吸血
――果たして、この不自由な拘束はいつまで続くのだろうか。
体のほとんどの動きを封じられたクリムは、すでに光も消えた目で、そんなことを考えていた。
ノーブルレッドであるクリムが本来の少女の姿を維持するには、日々摂取した血を消費していく必要がある。
ところが、クリムが最後にきちんと血を摂取したのは、『最強の魔獣』との戦闘を終えた日、ジョージに分けてもらった時のみ。
それも十分とは言えず、腹五分目くらいしか摂取していなかった。あとは、子供の姿になるギリギリを超えないよう最低限の量をトラウマにうなされながら舐めさせてもらい、どうにか消費を抑えて今日まで過ごしてきていたのだ。
それを、先程の戦闘で一発とはいえ血魔法で消費してしまった。それがどういうことかというと、つまるところ……
「えへへ……ちっちゃなクリムちゃん可愛いよー」
「……まだ満足しない?」
「……もうちょっと!」
……クリムは再び幼くなってしまい、上機嫌なフレイヤに捕まって愛でられる羽目になっていたのだった。
流石に全年齢対象のゲームでキャストオフは問題しかなく、下着類こそピッタリとフィットしたままだが……おそらく公式の悪ふざけなのだろうが、衣類に関しては完全にブカブカになっていた。それも込みの状態異常ということなのだろう。
そんな姿がフレイヤのどこか琴線に触れたらしく、先ほどからずっとこの調子なのだった。
「あの、フレイも雛菊ちゃんも狩りを始めちゃってるんだけど、フレイヤはいいの?」
「ん……あとちょっと、あとちょっとだけやる気充填させて!」
そう言ってクリムの豊かな白髪に顔を埋めるフレイヤに、いったいなんの充填だよと考えていると。
「……ごめんね、さっきは足引っ張っちゃった。フレイも雛菊ちゃんも頑張ってたのに」
背中に震える感触が伝わってくる。
普段のんびりしているフレイヤだったが、今回は少々応えたらしい。
「別に、いつものことだよ。今までも、多分
「あ、ひどーい」
プリプリと怒ったように言うフレイヤだったが、暗に「そのようなことで嫌いになったりはしない」という隠れたメッセージはきちんと届いたらしい。
どうやら元気にはなったようだとクリムは内心安堵する。
「……よし!」
「ん? フレイヤ、そんな気合い入れてどうしたの?」
「クリムちゃん……ちょっと付き合って!」
「わ、ちょ、ちょっと……!」
有無を言わさず手を引かれ……いや、むしろ抱き抱えられるようにして、クリムはフレイヤに拐われていくのだった。
そうして連れてこられたのは、フレイたちが修業している場所からは見えない高台。
「よし、ここまで離れたら、雛菊ちゃんからは見えないかな!」
「あの、フレイヤ、いったい何を……」
戸惑うクリムに……背中を向けて何かしていたフレイヤが、クリムのほうを振り返る。
「あのね紅くん……私の血を、吸ってくれない?」
「ぶっ!?」
振り向いたフレイヤは……ローブの上のボタンを外し、鎖骨あたりまで露わになった格好をしていた。
艶かしい首から肩、胸元に至るラインが眼前に晒されていることに……クリムの喉がゴクリと鳴る。
「な、なな、聖、何を……!?」
「だって、そのままだと私たちの面倒も見れないでしょ?」
「それは、まぁ……でも」
「それにね、紅くん。君が昔のことを気に病んでいるのは理解しているつもりだよ?」
「それは……」
昔、衝動的に噛みついてしまった少女……現実世界の聖の首には、紅が噛み破った傷痕が残っている。
彼女は、それでも紅のことを受け入れて、優しく許してくれた。
小学校の時は、嗜血症のことでからかわれがちだった紅を守ってくれたのも、彼女だった。
だがそれでも、少女の肌に醜い傷痕をつけた自分のことが、紅は誰よりも許せなかった。
「だけど、それは私が辛いの。私はもう気にしていないのに、私の傷痕を見るたびに、紅くんが気に病んで悲しそうに目を逸らすのは、辛いよ……」
そう言って、彼女は今の『フレイヤ』のアバターにはない、傷痕の場所を押さえる。
「だから、お願い紅くん、逃げないで? 私はもう気にしていないから、気にしていない私を無視しないで?」
「聖……俺は……」
懇願するような聖の言葉に、紅は緊張に震える手を伸ばす。
――実のところ、もう限界だったのだ。
嗜好などお構いなく、聖の……フレイヤのその白い首筋と、その下に走る血管を見た時から、耐えがたい飢餓感が紅を、クリムを苛んでいたのだから。
「でっ……」
もう無理だ、我慢なんてできるわけがない。
フレイヤの細い肩を掴み、そのむき出しの首筋へと鼻先を寄せる。
「できるだけ、優しくするから……っ!」
緊張に、思わず上擦った声が出た。
「うん……お願いします」
そう、恥ずかしそうに笑うフレイヤの柔らかい肌に、クリムはゆっくりとその小さな牙を沈めるのだった――……
「その……痛くない?」
「大丈夫だよ、痛くない。でもちょっとクラクラするかな?」
「……ごめん」
「いいよ、許してあげる」
草原に寝転んでいるフレイヤの胸元を枕にするように、彼女へと覆い被さるように寝転んだ、元の姿へと戻ったクリムが、おそるおそる問いかける。
だが、そんなクリムの恐怖心を和らげるように、その長い白髪を優しく梳くフレイヤの細い指の感触と優しい声。
「それよりむしろ……その、なんていうか、凄かった……」
「その……凄く、美味しかったです、ご馳走様でした……」
起き上がり、フレイヤは噛まれた首を押さえ、クリムは口を手で覆い、お互い林檎のように真っ赤になって朽木に並んで腰掛ける。
「な、なんだか恥ずかしいね!」
「そ、そうだね!」
特に、クリムはいっぱい甘えてしまったのが、今更ながら死にたくなるほど恥ずかしい。
同級生ではあるが、聖が四月生まれなのに対して紅は翌年三月の早生まれ。ほぼ一年の生まれの差があるクリムはいつも弟みたいな扱いだったとはいえ……ここまであからさまに甘えたのなど、中学三年間に一度も無かったのだから。
「どうかな、もう大丈夫そう?」
すっかり頭の位置が現実世界と逆転してしまったクリムの頭を、優しく胸にかき抱きながら、フレイヤがそんな問いを掛ける。それに、クリムは少し考えて、正直に答えた。
「……多分、無理だと思う」
「そう……」
少なくとも、肉類などを口にしよう、という気にはなれないし、おそらく他の者の血を口にしたら、パニックを起こしたうえで吐くだろう。
心因性の偏食は根が深く、克服には至っていないのが分かる。
ただ……
「無理だと思うんだけど……フレイヤのなら、また、吸いたい……」
「……そっか」
目も合わせられず、甘えるようにその首筋に鼻先を埋めながら、絞り出すように口から漏れた、蚊の鳴くような声。
だが、そんな声も、隣に座っている幼なじみの少女は正確に拾ってしまったらしい。
「えへへー、そっかー、私のなら良いんだ、紅くんはー」
「あ、あんまり人に言うなよ、こんなことを俺が言ったって」
「うんうん、分かってるよー」
何故か嬉しそうに、にへら……と笑うフレイヤ。
それを見たクリムは……もう一回だけ、まだ赤い二つの噛み跡が残るその首へ、誘惑に負けて吸い付くのだった――……
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