炊き出し

 ――この日、レドロック坑道地下の避難民居住地では、数年ぶりに美味しそうな食事の香りが充満していた。



「はいはい、まだ貰ってない人は遠慮なくこっちに来てねー!」

「まだまだ沢山あるし、なくなってもまた準備するから、遠慮なく持っていってくれ」


 そう居住地で声を張り上げているのは、蘭華改め羊の魔法使い『ラン』と、黒乃改め黒狼の少女剣士『クロノ』。スザクの新たなパーティーメンバーの二人だ。



 居住地についてから、五時間が経過した今……クリムたちルアシェイアメンバーおよび、助っ人のスザクたちのパーティーは、持ち込んだ食料を大盤振る舞いし、居住地で炊き出しをおこなっていたのだった。



 大人でもすっぽり入りそうな大鍋に満たされているのは、風魔法で食べやすいよう小さく刻んだ干し肉を口の中で舌で潰せるほどに柔らかくコトコト煮込み、大量の野菜と、やや少なめの米によって緩めに炊いた粥だ。


 ……この居住地の住人は、長らく藻と水しか口にできていない。


 そのことを鑑みて、看護師であるサラに固形物や刺激物は避けた方がいいとアドバイスを受けながら皆で作ったこの粥。本来硬くて塩辛い干し肉だけの味付けながら、グズグズに煮込まれた野菜の旨味がたっぷり溶け込んだ優しい味を作り出しており、住民たちからは概ね好評であった。


 今はクリムとフレイヤ、そしてカスミが鍋の番をしながら器によそい、他の皆はそれらをまだ貰っていない住人たちに配膳している。


 ……彼らにとっては久方ぶりの暖かな食事。中には涙する者も大勢居る、そんな中で。




「……魔王様、あの子が目を覚ましたわよ」


 背後から呼ぶ声が聞こえて、エプロンをして粥を器によそっていたクリムが振り返ると、すぐ後ろにあった天幕からサラが出てきたところだった。

 あの子……過労からの気の緩みで体調を崩したエクリアスだったが、どうやら意識が戻ったらしい。


「うむ。すまんなサラさん、休みの日のゲーム内で、また仕事の延長のようなことをさせて」

「いいえ、気にしないで。言われなくても職業柄放ってはおけなかったと思うから」


 そう優しく笑うサラに頭を下げ、クリムは彼女と入れ替わりで天幕に入る。



 入り口の垂れ布をめくり天幕の中に入ると……その奥、古着をバラして縫い合わせ、綿を詰めて作ったらしい子供用ベッドの上で、エクリアスが上体を起こして座っていた。


 ――改めて見ると……今は痩せており痛々しさはあるが、容姿は整っている。きちんと栄養を整えて肉がつけば、間違いなく可愛らしい少女であろう。


「あ……まおーさま、でいいの?」

「む、何がじゃ?」

「皆が、そう呼んでた」


 そう首を傾げて尋ねてくる少女に笑いかけ、「ああ、構わぬ。そう呼ぶがいい」と告げながら、クリムは少女の隣にしゃがみ込む。


「……明日の朝、夜明けと共に我らは街に巣食う魔物たちの討伐、及び『傷』の排除に向かう」


 偶然にも、明日、日曜日の午前九時にこちらの世界では夜明けを迎えることを事前に確認した上で、そう予定を告げる。


「そう……じゃあ、明日には」

「うむ、このような生活には、ケリをつけようぞ。その前に……ほれ、さしあたってはまず腹ごしらえじゃ、美味いぞ。腹が減っては戦にならんからな」


 そう言って、クリムは手にしていた粥を注いだ器を手渡そうとするが……しかし、彼女は首を横に振る。


「あの、先に街の皆に……」

「大丈夫じゃ、今、皆にも等しく振る舞っとるし、きちんと全員分用意しておる。それはお主の分ゆえに、安心して食べよ」

「そっか……ありがと、まおーさま」


 器を受け取り、おそらく彼女が初めて見るのであろう『外の世界』の食べ物を不思議そうに眺めているのを見ながら……クリムは、ふっと苦笑する。


「しかしまあ……お主も、街の者たちと同じことを言うのじゃな」

「え……?」

「街の者たちも言っておったぞ。食べるなら一番栄養が必要な巫女様が先、それまで自分たちは待つと。説得するのに苦労したわ」


 からからとその時の様子を思い出して笑いながら、ポカンとクリムの方を見つめるエクリアスに、改めて器を持たせてやる。


「善き者たちじゃな。かような環境の中にあってなお、人を思いやることを忘れておらぬ」

「うん……皆、優しい」

「うむ、善きことじゃ。しかし我が思うに、ここの者たちが、このような限界の環境にありながらこれほどの善性を保って来られたのは……エクリアス、お主という光があったからじゃな」

「私が……?」

「そう、まだ赤ん坊の頃から成長を見守ってきたお主が、小さな体で皆のために頑張っていた。それを、皆が見ていた。じゃから皆も、お主が大切なのじゃな」


 そんなクリムの言葉に、少し照れたように俯くエクリアス。そんな彼女の頭をポンポン撫でてやりながら、話を続ける。


「じゃから……お主が倒れたら、皆が悲しむ。お主に万が一の事があれば、奴らは自責の念により生きてはおれまい。ゆえにお主がまずやるべきは、食べて、眠って、明日の朝には元気な顔を見せてやることじゃな」

「…………うん」


 クリムの静かに諭す言葉に、ようやくエクリアスはスプーンを取り、おっかなびっくりと言った様子で器から粥を掬い、口に入れる。


「どうじゃ?」


 クリムの問いに……しばらくもぐもぐと口の中のものを咀嚼していたエクリアスは、悩んだ末に呟く。


「……しょっぱい」

「そうか」


 悩んだ末の少女の端的な感想に、クリムは笑ったりもせずにただ、静かに頷いて耳を傾ける。


 大量の塩で固めた塩辛い干し肉を、長時間煮込んで柔らかくしたスープとはいえ、住人に行き渡るほどの、大鍋いっぱいの粥だ。その量が量だけに、クリムたちにとってはかなり薄味だ。


 だが……彼女たちが摂取できた塩分は、まだ活動できる大人が居たうちに上の街からかき集めて来た岩塩を、数年間大事に使用してきたのと……あとは、あの光る藻。


 ジェードの見立てでは、あの藻は水中からミネラル分を吸収し溜め込む性質があるそうで、摂取することで僅かながら補給できていたのだという。


 生まれてこの方、そんなものしか口に出来なかった彼女は、今、初めての刺激に戸惑っているのだろう。


 だから、彼女にはまだその想いを自覚する時間が要る。故にそのまま、二口目、三口目と匙を運ぶ少女をただ、優しく見つめていた。


「…………おい、しい……のかな?」


 やがて……そんな言葉と共に、少女の目の端から、透明な雫が次々に、つっと頬へと伝った。


「……そうか。良かったな」

「うん」


 それでも、ゆっくりと、しかし匙を口に運ぶ手を止めない少女を……クリムはただ側に寄り添い、優しく見守るのだった。

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