インターミッション

反抗のルージュ


 ――天理に誘われて深夜ラーメンに繰り出した、その翌朝。紅たちの住む住宅地内にある小さな公園にて。


「はぁ……はぁ……ひい」

「はいノルマ達成お疲れ様、姉さん」

「ほら聖、水分補給はしっかりね」


 学校指定のジャージに身を包んだ紅、それと昴と聖の三人は……昨夜、寝る前に食べたラーメンのカロリーを消費するべく、早朝から町内一周ランニングに勤しんでいたのだった。




「ひぃ、ひぃ……なんで、二人ともそんな余裕なの……?」


 膝を震わせ、すっかりグロッキーな様相を呈している聖に比べ、紅と昴はすでにけろっとしている。


 ちなみに、ここまで聖と同じか少し早いペースで走ってきた昴は、多少息は上がっているがまだまだ余裕。


 それより早いペースで到着した紅に至っては、なんと汗すらほとんどかいていない始末……もっとも紅の場合は、その気なら競走馬とすら競える速度と持久力で走れるため、まさに『チート乙』といった感じなのだが。


 そんな二人の様子を見せつけられて、普段の運動不足をまざまざと実感させられたらしい聖が、がっくりと地面に膝をつく。


「あはは……でも、聖もちゃんとノルマ走り切ったじゃない、えらいえらい」

「紅ちゃんも昴も、私よりずっと早いペースでなんで平気なのぉ……」


 ちょっとだけ恨み言混じり、息も絶え絶えといった様子で、紅が渡したウォーターボトルに口をつける聖。そんな二人の様子を見ながら、昴はドヤァ、と胸を張る。


「まあ、僕は姉さんと違って鍛えてるし」

「高校入学した後は不定期だけど、中学の時は毎朝走ってたよな?」

「ああ、一応、今も夕方には機会見て走ってるぞ」


 そんな二人の会話に、聖がぐぬぬ、と悔しがる。


 紅が最近ご無沙汰だったのは、日光に当たるのが非推奨なためだが……しかし今日走ってみて、どうやらこれくらいのペースで流すならばたいして汗もかかない程度の運動量であり、全身に塗ったUVカットクリームも流れないとわかった。


 ……それはそれでどんな体力だよと薄ら怖い話ではあるが、日差しが弱い時に対策をしっかり取れば、少し付き合うくらいならば可能かもしれないのは朗報であった。


「でも、紅ちゃんと並ぶと自分のぷにぷに具合が気になるのよ……せめて夏までには紅ちゃんの隣に並んで恥ずかしくない、理想の体型を手に入れたい!」

「私は気にしないけどなあ。というか聖は今の時点で十二分に魅力的だよ?」


 それは、まごう事なき紅の本音である。


 ……そもそもの話、聖は本人が気にするように太ってなどいない。佳澄など、着替えのたびに『そのスタイルでそのウェストの細さはあり得なくない……?』と恨めしげに睨んでいる始末だ。


 だが、やはり本人としては気になるものなのだろう。


 紅が一度、なんでそんな痩せたいのかよく分からないと迂闊にも口にした際に、光が失せた目で『それは紅ちゃんが恵まれてるからだよ?』と言われて以来、絶対に本人には二度と言わないと誓ったのだが。


「うう、ありがとー紅ちゃん私も大好きだよー! でも私が気になるから頑張るんだからね!」

「はは……それじゃあこれから毎朝、一緒にランニングを頑張ろうか」

「うん、頑張る!」


 やる気に満ちている聖の意思を尊重し、毎朝のランニングを今後のスケジュールに組み込む紅なのだった。






 ◇


 ――うちの天使の機嫌が悪い。


 この日、『Destiny Unchain Online』にログインしたクリムは宙を仰ぎ、悲嘆に暮れていた。




 旧帝都決戦の翌日、公園から帰宅し朝食を終えて、今日も今日とてログインしたクリムを待ち受けていたのは……いつもは健気に慕ってくれている妹分の、冷たい眼差しだった。


 かといって、嫌われたのかと思えばそうでもないようで……



「…………」

「あー、あの、ルージュさん?」


 クリムは恐る恐る、膝の上に、座って抱かれているルージュに声を掛ける。


 だがその返答は、まさかの無視。


 クリムが声を掛けても、ルージュはその腕の中に収まったまま、ぷい、とそっぽを向いている。


 その姿は……これ以上ないほどに、「私、すごく不機嫌です」という意思を示していた。


 だが一方で、こうして膝の上から動かないというのは彼女がクリムに甘えているからであり、構って欲しいというポーズでもある。


「本当にすまなかった。昨夜はもう眠ったと聞いて、起こすのは悪いと思ってだな」

「……それはもういいです、お姉様の事ですから、そんな事だろうとはよく分かってます」


 はぁ、とため息を吐いたルージュは……しかし、これまで意図的に目線を向けていなかった方へ、ギン、と睨みつける。


「……何故あなたがここにいるのですか、ベリアル」

「ふぅ……まあ、そうよね。私だって本気で面の皮が厚いって、自分でも思うもの」


 ジト目で問い詰めるルージュ……その対面に座って、アドニスから給仕されていたベリアルが、居心地悪そうに両手で持ったカップを傾けていた。


 一方で、ルージュとベリアルの間では、ドッペルゲンガー本来の影人形姿をしたヒナとリコが、ベリアルを威嚇するようにシャドーボクシングを披露している。

 見た目だけならば微笑ましい光景が繰り広げられているのだが、しかしその周囲に漂う空気は限りなく重い。


「あなたの事情は聞きました。理解もしました……でも、私は……っ」


 激昂しかけたルージュはしかし、泣きそうな顔をして喉元まで出かかった言葉を引っ込める。


「……ごめんなさい、お姉様。頭を冷やしてきます」


 そう言って、クリムの膝上から飛び降りて歩いていってしまうルージュ。

 ベリアルを威嚇していたヒナとリコも、ぴょこんとテーブルからルージュの肩に飛び乗って、一緒に行ってしまう。



 ――まあ、あの二人も一緒ならば、あまり無茶はしないだろう。



 どこかルージュの保護者気分らしい二体のドッペルゲンガーに内心で彼女のことを頼みつつ……クリムはとりあえず、残されたもう一人の方へと向き直る。



 やはり、あの子は優しい子だ、とクリムは思う。


 そもそもルージュ自身、あの様子ならば、本当にベリアルが許せなくて仕方がないという訳ではないだろう。


 恨む気持ちが無い訳ではないのだろうが、しかし彼女の中ではそれよりも、彼女の境遇に対する同情の方が上回ってしまっているのだ。


 ……だからこそ、汚い (と彼女が思い込んでいる)感情が拭えず、感情の置き場所が分からなくて混乱しているだけなのは、よく見ていればすぐに分かる。


「すまんな。普段は素直で良い子なんじゃが……」

「まあ、和解したんだから過去のやらかしは許せっていうのは、虫が良過ぎるわよね。特に、私があの子にした事を思えば無理もないわ……ま、徐々に許してもらえるように頑張るわよ」


 そう、深々とため息を吐いてカップを傾けるベリアル。そこには、昨日までは無かったどこか達観した雰囲気があった。


「そう言うお主は、随分と毒が抜けたのう」

「ふん……さすがに割り切ったわよ、死んだはずのあの人に会えて、しかもあそこまでしてもらえばね」


 おそらく昨夜の痴態を思い出したのだろう、真っ赤になって明後日の方を向きながら、もじもじとカップの取手を指で弄んでいるベリアル。


「それよりも! 私は大丈夫だから、ほら、あなたはさっさとあの子を追う!」


 そう、どう見ても照れ隠しの怒声を上げる彼女に苦笑しながらも、クリムは改めて、ルージュを追いかけて中庭から出て行くのだった。








【後書き】


 ・今章について


 しばらくリアルが繁忙期真っ只中となり仕事で忙しいので、執筆カロリーが高い最終決戦は繁忙期が終わってから取り掛かれるよう、しばらくはリアル側や、すっかり増えたNPCたちに焦点を当てた短めな間話の回が続きます。




 Q.引き伸ばしですか?


 A.その通りでございます。

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