第24話 護衛したい人

天望デッキは思ったより広い空間だった。さすがにメインデッキよりは小さいが、それでもいくつか店を構えられるくらいの広さがあり、その空間は質素に彩られている。おそらく、ここへ来た客の目を外へ注目させるためだろう。地上から七百メートルある景色は風雪ペスキスタワーでしか見れない。外に目を向ける工夫が、この天望デッキの各所に散りばめられていた。






 「………………柊華姉ちゃん」






 だが、オレは地上七百メートルの景色など目に入ってこない。




 天望デッキの中心で立ち尽くしている女性だけを見つめていた。






 「要くん、ここへやって来られたんだね。おかしいな…………そんなワケがないのに」






 オレの声に反応して、柊華姉ちゃんの目がそっとオレに向く。




 その目と声はメインデッキと同じ。




 オレの知らない識那珂柊華が目の前にいた。






 「…………椿が心配してるよ。もう帰ろう柊華姉ちゃん」






 「帰る? 何を言ってるの? 私は椿ちゃんと要くんを殺さなきゃいけないの」






 柊華姉ちゃんは拳銃をオレに向けた。臥厳から渡されたモノだろう。そうでなければ、一介の女子高生が銃なんて持てるワケがない。




 両手で握りしめるように持っているが、銃口はブレているし、重さのためか銃自体が僅かに下を向いている。きっと引き金もすぐに引けないだろう。




 オレや臥厳が銃を向けているのとは違う。撃ち慣れていない柊華姉ちゃんでは、銃はただの鈍器に等しい。




 だが、その銃を撃つのは予知のノヴァラージュだ。






 「ぐっ…………」






 柊華姉ちゃんは難なくオレの右肩に弾丸を命中させた。血が吹き出る右肩を押さえながらオレは膝をつく。これまでの蓄積もあって、さすがにダメージを隠せない。






 「…………柊華姉ちゃん。これも予知なのか?」






 オレは挑発するように言うが、間違い無くコレは予知のノヴァラージュの力だ。どんなに不慣れな態勢で撃とうが関係ない。映画のシナリオを客が変えられないのと同じだ。今ここで柊華姉ちゃんがオレに向かって銃を撃てば、それは必中の弾丸となる。






 「まだオレは生きてるけど。殺すんじゃないの?」






 だが、その予知は少しおかしかった。




 柊華姉ちゃんがオレを殺せていないからだ。さっきのが予知通りやった事なら、負傷で済むのはおかしい。心臓なり脳なり撃ち抜かれてオレは死んでいるはずだ。






 「わからない…………わからないよ…………どうして要くんはまだ生きているの?」






 柊華姉ちゃんは再び引き金を引いた。だが、弾丸は全てあさっての方向に飛んでいった。二発目以降は識那珂柊華という、銃に不慣れな人間が撃った結果になっていた。






 「っ…………!」






 柊華姉ちゃんは拳銃を地面に叩きつけた。






 「変だよ…………なんで当たらないの? 私の予知は…………一発目で要くんの心臓を撃ち抜くはずなのに。今だって、その予知は変わってないのに!」






 起こった事が理解できないのだろう。柊華姉ちゃんは頭を掻きむしりながら、呻くように呟いていた。




 これまで眺めるだけだった予知が、本当に決まりきった結果を眺める事しかできないモノだったのか。




 予知のノヴァラージュとしての力を、初めて疑っていた。






 「そもそもおかしいんだよ…………こんな所で要くんを殺そうなんて事になるワケがない…………本当ならメインデッキで要くんと椿ちゃんは死んでるはずなのに」






 それは後悔と絶望と――――――――おそらく諦めたはずの希望が入り交じった混乱だった。






 「要くんと椿ちゃんは臥厳おじさまに撃たれて死ぬ。あの場所で絶対に死んでるはずだった。なのに、どうして邪魔が入ったの? なんで臥厳おじさまのテロリストが裏切ってるの? あんなの私の予知になかった。私の予知は今も変わらず…………あの時、要くんと椿ちゃんは臥厳おじさまに撃たれて殺されるって言ってる。そして、私がその過程ルートを選ばないなら、天望デッキに来た要ちゃんを私が撃てば必ず…………………………どうしてなの? 予知はずっと要ちゃんや椿ちゃんの結果(死)を言ってるのに………………」






 頭を抱えて狼狽える柊華姉ちゃんは、神に懺悔する自覚無き堕天使のようだった。自分の翼こころが黒く染まっている事に気づかず、結果(幸福)への肯定を求めている。






 「私の予知は何も変わらない…………要くんが今日死ねるって…………風雪ペスキスタワーでの結果(死)を私に見せるだけ…………それしか教えてくれない…………答えてくれない…………」




 現実と予知のノヴァラージュが見た世界に激的な差異が起こっている。




 それはこれまで全くなかった出来事イレギユラーで、だから予知は絶対だと柊華姉ちゃんは思っていた。予知への抵抗は不可能と、流されるままに相手の結果(死)を見ていた。どんな時も納得し続けていた。




 納得しなければならなかった。






 「どうして私は要くんを殺せないの…………殺させてよ…………要くんを私に殺させてよ…………要くんを幸せに死なせてよ…………」






 柊華姉ちゃんは予知の通りオレを殺したい。だが、何故かそれが実行できない。






 「殺させて…………お願い…………死んで…………お願い…………」






 蹲ったまま、柊華姉ちゃんは繰り返し懇願している。




 どうか弟を殺させてくださいと。姉として弟は殺さなければならないと。




 予知のノヴァラージュならそれができるはずなのに、どうしてさせてくれないのかと。




 柊華姉ちゃんはこの出来事イレギユラーを否定していた。






 「柊華姉ちゃん…………もういいじゃんか。予知通りにならなくていい。オレを殺すなんてやめてよ」






 オレは傷ついた身体を無理矢理立ち上がらせて、柊華姉ちゃんの元へ歩いた。蹲った柊華姉ちゃんを起こし、その身体を慈しむように抱きしめる。そうしなければならないと思った。






 「姉が弟や妹を殺すなんて…………悲劇でしかないんだから」






 死にかけている柊華姉ちゃんの心を抱きしめたいと思った。






 「要くん…………私は予知のノヴァラージュなのに…………予知が予知にならない。要くんを殺したいのに…………どうすればいいのかわからなくなってるよ…………」






 「わからなくていいんだよ…………わかる必要なんてない…………殺す事が正しいなんて絶対に無いんだから」






 「そんなのダメだよ…………私は予知のノヴァラージュなんだもん…………私は予知した人に幸せな死に方を導かなきゃならない。なのに、これじゃもうみんなを幸せな死に導けない…………占いする意味がない…………予知のノヴァラージュとしての生きていけない…………」






 柊華姉ちゃんの目は虚ろだった。予知のノヴァラージュというアンデンティティが崩れ、自身に迷いを起こしている。




 柊華姉ちゃんは予知のノヴァラージュの力を多くの人々に役立てたいと頑張ってきた。見えた予知は変えられないと自覚しても、幸せな死に方ルートには導けると思った。それを配信や仕事等の根底にできた。だから狂えて(殺せて)しまった。




 予知のノヴァラージュは絶対の予知を見せる。だが、それが必ずしも絶対でないとわかってしまったら、もう殺せ(導け)ない。狂えない。




 そう、狂えなくなってしまう。






 「全うできないなら私はただの殺人鬼…………死ぬべき人間だよ…………」






 一度狂った者がまともになってしまえば、待っているのは押しつぶしてくる後悔と罪悪だ。




 幸せな死に方へ導けるからどんな自分も許す事(心の麻痺)ができたのに。そうあるべきだと思えたのに――――――――予知に疑いが生じてしまった。




 予知のノヴァラージュの力に僅かでも誤りがあるなら、これまで柊華姉ちゃんのやって来た事は、ただの愚者の行動に成り下がる。




 人の命を勝手に弄んだだけだという自覚に向きあってしまう。






 「ずっと前から自分がおかしくなってる自覚はあったの…………でも、それが私にとって(予知のノヴァラージユ)の正気だと思ってた…………信じてた…………だから、そんな私は死ななきゃならないよ…………」






 柊華姉ちゃんは今日までの自分に苦しんでいる。それはやがて自我を奪い、罪悪の重さが死に走らせるだろう。罪を購えるのは命だけだと、常に心と身体を苛み続けるのだ。




 そうなった人間はあまりに脆い。どんな屈強な精神を持っていようと、それはあっという間に衰え消えてしまう。






 「…………柊華姉ちゃん」






 だから、そんな事を許すワケにはいかない。




 識那珂柊華は、オレと椿が大好きな識那珂家のお姉ちゃんなのだから。






 「――――ッ!?」






 パンッ! と、この天望デッキに音が響いた。




 オレが柊華姉ちゃんの頬を叩いたのだ。






 「…………だから、そういうのが正しくないってオレは言ってんだよ」






 柊華姉ちゃんの頬が紅葉みたいに赤く染まっているが、痛みより驚きの方が勝ってるようだ。赤く腫れた頬に手を添えているものの、宇宙人でも見るような目をオレに向けている。






 「要…………くん?」






 まあ、そうなるのも無理はない。オレが柊華姉ちゃんに反抗的態度を取るなんて、これまで一回もなかったもんな。手をあげるなんて尚更だ。






 「死ぬべき人間だとか言うのやめてよ。そりゃオレは姉ちゃんと血が繋がってないし、ただ識那珂家に引き取られただけの人間だよ? でも、もうオレは識那珂家の人間なんだ。識那珂家が大好きなんだ。その識那珂家の柊華姉ちゃんが死ぬべきとか、死ななきゃならないなんて言ったら…………凄く悲しくなる。寂しくなるよ」






 あの日、おじさんとおばさんは嫌な顔一つせずオレを受け入れてくれた。それを椿も柊華姉ちゃんも喜んでくれた。そんな識那珂家をオレが大好きになるのは当たり前だった。




 そう、オレは識那珂家が大好きだ。本当に大好きで大事な人達なのだ。




 だから、そんな大事な人達が死ぬなんて絶対に嫌だ。






 「予知のノヴァラージュが何だよ…………予知が当たらないから何だよ…………予知の通りに導いたから何なんだよ………………」






 ――――――あの飛行機爆破テロで覚悟した椿と柊華姉ちゃんとの別れ。




 あんな最低な気持ちになるのは二度とゴメンだった。






 「死ぬなんてさ…………言わないでよ。大好きな人がいなくなる事に耐えられる人間なんかいない。もうオレは誰も失いたくないんだ。椿だって同じだよ」






 柊華姉ちゃんは罪を犯したのだろう。幸せな死に方なんてモノに導き、その人物にやってくる死を操作したのかもしれない。それは殺したと言うべき行動なのかもしれない。今日、この風雪ペスキスタワーで起こったテロも、予知に逆らえないとはいえ、臥厳と共に行動した事は許されないのかもしれない。




 命でしか償えない事ばかり繰り返したのかもしれない。




 死ななければ許されない事なのかもしれない。






 「姉ちゃんが罪に耐えられないなら、オレもその罪に付き合う。責めてくるヤツがどんなに正しくても、オレが姉ちゃんを護る。例え相手がどんな悪の組織でも正義の味方でも、摩利支天でも関係ない。罪だろうと人間だろうと何であろうとオレは姉ちゃんを絶対に護りぬく」






 でも、だからなんだ? 




 それはオレにとって柊華姉ちゃんが死んでいい理由になるのか? 死ぬべきだと納得できるのか? それは正義だと諦められるのか? 満足するのか?




 そんなのあり得ない。この世から柊華姉ちゃんがいなくなっていいワケがない。




 だから、オレは柊華姉ちゃんを否定するどんな奴らからも守って護って戦ってやる。






 「オレが柊華姉ちゃんを護衛する」




 エゴだろうが我が儘だろうが自己満足だろうが何だろうがどうでもいい。




 柊華姉ちゃんは死なせない。




 オレが絶対に柊華姉ちゃんを生かし続ける。






 「…………ありがとう要くん」






 柊華姉ちゃんがオレの顔を見る。肩越しだったお互いの顔が対面になり、柊華姉ちゃんの指が優しくオレの肩を撫でる。






 「弟にこんな事言わせるなんて情けないな…………私はお姉ちゃんなのに」






 そう言う柊華姉ちゃんの顔は何処か安心していた。その素直な面持ちは、きっと予知のノヴァラージュになってから一度も見せなかったモノに違いない。






 「姉とか弟とか別にどうでもいいだろ。オレは姉ちゃんを護衛する。それだけだ」






 「それって椿ちゃんよりも私を優先するって事?」






 「え? いや、それはその…………どっちも同じくらいっていうか…………」






 「えー? じゃあ私よりも椿ちゃんの方が大事なんだ?」






 「そ、そんな事言ってないだろ! オレにとって柊華姉ちゃんも椿も大事な人として大差ないっていうか、大好きな人で比べられないっていうか…………」






 「椿ちゃんに嫉妬しちゃうなー。いつも要くんと一緒にいるしさー。大好きな妹でも、大好きな弟と一緒にいると何とも言えない気持ちになるのですよ。椿ちゃんとの差を感じちゃうんだよねー。私も見てほしいなーって」






 「み、見るよ! これからは柊華姉ちゃんも見るから! 一緒にいるから! 配信だ仕事だで忙しいからって遠慮するのやめるから! 反省してるから! 椿と柊華姉ちゃんに差なんかないから!」






 「アハハ。わかってるよ。ごめんごめん。ちょっとからかっちゃった。可愛い弟はイジりたいと思うモノなのだよ」






 柊華姉ちゃんがオレを見て笑う。それは微笑程度の僅かなモノだったが、識那珂柊華本来の明るさだった。






 「…………嬉しいよ要くん。要くんが私を護衛するって言ってくれて本当に嬉しい。私の中の闇が晴れていくみたいで…………そう、救われたって感じだよ」






 柊華姉ちゃんがオレに抱きついた。余計な力が無いゆったりとした抱擁で、思わずオレの顔が赤くなり――――――――――頬にキスされた。






 「なっ!?」






 完全な不意打ちだった。そのせいで、間抜けな顔を柊華姉ちゃんにさらしてしまう。






 「ふふふ、さっきのお返し。お姉ちゃんのプライド的に、弟にリードされたままで終わっちゃうのは許せないのだ」






 「ゆ、許せないって、別にそんなのどうでもいいと思うけど…………」






 「ううん、ダメだよ。だって、私はもう終わっちゃうから。だから、最後くらいはこうしたかったの」






 「…………え?」






 その言葉がどういう意味で発言されたかなんてすぐにわかる。




 だが、それを理解した所で対処なんかできない。




 オレは情報流体生命金属があるだけの人間。




 ただの人間でなくても、普通の人間なのだ。






 「この予知は外れるのかな? 当たっちゃうのかな? もう予知のノヴァラージュかわからなくなった私だけど、たぶんコレは当たると思う。やって来るのがアイツだから」






 瞬間、天井から何かが降ってくる。派手な音が聞こえたと思ったら、その時にはもう全てが終わっていた。




 全てが終わった証である硝煙の匂い。






 「予知通りに…………なっちゃったな」






 弾丸が柊華姉ちゃんの背後から真っ直ぐ心臓を撃ち抜いていた。






 「…………柊華姉ちゃん?」






 柊華姉ちゃんの身体がこちらにぐったりと寄りかかり、オレはすぐにその身体を守るように覆い被さる。




 柊華姉ちゃんの身体をこれ以上傷つけないために。




 何故なら、アイツは柊華姉ちゃんが死んでも、そういう事を平気でやってくるからだ。






 「よう、久しぶり。で、どんな気分だ?」






 臥厳が降りたっていた。服や身体の至る所が傷ついているが、行動に支障は無いようだ。態度は以前と変わらず余裕も油断もあり、銃をコチラに構えている。




 ――――――その銃で柊華姉ちゃんの命を奪った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る