最終決戦前日



「やはり今日もここじゃったか、ユーフェニア」


 ――セイファート城地下空洞、レイラインポイント。


 本来であればダアト=セイファートにより立ち入り禁止にされているその区画……その中心、『神剣』が沈められている地底湖の前で座り込んでいた小柄な人影を確認し、クリムが声を掛ける。



「……クリムさん」

「食堂で、お主が食事を摂りにこないと心配しておったぞ」

「……あ、もう上はそんな時間なんだ」


 今更ながら気が付いたというように、軽く驚きの表情を見せるユーフェニア。


 その顔色は……ここが地下空洞であり、レイラインポイントから湧き上がるマナが光源というのを差し引いても、少し青白い。


「やはり、緊張しておるのじゃな」

「……うん、正直に言って、マジでビビッてる」

「この数週間は、色々とあったものな」

「ほんとそれよね。皇女って担ぎ上げられるのを承諾して、やっとの思いで決戦も終わってさてあとはどうやってトンズラしようかなーって考えてたのにさ」

「何じゃお主、逃げる気満々だったのか」

「当然よ」


 そう自慢げに胸を張って言い切ったユーフェニアだったが……しかし、すぐに膝を抱えて深い溜息を吐く。


「わかってるよ。投げ出すつもりなんてないの、私がやらなきゃ皆が死んじゃうんだから。わかってるのに……手の震えが止まらないの」


 そう、カタカタと震えている手をクリムに見せてくるユーフェニア。



 ……仕方ない、とクリムは思う。


 虚影冥界樹攻略の第一段階は、巫女たち十三名による封印で冥界樹の力を削いだ上で、彼女の『神剣』により冥界樹の結界を破壊すること。


 即ち……彼女が失敗したら、もはやクリムたちに打つ手がなくなるかもしれないのだ。


 チャンスは一回こっきりしかなく、彼女に代役は居ない。そんなぶっつけ本番に、世界の命運が載っている。


 それは……明らかに、まだ少女の身には重すぎる責任だ、彼女を責める事など誰にもできないだろう。



 むしろ、責められるべきは。


「……お主に、皇女となる道を選ばせたのは、我じゃ。たとえお主の意志で決めた事だとしても、そのための道を掲示したのは紛れもなく我じゃからな」


 彼女を諭し、初代皇帝ユーレリアに引き合わせ、ただ一人の『神剣の担い手』にしたのはクリムなのだ。


 そんな運命を少女に背負わせた事が、回り回って世界を少女に背負わせた。怨まれたって仕方ないと思いながら語るクリムに、しかし。


「でも……それが無かったら、きっと後悔も不安も感じないまま、気付いたら全てが終わってた」

「……そうじゃな」

「だから……これで良かったんだよ、きっと。クリムさんを恨んだりなんてしてない」

「…………そうか」


 体育座りの姿勢のまま、じっと『神剣』が沈められている地底湖を眺めながら語るユーフェニアの隣に、クリムは静かに腰を下ろす。


「……私が成功したあとは、クリムさんたちに最重要のポジションが移るんだよね?」

「そうじゃな。我と、あと他に三人。いずれかが必ず生きて最深部にある冥界樹の核を止めなければならぬ」

「なんで、そんなに落ち着いていられるの……?」


 そう泣きそうな顔で質問してくるユーフェニアに、クリムが苦笑する。彼女から落ち着いて見えているというならば、クリムとしてもというものだ。


 ……が、そんな事はおくびにも出さずに、彼女の質問に対する答えを頭の中で即興で組み上げて、口の端に上らせる。


「……そうじゃなあ。そういう時は、『大陸全ての人を救わないと』なんてクソでかい主語を捨てることじゃな」

「えっと……どういうこと?」

「本当に救いたいのは誰か、をちゃんと見定めるのじゃ。考えて考えて、突き詰めていくと……案外、残るのは数人くらいじゃぞ?」

「……やってみる」


 素直にクリムの提案を受け、思索にふけ始めるユーフェニア。そんな彼女を……途中、新たにこの地下空洞へと降りてきた気配に気付かないフリをしつつ……考えが纏まるのを待つ。


 そのまま、十分と少し経過して……ユーフェニアが、先ほどまでよりは少し血色の良くなった顔を上げた。


「……どうじゃ、自分の大切な者は見定まったか?」

「うん……そうだね。薄情なようだけど、一人しか残らなかったや」

「そやつ一人くらいならば、全然救えると思わぬか? 他は全部じゃ」

「あはは、めちゃくちゃな理屈だなぁ……でも、うん、全然楽になった」

「ならば良かった……では、お邪魔虫は退散するとするかのぅ」


 クリムがそう告げて、外套についた土埃を払いながら立ち上がり……首を傾げているユーフェニアに、入り口の方を指さす。


 そこには――先ほどからずっとちらちらと中の様子を伺っていた、ランチボックスを抱えているメイド服の少女の姿があった。


「え、何で? せっかくだし、一緒にお昼ご飯を食べながらゆっくり三人でお話しててもいいんじゃない?」

「ところがじゃな……我らの故郷では、仲睦まじい少女二人の間に入ろうとする者はその存在を世界から抹消されるという言い伝えがあるのでな」

「何それ怖い」


 恐れ慄き真顔で呟くユーフェニアに「冗談じゃ」と一つ苦笑しながら、クリムは踵を返す。


「……では、また明日な」

「うん、また明日」


 最後にそう短く言葉を交わし、駆け込んでくるメイド服の少女と入れ替わるようにして、クリムはセイファート城地下空洞を後にしたのだった。



 ――決戦は……もう、明日まで迫っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る