人里へ

「おー……」


 若干アホっぽい声を上げながら……紅は、初期服であるシンプルながらも可愛らしい、首元と腰に金装飾のある白いワンピースを翻して駆け回り、足元の感触を確かめていた。


 しばらく森を歩いてきたが、今まで気付かなかった――否、現実そのまま過ぎて、その感触。


 地面を踏みしめる靴の裏に感じる、土や落ち葉の沈み込むような柔らかい感触。


 その中に混ざる、石や木の枝の固い感触。


 空気には森林特有の植物や腐葉土の匂いが感じられ、ざわざわと風に揺れる木の葉のざわめきも、多重に折り重なって複雑な音色を奏でている。


「……本当に、現実みたいだ」


 あらためて、父とその仲間たちがどれだけ凄いものを作っていたのかを思い知らされた。

 これほどまでに現実そのままの風景が広がるこのような技術、おそらくフルダイブVRMMO黎明期の二十年前であれば、夢物語だったはずだ。


「お嬢ちゃん、どうかしたか?」

「あ、いえ、なんでもありません!」


 考えごとをしていたら、歩みが遅くなっていたらしい。

 慌てて、先導してくれている人物……先程、灰色熊から救った男性を追いかける。



 ……赤茶けた髪を短めに刈り込んだ、おそらくは鍛えたとかではなく日々の生活で自然と筋肉がついた感じの、中肉中背の中年男性だ。容姿的には、現実世界に居たら間違いなく十分に「イケオジ」を名乗ることが可能だろう、そんな男性。



 紅の今の体は歩幅が小さいため、チョコチョコとやや早足気味にその隣へ並ぶと……その紅の頭に、男性の大きく節くれだった手の感触が乗せられる。


「いやぁ……それにしても助かったよ。お嬢ちゃん、まだ若いのに凄いな」

「いえ、無事で良かったです。それに迷ってしまって途方に暮れていたので、こちらこそありがとうございます」


 わしわしと頭を撫でられる感触をくすぐったく感じながら、返事を返す。

 ニコッと笑ってみると……多分ちゃんと笑えてると思う、鏡を見たことがないから自信は無い……彼は、少し照れた様子で明後日の方向へと視線を逸らす。


 キャラクリをすっ飛ばしてきたために自信がなかったのだが……その反応を見るに、どうやら見るに耐えないということは無さそうで、ひとまず安堵する紅なのだった。




 ――こうして他愛のない会話をしているが……彼は、AI制御されたNPCだ。



 そうとは思えないほどに、滑らかで自然な受け答えをする、NPCの男性。


 それを可能としたのは、人の脳構造を限定的に模したAIの基礎フレームに、さまざまな環境情報を付加して成長をシミュレートさせることによって制作した……新技術の賜物らしい。


 当然ながら、ゲーム内に何百何千といるNPCにそれをいちいち個別に手作業で設定して生成するのは、ひどく手間がかかる。

 そのため、指定された環境情報をもとに、そこの住人をランダム生成する技術が新開発された。


 そんな、NPCの統括と管理、突発するクエストを自動生成する巨大な基幹プログラムが、ゲームの土台を支える基礎フレームに存在しているのだそうだ。


 実はこの方式のAI育成法、そしてそれを統括する管理システムを完成させたチームに、父、宙の名前も入っている。

 紅は義務教育を終えたばかりの学生であり、さすがに国内でも指折りの技術者である父の話す、専門的な事柄まで理解しているわけではない。

 しかし、自慢げに自分たちが作った新技術を語っていた父の話から、その特徴については多少の知識を持っていた。




 当然、物語を進行させるためのNPCである彼らには思考面の調整や移動や行動の制限など必要な調整は入っているのだろうが……少なくともその受け答えは、ほぼ生きた人間そのものだ。


 そして彼らは……怪我をすれば痛みを感じ、身近な誰かが亡くなれば悲しみ――殺せば、


 たとえ今日のリリースからこの世界が始まったのだとしても……この世界に住うNPCたちは、生まれてから今までの何年もの時間を生きてきた存在なのだ。



 ――世界五分前仮説って、外側から観測すると、こんな感じなんだな……そんなことをしみじみ思う紅なのだった。



「……本当に、無事で良かったです」

「変な嬢ちゃんだなぁ」


 やけに真剣な紅の言葉に、彼ははいったいなんだと苦笑するのだった。





「そろそろ森から出るが……そういえば嬢ちゃんは、今夜泊まるアテはあるのか?」

「いえ……お恥ずかしながら、この辺りがどこなのかも分からない有様でして」


 本来であればログアウトすれば良いだけなのだが、今の紅にはそれができない。


 もっとも、いくら女の子の体になっているとはいえ、成人指定でもないゲームに襲われる要素も無いだろう。

 ならば別に野宿でも良いのだろうが……さすがに、現代っ子である紅はそこまで割り切れない。贅沢は言わないがせめてベッドがいい。


 ……家、欲しいなぁ。そう切実に思うのだった。


「そうか……ならしばらく、うちに泊まるか? 一緒に暮らしていた弟が街に出ていってしまったもんで、使っていない離れの空き部屋があるんだが」

「本当ですか、助かります!」

「いやいや、助けてもらったのはこちらだからな、これくらいはお安い御用さ」


 よし、今日の寝床ゲットと、紅は内心でガッツポーズする。情けは人の為ならずって言うが、本当だなぁと思いながら。


「それじゃ、森を抜けるぞ」


 先導する彼がそう声を掛けてきた次の瞬間、周囲を覆っていた木々が無くなって視界が開ける。


「あっ……ッ!?」


 森を抜け、陽光に当たった瞬間くらりと傾ぐ体。転倒しそうになり、慌ててしゃがみ込む。


「おっと、大丈夫か?」

「……すみません、少し眩しくて目が眩んだだけです」


 グラグラと揺れる頭を抱えながら、そう慌てて誤魔化すが……実際は、『日光弱点(弱)』の影響だろう。


 森を抜け陽光に当たってから、目眩のような不快感と、肌をジリジリと焼く微かな痛みがある。


 我慢できないほどではないが……予想以上に辛い。


 早めに全身を隠す外套などを入手する必要はあるかもしれないと、紅は脳内のやるべきことのメモに新たに記載する。


 ――本当に、『日光弱点(強)』じゃなくて良かったと、心底安堵する紅なのだった。


「そうか、長いこと暗い森の中に居たんだもんな」

「ええ、本当に……あはは」


 そう納得してくれたことに、笑って誤魔化しながら内心ではホッと息を吐く。




 過去、人魔大戦にて大陸の覇権を賭けて争っていたという、人類と魔族。


 帝国の統治下でお互いに融和が進んでいたとはいえ……果たして、分類としては魔族に属する『ノーブルレッド』が人間側の人々にどう思われているか分からない現状、あまり軽率に種族をバラしていいものか。


 少し注意しないとな、と気を引き締めながら、軽く礼を述べて立ち上がる。





 顔を上げた紅の目に飛び込んでくるのは、遮る物も無く広がる穏やかな風景。


 紅たちが居るのは、やや小高い丘の上。

 そこから眼前に広がっていたのは、町へと続いている、畑が耕されて作物が芽吹いている段丘と、その先、牧歌的な田園の町の風景……そして、海と見紛うばかりの巨大な湖。


「ようこそ、お嬢ちゃん。俺らの暮らす『泉霧郷せんむきょうネーブル』へ!」


 彼がそう言うと同時に……紅の視界の端に『新たなエリアへ到着しました:泉霧郷ネーブル』という表示がスライドして映るのだった。







【後書き】


主人公の外見のイメージということで。なろうのときに掲載していたのと同じ画像です。


https://17218.mitemin.net/i461188/

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