イリス=ユーバー
荷解きも一通り済んで、ひと心地ついた頃。
龍之介を初めとした大人組は、早速晩酌前のひとっ風呂を浴びにいく支度を始めていた。
一方で紅たち子供組はというと、とりあえずこの今回宿泊する施設の探検に、皆で繰り出す事にしたのだった。
そうして意気揚々と分館を出発し、本館へ戻った――そんな時だった。
「あれ、お兄さん?」
「お。よう、また会ったな」
紅が、そこに居た人物の一人に思わず声を上げる。
階段を降りてくる天理たちの中に、もう一人新たな顔ぶれが混じっていた。それは、先日出会った赤毛の青年……支倉玲史。
「あなたは……」
「君は……昴の坊主か、大きくなったなぁ」
「はは、五年ぶりくらいですか。お久しぶりです」
面識のある昴が、紅の時同様に頭をぐりぐり撫で回されて、しかし満更でも無さそうだった。
そうしている間に、紅は事情が分からず首を傾げている雛菊や深雪や佳澄たちに、以前道場に通っていた時に面識のあるお兄さんなのだとざっと解説する。
「でも、お兄さんがどうして母さんたちと?」
「うむ。先ほど荷物を置いて部屋を出たところで、ばったりと出会ってな」
「義父さんたちがぼちぼち到着するそうだから、出迎えに行くっていったら着いてくるらしくてな」
そう語る玲史は、どこかそわそわとした様子だった。どうやら離れ離れになっていた妻や娘と会うのが相当待ち遠しいらしい。
「それじゃ……例の奥さんが?」
「ああ。せっかくだし、君らも来るか?」
「うむ、来い来い。あの娘はなかなか面白い奴じゃぞ」
「はぁ……それじゃあ、お邪魔させて貰います」
玲史の誘いと、天理の推しに、少しだけ申し訳なく思いつつもぞろぞろと着いていく紅たちなのだった。
◇
そうして訪れた表の駐車場では――今まさに新たに増えた海外の有名メーカーのセダンから、運転手の男性が降りて来たところだった。
「……あれ?」
「あの人、アウレオ理事長よね?」
車を停めて運転席から降りて来た見知っている長身の男性に、紅と聖が首を傾げる。
しかし、さらに続けて助手席から降りて来たのもまた、見知った顔だった。
「あ、玲央君じゃん! やっほー!」
「ああ、皆か。ごめんね、ちょっと待っていて」
佳澄の呼びかけににこやかに返しながら、玲央は後部座席の方に移動すると、そのドアを開けて中の人物に手を貸し始める。
「叔母上、お手を」
「……ええ、ありがとうレオン君」
玲央の呼びかけに対し車内から聞こえて来たのは――まるで澄んだ音色の楽器のような声。
玲央に恭しく手を引かれて車を降りて来たのは――ゆったりとしたロングスカートとカーディガンの上に、ショールを腕に掛けた、落ち着いた格好と物腰の銀髪の女性。
「うわ、綺麗ー……」
「お姫様なの……」
ほうっ、と溜息を漏らす聖と深雪。
車から降りて来たのは、この世のものとは信じられぬほど整った容姿ながらまだどこか幼さの残る風貌をした、クリムたちと同年代に見える少女だった。
「久しぶりじゃな、イリス」
「はい、アマリリス様もお元気そうで何よりです」
「ふはは、それが取り柄のようなものじゃからな」
紅たちが呆けている間に、親しげに挨拶を交わす天理と銀髪の女性。しかしすぐに、天理が彼女を紅たちの方へと誘導し声を掛ける。
「紅たちは初めて会うのじゃったな。こやつが……」
「イリス=ユーバーと申します。そこに居る玲史さんの妻で、アウレオ=ユーバーの娘です。よろしくお願いしますね?」
そう言って、ふわりと笑う銀髪の女性。
――花のような、というのがこれ以上ないほど似合う、柔らかく温かみのある笑顔だった。
だが、決して弱々しい訳ではない。どんな時でも寄り添って、優しく包み込んでくれるような……そんな、見るものを癒す笑み。
そんな、楚々として可憐な笑み一つ。ただそれだけで、周囲の人心は掌握されていた。
それは、「なんとしてもこの女性を守らねば」と衝動を沸き立たせるような、ある種の魔性とも言って過言ではない笑みに、紅には思えた。
……が。
「よ、父ちゃんにはちゃんと甘えられたか?」
「はい、娘共々とても良くして貰いました。お父様ってばすっかり『お爺ちゃん』ですよね?」
すぐに駆け寄った玲史の、軽く抱き合いながらの問いに……イリスと名乗った女性は、見た目の年齢相応に少し悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、隣に居たアウレオをチラッと見る。
アウレオが少し目を逸らし黙り込んだのを見るに、どうやら珍しいことに照れているらしい。
「ところで……アイツはどうした?」
「え? ああ、ほらここに。ユリィ、挨拶なさい?」
玲史の質問に、イリスはいつの間にかスカートの陰に隠れるように後ろにピッタリとくっついて紅たちを覗き見ている小さな人影に、挨拶するよう促す。
「ごめんなさいね、ついつい娘が可愛くて溺愛していたら、この子ったらすっかり人見知りするようになっちゃって」
「まったく、イリスはユリィを甘やかし過ぎなんだよ。なー?」
「あら、お父様には言われたくないわよねー?」
「あの、お父様もお母様も、そのくらいで……!」
親馬鹿二人に抱きしめられ、間で困ったような声を上げる、暖かそうなポンチョを纏い目深にフードを被った小さな人影。
その声に……クリムは、聴き覚えがあった。それも『Destiny Unchain Online』の中で。
「あ……君は」
「はい……赤の魔王様、こちらでははじめましてっ」
思わずといった感じで漏れ出た紅の声に、若干上擦った声で少女から返事が返ってくる。
そう言って、ポンチョのフードを取ったその姿にも、紅は見覚えがあった。それは……先日たまたま無制限交流都市で出会った幼い少女、そのままの姿をしていた。
「あ、改めまして、ユリア=ユーバーです、よろしくお願いします……っ!」
緊張した様子で頭を下げる少女。人見知りながらも見知らぬ者達を前に一生懸命なその姿に、周囲にほっこりした空気が流れる。
「よろしくね、ユリアちゃん」
皆を代表し、子供に警戒心を抱かれにくい聖が目線を合わせて握手を求める。
その手をまだ緊張した様子で握るユリアに、玲史とイリス、両親共々ホッとした様子で眺めていた……が、そんな並んだ二人の姿を見て、皆の中にむくむくと湧き上がる疑問があった。
「ところで……ユリアちゃんって、今いくつ?」
「はい……今年で十一歳になります」
「へー、雛菊ちゃんの一個下なんだねー……」
その言葉に、聖の視線が……否、皆の若干批難の感情が籠った視線が、主に玲史へと集中する。
「し、失礼ですが……奥さんが、お幾つの時のお子さんなんです?」
そんな、本当に申し訳なさそうにしながらも発せられた聖の質問に、事情を知らない皆が一斉に頷く。
なんせ、イリス=ユーバーと名乗った女性は、外見だとせいぜいミドルからハイティーンの少女にしか見えない。
それは容姿云々の話では無く、肌の張りや髪の艶、あるいは本人の所作に至るまであらゆる点でそう認識してしまうのだ。
故に皆、彼女がパッと見て妹にしか見えない娘を一体何歳で産んだのか、気になって仕方がなかったのである……が。
しかし、そんな周囲の反応に、彼女はちょっと困ったように苦笑しながらも、さらっと答えを口にする。
「ふふ……よく言われますが、大丈夫ですよ。その子は私が、えっと体の年齢だと二十二歳かな? の時に授かった子ですから」
「……重ね重ね失礼ですが、イリスさんって、お幾つですか?」
「はい、私、三十代も半ばのおばちゃんです」
そう、可憐な乙女そのものな笑顔でさらっと答えるイリス。
――沈黙。
じわじわと彼女の言葉が浸透してくるにつれ、高まってくる緊張感。周囲に目配せし皆で牽制し合うような時が少しだけ流れ――決壊する。
「「「ぜったい嘘だー!!?」」」
皆が一斉に一字一句違わず発した叫びに……ユリアはビクッと肩を震わせて母の背に隠れ、隣に立つ玲史は「まぁそう思うよなあ」と苦笑し、そして当の本人であるイリスは驚きに目をパチクリと瞬かせるのだった――……
【後書き】
前作主人公との対面。この十数年で『人心掌握 (天然)』スキルをカンストとかしてそう。
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