断話:少女を選んだ日

 今の時代、日常の各所において、フルダイブVR技術は身近なものとして存在している。

 そのため慣れたもので、紅はスッと眠りに落ちるようにして、VR空間へと移動する。


 そうして紅が閉じた目を開けると……そこは、星空を背景として、透明なドームに覆われた不思議な部屋の中。


 睡眠導入無しに、生命維持に必要な体機能を維持する信号はそのままに、入出力はNニューラルLリンケージDデバイスを介した量子通信によって仮想現実世界へと移す、新方針のフルダイブ技術。

 その作り出す仮想の世界の鮮明度は、一世代前までのVR技術を大幅に凌駕している……と言われていた。





『Destiny Unchain Onlineの世界へようこそ。これより、あなたのこのゲームでの分身となるキャラクターのクリエイトを開始します』


 眼前に佇んでいた、背中から羽根を生やした美人な女神様……どうやら、キャラクター作成のガイドAIらしい……が語りかけてきて、風景に見惚れていた紅の意識がそちらに移る。


『体調が優れない、動作に違和感がある等の症状が無ければ、これよりキャラクターの種族の選択に入ります。適正種族を検索するため、NLDの遺伝情報登録にアクセスしますがよろしいですか?』


 ポップアップしてきたウィンドウから利用規約を開き、一度ざっと目を通した後、『YES』のボタンを押す。


 すると、紅の周囲に様々なファンタジックな衣装に身を包む、いくつもの人影が現れる。


 それは紅の姿をベースにしつつも、耳が長かったり、角や尻尾が生えていたり……様々な身体的特徴をそなえていた。


「この中から、好きな種族を選べば良いのかな……?」


 そう、次々と現れるキャラクターモデルを眺めていた紅だったが――



『報告。あなたの遺伝子データスキャン中に、特異な配列を検知しました』


 キャラメイク担当AIの女神様の、そんなメッセージと共に……今いるVR空間が、歪んだ。


 まるでバグったかのように空間にザラつきが混じり、ドーム外の背景が暗転した。

 ここまで並んでいた種族のプリセットモデルも、片っ端から消失を始める。


「……は、何これ?」


 ――バグった。


 まだVRMMO黎明期の頃、旧世代の電子演算機によるゲームでは稀にあったと聞くが……現代のNLDで主流となっている、集積ナノフォトニクス光演算デバイスでは、とんと聞いたことが無い現象だ。


 ――おいおい、リリース初日から大丈夫?


 そう心配する紅をよそに、ついに全てのプリセットモデルが消え、そして……


『あなたが選択可能な種族の中から、〈特異ユニーク種族〉を検知しました』


 そんな女神様の声と共に、今度は眼前の空間に、また新たな、一つだけの人影が足元から構成されていく。


 現れたのは……紅よりも、かなり小柄な身体。


 腰下まであるミルクのような白い髪と、透き通った白い肌。まだ幼さが残る、柔らかな曲線を描く輪郭。


 髪と同色の長い睫毛に縁取られた、こちらを見つめている生気の感じられない瞳は、どこまでも見透かされそうな澄んだ紅。


 華奢な身体は全身が滑らかな曲線で構成され、まるで芸術品のように均整が取れていた、その姿は……


「……って、ちょっと待って、女の子!?」


 その人影は紛れもなく、紅と同年代か少し下くらいの、少女の姿をしていた。


「っていうか、なんで裸なのさ!?」


 ……流石に全年齢のゲームゆえ、局部の描写は一切無い。


 とはいえ一糸纏わぬ少女の姿に、思春期真っ最中である紅は、慌てて視線を外す。


 しかし、そんな恥ずかしさが勝っていたのも束の間。真っ赤になりつつも……興味に負けて、指の隙間から少女の姿を覗き見る。


「……あ、アルビノ、ってやつかな」


 あまりに白いその裸身にごくりと唾を飲み込みながら……ついでに極力下のほうは見ないように気をつけながら、おそるおそるその小さな顔に触れてみる。


 ……素通りする様子もなく、指先には人肌の弾力が返ってきた。どうやら親切にも、触れて確かめさせてくれるらしい。



 その頬に触れた手に伝わってくるのは、すべすべ、もちもちした極上の感触。ずっと触っていられそうなその感触の中に……ふと、違和感のある感触が指に触れた。


「これは……歯? それにしては……」


 閉じた口元に触れた親指に、微かな違和感。

 可愛い女の子の口に指を突っ込むという行為になにやら背徳的なものを感じつつも、そっとその桜色をした小さな口に指を挿し入れて、唇をこじ開けてみると……そこにはやはり、小さく可愛らしい牙が生えていた。


「……牙?」


 それはまるで……物語の、吸血鬼のような。


「……ッ!?」


 瞬間、紅の脳内に走るのは――血の光景。後悔の記憶。




 ――大丈夫、ちょっと血が出ただけだよ、だから大丈夫。




 駆けつけた大人たちに止血されながらも、縋って泣くこちらを安心させようと笑いかけてくる、涙を浮かべた幼なじみの少女のぎこちない笑顔。


 ……ほんの、ごっこ遊びだったのだ。


 前の日の晩に見た昔のホラー映画に影響されて、なんとなく始めたごっこ遊び。


 だが、途中から熱に浮かされたような状態となった紅が……ふらふらと吸い寄せられるように――幼なじみの女の子の首筋へと噛み付いた。


 ……所詮は、子供の顎の力だ。大事には至らなかった。


 だが、彼女の首に、その生々しい歯形の傷痕は残った。

 そしてそれ以来、紅は血生臭いものを口に入れるのを、全く受け付けなくなった。


 あの時、こんな小さく鋭い牙だったのならば。

 生物の本能として、糧を得るために最適化された、この牙が自分にあれば。


 ……彼女を、あんなに傷付けずに済んだのだろうかと、苦い思いが紅を責め苛む。


「俺は……」


 そうだ……こちらが、本来正しい自分の姿。

 元々俺はこうなるはずだった。それが、どこかで捻じ曲げられたのだと、どこか理性ではない場所で囁いていた。


「俺は……君になりたい」


 そう告げた瞬間――世界は暗転した。






 ――種族:ノーブルレッドが選択されました。


 ――登録者『満月紅』の同意、深層心理域にて確認。


 ――同対象のオリジナルの生体データ解析……完了。


 ――歪曲遺伝子情報、修正完了。


 ――『クレイドル』へと転送…………成功。


 ――肉体再構成処理開始。『満月紅』の意識、安全のため『Destiny Unchain Online』内に隔離、保護開始。




 ――『揺り籠クレイドル』作動します。

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