湖畔の町

「泉霧郷ネーブル……」


 やはり、知らない名前だ。

 初めてログインしたプレイヤーは皆、『始まりの街ウィンダム』へと転送されると聞いたのだけれど。


 それに見た感じ、プレイヤーらしき姿もない。

 サービス開始直後のスタート地点なんて、よーいどん、で走り出したプレイヤーでごった返し、人に溢れるはずだというのに。


「……やっぱり、なんらかのバグでスタート地点がズレたのかな」


 だとしたら、初遭遇したモンスターが普通ならあり得ない強さであろう相手だったのも肯ける。


 などと考え事をしながら歩いていると……ふと顔を上げた時、やけにこちらに視線が集中していることに気が付いた。


「なんだか、ずいぶんと注目を浴びていますね……」

「ああ、見慣れねぇ可愛い娘さんが来たから、舞い上がってるだけだな」

「可愛い……ですか?」


 自分の今の顔を見たことが無い紅が、コテンと首を傾げ疑問符を浮かべる。


「……うちに息子も居るんだが、この嬢ちゃん連れてって大丈夫だろうか」


 何やらぶつぶつ呟いている彼の様子に、再度首を傾げる紅なのだった。


「……そういえば、嬢ちゃんのこと、なんて紹介すればいい?」

「あっ……」


 そういえば、お互い名乗っていない。何故かすっかりと忘れていた。


「っと悪い、名乗るならまず自分からだな。俺はルドガーって言うんだ。この町で細々と薬屋をやってる」

「はい、俺……んっ、私はクリムと申します」


 改めて、キャラメイクした際に付けた名前を名乗る紅……クリム。


「クリム嬢ちゃんか、改めてよろしくな」


 上機嫌に頭をワシワシされながら、先導されるまま彼の後についていくのだった。






 そうして案内されたのは……民家の一階を改装して店舗にしたような、二階建ての家屋。事前の説明通り、その裏には物置らしき離れも存在していた。


「おうジョージ、今帰った」

「……親父!?」


 バン、と扉を開けて、飛び込んでくる小さな人影。


「朝には帰るはずだったろ! 母さんもジュナも心配してたんだぞ、なんでこんな、昼も高くなるころまで……」


 人影……ジョージと呼ばれた少年がルドガーに向けて声を荒らげるが、すぐにその隣にいるクリムの姿を見つけ、急速にトーンダウンする。


「……何、この女?」


 かわりにその少年の顔に浮かぶのは、胡散臭いものを見る目。その様子に、視線のターゲットとなったクリムは、なんだろうと目をパチパチ瞬かせる。


「ああ、ちょっとヘマして森の中で魔物に襲われてな。そん時に助けられた」

「ふーん……へぇ、こんな細っこい女がねえ」

「客になんて態度してやがる、まずは挨拶しとけ」


 そう言って、ルドガーは家の裏の右手にある納屋……その壁に備え付けられた階段の先に消えてしまう。


 一方で……残されたほうはと言うと。


 クリムは、自分よりも頭半分くらい身長が低い少年の、下から睨めつけるような視線に、思わず仰反る。

 だが少年は、そのままクリムのほうを検分するようにじろじろと見た後……その眼前に指を突きつけた。


「俺は、絶対信じないからな。見た感じ武器もないのに、そんなお前が魔物を退治したなんて!」

「あ、あはは……」


 子供相手にムキになるのも憚られ、とりあえず苦笑して誤魔化してみる。

 すると……何やらジョージ少年が、こちらを指差したポーズのまま、顔を真っ赤にして震えていた。


 ……怒らせてしまったろうか。


 何がマズかったかなー、と首を傾げるクリム。

 その目の前に居たジョージ少年が何故か更に真っ赤になったところで……離れ二階の部屋に引っ込んでいたルドガーが、呆れたように顔を出す。


「あー……お前さぁ、気になるんならもうちょっと愛想良くしたら?」

「うっさい馬鹿親父!!」


 怒鳴り返されてやれやれと肩を竦めながら、ルドガーは今しがた出てきた部屋を指差しながら口を開く。


「ああ、その嬢ちゃん、寝る場所が無いってんで、しばらくうちの離れの空き部屋を貸してやることになったからな。仲良くしろよ」

「……はぁ!?」

「ほら、俺は掃除してっから、お前は嬢ちゃんに町の案内でもしてやれ」


 ルドガーが、シッシッ、とジョージ少年を追い払う。

 しばらく、わなわなと震えていたジョージだったが……


「……ふん、ついてくるなら勝手についてくればいいだろ!」


 怒ったようにそう言って、ズンズンと外へ歩いていってしまったジョージ。


「……お前のためじゃないからな!!」


 門のあたりでわざわざ振り返り、そうクリムに告げてまたノシノシと歩いていってしまう。

 その様子に、さてどうしたものかとクリムはルドガーに助け船を求めるのだったが……


「おーおー、ガキが一丁前に色気付きやがって」

「なんのことですか?」

「……こっちのお嬢様は逆に、色気もなんも無えこって。ほら、部屋の支度はちょっとかかるから、せっかくだから行ってきな」

「あ、はい!」


 同じ追い払われるようにして、クリムも慌ててジョージ少年を追うのだった。





「ここが、雑貨屋。薬以外に欲しい物が有れば、ここに来るといいよ」


「ここが武器屋。っていってもずいぶんな爺さんで、包丁とか研いでるとこしか見たことないけど」


「ここが、教会。治療が必要なら……っておい、なんで逃げるんだよ!?」




 ……と、そんな感じで、生意気そうな第一印象とは異なり、ジョージ少年はとても真面目に案内をしてくれた。


 おかげで若干のトラブルはあったものの、町の主要施設はだいたい巡り終え、紅もこの町の地理について概ね把握ができたのだった。


「……とまあ、だいたいこんな感じだな」

「うん、ありがとうジョージ君。おかげで、だいたい町の地形は分かったよ。それと付き合わせてごめんね?」


 クリムの言動は、現実世界では自分よりも年少の相手に接する時のものだ。

 だが、普段より何割か増しで柔らかい丁寧な言葉で話す様子は……本人は無自覚だが、有り体にいえば、普通の少女っぽかった。


「い……いいよ、別に」


 真っ赤になって、こちらを絶対に見ようとしないジョージの様子は気になるが、どうやら嫌われていた状態は回避したらしいと、クリムは胸を撫で下ろす。


「あんたが悪い奴じゃないって分かったし、こっちこそ意地悪してごめんな?」

「はは、気にしてないから大丈夫」


 そう、そっぽを向きながら謝罪する少年に、ふふっと笑いながら返答する。

 根は素直でいい子なんだなぁと、クリムはなんだかほっこりした気分になるのだった。



「しかしまぁ、教会からガチで逃げたのは笑ったぜ」

「あ、あれは……」


 ケタケタ笑う彼にクリムは顔を青く染めた。


 そう、青である。

 うっかり教会に踏み込んだ瞬間、全身に凄まじい痺れが走り、ものすごい勢いでHPが減少を始めたのだ。


 死ぬかと思った。


 というか、あと一秒留まっていたら麻痺からスリップダメージのコンボで死んでいた。


 教会は、まずい。

 そう、嫌というほど思い知らされたのだった。





「でも……この町は、平和ですね」


 散歩するように湖の外周をゆっくりと巡りながら、クリムはポツリと呟く。


 周囲を見回しても、戦乱の痕跡は見当たらない。

 昼下がりらしい町は若干の気怠さを含むのんびりとした時間が流れ、静かな湖畔には小鳥のさえずりが響き渡っていた。


「まーな。ド田舎すぎて、この辺はあんまり戦場にならなかったらしいからな」


 全周囲、高い山に囲まれた入ってきにくい地形。

 唯一平地であるのが北側だが、そちらは魔物が多く危険な『黒の森シュヴァルツヴァルト』が広がっている。


 攻めるに難しく、占領しても大したリターンが見込めない立地。確かに、わざわざ進軍してくる必要は無いだろう。




 ――でも、あまり領土拡大するつもりはないけど自分のエリアが欲しい、自分みたいな奴には理想的じゃない?




 そう、この先始まるであろうエリア争奪戦に向けて、ここは良いかもしれないと唾を付けているクリムなのだった。






「ところでジョージ、あの廃墟はなんだろう?」


 そう言ってクリムが指差したのは、湖を望む丘に佇む、ボロボロな廃墟と化したログハウス。


 草が伸び、荒れ放題な……だがきちんと手入れしたら立派な家庭菜園でもできそうな敷地に佇むその廃墟。


「ああ、なんでも、どっかの金持ちが戦争から逃げてこようとして建てさせたらしいんだけど」

「だけど……?」

「こっち来る途中で野盗に殺されて、あとは未完成のままずっと放置。なんだお前、気になるのか?」

「うん……ちゃんと建てたら住めないかなって」


 見た感じ、広さも充分にありそうで、湖を望む景色も絶景で雰囲気も悪くない。ギルドを作った際の溜まり場にするにも良さそうだ。


「変な奴。こんなとこ、何も無いじゃん」

「あはは、そんなことないよ、ここは凄く良い所だと思うよ?」


 自虐的に評するジョージに、のほほんとクリムが答える。


「……ま、お前がそう思うのは勝手だけど」


 そう憎まれ口を叩くジョージだったが……クリムには、彼が故郷を褒められたのを嬉しそうにしているように見えたのだった。


「で、クリムねーちゃん。あと、何か気になることってあるか?」

「そうだね……あの、湖の真ん中にある島と、お城が気になるかな」

「ああ、あの城か」


 ここからでもうっすら見える、古めかしい城が鎮座する湖中心部。

 何か由来がありそうで、この町に来てからずっと気になっていた。


「あれは……親父が言うには、なんでも初代の皇帝が最初に住んでたって話だぜ。本当かどうかは知らねーけど」

「ふーん……」


 それは……是非、いつか中を探索してみたいな。

 この時のクリムはただ、そう漠然と思うだけなのだった。

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