最終層:蒼穹決戦①


 ――クロウの翼は、蓄えていた魔力が切れたことにより巨大化が解けるまでの間に……クリムたちをこの虚影冥界樹最上層、その最外縁部まで運んでくれていた。



『っかァ、溜め込んダ魔力がスッカラカンだぜチクショうメ!』

「うむ、ご苦労様じゃ、クロウ」

『おウ、ジャ、あとハ頑張れヨ』


 そう言い残して、クロウは姿を消してしまう。魔力切れにより、ホームであるセイファート城へと強制的に戻ったのだろう。


 だが、相当な距離をショートカットさせてもらった。あとは……この脚で進むしかない。


「さて……ここから先は、一気に中枢まで駆け抜けるぞ」

「が、頑張る!」


 走行速度に自信がないフレイヤが、微かに顔を引き攣らせながら返事を返す。

 そんな様子に、クリムは鞄を漁り、いくつかの薬瓶を取り出した。


「まあ、こんな物をジェードから預かっとるがな。一時的に走行速度を上げるスプリントポーションじゃ」

「ありがたい、使わせてもらおう」


 疾走レベルの低いフレイヤ、それにフレイやシャオら後衛陣が、小瓶を受け取り一息に呷る。


「そして……スザク」

「……ん?」

「お主が最優先じゃ、我らに構わず先を行くことだけ考えよ。お主ならばそうそう死ぬ事は無いからの」

「……ああ、任せてくれ」


 そう言って、スザクは両手に持った二振りの剣の調子を確かめながら、神妙な顔で頷く。


「では……行くとしようか、この世界の命運を決める、ラストランへ!!」


 そんなクリムの号令に、残る皆が「応!」と応えるのだった。




 ――道中、冥界樹そのものである床や壁から枝が攻撃してきたり、時折床から這い出てくる『ターミタス終着の』を冠する獣たちを蹴散らしながら、走り続けて数十分。


 そんな時間の流れの中で、周囲の光景に変化が現れ始めた――東の空が、少しずつだが白み始めたのだ。



「わぁ……すごい景色、深い蒼の世界が丸く見える……!」

「ああ。東の空が少し青くなってきているな、もう少しで夜明けか」


 眼前の光景に目を輝かせているユリアに、優しい目を向けながらソールレオンが同意する。


 そんな彼の言葉通り、東の空はまだ若干ではあるが深い青に染まり、水平線が微かに輝き始めている。日の出まで、あと1時間と少しというところか。


「下にあるのが、今私たちが遊んでいた大陸なんですね!」

「じゃあ、あの東の水平線あたりに見える陸地は……」

「別の大陸なのかな。すごいなぁ行ってみたいなぁ」


 雛菊が、リコリスが、カスミが……皆、限界ギリギリの速度で疾走しながらも、眼下に広がる光景にはしゃいでいる。


 それだけ、眼前に広がる成層圏の大パノラマは絶景だった。



「お姉様、私、こんな景色初めて見ました!」

「はは、そうじゃろうなあ。我も初めて見たわ!」


 フレイとフレイヤに合わせるためにやや後方を走るクリムの胸ポケットで、周囲の光景に興奮しはしゃぐルージュに、さもありなんと頷くクリム。


 かくいうクリム自身、写真などでしか見たことのない光景に興奮を隠せないでいた。


「こんなすごい光景、できれば皆で見たかったね」

「うむ……ま、皆、配信は観ておるじゃろうかな。のうリュウノスケ、少し背景にカメラを向けてもらうか!」

「あいよ魔王様、仰せのままに!」

「全く、姉さんもクリムも呑気なものだな」


 こんな時でも配信のことを忘れていないクリムとリュウノスケに、フレイが肩をすくめて苦笑する。


 一方で、視聴者たちはというと。



『ありがとうまおーさま、みてまーす!』

『成層圏からの光景がリアル過ぎてやばい』

『撮影越しでこんな綺麗なら、実際に見たら感動で漏れそう』

『こればっかりは現地の皆が羨ましい』



 ……と、大盛り上がりの様相を呈していた。


 沸き立つコメント欄にフッと表情を緩めながら、クリムたちは駆ける。


「……そうじゃ。ハル先輩」

「ん、クリムちゃん、どうかした?」

「先輩は、スザクの行く末を見届けるために最後までついてくるんですよね。なら……ルージュのことを、お願いしてもいいですか?」


 もっとも……ルージュにはシステム的な保護があり、戦闘に参加できない代わりにイモータルオブジェクト化されている。

 ゆえに、これはただの自己満足なのだが、これから起こるであろう戦闘を考えるとやはり心配なのだ。



 ――それに……この先の結末を見届けるには、あまり良い席とは思えないしね。



 これ以降、クリムに周囲を気遣う余裕は無くなるだろうという予感がある。あるいは途中で力尽き、他の者に後を託す可能性も。


 ……と、そんなクリムの心境を二人もきちんと察してくれているようで。


「ん、了解。ほら、こっちにおいでー」

「はい、それじゃあハルお姉さん、お邪魔させてもらいます」


 そう言って、特にわがままを言うこともなく、妖精の羽をはためかせてクリムの服から抜け出したルージュ。

 彼女はハルが被っている緑色の羽根つき帽子の鍔に収まるように、頭上へと移動する。


 そこならば確かに、クリムの胸ポケットよりは周囲も見やすかろうと……ちゃっかり特等席を確保したルージュが「ふふん」とドヤ顔で胸を張っている姿に、こんな時でありながらも思わず表情を緩めるクリムだった。



 ――と、そんな和やかな時が流れていた時だった。



『聞こえますか、【解放者アンチェインド】の皆さん』


「……ルシファー?」


『見なさい……中枢に至る道、最後の番人が目覚めたようです』


 そう告げるルシファーに促されるままに、先を見ると……そこには、十の足場が細い通路で結ばれた道に立ち登る、光の柱。


 その中から、八人の少女たちが歩み出てくるが……


「どうやら黙示録ごっこは終わりみたいだね……あれはルキフグス、かな?」

「アスタロトさんも、リリスさんも居ます……!」


 シャオの疑問符混じりの呟きに、ユリアが信じられないと言った感じの声を漏らす。


 ……中にはクリムたちにも見覚えがある存在も、ちらほらと見えていた。本物との違いは、その目に自分の意思というものを浮かべていないことくらいか。


『そこに居るのは、冥界樹が保存していた【悪魔】のデータから再現された複製体です』


 リリスに、アスタロトに、ルキフグスに……その他、見知らぬ悪魔の娘たちが、進もうとするクリムたちを包囲する中で、ルシファーが状況を説明してくれる。


『その能力は、本物よりは経験の分劣るとは思いますが、カタログスペックに関しては皆さんが戦ってきた彼女たちと遜色無いはずです、お気をつけて』

「だ、そうじゃ、油断せずに速やかに突破するぞ!」


 言われずとも、その少女たちの内部に秘められた脅威をひしひしと感じ取っていたクリムは、周囲に警告を発する。


「リコリス!」

「はい、障害を排除しますの!」


 フレイの指示に、『フローター』によって宙を滑るように移動していたリコリスが、狙撃体勢を取る。


「シュヴァル!」

「おう、露払いなら任せなァ!!」


 同時に北の氷河の弓士シュヴァルもまた、ラインハルトの指示に従い、走りながらも冷静に対象へとターゲットを向ける。


「そこを退きなさいなの、『セラフィックランチャー』、シュートぉおおおッ!!」


 リコリスの持つ魔機銃マギウスガン、その増設されたバレルから、輝く光の翼を展開する。

 それと同時に放たれた閃光が、前方に待ち構えていた『悪魔』たちを退かせ――路が、見えた。


「こいつぁとっておきだ、遠慮せずに喰らっとけ!」


 そんなリコリスの拓いた道を埋めさせまいと、シュヴァルが手にした弓に矢を番え……


「……『ドラゴントゥース・アロー』だ、当たったら痛えぞ!」


 ……放つ。


 瞬間、放たれた矢は竜の顎門のような激しい炎へと変貌し――熱と衝撃により周囲を蹴散らしながら、先ほど吹き飛ばされた悪魔複製体の一体に直撃し、彼方へと吹き飛ばした。



 ――なんか、リリスに見えたのう、吹き飛んでったあれ。



 彼女は複製体ですら不憫なのだろうかとこっそり胸中で涙するクリムだったが、それはさておき。


「リューガー、足場を!」

「よろしくお願いします!」

「心得た、来い」


 先頭をひた走っていたエルネスタとカスミの言葉に、リューガーが二人を追い抜いて振り返ると、両手を組んで待ち構える。


 そんな彼の、まるでバレーボールのレシーブみたいな格好で迎えた腕に、二人が足を乗せる。


「――ぉおおおおおッ!!」


 咆哮と共に、乗っていた者らを巻き込んで上へと振り上げられた、リューガーの両腕。


 そこに居たはずの少女らは、しかし――次の瞬間、はるか上空に在った。


「「『シューティングスター・ダイバー』……ッ!!」」


 リューガーにより跳ね上げられた上空から、凄まじい勢いと閃光を伴って、カスミとエルネスタが槍を構えて降ってくる。


 二人がその床面に着弾すると同時に、周囲へ撒き散らされた暴力的な衝撃が、行く手を阻んでいた悪魔の複製体何体かを弾き飛ばす。


 倒すには、当然ながら至らない――だが、道は完全に拓けた。


「行って、魔王様!」

「勇者さんも、必ず勝ってきなさいな!」


 カスミとエルネスタが、クリムたちを追いかけようとする悪魔を阻むようにその背後に立ち塞がる。


「お師匠、絶対に勝ってくださいね、雛菊は信じてますです!!」

「あ、雛菊ちゃんずるい! 私も、私も信じてますからね、お館様!」


 また、横から回り込もうとしていた悪魔たちも居たが、間に割り込んだ雛菊とセツナに阻まれて引き下がる。


「ここは、僕らが引き受ける、君たち『解放者』は先に行くんだ!」

「しっかりね、クリムちゃん、みんな!」


 それでも逃がすまいと、悪魔複製体たちに背を向けて走り抜けるクリムたちへ放たれた魔法や遠隔攻撃は、フレイとフレイヤが展開した魔法障壁に弾かれて、消える。


 皆から送り出されるように、クリムとスザク、そして見届け人としてついていくハルが、悪魔たちの包囲が破れた箇所、冥界樹の中心へと向かう通路へと飛び出した。



 ――ついに、ここまで苦楽を共にしてきたギルドの友人たちまでもが、ここでお別れ。


 残りのプレイヤーは、撮影担当であるリュウノスケを加えても、たった六人。


 だが、状況はそんな感情に浸る時間すらくれずに、加速度的に進んでいく。


 それは――クリムたちが皆に送り出され、悪魔たちの包囲網を抜けた……と思うことすら許されぬほどに、すぐに訪れる。




「ソールレオンさん、もちろん、あなたは理解していますよね?」

「もちろんだ、シャオ――さっきの場所に居た悪魔たち、……なッ!!」


 瞬時に『ドラゴンアーマー:ヴォーダン』を展開したソールレオンが、額の邪眼を見開いたシャオが、先へと向かう通路の左右、頭上から飛び掛かってきた人影を迎撃し、弾く。


 切り払われ、かなり遠くまで弾き飛ばされて……しかし危なげなく着地し、ゆっくりと立ち上がったその人影は――



「――ベリアルに……バアル=ゼブル!!」

「最大戦力のお出ましか……!」



 ――それは現状で考えうる、最悪のダッグ。


 悪魔の娘たちの中でも、圧倒的に図抜けた実力を有する二人だ。たった二人であっても、決して先程の八体に劣るものではない。


 そして……悪魔は、本来の十体に番外個体であるベリアルを含めた11


「ここは、僕たち二人が引き受けます!」

「クリム、お前も行け……ぞ!」

「……すまぬ、ここは任せた!」


 妙な含みを持たせたソールレオンの言葉に、いわれずとも分かっていると一つ頷き返し、スザクとハルと共に二体の悪魔をかわしてクリムが走る。




 そうして……全周に広がる冥界樹の枝が集う、中心部付近。


 もう数キロという目と鼻の先にある中心に見えてきたのは、まるで蓮の花のような形状をした巨大な台座のようなもの。


「ルシファー、あれが目標に相違無いか!?」

『はい、間違いありません、あれが目的である強制停止コマンドを打つべき存在、冥界樹クリファードの中枢です』


 そうクリムの問いに対し明言するルシファーの言葉に、歩を早めようとして……しかし、三人の足が止まる。


「やはり、こやつが居ったか……ッ!」

「なあ、魔王様……」

「クリムちゃん、ここは皆で……」

「予定に変わりは無い! お主ら二人は先に行くがよい、そして全てを終わらせよ……スザク、お主がダアト=クリファードを助けるのじゃろうが!!」


 躊躇い、残ろうとするスザクとハルの二人をぴしゃりと一蹴し、クリムは手元に漆黒の大鎌を顕現させ、『剣群の王』にて従えた巨大な大剣四本を側に引き寄せた。



 ――クリムの眼前……そこに一人、真っ白な外套を羽織った人物が静かに待ち構えていた。



 ただ相対しているだけでさえ止まらない冷や汗を背中に感じつつ、それでも心配そうなスザクとハルに、大丈夫じゃ、と笑ってみせるクリム。


「……分かった、頼む!」

「絶対、こんなところで倒れちゃダメだよ、追いついてくるのを待ってるからね!」


 そう言って、躊躇う素振りを見せながらも再び走り出した、スザクとハル――その動きを察知して地を蹴り動き出した人影を、『縮地』で距離を詰めたクリムが蹴り飛ばし、二人から引き剥がす。


 危なげなく着地し、クリムを敵と認め向き直ったその姿は――やはり、クリムの予想通りのものだった。


「……やはり、例外ではなかったか」

『ええ、すぐに袂を別ったとはいえ、元々私はエデンの園の一部でしたからね。当然ながら、複製体はあったようです』


 ルシファーの同意を受け、クリムが引き攣った笑みを浮かべたその視線の先。


 そこには、六対十二枚の漆黒の翼を持つ、女神の如き美貌を持つ女性――が、クリムの方を睥睨していた――……

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