださいまし……」

 ボウリング場を出ると、激しい震動と共に澪とキャプテン・ハギスの叫び声が聞こえてきた。

「レッツリッベンジッデ―――ス!」

「ならば全力勝負ッ! ゴォォォォォッド! ストラァァァァァァィクッ!」

 ボウリング場のガラスが割れる音が後から聞こえる。

 瀬織と景は二度と振り返ることはなかった。

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