第二章 竜血の乙女、暴君を穿つのこと1

 1946年、7月。舞鶴港。

 太平洋戦争終結から一年、復員船から降りてくる人々の数も以前と比べれば随分と少なくなったものだ。

 ある人は憔悴しきった顔で港に降りたち、ある人は家族との再会を喜び、ある人は途方に暮れてどこかへと消えていく。この一年間、見慣れた光景だ。

 元帝国陸軍大尉、北宮仁は特に感慨もなく人の群れを遠巻きに眺めていた。

 夏は嫌いだ。暑いのも厭だし、復員船特有の濃縮された男共の垢の臭いが暑さで熟成されてここまで臭ってくるのが最悪だった。

 右手で汗を拭い、左手でポケットから写真をつまみ出す。

 映っているのは、脳天気に笑う一人の男。妙な物体と一緒に映っている。

 恐竜の頭蓋骨だ。頭蓋骨の真正面と顔を並べてピースサインをしている。ふざけているのか。

 この恐竜は、確かティラノサウルスとかいう名前だったと思う。全く興味がないのでどうでも良いが。

 一応、復員船から降りてくる連中に写真の男がいないか確かめてみるが、当然いない。

 確か情報では、あんな貧乏臭い手段は使わないのだとか。

 じゃあ、どう方法で帰ってくるのかというと――

「あ~~辛気臭ぇ港になっちまったもんだなぁ? おぃぃ~~~?」

 誰に言っているのか、それとも独り言なのか、嫌味ったらしい大声が後の方から聞こえてきた。

「天下の舞鶴鎮守府、赤レンガの勇姿はどこへやら! ほんっと下手糞とバカが戦争やるとこうなっちまうんだよなぁ~? おーーーーっ?」

 振り向くと、カタギとは思えない格好の男が道のど真ん中を闊歩していた。背広を肩に羽織り、サングラスをかけて周囲を威圧する様は任侠者にしか見えない。

 男は復員庁の職員、つまり元海軍軍人らしい人間を見つけると「よぉ下手糞!」と煽るように声をかけて萎縮させていた。

 北宮は写真の男の顔と見比べてみた。

 サングラスをかけているが輪郭は瓜二つだ。

 あまり良い気分はしないが、声をかけざるを得まい。

「もし、そこの方」

「なんだぁっ?」

 威嚇めいた声を挙げる男。目的の人物でなければこのまま殴り殺してやりたい。

「左大千一郎さん……ですね」

「オゥ、俺が左大よ。なんぞ用かい?」

「自分は宮元の家から出迎えに行けと言われた者です」

 宮元の名を聞いた途端、左大の表情は一変。にこやかに破顔し、親しげに北宮の肩をぽんと叩いた。

「オオゥ! 宮元の使いかぁ! 戦争前は俺のことキ〇ガイだのハズレ者だと散々罵ってくれたが、ようやく俺の偉大さを分かって迎えを寄越したか! ワハハハハ!」

「ところで左大さん」

 北宮は険しい表情で詰問した。

「あなた、大陸から帰ってきたんですよね」

「オゥ、ついさっき入港したばっかりじゃ」

「乗ってきた船って、アレですか?」

 北宮が指差すのは、埠頭の奥に係留してある一隻の貨物船だった。それもかなり大きい。戦時徴用され、大型商船がことごとく沈められた今の日本では滅多にお目にかかれない、豪奢な大型貨物船だった。

 左大は誇らしげに頷いた。

「オオゥ、俺の船よ。手土産もどっさり持ってきたぜぇ~」

「左大さん、あんたが大陸や南方で何やってたかは大体知ってる。諜報員として奥地まで入って地形や現地人を調査していた……というのは表向きだ。あんたが本当にやってきたことは――」

 そこまで行った所で、左大はすっと掌を北宮の口に当てて塞ぐような仕草をした。

 そしてニッと笑い、何ら悪びれることなく胸を張って言った。

「そうよ、俺は恐竜に会いにいったのさ~~!」

 狂っているとしか思えない内容を、目をギラギラと輝かせながら、子供のような笑顔で

「大陸や南方の奥地は未知の領域! そこには一匹くらい恐竜が生き残ってたって不思議じゃあない! だから俺は前の戦争を利用してきょぉ~~っりゅぅ~ぅ~ぅ~♪ をっ、探しにいったのさぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 歌いながら宣言しやがったのだ。

 狂人を前にして、北宮の表情が本格的に曇る。

「あの船……何が積んである」

「もち! 恐竜の化石よぉ! 陥落寸前のベルリンから持ち出したブツもあるぜぇ!」

「……盗んだのか」

「金払って買ったのが大半だよぉん♪ 火事場泥棒なんてあんまやってねぇから!」

「その金……諜報用の予算じゃねぇのか?」

 睨みつける北宮。

 だが左大、全く意に介さず笑い飛ばす。

「そーのーとーおーりぃーーっ! あんな戦争真面目やるワケねーだろバ――――カ! だからバカ共のクソ予算は俺が有効利用させてもらったぜえ~~っ! 戦争に無駄金使うよりゃあ、人類の夢である恐竜のために使った方が遥かに有意義ってぇモンだ。文句あっか!」

 北宮の側頭部のあたりで、血管がギチ……と音を立てて軋んだ。

 頬をぴくぴくと動かし、爆発寸前の感情を必死に抑えながら、北宮は声を絞り出した。

「で……恐竜には会えたのかよ? 左大さん……」

 左大は酷く残念そうに、大きな溜息を吐いた。

「はぁ~~っ……。それがよぉ~~、どこ行っても恐竜いなかったんだわー……。クソでかいワニとかスッポンとか、ダチョウよりデカい鳥とかはいたんだけどよぉ~、恐竜じゃないなら別にどうでも良いっつーかぁ……。一匹くらい恐竜いたって良いじゃねーかよっ!」

 北宮は頭の中が真っ白になるのを感じた。

 戦争の是非は今は問うまい。恐竜云々もこの際置いておく。

 婿入り前に宗家の親戚筋の問題児を責任追及のために会議に引っ張ってくるとか、そういう役目ももうどうでも良い。

 かつて、北宮は実際に部下たちが目の前で死んでいくのを見た。参謀本部のバカげた作戦の犠牲になって何十人もの、自分より若い兵士たちが無惨に散っていった。

 戦争を私物化して、食い物にしたこの左大という男がとてつもなく独善的で醜悪で、鼻について、脳ミソまでツンと突き抜けてきて――

 決めた。

 今、ここでブッ飛ばすと決意した。

 北宮は左大の肩をツンツンと指で叩くと、手を引いて誘導を始めた。

「お、なんだなんだぁっ? 車にでも案内してくれんのかい?」

 左大は埠頭の端、岸壁の部分に立たされた。

 意味が分からず首を傾げる左大の真正面で、北宮が身構える。

「えっ?」

「死ねオラ―――ッ!」

 北宮の飛び蹴りが左大の胸部に炸裂。二人はそのままもつれ合って、舞鶴の海中へと盛大に没した。

 狂気と我欲のままに全ての常識をぶっちぎる左大千一郎という男。

 やがて、彼の妄執と悪夢が人類の未来を救うことになろうとは、この時まだ誰も想像し得なかった。


 恐竜! それは、地球の生命を守るために戦う、最強の動物たちのことである!

 そんな一文で締めくくられた狂った計画書を読み終えて、宗家の長老たちは絶句した。

 時は1948年10月のこと。

 宮元家、左大家、右大家という2000年もの長きに渡って妖魔と戦い続ける三大宗家の会合を狙って左大家の問題児、左大千一郎が計画書を提出したのだ。

 宗家の誰かがひそひそと話している。

「あの人、座敷牢に入れられてたんじゃ……」

「半年前に牢を素手で破壊して脱出したらしい……」

 長老たちは皆、一様に渋い顔をしていた。

 宮元家の当主は頭を抱え、懇願するような声を絞り出した。

「もう帰ってよキミィ~~……」

 対するは、件の左大千一郎。一人だけ自信に満ちた目を輝かせている。

「いいえ、帰りませんぜっ! 宗家の皆さまがたが、俺の偉大な計画を理解してくださるまではねっ!」

「計画ってキミねぇ……」

 宮元家当主は、手元の計画書を引っくり返した。表紙にはデカデカと〈対妖魔戦闘機械傀儡計画〉と題が記されていた。

 右側の席に座る右大家の当主は、計画書をめくって再び目を通している。

「我々が妖魔と戦うのに使用している空繰を現代科学で強化するという。それは分かる。真っ当な考えだと思う」

「そうでしょうそうでしょう!」

「だが、恐竜の怨念を利用するという……コレはなんだ? 何故そこで恐竜?」

「分からないってことはないでしょう?」

 ニチャリ……と左大は凶暴な笑みを浮かべた。そして一転して論理的な説明を始めた。

「西洋の魔術にはアーティファクトという概念があります。神秘は古ければ古いほど強大な魔力を秘めているという考えです。故に魔術の素材として何百年も前の宝石、何千年も前のミイラを使う。なら、恐竜の化石を使ったらどうなるでしょうか? 何千万年、何億年も前の化石! 桁違いの魔力が得られるのが理屈ってえモンでしょう!」

 それは雄弁なるプレゼンであった。これがあるからこそ左大千一郎は軍人時代に多大な予算を司令部から引き出すことに幾度となく成功した。単なる狂人ではないのは確かだった。

 事実、親戚たちに動揺が走った。

「確かに一理ある……」

「どうして誰も思いつかなかったんだ?」

「誰もやらないのには理由があるのでは?」

 ざわめく声を叩き割るがごとく、畳を誰かが殴りつけた。

「もういい加減に黙れ! 家の恥めぇっ!」

 白髪頭の老人。左大家の長老、つまり千一郎の祖父であった。

 左大、全く怯まず臆さず祖父に向かって怒鳴り返す。

「テメーこそ黙りやがれ死にぞこないがッ!」

「ぬぅぉあにぃぃぃぃぃぃッッッッ!?」

 顔を真っ赤にした祖父が立ち上がろうとした瞬間、パン! と手を叩く音が場を収めた。

 宮元家の長老であった。

「千一郎くんの言い分も分かった。確かに試す価値はあると思う。しかし我々としては不確実なものに予算を割くわけにはいかない。何より、君自身に信用がないのだ。前の戦争で軍の予算を横領した件もあるしね」

「分かる話です」

「却下されると分かっていながら、どうしてここまで乗り込んできたのかね。まさか演説だけで君への評価を引っくり返せる……などと思っているわけではあるまい」

「全くもってその通り。だから、実物を用意してきました」

 不敵に笑う左大。

 親戚たちが訝しんだ矢先、地響きがした。

 どすん、どすん……という音と震動が畳を揺らす。ここ宮元家の近傍には採石場がある。そこの発破だろうか?

 否、それにしては妙に近い。しかも地鳴りは確実に屋敷へと近づいていた。

「なっ、なんだぁっ?」

「妙に揺れて……?」

 親戚たちのざわめきとは別に、屋敷の外から絶叫が上がった。

「うわあああああああああああああああ!」

 続いて、何かが破砕される音、殴打される音。明らかな異常だった。

 戸が開き、真っ青な顔の従者が部屋に飛びこんできた。

「くっ、曲者! 曲者です、皆さまがたぁ!」

 なんということか。この会合を狙っての襲撃とは! しかし三大宗家の会合であるから、この屋敷の周囲は厳重な警備が敷かれている。対妖魔装備の戦闘猟兵部隊に、主力空繰〈風神楽〉を中心とした100体以上の空繰部隊が屋敷を幾重にも守っているはずだ。

 左大は動じることなく、一切合切を狂った笑いで嘲った。

「ハッハッハッ! アレが警備部隊? 笑えますなァ! 全くもって下手! 戦争が本当に下手糞! さあ皆さん、ご覧ください!」

 左大は自分を囲む親戚一同を掻き分けて、部屋の外向きの障子を蹴破った。

 広大な日本庭園へと、外部から異物が侵入するのが良く見えた。

 異質。あまりにも異質な怪物。いや、機械の恐竜が、分厚い塀を破って、空繰を踏み潰しながら一同の前に姿を見せた。

 全高5メートル、機体重量10トン強。

 重金属の装甲で全身を覆い、背中から尾にかけては剣山のごとき背ビレが幾重にも連なり、骨格標本を思わせる意匠の頭部には赤い炎が目を成して煌めく、”直立二足歩行”のティラノサウルス型戦闘機械傀儡が、そこにいた。

「あれこそが! 戦闘機械傀儡! ジゾライド! その初号機ですよッッ!」

 左大の紹介を合図にしたかのように、塀の外から警備部隊の空繰が突入してきた。

 対大型妖魔用の駆逐空繰〈土神楽〉。パワフルな腕と厚い装甲が自慢の5メートル級空繰である。それが三体、操作する術者と共に〈ジゾライド〉を取り囲んだ。

「曲者めぇっ!」

「どれほどの怪物だろうと!」

「三体に勝てるわけないだろ!」

 術者がコントローラーである緑色の勾玉に念を送り、自らの意思を空繰に転写することで〈土神楽〉は自在に動く。

 それら三体の空繰を見て、〈ジゾライド〉は俄かに口を開いた。

 まるで嘲笑うかのように牙を見せた次の瞬間、長大な尾が一振り。音速を超えて動いた。

 僅かに遅れてブンッッ……という空裂音が鳴ったと思えば、〈土神楽〉が二体まとめて薙ぎ払われていた。背ビレが刺突用スパイクと化した重金属のムチを超音速で叩きつけられ、1トンに満たない木製の〈土神楽〉は一瞬で粉微塵の残骸と化して空中に霧散した。

「ぁぁぁああああぎぃぃぃぃぃぃぃ!」

 空繰に意識を転写したことで自らの肉体が粉砕される死に至る幻肢痛を味わい、二人の術者が卒倒した。

 残る一体は仲間に起きた出来事を理解できず硬直し、その眼前には〈ジゾライド〉の大きく開かれた口の中身が広がっていた。

「へっ……?」

 理解する間もなく、〈土神楽〉の頭部が食いちぎられた。術者は頭部を喪失する感覚を疑似体験して、声もなく気絶した。

〈ジゾライド〉は〈土神楽〉の頭部をゴリゴリと噛み砕いてから吐き出した。本物の恐竜と違い食道が存在しないこともあるが、それ以前に食う価値もないと判断したようだった。

 自分に刃向う存在がなくなったことを確認すると、〈ジゾライド〉は天に向かって咆哮した。

 自らの力を誇るように、6600万年ぶりの竜王の帰還を世界の全てに轟かせるように、高らかに吼えた。

 咆哮に奮える屋敷の中で、宗家一同は呆気に取られていた。

「ぁぁぁぁぁ……金庫から金がなくなっていたと思ったら、あんなモノをぉぉぉぉぉ……ッッ」

 左大家の長老は白目を剥いて気絶。

「むう……確かに強い、それは認めざるを得ない」

 右大家当主は冷や汗をかきながらも、納得したように何度も頷いた。

「もう帰ってよ……」

 宮元家当主は破壊された我が家と空繰の修繕費を考えて頭を抱えた。

 一同困惑し、意見をまとめるべき宮元家長老も腕を組んで「むむむ……」と唸る有様。

 デモンストレーションとしてはあまりにも鮮烈にして苛烈。やり過ぎである。しかし当の左大は誇らしげに笑う。どんなもんだ、と。

 そこへ、廊下をどたばたと駆ける音。

「左大テメェぇェェェェェェェ!」

 鬼の形相で部屋に突入する一人の男。北宮仁、改め東家に婿入りした東仁であった。

 騒ぎの原因が左大だということは大体分かっている。そしてあの巨大な恐竜を目の当たりにすれば、左大の本心など全てお見通しだ。

 空繰の強化? 人類守護の理想? 妖魔の殲滅? そんなものは全て恐竜を現代に蘇らせるという左大の私利私欲を実現するためのお題目に過ぎない。

 戦時中に世界中を回っても左大は恐竜に会えなかった。ならば自分の手で恐竜を作れば良いじゃないか――と思うに違いない。奴はそういう男だと、北宮は直感で確信していた。

 二年ぶりに対峙する鬼と狂人。かけ合う言葉なぞ不要ッ。

「なんじゃ北宮あああああああああああああ!」

「なんだゴラァァァァァァァァァァァ!」

 真正面から、互いの拳が顔面に突き刺さった。

 こうしてお披露目を果たした〈ジゾライド〉を皮切りに、戦闘機械傀儡の量産が開始された。

 左大の思惑はどうあれ、念動力と単純なカラクリ仕掛けで動いていた従来の空繰に代わって、内燃機関や油圧シリンダを組み込まれ、銃火器さえも装備した戦闘機械傀儡は絶大な戦果を上げた。

 それだけに留まらず海外の対妖魔組織にも輸出され、莫大な外貨を宗家にもたらした。

 結果的に左大は宗家にとっても、人類にとっても英雄となってしまった。

 これから60年の後、機械の体を得て蘇った恐竜たちが破滅の概念存在〈禍津神〉に立ち向かい、自分達の絶滅のリベンジを果たすのは、また別の物語である。


 そこは薄暗く、妙な臭いのする場所だった。

 東瀬織にとって暗がりは心地の良い場所なのだが、この臭いは本能的に厭な感じがする。

 なので、瀬織は鼻から息を吸わず鼻声で話す形になった。

「なんですの、この臭い……。くっさいですわね……」

「防虫剤の臭いだ。窒素ガスに臭いはないはずだが」

 先導する宮元園衛が言った。

 ここは園衛の屋敷の敷地内。その外れにある古びた建物だった。

 見栄えの良い日本家屋の母屋と違い、鉄筋コンクリートの壁面が剥き出しの無骨な作りで、住居や倉庫というよりも要塞的な作りだった。

 事実、ここは外からの侵入を防ぎ、同時に内部からの逃亡を防ぐ、不入不出の牢獄でもある。

 暗室の奥に液晶モニタの光が見える。

 そこに座っていた人影が瀬織たちに気付くと、慌てて席を発ち、小走りに駆けよってきた。

 一見すると小柄な少女であった。

「お待ちしておりました園衛様ぁ! 言われた通りフヒヒ……二体の封印、解いておきましたぁ。フヒヒッ」

 何が楽しいのか、不気味な笑いをこぼす少女。

 瀬織は自分より背の低い、中学生ほどに見える少女をそれとなく観察する。髪質は痛んでいるし、骨格も良く見れば成人女性のそれに近い。つまる所、この少女は見た目通りの年齢ではなく、単に発育のイマイチなだけの成人女性なのだと悟った。

 園衛は「ご苦労」と謝辞を述べると、瀬織に目配せをした。

「この者は西本庄篝。こう見えて私の四つ下でな。大学院まで行ったが今の工学系はロマンが足りないとかワケ分からんこと言って就職も結婚もせずにブラブラしてたからウチで働かせている」

「けぇっ……結婚しないのはちょっ、ちょっ、ちょっ……園衛様に言われたくありませんよぉ。だって園衛様は来年でさんじゅ――」

「と・も・か・く! 篝は傀儡弄りの心得がある。瀬織もこれから世話になると思うゆえ、紹介はしておく」

 園衛は触れられたくない話題を力づくで断ち切った。

 形式に則り、瀬織は会釈をしてから簡潔に自己紹介を始める。

「どうも、西本庄さん。わたくし、東瀬織と申します。かくいう、わたくしも見た目通りの年齢でないことはご存知かとは思いますが――」

 篝は瀬織を一瞥すると、口を半開きにしたまま表情が固まった。

 一見すると、瀬織は可憐な女子高生である。同姓でも見惚れてしまうほどの、気品が漂う制服の美少女だ。

 しかし、瀬織を見る篝の目には明らかな恐怖が浮かんでいた。

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ! なーっ、なっ、なー―――っ!」

 妙な悲鳴を上げて園衛の背後に隠れる篝。

「どうした篝。急に変な声を出すな」

「ぁぁぁぁぁぁっ……は、話には聞いてましたけど……な、なんですかアレは……」

「なにって。説明した通りのモノだ。見た目も見たままだ」

「そ、そりゃ説明して頂きましたけどぉ……。あ、あんなものが普通に歩いて、喋って、目の前にいるとか……そ、園衛さまは良くマトモでいられますねぇ……っ」

 篝にしてみれば、瀬織は常識の埒外の存在だった。

 ロボットでもなく、空繰でもなく、人間でも魔ですらもない、論理と理屈を超越した不条理の塊のような存在が目の前にいるのだ。存在すること自体がおかしい。理系脳の篝にとっては未知と理解不能ゆえに恐怖を感じざるを得ない。

 同時に、理性とは違う本能がざわめく。

 東瀬織は禁忌と思う理性と相反して、見てみたいと本能が騒ぐ。おっかなびっくり、危険なものだから少しぐらいは覗いてみたい。ほんの少しだけなら平気だから……と意識せずに篝は園衛の影から頭を出した。

 すると、すぐ目の前に瀬織の顔があった。

「どうされましたかぁ、西本庄さん?」

「ひぃっっ!」

 自分より背の低い篝の目線に合わせて腰を曲げ、瀬織は薄笑いを浮かべていた。

 瀬織は篝の慄きがとても愉快なようで、くすくすと嗤いながら至近距離まで顔を寄せた。

「何が恐ろしいのですかぁ? わたくし、見た目通りの普通の女学生でございますよぉ」

「ああああああっ……なにが、なにが、なにが普通……」

「暗くて良く見えないのですよね? だから、こうして近くまで来てさしあげたのです。さあ、もっと良くご覧あそばせ」

 甘く生温い吐息を篝の鼻に吹きかけると、次第に篝の表情が変わっていく。

 強張りが緩み、歓喜の笑みを浮かべて、篝の眼差しは憧れと尊敬を抱く少女のような輝きを得た。

「ええ……そうですね。暗くて良く見えませんでしたぁ。瀬織お嬢様はとっても素敵な学生さんですねぇ! キラキラしててトキメキましゅう!」

 口調が明らかにおかしい。しかも妙な尊称までつけている。

 園衛は訝しんだ。

「瀬織、お前……」

「ほほほ……わたくし、何もしておりませんわ。普通の人はこうなってしまう。それだけの話です」

「妙なことはするなよ」

「もちろん。分別は心得ております」

 不敵に笑う瀬織の表情が引っかかるが、それはさて置き園衛は本題に入ることにした。

「ここは10年前まで空繰や戦闘機械傀儡の整備に使われていた場所だ。今は私の空繰の保管場所になっている。木と金属で出来た傀儡を保存するには防虫剤と窒素ガスで密閉する必要があるのでな」

「はあ、道理で臭いわけです。それで、園衛様の空繰というのは?」

「アレだ」

 園衛が広い部屋の片隅を指差すと、篝が壁際の照明のスイッチを押した。

 低温の白い空気の中、大きな二体の空繰が鎮座している。

 一体は、切れ長の目をした狛犬型の2メートル級の機体。

「こっちが雷王牙で――」

 園衛が空繰の名を告げた。続いて指差すのは、その隣の鳥のような意匠の機体。いや頭に山伏のような頭襟を乗せているから、カラス天狗を模しているのだろうか。翼を畳んで駐機しているが、翼を広げれば幅5メートルはありそうな空繰だ。

「あっちが綾鞍馬だ。若い頃は、こいつらと随分と無茶をしたものだ」

 昔を懐かしむよりも苦労が思い出されるらしく、園衛は眉間に皺を寄せて肩をすくめた。

 二体の空繰の中枢部である勾玉の色は、共に赤。最上級のグレードの証だ。若き日の園衛と修羅場を潜り抜けてきたというのだから、性能はかなりのものだろう。この等級の空繰ともなれば遠隔操作の必要はなく、自律行動も可能なはず。

 と、瀬織は妙な気配を感じた。

 チクチクと頭の裏を冷たい棘で突くような感覚。殺気、というより喧嘩をふっかけられている気配だった。

「あら……なんですの、あなた達」

 純粋な敵意には敵意を以て返す。

〈雷王牙〉が喉を低く鳴らして瀬織を威嚇している。

〈綾鞍馬〉は翼の付け根に折り畳まれていた腕を展開し、先端が槍のように尖った錫杖をしゃんと鳴らして、穂先を瀬織に向けた。

 一触即発。

 園衛は舌打ち、不穏な空気の間に割って入った。

「待て。どうしてそうなる」

〈雷王牙〉と〈綾鞍馬〉は自我があっても人語は発せないため、首を引っ込めるような仕草で不満の意思を表した。言葉にするなら『どうしてコイツ殺っちゃ駄目なんですか、園衛様!』といったところか。

 一方、瀬織は鋭い目つきで笑みを浮かべている。

「そこの二匹はいわば園衛様の護法童子。善なる属性のモノでございましょう。すなわち、わたくしのような存在とは水と油でございます」

「ならば私の名の下に命ずる。争うことまかりならん」

 園衛は双方に命令したが、二体の空繰は不承不承といった感で低く唸っていた。

「瀬織よ。あの二体、暫くお前に預ける」

「えぇ、どうしてですかぁ?」

 瀬織も露骨に不満げな顔をして見せた。善なる空繰とは根本から相性が悪いのだろう。

 園衛は部屋の一角を親指で指した。そこにはカートに乗せられたサソリ型戦闘機械傀儡〈マガツチ〉があった。

 先日は瀬織と共に大立ち回りを演じた〈マガツチ〉だったが、今や力なくカートの上で残骸のごとき姿を晒している。

 戦闘による破損は未だ修復されず、尾は喪失し、装甲もヒビと欠損だらけ。動力源のリチウムイオンバッテリーも空のままだった。

「マガツチはあのザマだ。暫く使えん。もしものことがあった場合、今のお前で景を守り切れるか?」

 東景。瀬織が現在、同居している中学生の少年であり、かけがえのない存在でもある。

 故に代用品として二体の空繰を貸与するとのことだが、瀬織は納得がいかない様子だ。

「もしものことって……。あの園衛様、今世は平安の昔に比べれば遥かに治安が良いと思いますの。官憲や軍隊は正常に機能しておりますよね?」

「ン……まあ、それはそうだが」

「漫画絵巻やらのべみたいに学校や市井に狼藉者やら魑魅魍魎やらが突っ込んでくるようでは世も末ですわ。統治能力を喪失した国は遠からず内乱が起きるのが歴史の常でございます。して、そんな荒事とは無縁の今世の日の元で起きる『もしものこと』とは一体かような事柄でございましょうか?」

 園衛は一旦、口を噤んだ。議論する気などなかった。

 ぐだぐだと長ったらしい理屈を並べるのは、自分に都合の良い方向に話を誘導する詐欺師かエセ宗教屋と相場が決まっている。その手には乗らない。

「お前は素手で恐竜を殴り殺せるか」

「えっ?」

 予想外の反撃に瀬織が戸惑った。1000年以上も人間を言葉巧みに操ってきた瀬織が初めて聞く言葉の羅列だった。

「恐竜をブッ殺せるくらい強いならお前の要求を呑んでやる。そうでなければ断固としてノーだ。交渉になど乗らん。恐竜の一匹も殺せないクソ雑魚のお前は黙って私の空繰を借り受けるのだ。他に選択肢はない」

「あ、あのぉ……わたくしの話聞いて――」

「お前の話など聞かん。他の有象無象のように私のことを操れると思ったか? 自惚れるな痴れ者。ちなみに私は生身の小型恐竜なら素手でブッ殺せる。前に頭のイカレた爺さんがクローン再生したのを実際に一匹殺したことがあるからな」

「ま、参りました……。ごめんなさい……」

 瀬織は言葉のデッドボールに完敗した。

 調伏を終えて、園衛は篝に向き直った。

「マガツチ、直すのにどれくらいかかる」

「な、直すって……それ無理ですよぉ」

 篝は困った顔をして首を横に振った。

「アレは10年前に一体だけ作られた試作機ですよ? パーツも冶具も何も残ってません。他の傀儡から流用できるのは人工筋肉くらいですし、それにしたって予備部品はほとんど無いんです」

「何とかならんのか」

「何ともなりませんよぉ。この前の改造はたまたま既製品と規格が合ったから出来ただけですしぃ……。大体、わたしはエンジニアであってメカニックじゃないんです。継続的に本格整備するなら熟練のメカマンがいなきゃ」

 園衛は「むう……」と小さく唸って顎に指を当てた。思い悩む。現実の壁にぶち当たって、悩む。

「この10年……機材も人も何もかも散逸してしまった。失った物は二度と元には戻らん。分かっていたことだが……」

「でもぉ……頑張れば一体くらい何とかぁ……?」

 篝は思わせぶりな口振りで、チラチラと横目で園衛を見ている。

「今は3Dプリンターとかありますからぁ……。あの、そのぉ、園衛様がいっぱいお金出してくれたり、専門家を手配してくだされば、全面改装という形で何とかなるかなぁー……と」

「何とかなるなら構わん。後で見積書を出せ。3億くらいなら出してやる」

「うひっ、さすがお金持ち♪」

 自由な開発環境と自由に使える資金を約束されて、篝は不気味に笑って歓喜した。

 篝はくるりと身を翻すや、瀬織の前に跪いた。

「そ・こ・でぇ♪ 瀬織お嬢様にもご意見を頂きたいのですぅ~」

「あら? わたくし、何を言えば良いのでしょう?」

「遠慮はいりません~! 人間を超越した偉大な神様の観点から、お嬢様が使い易いと思われる仕様を好き放題に言ってくだされば、わたし精一杯実現に向けて頑張っちゃいますので~っ!」

 瀬織を見上げる篝の目つきは明星を見上げるがごとし。

 その至高に頂かれた瀬織は、薄闇の中で闇よりも深く嫣然と嗤い、忠実な従僕を見下ろした。

「では、こんな感じで如何でしょうか――」


 私立宮元学院。

 その名の通り宮元家の経営する中高一貫校である。

 国立大学への進学希望者を集めたエリートコース、スポーツ分野への進出を目的としたスポーツコース等のクラス分けはあるが、平均学力はいたって普通。

 隣接した高台の第二校舎など敷地は広く、ボウリング部といったユニークな部活動も存在するがスポーツ面での実績も稀にどこぞの部活が全国大会に出場する程度で、ドラマチックな話題とはあまり縁がない。

 そんな、わりかし普通の学校なのだが、少し変わった風習も存在する。

 学力、体力、人望、精神、決断力、諸々の能力を総合した上位5名が全生徒から選抜され、当在位南北中央の位階を与えられ〈五方央〉と称される。

 放課後、三階から屋上に至る人気のない踊り場にて

「つまり、これに選ばれた者はエリート中のエリートなのだ」

 と、誇らしげに語るのは銀髪の少女。高等部一年生のクローリク・タジマである。

 白い肌と青い瞳、加えて凍りつくような美貌の彼女は日本人の祖父を持つロシア系のクォーターだ。

 クローリクが誰に話しかけているかと言えば、先ごろに転入してきた同じ高等部の一年生、東瀬織だった。

 瀬織は説明を理解したのかしていないのか小首を傾げ、漠然とした態度でもって

「はぁ」

 と短く返事をした。

 クローリクはフンと鼻を鳴らし、自分と同等の背丈の瀬織を強引に見下ろすように首を上げてみせた。

「私がどうしてこんな話をキミにしていると思う? キミの入試テストの結果を知ったからだ」

「あのぉ~、それって生徒さんが見て良いものなんでしょうか」

「五方央の特権なのだよ、これは」

「はぁ」

 瀬織は適当な返事をすると、上着のポケットから生徒手帳を取り出してパラパラとページに目を通した。

「確認してみましたが、そのような校則どこにも見当たりませんわねぇ」

「当然だ。これは影のルールなのだからな」

「つまり、わたくしがそれに従う義務は皆無ということでございますね」

 にこやかに微笑むと、瀬織は軽い会釈をして

「それではクローリクさん、ごきげんよう」

 流れるような角のない動きですっと踵を返し、その場を後にした。

「なっ、おっ? ちょッ、待て待て待てぇッ!」

「おほほほ……待てと言われて待つ義理も皆無ですゆえ~」

 制止するクローリクに一瞥もくれず、瀬織はすぅっと流れるような動きで階段を降りていった。

 運動面でも校内上位にあると自負するクローリクだったが、どういうわけか追いつける気がしなかった。自分の体の挙動がやけに鈍く、意思と相反して動くのを拒絶しているかのように思えた。

 そんな妙な体験はさて置き、じきじきに行った〈五方央〉への勧誘を無下にされたというのはクローリクにとってはこの上なく――

「屈辱ッ!」

 で、あるからして、クローリクは思いの丈をテーブルに叩きつけた。薄い作りの折り畳み式会議用テーブルがぶるぶると震える平手打ちであった。

 瀬織との一件から二日後、クローリクは高等部の生徒会室にいた。

 クローリク自身は別に生徒会の一員ではない。特別に強力な権限があるわけでもないごく普通の自治会運営など雑務に等しく、そんなことは選ばれた存在である自分がやる必要はないと考えているので、入ろうとも思わない。

 では何故にここにいるかと言えば、生徒会室が〈五方央〉の会合に使われるのは伝統的慣例であるからだった。

 クローリクに対面するように座るのは〈五方央〉の一人、ソーカル・ザラトイ。金髪の東欧系少女であり、中等部の二年生だ。

 ソーカルは実に面倒臭そうな表情で話を聞き流し、手元のスマホ操作に没頭していた。

「別に……どうでも良いんじゃない」

「どうでも良くないッ!」

 全くの無関心を表明する態度にクローリクは声を荒げた。

「私たち五方央が愚弄されているのだぞ! なんとも思わんのかソーカルッ!」

「別に……。ていうか、あたしも去年アンタに無理矢理ここに入れられたんだけど。なに? 勧誘のノルマとかあんのコレ? 何かの宗教?」

 ソーカルは〈五方央〉に入って一年が経過するが、この通り熱意が足りない。

 クローリクは舌打ち、別のメンバーに向き直った。

「大体ッ! あの東瀬織という女がきてから妙なことが立て続けに起きる! 校舎が急に壊れるわ水道管は破裂するわ、学校で怪獣が暴れてたって話まである! おかしいと思わんか?」

 瀬織が転入した翌日に害獣駆除なる理由で山が立ち入り禁止になった上、学校も休校。その翌日に来てみれば校舎の窓ガラスが割れ、地中の水道管が破裂して校庭は水浸し、校舎もヒビだらけで工事中という有様だった。

 だからといって、それらを一人の女子生徒と関連づけるのは客観的に見て妄想めいている。

「そりゃおかしいけどさ~? 別に関係なくね?」

 苦笑して見せるのは、ショートカットの少女。中等部二年生の宮元空理恵だった。

 彼女は理事長の実妹である。能力的には落第級だが、名誉メンバーとして籍を置いていた。

「怪獣にしたってさ、うちのドローン部が飛ばしてたでっかいラジコンだって話じゃん。パイセンの考え過ぎだよ~」

「だぁれがパイセンだ! 変な呼び方はやめろ宮元ッ!」

 ソーカルとは別方向に不真面目な名誉メンバーを一喝するや、クローリクはテーブルの下から二枚の明細書を取り出した。

「これを見ろ。そのドローン部に配分される部費だ。片方は先月分、もう片方はつい先日に特別配付された分を計上した額だ」

 先月分の部費は3000円。これは理事長の計らいによる、いわゆるお情け部費である。ドローン趣味の部活を運営するにはあまりにも些少な金額。そもそも配布先の部名にしても制式な部ではなく〈ドローン同好会〉と記載されている。

 3000円という微々たる金額にしても、理事長である宮元園衛の

 人員も集められず目標もなく、唯唯諾諾安穏と仲良しサークル活動をしているだけの青春の無駄遣い同好会など早々に見切りをつけて解散してしまえ。少ない予算でジワジワと干上がっていくのが厭ならば、自分たちの人生を費やし、青春を燃やすに値する“道”だと証明してみせろ

 という本音の厳しさが込められた3000円であった。

 それがどういうことなのか、今月に入って〈ドローン同好会〉は急に〈ドローン部〉に昇格。これに伴い、特別配付として多額の部費が与えられた。

 その額、なんと20万円。

「20万だぞ20万! おかしいだろ絶対ぃッ!」

 明細書の上からまたしてもテーブルを叩くクローリク。しかも何度もバシバシと叩く。

 そして興奮から一転、鋭い氷の目つきに変わった。

「私が思うに、これは事実を隠蔽するための偽装工作だ。『怪獣はドローンの見間違いである』というシナリオを裏付けるためにドローン同好会を利用したのだ」

「えー? 誰がそんなことすんのさ?」

 空理恵はヘラヘラと笑っている。全く本気にしていない。なんたる迂遠さか。

「お前のお姉さん! 宮元理事長以外におらんだろうがッ!」

「え~? でも姉上ってアレで意外と気まぐれだからさ。20万くらいポンと出してくれるかもよ?」

「違う! 断じて違うッ! 理事長はそんなことしない!」

 宮元園衛は一本筋の通った人間であると、クローリクは確信している。何回か顔を合わせたことがあるが、生徒に対する柔和な態度の裏に、およそ現代人とは思えぬ迫力を感じた。ただ者ではないと思った。

 そんな人が何の実績もない同好会に理由もなく小遣いをくれてやるだろうか? 否、断じてあり得ない。

 対する理事長の実妹、空理恵はのほほんとした様子だった。

「え~? でも姉上、今年の正月にいきなり『私にじゃんけん三本勝負で勝ったらお年玉10万円。負けたら1万円だ』とか言い出したんだけど~? ちなみにアタシ、負けて1万円しか貰えなかった。えへへへへ」

 ぐらり、とクローリクの認識が揺らいだ。

 お正月気分のちょっとした気まぐれで、無能な妹にお年玉10万円くれるのだから、無能な同好会にも20万円くれてやる。

 そんなことするかも知れない……。

 と、負けそうになる自分を気合で振り払う。

「違うッ! 恐らくはそれも理事長の思惑! 偽装工作ッ!」

 意固地を張るクローリクに、ソーカルが冷ややかな視線を向けた。

「ねえ、クローリク。あんたオカルト好きだっけ」

「な、なに……?」

「オカルト陰謀論。実はそういう雑誌とか読んだり、オカルト掲示板とか入り浸ってる?」

「な、なにぃ~~~……ッ?」

 ソーカルの言わんとする所は分かる。

 全く無関係の事件を強引に東瀬織に結びつけ、こじつけるのは陰謀論者と同じ論法であると、遠回しにコケにされている。

 だが陰謀論などでは決してない。断じてないのだ。

 事実を繋ぎ合わせて、限りなくブラックに近いグレーの真実を導き出すのは情報解析の基本中の基本である。

 だから! クローリクは歴史あるオカルト誌を年間購読契約したり、日本だけでなく各国のオカルトサイトなども回って情報を収集し、世界の裏側を暴こうと同好の志と日夜ネット掲示板で議論を交わしているのだ。

 それこそ小学生の頃からッッッ!

「い、陰謀論……ではないぞぉ~~ッッ!」

 クローリクの声は震えていた。

 割と隠していたい趣味なので、ソーカルに見透かされないよう話題を強引に進める。

「東瀬織が転入してから学年の雰囲気が何かおかしい!」

「おかしいって、何が?」

 空理恵がまたしても素人めいた態度で割り込んだ。

「中等部のお前には分からんだろうが、男子も女子もいつのまにか奴の信者みたいになってるのだ」

「はあ? なにそれ」

「言った通りだ。ほんの一言二言会話をするだけで、どいつもこいつも東瀬織に魅了される……としか言いようがない。皆、口を揃えて『彼女は素晴らしい』だの『彼女と同じクラスで光栄だ』だの、たわけたことを言い出すのだよ」

「つまりパイセンは東って人に人気を取られて悔しいってこと?」

「違うッ! そんなこと言ってないだろ!」

 と反論するものの、空理衛の指摘は一部当たっている。

 実際、高等部一年生のヒロイン的存在だったクローリクの立場は東瀬織にそっくり奪われてしまったのだ。納得がいかないのは事実だった。

「みんな東瀬織に洗脳されている……としか言いようがない。奴は普通ではない。絶対に」

「あーっ! アタシそういうの大昔のラノベで読んだことあるー! もしかしてウチの学校って狙われてる~?」

 相変わらず空理恵は真面目に話す気がないようでクローリクは辟易したが、案外的を射た意見のようにも思えた。

 ここに至り、今まで黙って会話に聞き入っていた最後の〈五方央〉メンバーが口を開いた。

「東瀬織の正体がどうあれ、風紀を乱しているのは間違いないと見た」

 上座に座る眼鏡の男子生徒。彼こそは高等部三年生の生徒会長だった。

 成績は三年連続学年一位。国立大学への推薦もほぼ内定済み。剣道部に所属し、心身ともに鍛え上げられた〈五方央〉に相応しい逸材である。

「私の方から東瀬織にはきちんと言っておく。心配は無用だ」

「おおッ! さすがは生徒会長ッ!」

 クローリクも一目置く、この生徒会長が自ら動くのなら最早なんの憂いもない。

 なにせ生徒会長は学生弁論大会でも三年連続で大賞を取っている。得体の知れない小娘ごとき、あっという間に説き伏せ、屈服させてくれるのは間違いないだろう。

 だが翌日――

 クローリクは放課後、高等部の校舎で生徒会長を見かけた。

 生徒会長はやけに上機嫌な様子だった。にこにこと笑顔を湛えて廊下を歩いていた。

「会長ッ!」

 クローリクは勝利を確信して声をかけたが

「おお、クローリクくん」

 返ってきたのは、抑揚のない不気味な声だった。

 問い質すまでもなく、生徒会長は饒舌かつ機械的に話し始めた。

「話してみて分かったが、全くの誤解だったよ。東瀬織さんは素晴らしい生徒だ。あの年齢であんなしっかりした考えを持っているのは驚嘆に値する。私など足元にも及ばない」

「な、なにを言って……」

「彼女こそ生徒会長に相応しい。でも本人はその気がないみたいだ。だから今後、生徒会は彼女を相談役として意見を求めるべきだと思う。東瀬織さんの意見があれば、学院も生徒ももっと……より良い……ひひひひ……方向に……うひひひ……進めると……うひひひひ……」

 生徒会長は歓喜の表情を浮かべて、笑っていた。

 人間として完全に終わっていた。人格を根こそぎ破壊されている。

 尊敬する人物の変わり果てた姿に絶句するクローリクの視線が、廊下の奥に黒い影を見た。

 東瀬織――。

 全ての元凶たる少女が、薄い笑みを浮かべてこちらを見ている。

 自らの奴隷に変えた生徒会長の有様を見て愉しいのか。あるいは自らに刃向うクローリクの脆弱さを嘲笑っているのか。

 クローリクには、どちらでも良かった。

 生徒会長に見切りをつけ、強い意志を込めて瀬織へと向かう。拳を握り、足に力を入れて、歩み寄る。

 瀬織は逃げもせず、果敢にも立ち向かってくる儚い存在を待ち受けていた。

「あら、クローリクさん。何か御用ですの?」

「東瀬織……ッ。貴様、何が目的だァッ!」

「これは奇態なことを。わたくしはただ、安寧に日々を過ごしたいだけですわ」

 激情を露わにするクローリクに対して、瀬織は余裕を持って微笑んだ。

 冷たく、暗い、日影のような笑みで。

「あなたも、あそこの会長さんも、少し勘違いをされているようですね。五方央……でしたっけ? 四天王だか八人衆だか知りませんが、この狭ぁい学校の中での肩書きとか地位とか、そういうもの押し付けられても笑ってしまうんですよね。だから、丁重にご遠慮したわけです」

「貴様ァ! 伝統ある五方央を愚弄するかーーーッ!」

「伝統とか歴史とか、せいぜい100年かそこらの話ではありませんか? ほんっと滑稽ですわぁ。でもまあ、そちらは狭い世界での格付けとか序列とかに拘ってるようですから、わたくしも同じ土俵に立ってさしあげるのが作法というもの」

 瀬織は胸の下で腕を組んで、豊かな乳房を持ち上げるようにしてクローリクを見下ろした。

「王権と人心の掌握。国を牛耳るとはどういうことか……見て分かりませんか? 勝敗は決しています。あなたはもう一人ぼっちなんですよ、クローリクさん?」

 クローリクは背筋に冷たいものを感じた。

 目の前の少女からは得体の知れない力を感じる。それは宮元園衛のような清廉さとは真逆の、毒々しい邪悪なものだ。

 恐らく、伝説で語られる毒婦の類、国家を裏で支配する魔性の女とはこういうものだろう。

 冷や汗が額に滲む。本能で感じる。目の前のこれは、危険すぎる。関わってはいけないものだと。

 それでも、クローリクの意地は逃走も敗北も認めなかった。

「私は……貴様にだけは絶対に負けないッ!」

「ほほほ……醜いですわねえ。吼えるだけの負け犬……いえ、小ウサギでしょうか? ふふふふふ」

 黒髪の魔性に相対する銀髪の白兎は、気高くとも儚い。

 強大な邪悪に対して抗う術は何もなく、今や孤立無援にして万事休す――かと思われた。

「なんだ? 何をやっているのだ、お前たち」

 ごく自然に、宮元園衛が階段を降りてきた。

「あら、園衛様」

「うおッ、理事長!」

 突然の出現にクローリクは狼狽するが、何ら不思議なことはない。

「今日は私の見回りの日だ。生徒らがちゃんと部活をやっとるか確認しにな」

 理事長判断で部費を増やすこともありうるので、園衛は実際に活動状況を視察。同時に生徒達に問題がないかを観察し、場合によっては相談に乗ることもある。

 運の良し悪しは相対的であるが、実際に園衛は生徒間の問題の現場に遭遇する形になった。・

「理事長ッ! 実は最近、校内で不穏な空気があるのです!」

 すかさずクローリクは園衛に進言を図った。

 瀬織はしまったという感じで「あ」と小さく声を上げて目を逸らした。

 園衛は、瞬時に状況を理解したようだった。

「瀬織。妙なことはするなよ」

「は、はいぃ……。もちろんですわぁ……」

 それだけで事は済んだ。

 翌日から、宮元学院高等部は平常に戻った。

 生徒達は昨日までの異常を忘れ、東瀬織は普通の女子生徒として学年に溶け込んでいる。

 だが一人だけ、未だ疑念と敵愾心を抱く者もいる。

 クローリクはクラスが違えども、休み時間や移動中に運悪く瀬織と顔を合わせることもある。

 その度に、二人の間には不穏な空気と静かな火花が散るのだった。

「あら、クローリクさん。今日も顔色が悪いですわね。ちゃんとご飯食べてますか? 栄養不足では背も胸も大きくなりませんわよぉ」

「肌が白いのは生まれつきだ。それに身長とバストは子供の頃のタンパク質摂取量で決まるのだ。もう少し勉強したらどうなんだ? ん~~ッ!」

 小言と嫌味の応酬の熱戦状態。

 しかし、他の生徒達から見れば印象は異なる。

「あの二人って仲が良いのね~」

「美少女が並ぶと絵になるなぁ~」

 そもそも、本当に仲が悪いのなら声などかけない冷戦状態になるわけで、二人は張り合いのあるライバル程度の関係だというのが大方の意見なのであった。


 時は1956年。

 左大千一郎の指揮の下、戦闘機械傀儡が大量生産されるようになって数年が経過した。

 かつて狂人扱いされた左大は。今や富も地位も名誉も我が物としていた。

 恐竜型戦闘機械傀儡の戦闘能力は絶大であり、いかなる妖魔も敵ではなかった。

 従来の空繰は完全に時代遅れとなり、それに携わっていた職人や術者は瞬く間に閑職に追いやられてしまった。

 左大の派閥、すなわち恐竜派と旧来の空繰派との間で軋轢が生じるのは当然のことであった。

 ある日の白昼。関東地方某所、市街地の片隅に、左大の経営する戦闘機械傀儡の工場があった。

 その正門にトラックが突如として突っ込んだ、

 瞬く間に合計10台のトラックが、任侠者のカチコミさながらに突入。

 幌の張られた荷台からは、総計100人の反左大派術者が100体の空繰と共にわらわらと降りてきた。

「なにが恐竜じゃーーッ! なめたこと抜かしとると鉛(ギョ)玉(ク)くわすぞワリャー―――ッ!」

「左大のボンクラァ出てこいゥオラー――ッ! ワシらの先生が相手したる言うとるんだよあーーーーーっ?」

 ガラの悪い術者たちが工場建屋を取り囲んでがなり立てる。

「この恐竜愛狂者ーーーッ! ビビって出てこれんのかおーーーーーっ?」

「こっちにはなぁ! あの空繰派の重鎮、一撃必殺の空繰操縦秘術を伝える達人、凱応虚心流最高指導者五浦天心先生もおるんじゃーーーっ!」

「先生がお前のガラクタなんざっ叩き壊しちくれるるるァ!」

 術者たちの先頭にて、黙して悠然と佇む紋付羽織袴の禿頭の中年こそ、最高指導者五浦天心その人であった。

 工場は街中にあるので、この異常は周囲の人達の知る所となったが、皆見て見ぬふり

 をした。

 任侠者の抗争は昭和の日常茶飯事である。明確に取り締まる法律が制定されたのはずっと後のことであり、それまでこういった暴力沙汰や取り壊し騒動は半ば放置されていた。死人が出ない限り、まず警察は動かない。

 商売をするにあたってその地域の組織に一定の上納金を払わなければ、開店当日に若い衆が営業妨害にやってくるのは当たり前。酷い時はブルドーザーやパワーショベルが突っ込んでくる事故が起きたりもする。そんな事が起きても、何の後ろ盾もない被害者は泣き寝入りするしかなかった。

 一般市民は日々、任侠者の抗争に怯え、因縁をつけられまいと出来るだけ距離を置いて生活していた。

 周囲の住民は、どうせ上納金の出し渋りか何かで工場が任侠者と揉めたのだろうと思って、厄介そうに顔を背け、家々は窓を閉めた。

「オラァッ! 出てこいブリキトカゲェ!」

 2メートル級の標準型空繰を使って、術者たちは工場のシャッターをガンガンと殴りつけていた。左大が出てこなければ力づくで押し入るのも時間の問題だった。

 程なくして、工場のシャッターが開いた。

 殺気立つ術者たちの表情。誰しもが凶暴に笑う。

「一斉にいくぞォルぁ!」

「潰したらぁクソトカゲェ!」

 工場の中には、確かに戦闘機械傀儡〈ジゾライド〉がいた。

 だが、開いたシャッターは一つではなかった。

 全ての搬入口、搬出口のシャッターが続々と開き、その中の全てに〈ジゾライド〉がいた。

 組み上がったばかりの〈ジゾライド〉が20体。機関砲やロケット砲をフル装備した状態で、赤い炎の目を輝かせ、殺戮の幕が上がるのを待っていたのだ。

 地獄の幕が上がると、術者たちの表情は恐怖へと一変した。

 コンクリートの踏み砕かれる轟音と共に、一方的な虐殺が始まった。

 量産に当たって再設計された〈ジゾライド〉の正式採用型は、簡素とはいえ火器管制装置が備わり、当時の米軍から供与されたM4中戦車と同型のガソリンエンジンを搭載。装甲もより重装甲かつ高品質の部材に換装され、全備重量は20トンを超えていた。

 術者たちは安易に考えていた。いかに〈ジゾライド〉が強力であろうとも、数で攻めれば勝てるだろうと。

 現実はあまりに無常にして、挑戦はどこまでも無謀。

 一般的な空繰は身長2メートル、重量も200キログラムほど。そんな玩具がいくら束になったところで、問題にすらならなかった。

〈ジゾライド〉が歩くだけで空繰は踏み潰され、磨り潰され、尾の一振りで10体の空繰が操る術者たちもろとも宙を舞った。

 火砲への実弾の装填は一般の工場では行えないので武装類は威嚇のための装備だったが、仮に発射可能でも使う必要はなかっただろう。

「うわあああああああああ!」

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」

 術者たちの悲鳴が響き渡る中、最高指導者五浦天心は腕を組んで構えていた。

「せっ、先生――っ! おおおおっ、お願いしますぅぅぅぅぅぅぅ!」

 袴にすがる術者へと、最高指導者五浦天心は無言で頷いた。

 その背後の地面が突如として隆起を始めた。

 地下の水道管や下水管を大量の土砂と共に地上に押しのけて、地下から巨大な空繰が姿を現した。

「おおっ! あれは五浦先生の!」

「制圧級空繰! 烈震だぁっ!」

 術者たちの歓声を受けて、10メートル級の巨大な玄武型空繰〈烈震〉が身震いした。体にかかった土を払い、吹き上がる大小の水柱の中で、〈烈震〉は鳥に似た甲高い声で鳴いた。

〈烈震〉は、現存する空繰の中では最大級にして最重量級の機体だ、いかなる突風、暴風にも踏みとどまる機体重量は20トンを超える。

 この機体を駆動させるのは、最高指導者五浦天心の念動力のみ。凄まじい精神力であった。

〈ジゾライド〉の内の一体が、嗤うように口を開いた。

 ようやく、自分と釣りあいの取れる相手が現れたことに歓喜している。

 その一体が先駆ける。一歩、ずしりと足を踏み出して、みなぎる戦意と殺意を咆哮に変えて吐き出した。

 対峙する、二体の巨獣。

 じっと間合いを測る〈烈震〉に対して、〈ジゾライド〉は全くの無遠慮かつ無配慮に突進した。

 原始の闘争本能に技の裏表はなく。ただ純然たる力が暴風となって襲いかかった。敷地内に敷かれたアスファルトを地層ごと蹴飛ばし、巨体を加速させる瞬発力は見る者の想像を絶していた。

 20トンの大質量が正面衝突。重量は互角。だが、加速させるパワーが違い過ぎた。

〈ジゾライド〉の倍化した質量を乗せた運動エネルギーをまともに受けて、火花を散らして〈烈震〉の甲羅が砕けた。多積層の鉄製装甲が歪み、弾け、めくれ上がって、〈烈震〉は悲鳴を上げて仰向けに転倒した

「んかあっ!」

〈烈震〉の受けた衝撃をフィードバックした最高指導者五浦天心が顔を歪ませ、両目から血を噴出。

 それでも、玄武の尾たる蛇を使って果敢に反撃する。蛇の顎が〈ジゾライド〉の首に噛みつき、火焔を吐きかけるが、効かない。

 金属で出来た機械の恐竜に火焔なぞ無意味。厳重に防護されたガソリンエンジンに引火させるには、あまりに生温い弱火。

〈ジゾライド〉は首に噛みつく惰弱な蛇を無視して、大きく口を開いて牙を剥いた。

 そして、〈烈震〉の長い首へと噛みつき――全身をぐるりっ、と横方向に回転させた。

 現生のワニが獲物に噛みついた時に行う、全体重をかけた殺傷行動。通称デスロールに酷似した攻撃であった。

 20トンもの重量を乗せた必殺のローリング・ティランに、〈烈震〉の柔な首は耐えられなかった。耐えられるわけがなかった。

 ギィィイっという鉄塊が軋む厭な音の後にゴキンッと、鉄骨が破断する重い音と同時に〈烈震〉の首は捩じ切られていた。

「ふぅおおおおおおお……」

 自らの首を喪失する幻肢痛を味わいながらも、最高指導者五浦天心は立っていた。

 なんたる精神力。だが目と耳から血を吹き出す凄絶な姿に、術者たちは言葉を失った。

「まだ……まだ負けてはおらぬわぁぁぁぁ……」

 術者の精神が健在ならば、首を失ったとて空繰は動く。〈烈震〉が足をじたばたと動かして起き上がろうとしている。

 赤い勾玉を血がにじむほどに握りしめる最高指導者五浦天心。

 その背後に、大きな人影が迫った。

「往生際が悪ィんだよこんカボスがぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 左大千一郎であった。その剛腕が繰り出す鉄拳が最高指導者五浦天心の頬に炸裂。一発で昏倒させていた。

「なあにが一撃必殺凱応虚心流最高指導者五浦天心十段超先生だよォ! 全っ然! よえ~~っじゃね~~かよあーーーっ!」

 左大の叫びに呼応するかのように、〈ジゾライド〉が〈烈震〉を踏みつけ、勝利の咆哮を上げた。

 こうして反抗勢力は実力で捻じ伏せられた。

 この抗争は後日、異常な叫び声を不審に思った周辺住民からの問い合わせもあったが

「あ~~、それですかぁ~~っ? アレはうちで作ってる恐竜のオモチャの鳴き声でしてね~~っ!」

 と左大が大型のトーキングギミック内蔵の電動歩行ブリキ〈ジゾライド〉人形および、廉価版のゼンマイ歩行人形を見せ、更にお子様たちに無料プレゼントすることで事なきを得た、

 工場を襲った術者たちの中には敗北を良しとせず尚も反抗しようとする者も少なくなかったが、最高指導者五浦天心自身が

「我々は力を以て対決し、力によって敗北したのだ。遺恨を残すのは筋違いというもの」

 と潔く敗北を認めた上に

「我が流派は形式に依りすぎた……。形ばかりの武道、大きいだけの看板が戦場で何の役に立つだろうか。人類守護のため、妖魔に勝つための実践的な術を今こそ、ゼロから追及すべき時がきたのかも知れん」

 と考えを改め、自ら左大の派閥に参入。戦闘機械傀儡を操る流派として凱応虚心流を再編すると宣言してしまったのだ。

 このような具合で逆らうものに恐竜制裁。従う者には雇用と利益を与える手法によって、左大は宗家の大幅な組織改革に成功。

 中世からロクに進歩のなかった財政面、兵装面、戦術面も近代化され、左大いわく「戦争が下手糞なバカと素人の集まり」だった組織は極めて効率化されていった。

 大局的に見れば、左大のやったことは英雄的偉業である。左大個人としても不遇から一転した成功者である。

 だが間近から左大の行いを見てきた一人の男は、事の本質を見抜いていた。

「あいつはただの恐竜愛狂家のチンピラだ。イカレてるんだよ」

 東仁である。

 仁は何年経とうとも左大への態度を変えなかった。

 更に時は経ち、1960年代に入ったころ、左大は銀座のクラブを貸し切って大きなパーティーを開いた。

 大きく看板に掲げられたパーティーの題目は〈欧州セールス絶好調記念祝賀大パーティー〉。関係者を手当たり次第に呼び寄せ、大きな会場は派手な料理と酒で飾り立てられていた。

 その中に、東仁の姿もあった。

 本当は来たくなかったが、東家の当主として仕方なく出席していた。

 不機嫌そうにワインをちびちび啜る仁の前に、悪趣味にラメを煌めかせる派手なスーツの男がやって来た、

「いよぉ~~っ、北宮ぁ! 来てくれてうれしぃぜぇ~~っ!」

 パーティーの主催者にして不倶戴天の敵、左大千一郎本人だった。後には何人も太鼓持ちのような小物を引きつれている。

 左大は今でも仁のことを旧姓の北宮で呼ぶ。身内と認めたくない故か。

 嬉しいなどと口では言っているが、実の所は嫌味を言いにきたのは明白である。

「うるせぇな成金クソ野郎。酒がまずくなるから、とっとと消えろ」

 仁は目を合わせず言った。

 すると、左大の後からガラの悪い小物が騒ぎ出した。

「なんだーーっ、貴様――っ! 左大先生にその口の聞きぃ――」

 身を乗り出してきた小物の威勢の良い叫びは途中で止まった。

 仁が小物の首を右手で掴み、呼吸も出来ぬほどに圧迫していたからだ。

「ご主人様に似てうるさいなこのニワトリ」

「あへ、あへ……」

 小物のか細い呼吸音は程なく消えて、仁は白目を剥いて動かなくなった男を横に捨てた。

「静かになった。お前らも鳴くのは朝だけにしろよな」

 静かに告げると、他の小物たちは萎縮して何も言えなくなった。

 ただ一人、左大だけはニタニタと嬉しそうに笑っている。

「いや、年食ってもお前ェだけは相変わらずでマジで嬉しいぜ~~っ。どいつもこいつも今じゃ俺の顔色ご機嫌伺いでよぉ~~、張り合いがないんだわ」

「良く言うぜ……。好き放題できるのが楽しくて仕方ねぇくせに」

「おうよ。世界は今や俺の意のまま思うがまま。恐竜も化石取り放題、戦闘機械傀儡も作り放題よ~~っ!」

 左大は誇らしげに両手を広げて見せると、北宮に顔を近づけて耳打ちした。

「なぁ~~っ、北宮よぉ~~っ? お前ェ、俺の何が不満なんだぁ?」

「テメーが私利私欲のために組織を私物化してるのがだよ」

「それの何が悪い? 俺は恐竜愛を満たせる。宮元の連中は効率的に妖魔どもをブッ殺せる。妖魔に苦しめられていた人達は救われる。傀儡の輸出で儲かって、みんな幸せになる。誰も損なんかしてねぇじゃあねぇか」

「マジで言ってんのかよそれ」

 北宮はグラスのワインを一気に呷った。

「このワイン、ヨーロッパ仕込みだな。向こうでも結構アコギな商売やってるって話じゃねえか」

「人聞きが悪いねぇ~? 俺はただ、必要とされてるモンを必要な分売ってるってだけよ。ニーズに応えてるってぇやつだぜ」

「いきなりセールスにやってきた東洋人を向こうの連中が信用するワケないだろうが。テメーのやってるのは悪質な押し売りだ。向こうの連中は最初、テメーの恐竜を鼻で笑うだろう。そこでこう煽り立てる『そこまで言うのでしたら、ご自慢の魔法なりカラクリ人形なりと力比べをしようじゃないですか。まさか東洋の田舎者に負けるわけがありませんよね?』と。プライドの高い向こうの連中はその誘いに乗る。そして――」

 そこから先は、仁に代わって左大が続けた。

 身を引いて、大袈裟に両手を広げて、なんとも誇らしげに。

「その通りよ! 格式とプライドに凝り固まった田舎魔法使いどもは自信満々に魔術だの呪いだのを繰り出すが、俺の戦闘機械傀儡にゃあ効かない! どんな大魔術も全くの無意味! コケの生えたゴーレムも一瞬で捻りつぶしてやったわ~~っ! そして俺はこう言った『てめぇらの魔術なんざドブミミズ以下のミジンコじゃねぇかよあーーーーっ!』ってなぁ! 面子を潰されたそいつはもちろん買わない。だが噂を聞いた他の連中が買ってくれる。より強く、より優れた道具を欲するのは当たり前のことだぜ」

 一種の悪質なマッチポンプ商法である。

 恐らく、現地で最も高名かつ歴史ある術者を生贄として真っ先に血祭に上げ、左大は商品としての名声を高めた戦闘機械傀儡を他の術者に売りつけている。

 それを一切悪びれずに言ってのける左大の醜悪さ。仁は思い切り睨みつけた。

「そういうやり方は恨みを買う。日本だろうとヨーロッパだろうと」

「その通りよ。向こうでは何回も暗殺されそうになったが、その度に刺客をボコボコにしてやったぜ」

 左大は筋肉に覆われた太い腕を見せつけた。始末の悪いことに戦闘機械傀儡に頼らずとも、左大自身も強かった。

「で、ボコって稼いだその金を何に使った?」

「もちろん、恐竜の化石を買った! 恐竜を売る! その金で化石を買う! 化石で恐竜を作る! そしてそれをまた売る! この無限ループで稼いで稼いで稼ぎまくって、俺は恐竜帝国の皇帝となるのだ~~ッは! ははーーーッ!」

 ついに狂った野望を吐き出した左大は高らかに笑う。

 後で控える小物たちもドン引きしている。周囲は酔っ払ったか、あるいはいつもの発作だと思って見て見ぬふりをしている。

 笑うだけ笑った左大は胸を張り、眼前に座る仁を見下ろすように言い放った。

「北宮よぉ……お前に俺は倒せない」

「あ?」

「金も権力も恐竜も全てを意のままにする俺に、お前一人でどう刃向う? あ? だからいい加減に強情を張るのは止めろ。俺に対して頭を下げろ。そうすれば、お前にも良い地位を与えてやる。会社の半分を、世界の半分をくれてやっても良い。さぁ~~っ、頭を下げろっ! この恐竜皇帝に対してなぁ~~っ!」

 仁の目が据わって、がたりと音を立てて席から立ち上がった。

「んだらここでブッ倒してやろうじゃねぇかァーーーーっ!」

「こいや北宮ァーーーーーっ!」

 50歳に近い中年二人の激突。

 1時間後、パーティー会場のクラブは廃墟と化した。


 そんな、気が触れたような内容の昔話をしたのは宮元園衛だった。

「まあ、昔からこんな具合でな。左大の爺さんは変わり者だった」

 学院の理事長室にて、話を聞かされた瀬織の顔は引きつっていた。

「あのぉ……その左大というお方、色々と大丈夫なんですの……?」

「大丈夫じゃなかったから、景のひいお爺さんが必要だったのだ。東仁という人は、権力や規律といったしがらみを無視して問題を叩き潰す。抑止力として東家に婿入りした。あの人は寿命で死ぬまで自分の役割を全うしたよ」

「景くんのひいおじい様ですか。確かに、お強い人でしたねぇ」

 思い返せば70余年前、一時的に復活した瀬織を精神力と腕力だけで捻じ伏せたのも景の曽祖父だった。暴力に対抗する抑止力としての暴力を用意するのは、古来より現代に至るまで治安維持の基本である。

 分かる話だが、瀬織としては不安な点もある。

 あんな凶暴な暴力人間の遺伝子が、愛する景に入っているのだ。

「いやですわね。怖いですわね。景くんもいずれ、あのおじい様のように、わたくしに家庭内暴力を振るうのでは……っ」

「それは無いと思うがな」

 園衛は卓上に置いたカップを取り、コーヒーを啜った。

「景のひい爺さんは左大の爺様より先に死んでしまったからな。なんだかんだで二人は張り合いのあるライバルだった。晩年は殴り合いではなく、カラシ入りの寿司を食って我慢比べとかやっていたな。ライバルを無くして、妖魔との戦いも終わると人生の張り合いがなくなって、左大の爺さんはすっかり老け込んでしまった。それで亡くなったのが5年くらい前のことだ。葬式には私も出たが……いや、これは止めておこう」

 珍しく園衛が言い淀んだ。何かプライベートに関わることらしい。

 カップを置いて、園衛は話の本題に入った。そもそも、多忙で話をする時間が取れないから、たまたま学院に来たのを利用して瀬織を呼んだのだ。

「この左大家についてなのだが、お前に少し手伝ってほしい」

「お手伝い……ですか? 何故に、わたくしを?」

「理由は幾つかある。一つ、人手不足。この人手不足を解決するための人材の再招集を手伝ってほしいのだ」

 園衛の家には使用人が数多くいるが、ここで言う人手とはつまり荒事に対応するための戦力のことだ。かつて宮元家が運営していた大きな退魔組織はとうに解散しており、そこに在籍していた人材を可能な限り集めて戦力化したい、というわけだ。

 そんなものが何故に必要なのか――というのは考えるまでもない。

 瀬織という存在の万一に備えるため、である。

 その意味では瀬織に責任の一端はあるものの、自分を始末するための戦力を瀬織自身が集めるというのは奇妙なことで、思わず苦笑した。

「あら……園衛様も案外意地悪ですわねえ」

「変な邪推はするな。想定外のことは何でも起きる。今までは私一人でなんとかなると思っていたが、実際一人ではかなり苦労すると先日分かった。だから人手を集める。そして第二の理由。お前に人生経験を積ませるためだ」

「これは奇態なことを……。わたくしに? いまさら人生経験?」

 実質1000年間も活動し、人間社会の清濁を飽きるほどに見てきた瀬織には釈迦に説法に等しく聞こえた。

 だが、園衛は首を横に振った。

「人形でも兵器でもなく、人間として他の人間に接してみろ。積み重ねが人生だ。ただの時間経過では人間は成長しない」

「良く分かりませんが……。そこまで仰るのなら、して、園衛様……お給金はいかほどに?」

 思いがけない、だが考えてみれば当然の質問に、園衛は少しだけ思案する素振りを見せた。

「む……金か」

「そうですわ。まさか園衛様、わたくしにタダ働きをさせるつもりではありませんよね? 人類の愛と正義を体現するがごとき御方が無償奉仕を強制するなど、あってはならないことでございますわ。無償奉仕を美徳とするのは、奴隷労働を肯定するのと同意。教育者にあるまじき行いと存じます」

「分かってる。分かっているとも。基本給に加えて勧誘成功の歩合も報酬に加算するから……」

「それと、この間の戦闘の報酬も」

「あっ……アレもかぁ?」

 先日の傀儡や荒神との戦闘にまで金を要求されるのは意外だったらしく、園衛が席で姿勢を崩した。

 瀬織にしてみれば対価を求めるのは当然の権利であり、饒舌につらつらと言葉を並べ立てた。

「アレも元を辿れば、何もかも園衛様の責任でございます。責任を取るのが責任者の仕事。煙に巻いたり言い訳を並べるなどもっての外。しかも、わたくしだけではなく景くんまで巻き込んだのです。危険手当も頂かなければ納得がいきません」

 園衛は何か反論したげに眉間に皺を寄せていたが、暫く唸ってから「分かった。払う、払う!」と半ば諦めたように言い放った。

 そして深い溜息を吐いて、背もたれに体重をかけた。

「最後の理由……。少し厄介な人物に探りを入れるのにお前が適任なのだ」

「厄介な人……。うーん、もしかしてぇ……」

 大体、察しがつく。

 今まで長々と前振りを聞かされてきた、あの人物に関係があるのだろう。

 瀬織の予想は当たった。

「過去の組織の帳簿を確認したところ、左大の爺様には隠し財産がある疑いが出てきたのだ。その隠し財産というのは、どうもフル装備の戦闘機械傀儡らしい。今となっては貴重な戦力だ」

「では、その財産を継いでいるのは……」

「左大の爺さんの孫、左大億三郎だ」

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