渚のルアシェイア

「ん……」


 窓から差し込む、カーテン越しでなお眩しい夏の朝日に、紅が呻きながら目を覚ます。

 昨夜の湯当たりしたため苦しんだ頭痛はすっかり消え、しょぼしょぼする目を擦りながら、ゆっくりと開ける。


「……っ!?」


 ――心臓が、止まるかと思った。


 紅のすぐ目の前……前髪が触れそうなほどの至近距離には、無防備な寝顔を晒す聖の顔があった。


 長い睫毛。

 ぷっくり艶やかな唇。


 紅の贔屓目抜きにしても、彼女は掛け値無しの美少女だ。

 そのため何度も学校で同級生や先輩方から告白を受けたという話を聞くたびに、紅はどこか胸の内にもやもやとした物を抱えていた。


 そんな少女が今、至近距離であどけない寝顔を晒している。

 ダラダラと冷や汗が流れ、寝起きに加えて焦りにより回らない頭で、必死に昨夜の記憶を引っ張り出す。




 ――ああ、そうだ。昨日は一緒のベッドで寝たんだった。


 なんてことはない。そんなごくつまらない理由を思い出して、ほっと安堵する。


 首を巡らせて見回せば、三つあるベッドのうち二つには、やはりというか酔っ払いに占領された他の部屋から逃げてきた、昴と佳澄がそれぞれ占領していた。

 そして……残る一つを、この中で一番小柄な紅が、聖と一緒に使用していたのだ。


 どうやら、昨夜は具合が悪かったために最初に眠りについた紅が、今朝は早起き一番乗りらしく、他の三人はまだ夢の中に居る。

 しばらくボーっと聖の寝顔に見惚れていた紅だったが……やがて我に返り、二人で使用していた掛布を聖にかけ直してやると、ゴソゴソと運動着に着替え、そっと部屋を出るのだった。


 ……無性に走りたい欲求に駆られた衝動を、発散するために。





 ◇


 皆が起きて、ビュッフェスタイルの朝食に舌鼓を打ち……紅たちは皆、一つの客室に集まって思い思いの場所へと寝転がって、NLDを起動し『Destiny Unchain Online』へとログインする。


「さて……リュウノスケ、準備は?」

「おう、いつでもいけるぜ」


 そう太鼓判を押すリュウノスケ。クリムはそれに一つ頷くと、周囲の仲間たちをぐるっと見渡す。

 残念ながら、大人組……サラとジェードは、最初は不参加。二人とも今は二日酔いで死にかけており、体調が戻ったら合流すると言っていた。


「では……始めるとしようか!」

「「「おー!」」」


 クリムの音頭に、そう、この場に集ったギルド『ルアシェイア』の皆、一斉に拳を掲げるのだった。





 ◇


「……アディーヤこんにちわ! よく来たな人間ども、我はクリム=ルアシェイア。このギルド『ルアシェイア』の主人である!!」



 コメント:あでぃーやー!!

 コメント:キター!

 コメント:この日に配信ってことはアレですね!?

 コメント:待ってましたー!

 コメント:って、見切れてるwww

 コメント:頭しか見えねぇ

 コメント:クリムちゃん見切れてるよw



「ハハハ、慌てるでない、慌てる乞食は貰いが少ないと言うではないか!」



 コメント:ってことは……アレですね!?

 コメント:ああ、ここヴィンダムの波止場か!

 コメント:人居ないってことは……

 コメント:イベントの開始地点のインスタンスエリアだな?

 コメント:神回待った無し?



 クリムの言葉に、何かを察してざわつく視聴者。

 その様子を満足げに頷きながら眺めていたクリムが、スッとその手を掲げる。


「うむ……ではカメラ、頼んだぞ」


 そう、クリムが頭上でパチンと指を鳴らす。

 すると、マギウスオーブがリュウノスケの操作により後方へと引いて、居並ぶ『ルアシェイア』メンバーの全景をその内に収めた。



 コメント:やっぱり水着だぁぁああああ!?

 コメント:美少女軍団ルアシェイアの水着回だとぉ!?

 コメント:天国! 圧倒的天国!!

 コメント:エルフ♂は◯す

 コメント:ありがとう、配信してくれて本当ありがとう……!

 コメント:ちょっと晒しスレ行ってくるわ、あいつ許しちゃおけねぇ

 コメント:閲覧数の伸びw



 沸き立つコメント群。

 その勢いに、若干気圧される一行。ただしフレイだけは、皆とはまた別の理由で冷や汗を浮かべていたが。



 コメント:まおーさまいけませんえっちすぎます

 コメント:腰細ぇ……脚なげぇ……

 コメント:ロリかと思ったら、この腰から太ももまでのラインの完成度やべぇよ……

 コメント:いつもは体のライン出る服あんま着ないもんな……そういえば。

 コメント:まおーさまこのスタイルで日本人は無理でしょ……



 先頭に立つクリムの姿を評すコメントに、クリムはうむ、うむ、と満足げに頷く。

 そして、頃合いを測って憎らしげな笑顔を浮かべ、カメラに寄って語りかける。


「さて……どうかのう人間どもよ、この我、魔王クリム=ルアシェイアの玉体を目にした感想は? お主ら人間如きには、少々目に毒が過ぎるのではないか? ん?」



 コメント:殴りたい、この笑顔

 コメント:この子本当こういう表情作るの上達したなぁ

 コメント:でも可愛いんだよなぁ悔しい



 そう、精一杯の意地悪い笑顔でカメラに向けて見下す視線を向けたりしつつ、流れるコメントを確認しながら、こっそり姿を隠して控えているリュウノスケにサインを送る。


 その効果は……すぐに、チャット欄に現れた。


 コメント:つか何とは言わんがまおーさま小さくね?

 コメント:言ってやるな……下手したら幼少組より小さいなんて

 コメント:間違いなくリコリスちゃんの方が育ってる

 コメント:お、おれはまおーさまの手にすっぽり入るサイズ好きだぞ!



「ふぇ……」

「小さくないわー!! この馬鹿人間どもー!?」



 突然の流れ弾に、恥ずかしそうに胸を隠したのはリコリス。

 視聴者のコメントに、ここまで意地悪い笑顔を見せていたクリムが一転し、真っ赤になって胸を隠し、涙目になってカメラへと怒鳴る。

 内心で、リュウノスケに親指を立てながら。自分で指示したこととは言え胸に負った傷は隠しつつ。


 ……つまりは、まぁ、サクラである。視聴者に扮したリュウノスケが、話の流れを若干操作しただけではあるが。


 そんな、胸のサイズでいじられたクリムが、ぷんすかと視聴者と言い争いをしていると。



 コメント:というか、その水着ってもしかしてエルフちゃんと色違い?

 コメント:思った。エルフちゃんにそっくりな形状だな

 コメント:あまりに体型に差があって自信無かったけど、やっぱりそうだよな?

 コメント:エルフちゃんと左右対称の同一デザイン?



「う、うむ、よく気付いたな!」

「ふふ、今回クリムちゃんと相談してデザインを揃えてみたんだけど……視聴者の皆、どうかなー?」



 コメント:てぇてぇです!

 コメント:お姉ちゃんグッジョブぅ!!

 コメント:ちょっと二人で抱き合ってみてくれませんか



 話を振られたフレイヤが、クリムに後ろから抱きつき、上機嫌に視聴者へと手を振りながら呼びかける。そんなフレイヤの問い掛けに、沸き立つ視聴者コメント群。


 クリムは、黒をベースに赤のラインが入った、縁がフリルで装飾されたビキニタイプ。可愛らしいデザインだが、股上は若干ローライズ気味であり、際どいラインを描いている。


 そしてフレイヤも、同じデザインの白をベースに青のラインが入った、左右反転させた以外は全く同じデザインの水着を着用していた。


 リアルで着るには少々過激すぎるデザインだが……幸い、こちらは全年齢対象のゲームである。

 激しい動きをしても、リアルと違い大事な箇所をポロリする心配は無い。


 故に、少しだけ大胆に攻めている水着をあえて選んだ二人なのであった。




 やがて、話は他の面子へと移行していく。


 リコリスは、鮮やかな空色をした、リアルでも着ていたような形状ワンピース水着だ。これは、恥ずかしがり屋さんな彼女だから致し方ないだろう。



 コメント:清楚可愛い

 コメント:裾を押さえる仕草だけで十分満足



 と、彼女の恥ずかしがりな性格にあったその姿は、視聴者に概ね好評なため問題ない。




 だが、問題は……


「ふふん、お母様が、これを着ていけば皆さんにウケること間違い無しと言っていたです!!」


 そう、ぺたんこな胸に手を当てて、ドヤァ、といった表情で胸を張る雛菊である。



 コメント:お母様理解ありすぎるw

 コメント:まさかこのご時世に、本物の小学生の旧スク見ることになるとは……

 コメント:お母様GJ



 騒然となるコメント群。

 その勢いは、下手をしたらここまでで一番となりそうなほどの勢いだった。


 そう、雛菊が着ているのは、どう見ても……スクール水着。それも、複雑怪奇な構造で有名ないわゆる『旧スク』、今ではどこの学校でも採用されていない化石的な、しかしなぜか根強い人気があるソレだった。



 そして……今回は、そんなレギュラーメンバーに加えてもう一人。


「ところで今日は、配信には初めて参加するギルドメンバーが居るの。ほら、カスミちゃん」

「わ、ひじ……フレイヤさん!?」


 突如、画面外にスタンバイしていたところをフレイヤにカメラ前に押し出された少女……カスミが、驚きの声を上げる。


 ――その姿は、いつもとは一変していた。


 まずおさげ髪は解き、フレイヤの手によって念入りに櫛を入れられた結果、腰辺りまであるサラサラなロングヘアに。そこに両耳の後ろをひとすくい三つ編みにして、ワンポイントとした。

 元々生真面目な性分もあり、手入れが行き届いていた彼女の髪質もあいまって、その艶のある緑色のロングヘアは、夏な日差しを浴びてキラキラと天使の輪が浮かんでいた。



 そう……彼女は今回の配信にあたり、プロデュースはリュウノスケ、実行はフレイヤのもとで、大幅なイメージチェンジが施されていたのだった。



 こう言っては悪いが……やはり、以前の委員長はどこか野暮ったい少女だった。

 それが今は、髪を整え、化粧も薄く施し……結果、清楚可憐な文学少女という感じに見違えていた。


 そんな彼女が身に纏うのは、大胆なホルターネックのトップスとボトム、そしてふくらはぎ辺りまである長いパレオという情熱的な水着。

 元々聖に匹敵するくらいに出るところは出ているため、その清楚な容姿とのギャップが際立っていた。



 コメント:新メンバーだー!?

 コメント:正統派美少女ー!?

 コメント:やべぇ……学年の高嶺の花、人気者に続く三番目に可愛い的なアレだ……

 コメント:つまり一番モテるやつだな!



「か、かわ……っ!? わ、私が!?」


 言われ慣れていない褒め言葉に、すっかり恐縮してしまい、手にした槍を抱きかかえるように身を縮こませるカスミ。



 コメント:恥じらう文学少女……イイ!

 コメント:また美少女が増えた……!



 余計にヒートアップする視聴者コメントに、だがさすがに初めてな彼女には荷が重いようで、すっかり圧倒されてしまっていた。


「あはは、カスミちゃんはまだ慣れていないから、そのあたりにしてあげてね?」


 見かねた聖がそうフォローし、映像の外へと連れていく。そうしてカメラから解放されたカスミは、ホッと安堵の息を吐いた。


「……はぁ。凄いなぁみんな。こんな大勢の前で生き生きと話せて。ネットゲームのアバターだからって軽く見ていた自分が甘かったわ……」


 そう、まだ夢見心地といった様子のまま、反省の言葉を口にするカスミ。


 確かに、彼女が言う通り……素顔が見えないから、アバターだからと、ゲーム内での配信を簡単にできるものと思っている者は多い。


 だがしかし、実際にやってみるのとではまるで違う。素顔が見えないとはいえカメラを向けられた者はやはり緊張してしまい、初めから普段通りの振る舞いができる者は相当に限られてしまう。


 なんせ、逐一流れてくるコメントにも対応しなければならないのだ。その怒涛の流れに飲まれてしまわずにうまくその場をコントロールするのは、それなりに場数が要る。

 そこに設定に沿ってキャラを演じる必要が加わり、さらに視聴者受けまで考えねばならないのだ。そうした意味ではリアル配信にも引けを取らないくらい難しい部分もある。


 だが……


「大丈夫じゃ、委員長」


 クリムが、そんな凹むカスミの肩に、ポンと手を置く。


「クリムちゃん……?」


 訝しげに首を傾げるカスミ。そんな彼女へと……


「すぐ慣れるよ」

「ひぇ」



 コメント:まおーさま目が死んでるwww

 コメント:経験者は語るw

 コメント:ああ、クリムちゃんが遠い目を!?



 光の消えた目でアルカイックスマイルを浮かべ、そう告げるクリムに、頬を痙攣らせるカスミ。

 そんな様子を見て、視聴者は同情と愉悦のコメントを滝のように流すのだった。




 ――ちなみにフレイは、ネイビーのハーフパンツに白いラッシュガードという面白みに欠ける格好であり……視聴者の反応も「あっ、ふーん」という興味なさげなもの、あるいは「このハーレム野郎……」という怨嗟が篭ったものばかりだったので省略する。






 ◇


「ところで……イベント攻略を始める前に言っておかねばな。今回、実は我らは皆、旅行先から配信しておる」


 コメント:え、オフ会中?

 コメント:そうか、学生だから夏休みか

 コメント:いいなぁ……俺も混ざりたい……



「そのため、あまりゲームしっぱなしともいかんからの。そのためイベントのガチ攻略はせず、エンジョイ勢としてイベント参加するから、どうか了承願いたい」



 コメント:お前らみたいなエンジョイ勢がいるか

 コメント:了解しました!

 コメント:つまりはのんびり海辺で戯れる美少女集団を愛でられると!

 コメント:それならなんの問題もないな!



 そう視聴者の了承を得て、コメントも概ね肯定的な声であることを確認し……クリムは改めて『イベント参加申請』のボタンを押すのだった――……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る