ログアウト不可

「……あれ、俺はいったい何を」


 暗転していた意識が、不意に戻ってくる。

 だがそれは、本来であれば一瞬でVR空間へと潜っていける程度にフルダイブ慣れしている紅には珍しいことだった。


「おかしいな、ダイブするのにこんな手間取るなんて……」


 それに……確か昼の13時くらいにログインしたはずなのだが、時計が示した時間は既に夕方の18時。およそ5時間ほど、記憶に欠落がある。


「なんだ、今の……ってなんだこれ!?」


 はじめに気付いた違和感は、声。

 すでに変声期を終えた紅のものよりも、明らかに高いその声は……まぎれも無く、女の子のもの。


 曲線が多用された小さな身体と、長い髪に高い声。

 鏡が無いためそれ以上は分からないが……明らかに、小柄な少女のものだ。


「とりあえず、一旦ログアウトして……」


 宙に報告しよう。

 そう思って伸ばした指が、止まる。


 誇張ではなく、ひっ……と悲鳴が漏れかけた。

 本来ログアウトに使用するであろうボタンが、色を失って灰色になり、押しても反応しないからだ。




 ――ログアウト不可。




 過去、数多のゲームや小説で見受けられた設定だが、だからこそ自分の身に降りかかった際、嫌な考えが脳裏を駆け巡る。



「ちょっと、父さん! おい親父!?」


 半ばパニックに陥りかけた紅が、慌てて今回の元凶である父親を呼ぶ。


 返答は……思いの外、すぐにあった。


『大丈夫、モニターしてるよ。それにしても紅さん、ずいぶんと可愛い声だね?』

「息子が女の子の声になってて、第一声がそれかよ……」


 やけにマイペースな宙の言葉に、思わずずっこけてしまい、だがおかげで少し落ち着いた。


「はぁ……それより、ログアウトできないんだけど、なんとかできない?」

『すまない、それは無理なんだ』

「……は?」

『紅さん、君の身に起きていることは、全部僕から説明ができることなんだよ。だから、どうか落ち着いて聞いてほしい』


 いつになく真剣なトーンで語る宙の言葉に、ゴクリと唾を飲み込んで耳を傾ける。


『その前に……多分、紅さんの視点だと、何時間か時間が飛んだんじゃないかな?』

「あ、うん。だいたい5時間くらいかな?」

『それ、こちらが移動中だったからなんだ……紅さんの身体は今、クレイドルに収容したまま市内の大学病院内にある。そして今は、紅さんの体をクレイドルから動かすことはできないんだ』

「なっ、ん……!?」

『ああ、でも、予定の範疇のことなんだよ。僕も今病院に同行して、紅さんの容態は随時チェックしているから安心して?』


 そこで一度言葉を切った宙が、真剣な目で紅を見つめる。そのいつもと全く違う様子に、紅は思わず声を詰まらせた。


『大丈夫。父親として、必ず紅さんのことは守る……だからどうか、信じてほしい』


 そう、怖いほどの真剣な表情で告げる宙に、紅は……


「……分かったよ。信じればいいんだろ! ただし残ってる入学手続きはちゃんとやってくれよ!?」


 せっかく合格した高校を、入学すらできずに辞退なんてごめんだ。

 それに、そんなことになったら、今まさに同じ学校へ進学できるよう頑張っているであろう聖と昴、二人の幼なじみにも申し訳が立たない。


『分かっているよ。しばらくはオンライン登校になるっていうことも、ちゃんと申請しておく』

「……つまり、入学式には間に合わないんだね」


 例えば、病院や自宅から出れない生徒向けの救済措置として整備された、オンライン授業設備。

 余程のことでは許可の下りないその恩恵に、まさか自分があずかる日が来ようとは……と、諦めの心境で溜息を吐くのだった。





「で……だ。俺は、どうすれば良い?」

『まぁ、せっかくだから入学までの一か月間は、好きに遊んでいると良いんじゃないかな。大丈夫、ゲームで死んだらリアルも……なんてことは無いから』


 ちょっと私的な目標もあったけど、ゲーム自体も自信作だからね、と、宙が浮かれた様子で語る。通信機の前で自慢げに胸を張っているのも見て取れた。


「……信じていいんだよね?」

『もちろん。子を殺すための物を熱心に作る親なんて居ないよ。可愛い我が子を、そんなことなんかで失いたくないからね、僕も』

「う……うん、そうだよね」


 面と向かって言われた言葉になんだか照れつつも、父の言葉に嘘は無さそうで、ひとまず信用することにする。


 とりあえず最大の懸念……デスゲームだったりとか、そういうことは無いらしい。はぁあ……と、紅は深々と安堵の息を吐いた。


『マニュアルとかそういうのは、NLDから問題なく閲覧できるはずだよ。ゲームに飽きたら、別の仮想空間にも自由に飛べるはずだし。何かあったらGMコールして、僕に直接繋がるから』

「うん、わかった」

『それじゃ、親に見られてる中じゃあ楽しめないだろうし、ゲーム内の様子のモニタリングは呼ばれるまで切るから。楽しんできてね』


 その返事を最後に、宙との通信がオフラインになる。



 せっかくの、親公認の遊び倒してていいという許可なのだ。

 ならば、可能な限り好きにやらせてもらおうと、止まっていたキャラクリエイトを再開する紅なのだった。

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