ベリアル救出戦

 ――敵首魁だったはずのベリアルは、穏やかな笑顔だけを残して、黒い冥界樹の蔦に取り込まれて姿を消した。



「そんな……ベリアルさん、返事をして!?」

「ダメですユーフェニア様、まずはこの場所から退避しないと!」


 姿を消したベリアルを探し慌てるユーフェニアを、シュティーアが押し留めて退避する。



 ――エントランスホールが、崩壊し始めていた。



 周囲から、無数に現れる冥界樹の蔦。

 それが床を――あるいはその下にあるはずの岩盤を――貫き、砕いて伸びて来ているせいだ。


「きゃあ!?」

「まずい、もう崩れる。いや、崩落するぞ!?」


 咄嗟にサラを庇ったリュウノスケの忠告。

 そうなった場合、飛べるのはクリムとスザク、ソールレオン、そしてリコリスしかいない。


「と……とにかく、まずは取り返しがつかなくなる者を救出するのじゃ!」

「わ、分かった!」


 そう、慌ててクリムが指示を出す。

 取り返しのつかないもの、すなわちこの世界本来の住人だ。


 そうしてクリムがユーフェニアを、スザクがシュティーアをそれぞれ抱え、翼をはためかせて宙に舞った……その時、ガクンと一際大きな衝撃が皆を襲う。


 エントランスホールの外周端から、無数の真っ黒な蔦が床を隙間なくぶち抜いて生えている。


 そのせいで、まるで型抜きされたように周囲の地面との連続性を失い、支えるものが無くなった帝城エントランスホールの床が、とうとう崩落を始めていた。


「うわぁあああ!?」

「きゃぁあああ!?」


 突然床がなくなったせいで、皆、悲鳴を上げながらその下にあった空洞へと落下していく。


「ああぁぁぁ……あれ?」

「落下が、止まった?」


 ……が、その落下速度は途中から、緩やかなものへと変化する。ジェードとサラの戸惑いの声を皮切りに、皆が目を開けて恐る恐る周囲を見回すと……風景は、今はもうゆっくりと下降していくのみ。


「これは……」

「ベリアルの、蔦……か?」


 腕に。脚に。あるいは胴体に。

 体のあちこちに絡みついている、赤みを帯びた蔦に、ゆっくりと降ろされながら、呆然と呟くスザクとクリム。


 悲鳴をあげていた他の皆も、先ほどまでの落下感が突然無くなったことに戸惑いながら、同様に周囲の光景を見回している。


 落下中であったクリムたちは……今は、底が見えないほどに深い空洞内を、ゆっくりと下降していた。


 黒いものとは別の蔦が、落下していたクリムたち全員を絡めとり、優しく降ろしてくれているのだ。


 一方で……周囲の圧迫感が強くなる。

 HPゲージもまた、不気味な蠢動を繰り返しながら僅かずつ減少していた。


「この縦穴は、瘴気が今まで以上に濃いな……ユリィ、頼めるかい?」

「はい、お兄様」


 自前の翼でゆっくりと滑空するソールレオンと、その腕の中にいたユリア。

 そのユリアの背中から、六枚の光翼が展開され、その輝きを受け、周囲に満ちていた圧迫感が消えてくいく。


 そうして落ち着いてくれば、周囲を見渡す余裕も生まれて来た。




 そこは……帝城のエントランスホールよりもさらに広く、底が見えないほど深い縦穴。


 まるで表面が一度高熱によって溶かされたような、磨きあげられたガラスのような材質の壁面が光源を乱反射して、万華鏡のような幻想的な風景を作り出している。


 おそらくは帝城が建てられた場所の下にあったという、周辺が泉となった原因――はるか昔に、この地に落下したという『何か』の落着跡なのだろう。




 やがてベリアルの蔦が、空洞の底に見えてきた地面へとたどり着く。

 そっとクリムたちを地面へと下ろすと……その蔦たちは、みるみる枯れて、崩れ落ちてしまった。


「ベリアル、お主……」


 クリムが視線を向けた先……頭上には、無数の黒い蔦に繋がれ、まるで自我の消失したような虚な目でクリムたちを見下ろすベリアルが居た。


 ……どうやら、完全に冥界樹に取り込まれてしまったらしい。


 おそらくは先程の蔦が最後の抵抗、最後の力でクリムたちを守ってくれたのだろうが、もうそれも期待できまい。


 更には……空洞の底には奥へ続く横穴があり、そこから新手の黒い蔦が、うぞうぞと身をくねらせながらこちらへと向かって来ている。そちらに封じられた冥界樹の本体があるのだろう。


 四面楚歌……そんな状況の中で。


「クリムさん。皆さん。お願いがあるんですけど」


 何かを決意したように、神剣を強く抱きしめて話しかけてきたユーフェニアに……


「うむ、良かろう。話を聞かせるが良い、状況が状況じゃから手短にな」

「あいつを助けたいって言うんだろ、何か手はあるのか?」

「あ、あれ?」


 プレイヤー特有のメタ読みによって、要件を言う前に、皆まで言わなくても分かっていると頷くクリムとスザク。そんな二人に目を白黒させているユーフェニア。


 しかし、周囲に居る他の皆も、一様に頷くのを見て、彼女はすぐに自分の頬を叩いて気合いを入れ直す。


「あの人を解放する手段は、あるよ。この剣が教えてくれたの」

「本当か?」

「うん、初代皇帝様にも『あの馬鹿娘を頼む』って頼まれたし、まちがないよ」


 そう言って、手にした神剣を体の正面へと掲げ、その柄に手を添えるユーフェニア。


「だけど、私、しばらく準備で動けなくなるから……お願い、三分間でいいわ、私を守って」

「うむ、承知した!」

「わ、私も、ユーちゃんの事は絶対に守るから!」

「ありがとう、シュティーア。信じてる」


 快諾するクリムたちの眼前で、空洞の奥から無数の黒い蔦が、まるで津波のように迫ってくる。


「――お願い、力を貸して」


 そんな、圧倒的質量によって轢き潰さんと迫る蔦を無視するように――ユーフェニアは鞘から神剣を抜いた。



 ――リィィ……ィン



 澄んだ音を上げて抜き放たれた神剣は、その結晶でできた刀身の奥底から、光を発し始める。


 そんな、まだ今はすぐにでも消えてしまいそうな仄かな光を発している神剣が、宙に円を描く軌跡を残してゆっくりと下段に構えられる。ユーフェニアは静かに目を閉じ、瞑想に入った。


 その瞬間……真っ黒闇だった地下空洞内が、周囲の壁を貫通して湧き出してくる眩い光に、照らし出されていく。


「これは……魔力が回復していく? もしかして、セイファートのマナの輝きか?」

「綺麗……それに、これなら視界にも困らないの!」


 地面からこんこんと湧き上がる神剣と同じ色の輝きに、隣合って並んだフレイとリコリスがそんな事を話しながら、各々の武器を構える。



 狭い洞窟内で、見渡す限り冥界樹の蔦の群れ。

 そして、こちら側からはもはや攻撃を加える訳にはいかないベリアルの本体。



 ――条件は、圧倒的にこちらに不利ではあるが、な。



 だが、不思議とクリムは、負ける気はしなかった。


 否、この場に集う誰もが、微塵も諦めていなかった。


 為すべきことはすでに有り、その先に見えるものが希望であるならば、恐れる事など何も在りはしない。


「なに、たったの三分間じゃ――皆、気合いを入れて凌ぎ切るぞッ!!」


 そんなクリムの号令を受けて、この場に集う皆の咆哮が、地下空洞を震わせたのだった――……

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