新学期へ向けて
お盆前の一幕
――お盆前日の、街の片隅にある剣道場。
「……ふぃー、終わったー!!」
すでに閉められたはずのその剣道場から、可愛らしい女の子の声が、閑静な住宅街へ響き渡った。
「うむ、うむ、綺麗になったよね……んっ……ふぅう」
そこには、満足した様子で、今日の朝から昼下がりにかけての成果に満足そうに頷く白髪の少女……紅の姿があった。
最後の仕上げに昼から今まで剣道場の床磨きをしていた紅が、屈んでの仕事から解放された事で、そんな歓声と共にすっかり縮こまった体を大きく伸ばし、微妙に悩ましげな声を漏らす。
ジャージの下とTシャツ一枚というラフな格好なため、くびれをしっかり主張するお腹や腰、形の良いおへそまでチラ見えするが、生憎とその場に咎める者もいない。
今は埃を出すために解放された入り口から吹き込んでくる風に、すっかりTシャツがずぶ濡れになるほどかいた汗が乾いていく心地よさに浸りながら……紅は今しがた磨き終わった床の様子に満足し、頷く。
……道場の修繕というが、数人の門下生に教える程度のこじんまりとした、今は使用していない道場である。
そこに今更剥がしにくいテーピング糊の跡があるわけでもなく、こまめに換気していたそうでカビが生えたりもしていなかったため、そこまで大仕事という訳ではない。そのため床を掃き清めて丹念に水拭きしたくらいであり、紅一人でも事足りる。
一方で……
「あっづ……」
「あ、昴、そっちも終わったか」
紅がTシャツの裾でバサバサと風を服の中に取り込んでいた時、まるで死にそうな呻き声とともに、外の仕事をしていた昴が日陰に転がり込んできた。
紅とは違い、外で草刈りや屋根瓦の修繕をしていた昴はすっかり汗だくになったTシャツを脱ぎ、道場入り口脇にある水道水に浸して絞っていた。
側から見たら女の子の前でデリカシーが無いと言われそうだが、唯一その場に居る紅も、いまさら幼なじみのそんな姿を恥ずかしく思うわけもなく、至って平然としているので問題ない。
むしろ、問題なのは……
「……紅、お前さあ。女の子としてそれはどうなんだ?」
「仕方ないだろ、お前と違って一枚着ている服が多いんだから。中、蒸れるんだよ」
そう言って、道場の玄関にあぐらをかいて座り込み、胸のあたり……Tシャツの下ですっかり汗を吸って張り付いているモノをTシャツ越しに素肌から引き剥がして、蒸れた服の中に外気を取り込み尚も涼んでいる紅。その姿に昴は呆れながらもそっと目を逸らす。
……その顔が微かに赤らんだのは、果たして日焼けか他の何かの要因によるものか。
いずれにせよ、こちらはさすがに完全に無関心とはいかないらしいが……残念ながら紅にそんな昴の様子を気にした節は無い。
「紅ちゃん、昴くん、お疲れ様。縁側に麦茶と西瓜を用意してあるから、食べていってちょうだい」
「あ、ありがとうございます!」
「助かります、今行きます」
本宅の方から、師範の娘さんである初老のおばあさんの声が聞こえ、返事を返す紅と昴。
「しかし、まあ……師範の家族は適応力が高いというか何というか」
「……天理さんは大丈夫って言ってたけど、本当にお前の姿、一切気にされなかったな」
天理は「話は通してあるから、そのまま普通に自己紹介して大丈夫だぞ」と言っていたが……事実、紅が名乗った際には、師範の娘さんは「あらあら。可愛くなってまあまあ」となぜか嬉しそうだったし、旦那さんに関しては諦めたように遠い目をしていた。
そんな家主の夫妻からは、なんだか妙に『知っている男の子が女の子となって姿を表す事件』に慣れている様子が感じられ、紅と昴はただ首を傾げるのだった。
◇
そうして、二人が仕事をひと段落し……本宅の縁側の日陰で風にあたりながら、師範の娘さん夫婦からのたばこどき(東北の一部地域の方言で『おやつの時間』の意)の差し入れにありついていると。
「そういえば、紅」
「ふぇ、ろうひひゃすびゃう?」
「お前さ、明日は墓参りだから、明後日姉さんとデート行くんだっけ?」
「……ぶっふぉっ!?」
昴の言葉に、小さな口で大きく切られた真っ赤な西瓜の角の部分と格闘していた紅が、盛大に吹き出し、咳き込む。
「な、な、な」
「なぜ知ってるかって? 姉さんが嬉しそうに『紅ちゃんとデート、デート』って服選びしてたからな」
「あー……うー……」
「ついでにあの花火の夜からずっと、お前DUOでもミスばっかしてんだろ。最初はイベントが終わった燃え尽き症候群かと思ったが、そんな感じでもなかったしな」
「スミマセンデシタ……」
そんな話を昴から聞いて、紅が赤くなったり青くなったり百面相したのち……がばっと、座ったまま膝に手をついて、頭を下げ懇願する。
「なあ昴……その日着ていく服選び、手伝ってくださいお願いします」
「はいはい、そんな事だと思ったよ」
女の子と二人きりのデート。そんな事は初体験な紅は、いまだに聖とのデートに何を着ていけばいいか分からずに、ずっと頭を悩ませていた。それこそ、DUOで戦闘中にボーっとするほどに。
そんな事は最初から分かっていたらしく、苦笑しながらコーデの手伝いを受けてくれる昴。
紅はこの時、心底からこの昔からの付き合いの親友の存在を、ありがたく感じたのだった。
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