セイファートの湯
――セイファート城、その離れに建つ大浴場。
温泉でこそないものの、地下の水源から引かれて沸かしたその湯には豊富にレイラインポイント由来のマナが含まれている。
さらにはダアト=セイファートお手製のハーブエキスがたっぷりと混ぜ込まれたその褐色の湯は、決して天然の名湯に劣るものではない疲労回復の効能を秘めていた。
そんな、通称『セイファートの湯』の女湯は――この日の夜は、喧騒に包まれていた。
◇
「――なんでこんな事になったんじゃろなぁ」
「そうだねぇ……」
並んで湯に浸かり、遠くを見つめているクリムとフレイヤ。その目の前では――
「あぁ〜ちっちゃなベリアルちゃんかわいいですわよ〜」
「この……お湯の中で抱きつかれると暑苦しいのよ、離しなさい脳みそピンク女!」
少女サイズになったベリアルに抱きつき頬擦りしているリリスに、ベリアルが喚きながらもがく。
が、しかし今の体格差では如何ともしがたく、リリスは恍惚の表情でベリアルへと絡み付いていた。
「ふふん、今ならクリフォが封じられていない私の方が、ベリアルちゃんより強いですわよってうにゃあああ!?」
不意に、ザパーン、と盛大な水飛沫をあげ、何処からか伸びて来た蔦によって、リリスがあられもない姿で吊し上げられて強引に引き剥がされる。
そんな彼女の姿を見て「いい気味よ」と満足げに呟いたベリアルは、クリムとフレイヤの方へと退避してきた。
「あ、あらぁ? ね、ねぇベリアルちゃん、お姉さん、このままだと風邪ひいちゃうなーって」
「ひけばいいじゃない」
「ちょ、待って放置しないでぇ、この蔦結構キツくてあちこちに食い込むものですから、私、いけない気分に、ぁん!?」
さすがに、リリスも全身どこも地面に接していない、不安定な宙吊り状態ではうまく身動きも取れないらしい。
冷え切った声で吐き捨てるベリアルの非情な言葉に、いよいよ焦ってもがきはじめたらしいリリスのちょっと怪しい声が聞こえてくる。
ちなみに、なぜクリムには音声しか聞こえないのかというと……リリスが吊り上げられた先程から、隣にいるフレイヤになぜか手で目隠しされているからなのだが、それはさておき。
「――結局、残っている悪魔全員がこの城に集まっとるんか……なんぞこれ」
「行き場のないNPCの駆け込み先なのは、前々からだったですけど……」
「まさか、敵NPCみんな集まってるなんて不思議なの」
クリムの言葉に、うんうんと頷き同意する雛菊とリコリス。
そう……現在このセイファート城の大浴場には、ベリアルとリリス以外にも、ソールレオンとシャオが引きずってきたルキフグスとアスタロト、残る悪魔たちまで勢揃いしていたのだった。
そんなわけで、浴槽の、クリムたちがいる場所とは反対側の端では。
「ひ、ひひ、人がいっぱい……こんな中で肌を晒すなんて正気とは思えない……」
「よーしよし、大丈夫だからねー」
何やら死にそうな顔で震えている黒のおかっぱ頭の少女……ルキフグスが、すっかり世話役になったらしいメイに宥められている。
今すぐにでも逃げ出そうとしているルキフグスを、メイが「肩まで浸かって100数えてねー」と押し留めている姿は、まるで姉妹のようだ。
一方で、洗い場の方では。
「姫様、御髪の手入れ終わりました」
「あの、私は必要ないから、自分の事を……」
「いえ、マイマスターから姫様の護衛を申しつかっておりますので!」
プラチナブロンドの少女……アスタロトが、すっかりユリアの騎士みたいになっていた。
とはいえ、ユリアはプレイヤーである。そのアバターは実のところわざわざ入浴する必要も髪の手入れをする必要もなく、ちょっと困ったような顔で、しかし楽しそうなアスタロトを止めることもできずにされるがままになっていた。
彼女、アスタロトは……なんでもソールレオンに完敗し、その配下に降ったというのが本人談だ。これには「即堕ち二コマかな?」と、クリムも首を傾げていた。
「しかし……こうして和気藹々としていたら突然明日には敵に回るとか、そんな陰鬱な展開とかないじゃろうな?」
なんせ次の敵は彼女たちの親玉、冥界樹そのものだ。せっかくこうして仲良くなったのに、また敵として相対するなどごめんだったのだが、しかし。
「あ、それは大丈夫」
「……む?」
すすっと泳ぎながら寄ってきたエイリーに、クリムが首を傾げ、尋ねる。
「ちょっと前に、妾たちの冥界樹クリファードとのパスが、ぜんぶ切られたのを確認したのよ」
「ああ……そういえば、我らの内にあるというルシファーのクリフォ1iに、なんかそれっぽいものが付与されておったな」
権能『接続棄却』――冥界樹に隷属関係にある悪魔を支配から解放するスキル。
どうやらきちんと効果を発揮していたのだなと、クリムも納得する。
「おかげで皆、もう冥界樹の支配下にはないのよ。妾やベリアルちゃんはともかく、他の三人は後天的に悪魔にされた組だから、支配から逃れてしまえば従う義理もないしね」
「ふむ……では、お主らは?」
「妾、最初からその気がないし問題ないわ」
「私も、強制力が消えた今なら正直、世界がどうなろうと、どうでもいいし?」
きっぱりと断言するエイリーと、それに追従して頷くベリアル。
「それにベリアルちゃんがワルやってたのは冥界樹に逆らえないから、誰かに止めて欲しかったからだもの、それが無くなった今は敵対なんてするわけないのよ?」
そんなエイリーの言葉に、全員の視線が、ゆっくりとベリアルに集中する。
そんな視線を前に、しばらく明後日の方を向いて無視する構えを見せていたベリアルだったが……しかし皆からの視線が集中する中で十秒、二十秒と経過していくうちに、プルプルと震え始めた。やがて……
「……あー、もう! どうせ分かってるくせになんで人間って私の口から言わせようとするのよ! もう敵対なんてしないわよこれで良い!?」
真っ赤になって、キレ気味に宣言するベリアル。
だんだん本性が割れてすっかり愛玩され始めた彼女の様子に、クリムも少々不憫に思い始めていたのだが、それはそれ。
視線は残る一人、ぷかぷかと仰向けに浮かんで可愛らしいお腹を曝け出し、はふぅ、と心地良さそうな吐息を吐いているエイリーへと注がれる。
「妾もその気はない、ベリアルちゃん同様信じてくれていい」
「それは何故じゃ、エイリー?」
「だってこっちの方が、ごはん美味しいし」
「……さいで」
やはりエイリーはエイリーだった。
ドッと疲れた様子で湯船に口元まで沈むクリムに、フレイヤが苦笑しながら、よしよしとその頭を撫でるのだった。
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