いざ戦場へ

 ――夜の23時、少し前。


 もうじき開門の時間が迫る中、仮眠から目覚めてきた皆と共に湯を掛けて全身を洗い清め、またも新しい下着へ取り替えて……紅は、さて、と目の前に鎮座する衣装に向き直る。



 ――今年の初めに初詣した時には、まさか、自分が着ることになるなんて思わなかったよなあ。



 すっかり女性の衣服を着るのに抵抗が無くなったことに苦笑しつつ、昼間にも一度袖を通した、その清潔な白と鮮やかな赤の二色で構成された装束……巫女装束に向き直り、昼間教わった着用の仕方を思い出しながら、手に取る。


 まずは、足袋。先輩巫女さんたちによるとまずは足元からの寒気が厳しいそうで、靴下用の懐炉を仕込んでおくことは忘れない。


 下着の上から目立たない色のヒートテックを纏い、襦袢 (下に纏う、薄く丈の短い着物)を羽織り、赤い掛け襟を首に掛けたその上から足首あたりまでの長さがある白衣を纏い、帯で締める。


 そうして纏った白衣の上から、巫女装束といえば皆が真っ先に思い浮かべるであろう緋袴を、胸のすぐ下あたりで着る。これがけっこう窮屈で、自然と背筋が伸びるが、我慢だ。


「紅ちゃん、髪、やってあげるね」

「あ、うん、お願い」


 こちらも一足先に巫女装束を纏った聖が、紅の白髪を鋤き、髪を巻き、水引で後頭部のあたりで束ねてくれる。


「深雪ちゃんは?」

「向こうは昼間に雛菊ちゃんと頑張ってたから、いまは二人一緒にぐっすりかな。夜には起きて参拝したいって言ってたけど……」


 たぶん起きれなさそうだね、と苦笑する聖。そんな話をしているうちに、紅の髪が纏め終わった。


「それじゃ、私は佳澄ちゃんの髪を整えてあげてくるね!」

「うん、ありがとー」


 僅かにパタパタと足袋が床木を踏む音を鳴らしながら、聖が髪を整えるのに悪戦苦闘している佳澄の方に行ってしまう。

 そんな彼女に礼を告げた紅は、首元のNLDに触れ、待機中だったアプリを呼び出した。


 すると、スッと眼前に現れたのは、こちらもきっちりと巫女装束を纏った妖精姿のルージュ。


『おはようございます、お姉ちゃん!』

「うん、おはようルージュ。どう、行けそう?」

『任せてください、バッチリご案内します!』


 両手を胸元あたりで握り、ふんす、とやる気を見せるルージュ。彼女にも社から協力要請が出ており、主な仕事は授与所の端の席を割り振られた紅の隣で参拝客への案内だ。


 そんな少女のやる気に満ちた愛らしい姿にほっこりしながらも、いけないしっかりしないと、と弛んだ頬をペチペチと軽く叩き、雪駄せったに足を通す。


 そうして、今宵の戦場……新年が始まる境内へと、出陣するのだった。





 ……と、そんなわけで向かった授与所にて。


「はぁ……満月さんの巫女姿、ほんとに神秘的で綺麗だなぁ……」

「あ、あはは、委員長ってば大袈裟じゃないかな……」


 うっとりと紅を見つめる佳澄に、紅が若干引き気味で苦笑する、が。


「あらぁ、昔はアルビノの生物を『神の遣い』と畏れ奉ったんだもの、全然大袈裟じゃないわよぉ?」

「桔梗さんまで……」

「ふふ、ごめんなさぁい。でも、皆同じ気持ちじゃないかしら?」


 そんな彼女の問いに、その場に集まっていた助勤巫女、総勢十二人が (紅を除き)一斉に深々と頷くものだから、紅はぐっと言葉に詰まる。


「聖まで……」

「あはは、だって可愛いんだもん。ね、昴もそう思うわよね?」

「ノーコメントで」


 そこには、今しがた駐車場整理のシフトを終えて戻ってきたらしい、今は暖かい甘酒の入った紙コップを手に暖を取っている昴ら男性助勤の姿があった。

 悪戯っぽく聖に話を振られ、背後で所在なさげにしていた昴は明後日の方を向きながらそう答える。どうやら巻き込まれてはごめんだと思ったらしい。


 ……が。



「めっちゃ可愛いです!」

「ああ、こんな娘が居たら幸せだろなぁ……」

「あの、後で一回ぎゅっとさせて、一回だけでいいから……!」



 その他、彼の同僚となる助勤の男性たち (一部お姉さん方も含む)はこちらも熱の籠った視線を向けながら頷くものだから……すっかり恥ずかしくなった紅は視線から逃げるように、聖の背中へとそそくさと隠れるのだった。


 ……それがまた可愛いとこの場の皆全員が思っていたのだが、知らぬは本人ばかりなり、であった。






 しばらくして……諦めて聖の背中から出てきた紅だったが、ふと、疑問に感じたことを桔梗にぶつけてみる。


「千早とか、昔はアルバ……助勤ではあまり着なかったって聞いたんですけど」


 そう言って、今白衣の上から纏っている、足首近くまで丈のある透けるほどに薄い衣をつまみ、桔梗に尋ねる。


 本来ならば、神事で舞を奉納する巫女などが纏うこの高価そうな上衣は、しかし今は助勤は袖と胸元に飾り紐のついた白無地、本業の巫女の場合は鶴などの模様の入ったより華やかなものを着用している所が多く見られるのだそうだ。


 そんな紅の疑問に……桔梗が、返答をくれる。


「それはねぇ、その方が参拝客さんたちからのウケがいからよぉ」


 ――おいこら。


 紅は思わず喉の辺りまで出かかったツッコミを、どうにかすんでの所で飲み込んだ。


「ごめんなさい、冗談よぉ」


 そんな紅を見てクスクスと笑いながら、桔梗がからかったことを謝罪し、改めて真面目な顔で教えてくれる。


「最近の服って、生産されているほとんどが自動化された工場の大量生産品でしょう?」

「あ……一般需要がほとんど期待できない伝統衣装は」

「そうよぉ。まず、取り扱ってはくれないの」


 人口減少と、それに伴う働き手の減少により、工場というのはほぼ自動化が進行しており、現代では昔のお針子さんというのはほとんど居ない、らしい。

 デザインと使用素材、数量を決めてラインに流せば、あとの作業はAIが自己判断で進めてくれる、らしい。


 そうなってくると、割を食うのが……工程が複雑で、材料費も相応に掛かり、しかしながら需要はさほど望めない伝統衣装関係だ。


 特に巫女装束など普段使いするようなものではなく、そうなってくると工場では取り扱いしてくれないだろう。


 となれば、未だに営業を続けている手作業の工房に注文するのだろう、が。



「それも、職人を続けていても仕事が無いからと後継者がほとんど居なくてねぇ。だからせめてまだ残っている彼らに援助するつもりで多めに発注して……なら使わないと、ただ倉庫の奥にしまっておくのは損よねぇ、って訳」

「そう、ですね……」


 想像以上に世知辛い理由だった。

 しかしながら、この辺りは技術の発展と共にずっと問題視されて来た部分である。


 どんどん社会が便利になっていく一方で、消えていく物。図らずもそんな一端に触れた紅たちがすっかり神妙な顔をしていると。


「あなたたちは、本当に良い子ねぇ」


 そう言って、桔梗は紅たちの頭を撫でる。

 俯いていた顔を上げるとそこには、優しく微笑んでいる桔梗。


「だけど……そんな感傷は、後にしましょうか。さあさあ、持ち場に着きなさい、あと三十分で参拝客の方々を迎えますよ」


 笑顔のまま、シームレスにお仕事モードに入った彼女の言葉に、皆がハッとする。


 気づけばもう、持ち場につかなければいけない時間は過ぎていたのを見て……紅たち含む巫女一同、慌ててパタパタと散っていくのだった。

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