新たな冒険の舞台へ


 ――病院に残っても仕方ないため、帰宅した紅は……しかし何事も手に付かず、ただなんとなく『Destiny Unchain Online』にログインしていた。



「むう、大丈夫かのぅ……」


 病院から退散する直前の事態が事態だっただけに、落ち着きなく心配の声をあげるクリム。

 そんなクリムと同じく病院から戻り次第ログインしたフレイヤも、クリムほどでは無いがやはり心ここにあらずと言った様子で、そわそわとお茶菓子にも手を出さず黙々とティーカップを傾けていた。


「落ち着けクリム、それに姉さんも。いちおう部外者なお前にできることは何もないだろう。それに、無事産まれたって連絡が来ても、数日は面会できないだろうが」

「うん、そうなんだけどねー」

「分かってはおるのじゃが、むぅ……」


 落ち着きのないクリムたちの様子に、フレイは駄目だこれはと肩をすくめ、諦めて手にした文庫本の方に目を戻す。


 ちなみに……一番落ち着きなくなっていたクリムはというと、つい先ほど見かねたフレイによって膝に座らせられたルージュを後ろから抱きしめて、精神の安定を図っていた。

 これでも、庭をうろうろと徘徊していた先ほどまでよりはずっとマシになったのだ。


 まるで抱き枕の如く過剰気味なクリムのスキンシップに、ルージュは恥ずかしそうにしてはいるが……しかし彼女自身も満更でもなさそうなため、皆が生暖かい目でスルーしていた。


 そんな中……


「はい、スピネル。あーん」

「あー……」


 庭の光景に関与せず、まるで鳥の雛のように、リコリスの差し出したクッキーを口を開けて待ち構える融機人の少女……スピネル。


「どう、美味しい?」

「……うん、あまくておいしいね!」

「そう、良かったねー」


 ニコニコと、リコリスに手ずから食べさせられた焼き菓子の感想を告げるスピネルは、実に嬉しそうだった。

 すっかり外見年齢相応に表情豊かになったことに、クリムたちも今日ログインしたばかりの頃は驚いたものだ。

 他にも、リコリスとフレイは今日の放課後、クリムたちが病院へユリアの母親のお見舞いにいっていた間もずっと、彼女を連れてとりあえず色々な街を巡っていたらしい。そのせいか、目に見えて変化が見られるようになっていた。


「……だいぶ語彙が増えてきたのう」

「喋り方も、少し流暢になった?」


 今のスピネルは、まだ舌足らずではあるが、しっかりリコリスと会話できているくらいには言語能力が向上していた。

 人間ならば、以前が言葉を話し始めた幼児とすれば、今は小学校の低学年くらいだろうか。


「うん、この子すごいの。教えたことは、どんどん覚えていくのよ!」

「えへへ、そうかな……?」


 抱きついて我が子自慢するリコリスにべた褒めされ、照れ笑いを浮かべているスピネル。その表情豊かな様子が既に、彼女の精神面での成長を如実に物語っている。


「そうだね、側から見ていても、さすが融機人だけあって精神的な成長はかなり早いね……ただ、相変わらず情報は何も掴めていないけど」


 フレイの言葉に、クリムたち一同、難しい顔をして黙り込む。


 異星からの来訪者……呼び名が無いと不便であると以前、クリムがギルドの定例配信を行った際に視聴者から多数決を取り、便宜上【異邦人フォーリナー】と呼称することが決まった彼ら。


 そんな彼らの情報は、現在のこの世界――少なくともこの大陸上には、ほとんど痕跡すら残っていない。

 今は一縷の望みをかけて、融機人が作ったというノームたちの発生機ジェネレイターが遺されていた遺跡の情報を集めているくらいしか出来ていない。


 だが一応の手掛かりとして、ヴェルザンディが一つ、興味深い言葉を残してくれていた。

 曰く……『プレイヤーたちが無制限交流都市ヴァルハラントと呼んでいる浮遊闘技島が、まさしく彼方からの来訪者の遺産である』という情報だ。


 しかし……そこには問題が一つ。無制限交流都市は、サーバーのプレイヤー、およびテナントを並べている協賛企業の共有財産だということだ。


 迂闊に手を出して、もしも……クリムたちもさすがに無いとは思ってはいるのだが……もしも万が一、何かが起きて無制限交流都市が墜落でもしようものならば、その損害は計り知れないものになるというリスクがある。


 まさかそんな場所を墜とすはずが……そう思いたい一方で、このゲームならばやりかねないという、これまで積み上げてきた運営に対する負の信頼が、クリムたちにヴァルハラント探索を躊躇わせていた。


 探索を行うにしても、万全に準備と根回しを整えて。それには数ヶ月の時が必要だろうという目算であり、それまではお手上げという状況だった。


 と、いうわけで、スピネルの件はすぐには動かない。結果、こうして暇を持て余している訳だが。




「そういえばクリムお姉ちゃん、聞きたいことがあったんだけど」

「む? 良いぞ、なんでも聞いてくれ」


 不意のルージュの質問に、そんな安請け合いをしたクリムだったが……だがしかし、直後そのことを後悔することになった。


「それじゃあ……お姉ちゃんたちの場合は、どうやって子供ができるの?」


 そんな純粋無垢な目で興味津々尋ねてくる少女の、爆弾を投下するが如き質問。


 スピネルを餌付けしていた手を止めるリコリス。

 文庫本をめくる手をぴたりと止めるフレイ。

 がしゃんと目測を誤って、けたたましい音を立てながらカップをソーサーに戻すフレイヤ。

 そして、ルージュを抱きしめながら、ギシリと硬直したクリム。


 中庭にいた一同が、揃って空間ごと凍りつく。


 ――さて、どう答えるべきか。


 あまり生々しくなく、さりとて少女の期待に十分に答えられるためにはどう説明したものかと、クリムをはじめ皆が一斉に頭をフル回転させて考え始めた……その時。



「魔王様、邪魔するぞ……って、何してるんだ、お前ら?」

「あ、スザクさんこんにちは。お姉ちゃんごめんなさい、私はお客様にお茶を淹れてきますねー」


 不意に新たな声が加わり、発端であるルージュが仕事中であったことを思い出し、クリムの膝からぴょんと飛び降りて、城内へと行ってしまう。

 そんな少女の背中を見送り……思わず立ち上がったクリムが、スザクの手をはしっと握りしめる。


「本当に……本当によく来てくれたスザク……ッ!!」

「うわ、な、なんだよ気持ち悪いな!?」


 心の底から歓待の言葉を述べるクリムに、怪訝な目を向けるスザク。周囲では、皆がホッと安堵の溜息を吐いていた。


 そんなセイファート城住人からの予想外な歓待を受けて、当のスザクは理解できないと傾げるのだった。




 ◇


 ……来訪者は、スザクだけではなかった。


 ハルと、ダアト=クリファード。スザクに同行していた彼女たちも一緒であり、クリムが中庭へ手招きし席を勧めるまでもなく、向こうも勝手知った様子でそれぞれの席に座る。


「セイファートお姉ちゃん、ただいま!」

「ええ、よく帰ってきましたね。また、色々と旅先のお話を聞かせてもらえるのかしら?」

「うん、もちろん良いよ!」


 仲睦まじく隣り合ってテーブルに座ったダアト=セイファートとダアト=クリファードの姉妹。

 すっかり仲睦まじくなった二人の姿を見送り……スザクとハルも、クリムの隣へと腰掛ける。


「しかし、どうしたのじゃスザク、それにハル先輩も。お主らはあの後も、『天使たちの洛夭地』でスピネルを見つけた場所周辺の探索を続けておったはずじゃよな?」

「そもそも、先輩たちの方から私たちを尋ねてくるのは珍しいねー?」


 お茶の支度をしているルージュがまだ戻ってきていないため、時間潰しのつもりでのんびりとした挨拶を返すクリムとフレイヤだったが、しかし。


「ちょっと、なんでクリムちゃんたち、そんな呑気にしてるのよー!?」

「うわ!? ハル先輩、な、何がなのですじゃ?」

「と、とりあえず先輩、クリムちゃんから離れてくださいー!」


 なぜかハルに不服そうな様子で詰め寄られ……ついでにどさくさに紛れて頭を抱きしめられて……突然の出来事に回避もできずされるがままとなり、目を白黒させながら尋ね返すクリムと、そんなクリムを救出しようと慌てているフレイヤ。

 先ほどまでのそわそわした空気はどこへやら、すっかり大混乱となり、そんなバタバタした様子を見かねたフレイが、呆れたように眺めているスザクに話の先を促す。


「それで……スザク先輩、何か用事があって来たんですよね?」

「ああ、正直お前たちなら先に動いてるとばかり思っていたんだが、その様子だと本当にまだ知らないんだな」

「ああ、まあ……リアル側で色々とバタバタしていたのと……あと先輩らに押し付けられたこの子の世話でそれどころじゃなかったんだ」

「あー……すまん」


 話についていけず、初対面のスザクを警戒しリコリスにしがみついているスピネル。

 彼女を指差しながらのフレイの皮肉を受けて、スザクは気まずげに視線を逸らしながら、何かのウインドウを操作する。

 そんな彼を引き継いで、ようやくクリムの頭を解放したハルが、興奮気味に何があったのかを教えてくれた。


「あのねー。今日の夕方頃に、新しいエリアが解放されたのよ。それも、あのルルイエ以来の大規模イベントエリア!」

「なん……じゃと……!?」


 ハルの言葉に、愕然とした表情で呟くクリム。そしてそれは、この場にいた皆も同じだった。



 ――そんな大事件があったのに、全く気付いていなかったとは不覚……ッ!



 ……といった風に、一応はトップクラスにいるギルドとしての沽券に関わる失態に、皆ショックを受けているクリムたちだったが、そんな事は関係ないスザクたちはさらに話を続ける。


「場所は、それこそこの前探索した『天使たちの洛夭地』の上空で……」

「待った……上空?」

「おう。こんな事になってるからな」


 そう言って、スザクが公式の配信しているジャーナルの記事をスクロールして、もう一枚そこに掲載されていた新たな画像を見せてくれる。


 そこには――


「なんじゃ、これは……」

「うわー、凄い事になってるねぇ……」


 一緒にウインドウを覗き込んだクリムとフレイヤが、呆然とした声を上げる。



 撮影されたのは、おそらく『DUO』内の時間では昼間。だがしかし、その写真に映っている光景は、まるで夜のように暗い。


 それもそのはずで……隙間から漏れている陽光と、その奥に鮮やかな青。現在の天候は快晴なはずの『天使たちの洛夭地』は――に、覆い尽くされていた。


 そして、さらに表示されたもう一枚の画像、こちらはイメージイラストには、多数の浮島上に聳え立つ、石造りの遺跡と高度な機械技術が複雑に絡み合った、も。



「ただ、まだ入り口は発見されてねぇんだけどな。皆、天に浮かぶ巨大な大陸を指を咥えて眺めてるってわけだ」

「ほう、それはまた、好奇心をソソる話じゃな……!?」


 ロマン溢れる謎の古代機械文明で作られた浮遊都市。これに興奮しないなどということがあろうか、いや有り得ない。


 リアル側の事情により気が気ではなく、外出に乗り気ではなかったクリムでさえも、このスザクとハルからもたらされた情報には興味津々で身を乗り出す。


 それに――今回の件、先日の出来事を鑑みるとといい、に気になることもある。



 そんなクリムたちの様子に満足げに頷くハルに、やれやれと肩をすくめながら、スザクはその新イベントの情報が記載された公式発表のページを宙に浮かべ、クリムたちの方へと投げてよこす。


「その名も『浮遊黄金郷グラズヘイム』って言うらしいな、その公式ジャーナルでの発表によれば」

「私たちもこれから軽く入り口の探索をしに行ってみるつもりだったんだけど、もし暇なら後輩君たちも一緒にどうかな!?」


 スザクとハルはそう、嬉々とした笑顔でクリムたちを誘うのだった――……

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