親子ゲンカ


 ――始業式の翌日、放課後。


 事前に玲央を経由してアポを取り、友人たち皆の代表としてユリアの母親をお見舞いするために病院を訪れた紅と聖の二人だったが……しかし。


「おじゃましま――」


 入り口を護衛していたシュヴァルに案内され、病室へと入ろうとした紅と聖がそっとドアを開けた――そんな瞬間だった。


「――どうして、お父様もお母様もそんな事を言うの!?」


 普段大人しい少女……ユリアの、癇癪を起こし、喉を痛めそうな声量で放たれた悲痛な涙声が、病室内に響き渡ったのは。




「あ、あの、玲央君?」

「これは、一体……」

「あ、ああ、すまない二人とも。見ての通り少し取り込み中で、ね」


 そっと扉を閉じて、ほとぼりが冷めるまで退散しようにも、時すでに遅し。


 今も興奮状態で両親に食って掛かるユリアを玲史とイリスがどうにか宥めようとしている険悪な空気の中、さりげなく渦中の三人から意識されない場所へと紅と聖の手を引いて誘導してくれた玲央が、ことのあらましを説明してくれる。



 もはやユリアの母、イリスのお腹は臨月を迎えており、いつ産まれてもおかしくないために、毎日のように放課後はこの病室へと見舞いに訪れていたという二人。

 この日も、つい先ほどまではいつも通りの穏やかな時間が流れていたのだという。


 何人友達ができた。

 今日はこんな事があった。


 そんな学校での出来事を嬉しそうに語っていたユリアだったが、その時点では何か異常のようなものはなかったのだと、様子を傍で見守っていた玲央は言う。


 だが――きっかけは、そんな嬉しそうに語るユリアを優しく見守っていたイリスが、不意に発した一つの質問。


「ねぇユリア、あなた……小学校を卒業した後も、こちらに残りたい?」


 それは楽しそうな娘を見てこぼれ出た、他愛のない質問だったのかもしれないが――だがしかし、ユリアが密かに内に抱えていた爆弾へと、着火してしまった。



 今にして思えば――紅が彼女と冬の旅行で出会った時から、偉大な両親を持つがゆえの陰がどこか見え隠れしていた。

 それが、新しく妹が産まれてくるのを目前としたことで……『もしかしたら、両親の愛を産まれてくる子供に全て取られてしまうかもしれない』という、年長者となるのを目前に控えた子供特有の不安と結合し、爆発してしまったのだろう。


 立派な両親に対する劣等感は、紅も聖もよく理解している。

 そして理解してしまうがゆえに、この場で何か発言することはもうできなかった。それはおそらく、紅たち二人の傍で悔しげに歯噛みしている玲央もまた、同様なのだろうと紅たちも察する。



 そんな中……その母親から掛けられた言葉に対して、少女がどのような誤解をしたのかは、紅たちにもなんとなく察せられた。それは、すなわち。


「お父様もお母様も――どうせもう私のことなんて要らないんでしょう!? 何もかも、お母様みたいに上手くやれない私なんて!!」


 そう、溢れ出す感情のままにユリアが吐き捨てた――その瞬間。


「そんなわけないでしょう!!」

「そんなわけないだろう!!」

「ひゃん!? お、お父様、お母様……?」


 今度は両親が突然の剣幕で反論して来たことに、逆にユリアが目に溜めていた涙さえも引っ込めて、目を白黒させる。


「あなたがすぐ近くに居ない生活なんて、想像しただけでも胸が張り裂けそうになるわ……別居なんて嫌で嫌で仕方ないの!」

「ああ、だが……それでも俺は、もしお前がこっちに残って勉強したいというなら、俺は……ッ」

「あ、あの、わかりましたから……というか、お母様はお願いですからそんなに興奮しないで……!」


 一転して、血涙でも流しそうなほど苦渋に満ちた表情で声を絞り出す両親を、今度はユリアが慌てて宥める。

 そうして、しばらくお互いに慰め合っている三人がどうにか再び落ち着いてくるまで、数分が経過した頃。


「はぁ……まあ、ユリィがこっちに残るにしても元の場所に帰るにしても、最低限、小学校を卒業するまであと一年はこっちに居るしな」


 冷静になった玲史が、コホンと一つ咳払いをして場をリセットし、改めて真面目に語る。


「まず……ユリィ、お前は元々の予定では、『向こう』に帰ったらすぐ、リュミエーレの修道院が運営している学園に入学する予定だった。それは分かってるな?」

「……はい」


 玲史の優しく諭すような質問に、まだ少ししゃくり上げているユリアも、渋々と頷く。


「だが……最近、こちらで友達がたくさんできて、少し帰りたくなくなって来てるだろ、お前」

「それ、は……ごめん、なさい」


 真面目な顔で追求する玲史の質問に、言葉に詰まるユリアだったが……それを聞いて、玲史もイリスもむしろ嬉しそうに表情を緩める。


「責めているわけじゃないのよ、むしろ逆で、私たちはそれが喜ばしいの。『向こう』だと、皆があなたの立場に遠慮するから、あまり友達と呼べる子はできなかったでしょう?」


 抱き寄せて、優しく背中を摩りながら語るイリスの言葉に、ユリアはぐっと涙を堪えてされるがまま、無言のまま耳を傾けている。その様子だけで、イリスの言葉が図星であることを雄弁に物語っていた。


「これは、イリスと話し合って決めたんだが……ユリィ、お前が小学校卒業後にこっちで玲央と一緒にアウレオ爺さんの元に残って勉強するのも、予定通り『向こう』に帰ってリュミエーレにある学園に入学して勉強するのも、どちらを選んでも構わない。将来、自分がどうしたいかも考えて決めるといい」

「私たちは、あなたの決定を尊重するわ。時間はたくさんあるからよく考えて、後悔しないように決めなさいね、ユリィ」

「…………はい、わかりました」


 今度はきちんと諭すように語る玲史とイリスの言葉に、赤く腫れた目に涙を溜めながらも真剣な表情で頷くユリア。


 どうやらひと段落したらしい様子に、部屋の隅で息を殺しながらハラハラと経過を見守っていた紅と聖も、ホッと安堵の息を吐く。


「それで、ごめん二人とも、何か用事があって来たんだよね?」

「あら……ごめんなさいね、お構いもせずに恥ずかしいところを見せてしまって」


 玲央が声を掛けたことでようやく紅と聖の存在に気付いたイリスが、ベッドの上で困ったように苦笑する。


 そんな彼女の両サイドで……玲史とユリアは二人揃って、気まずそうに真っ赤になって俯くのだった。





 ◇


 今は、親子三人で水入らずにしてあげるべきだろう。


 そう判断して一つ断りを入れ、玲央を談話室へと誘い病室から退室した紅たちは……玲央らがログインできていなかったここ暫くの間に起こった出来事の顛末を、彼と共有していた。



「――なるほど、話は分かった。まあこちらの領土に入ってヴェルザンディに会いに行っていたことも、今更とやかく言うつもりもないから気にしなくていいよ」

「うん、事後承諾になってごめんね?」

「気にする必要はないさ、というか、こちらがメールチェックしてなかった落ち度もあるからね」


 結果として無断で北方帝国の領地、その奥地へと踏み入ったことを平謝りする聖に、玲央は気にしないでと笑う。


「それにしても、メガセリオンとマスターテリオンの動きは気になるな。目撃情報のないマザーハーロットも、いったいどこに潜伏しているんだろうね」

「それが不安だね……一番暗躍が得意で厄介そうなやつが、全く目撃されてないんだよね」


 玲央の疑問に、紅も頷く。昨夜のうちにシャオにも確認したが、やはり共和国でも何も無いという。

 他に手掛かりとなるような情報も不思議なほど見当たらず、現状ではこの後何が起きるか推理のしようもない。まだ何も起きていないのが、かえって不気味という状況だった。


「それで……北方帝国は、冥界樹との決戦が終わった後はどんな状況?」

「何かおかしな事件とか起きてないかな?」

「うーん……私らはしばらくログインできていない分、私よりもラインハルトやシュヴァルの方が詳しいと思うけど、特に変な事件とかの報告は今のところ無いから、君たちと変わらずだね。街は大きな戦いが終わってバタバタしてはいたけど、皆、平和なものさ」


 まあ、私が時間を作って外出すると、すぐ国民たちに囲まれて、どこに行ってもお祭り騒ぎで大変だけどね……そんなふうに苦笑しながら現状を語る玲央だったが、不意にその表情を一転させて真剣な顔で頷く。


「だが……そうか分かった、こちらの方でも皆に領内で何か異常がないか調べるための巡回を増やして、警戒するよう通達して――」


 そう、玲央が頷いて紅たちに協力の意を示そうとした――丁度その瞬間。


「――お兄様、大変です!」


 バタバタと血相を変えて談話室へと飛び込んでくる、両親と一緒にいたはずのユリア。

 その慌てふためいた様子で胸に飛び込んで来た少女を優しく受け止めて、玲央があえて落ち着いて尋ねる。


「ユリア、どうかしたかい?」

「はぁ、はぁ……お母様が、えっと――急に苦しそうにしはじめて、お父様が言うには『始まった』って!」

「……っ、私はアウレオお爺様に連絡してくる、ユリアは二人についていてあげて!」


 素早く状況を把握して、NLDに触れ通信機能を呼び出しながら、玲央が急な状況の推移に固まっている紅たちの方を申し訳なさそうに振り返る。


「すまない、今日のところは君たちもお引き取り願いたい、何かあったらすぐ連絡する」

「あ、うん、そうだね……ごめん、何の役にも立てなくて」

「それじゃ、私たちはお邪魔にならないように失礼するね、玲央君」


 紅たちがこの場に残っても、気を遣わせるだけでやることは何もない。

 ユリアの手前なためか努めて冷静に指示を出しながら、しかし珍しく焦った様子の玲央の横顔に後ろ髪ひかれながらも……紅と聖は、病院を後にしたのだった。






【後書き】

 今回は、前作に出て来た地名等のWGO成分が多めで申し訳ありません。

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