湖畔の町

仮想の世界へ

 ――少子高齢化社会と言われていた時代も、もはや何十年も昔のこと。


 世代が変わり、国内人口も最盛期よりだいぶ減少した。

 更にはVR技術の大衆化によって、在宅での仕事という選択肢も今では一般的になっている。


 これらの理由によって、一時期問題となっていた首都圏一極集中という状況は、もはや過去になりつつあった。



 そんな中、人が流れてきた北日本の都市の一つの、郊外に、その会社は存在した。


 以前、VRMMORPG黎明期に『Worldgate Online』を運営していた『アークスVRテクノロジー』という会社のあった跡地。


 そこに新たに建造されたのが、『NTEC(ニューロコミュニケーティング・テクノロジー・エンターテインメント・カンパニー)』通称エヌテックと呼ばれるこの会社。


 そのリリース第一弾となるVRMMORPG 『Destinyディスティニー Unchainアンチェイン Online』正式サービスを前に、会社周辺はにわかに騒がしくなっていた。




 そこに、どう見ても社員ではない一人の少年……まだ中学生を終えたばかりの少年が、手提げ袋を片手に現れた。


 本人的にはもう少し筋肉が欲しいのだが、なかなか肉のつかないのが悩みの細身な体型。

 文化祭の際に女装させられた際は騒然となったくらいには女性的な、母親似の顔立ちをした、その少年。


 彼の名は、『満月みつき こう』という。

 この会社、『NTEC』の代表である『満月 天理あまり』及び、メインプログラマーにしてハードウェア設計者でもある『満月 そら』の、一人息子であった。






「お忙しい中すみません、満月みつきそらに呼ばれてきました、満月こうというものですけど……」


 インターフォンを鳴らし、用件を告げる。

 何やらバタバタと忙しそうな音が聞こえるため、少し待たされるかな……そう気長に待つ構えを取る紅だったが、意外にも返事はすぐに返ってきた。


『ああ、紅君、いらっしゃい。満月主任ならいつもの部屋に詰めているから、どうぞ入ってきて』

「あ、茜さん、お疲れ様です」


 返事を返してきたのは、父の助手でもある古谷茜ふるや あかね

 幼なじみである双子の姉弟の母親でもある彼女には、あまり帰ってこない両親の代わりに家の中のことを手伝ってもらったりなど、紅もよくお世話になっている。


 そんな彼女にカメラ越しにお辞儀をすると、ロックが解除された自動ドアを潜り、中へと入る。


「すみません、ようやくこの会社が本格始動するこの忙しい時に。もうリリースが始まる時間ですよね?」

『ええ、今日の正午からだから、今は最後の機材チェック中。バタバタしていてごめんなさいね?』


 インターフォンの通信からダイレクトにNニューラルLリンケージDデバイスの通話モードへと切り替えて、茜と会話しながら、人が忙しく動いている会社の廊下を歩く。


 目的の部屋……技術主任である父の仕事部屋へは頻繁に訪れている。NTECの職員ともだいたい顔見知りなため、特に紅に注意を払う者もいない。


『それにしても……紅君は、推薦が取れて良かったわねぇ』

「はは……ひじりすばるは今、修羅場ですか?」

『そうなのよ。二人とも、紅君と同じ学校に行くんだって言って、ちょっと話しかけられる雰囲気じゃなくてねぇ』

「そうですか……今日家に帰ったら、何か差し入れでもしようかな。っと、着きましたので、これで」


 通話を切り、眼前のドアをノックする。

 返事がないのはいつもどおりなため、気にせず中へと入っていく。


 勝手知ったるその部屋へと踏み込むと……案の定、父である満月宙は真剣な表情でディスプレイを睨み、コンソールを叩いていた。




 もう四十代も終わりが近いというのに、二十代半ばくらいにしかみえない童顔の父。

 幼く見られるのが嫌だからと髭を伸ばしているが、正直に言うと似合っていないと紅は思っていた。


 そんな父だが……その、一心不乱に仕事へ打ち込む姿が、紅は好きだった。




 だが、今は父が仕事に打ち込んでいる後ろ姿に見惚れている場合ではない。


「ほら、父さん、お弁当。また玄関に忘れてたよ」

「……ん、いつもありがとう、紅さん」


 紅に呼ばれてようやくその存在に気付き、のろのろとディスプレイから視線を外す宙。

 その目の下を縁取る濃い隈を見て……はぁ、と溜息を吐く。


「はい。父さんの好きな甘い卵焼きも入れたから、ちゃんと食べてよね。全く……リリース当日で仕事が忙しいのは分かるけど、食べないと体を壊すよ?」

「……面目ない」


 ショボショボとした眠そうな目で呟く父の様子に……あ、これは聞いてないなと経験から判断し、紅は肩をすくめるのだった。




「うん、美味しい」

「そりゃどうも。中学生の手習い程度だけど」


 一度手と顔を洗ってきた後、いったいいつから食べていないのか、ガツガツと弁当をかき込む父。

 その褒め言葉に、紅はお茶を水筒からカップに注いであげつつも素っ気なく返事を返す。



 両親共に家事などできないために、自然と紅は家族の弁当を作るようになった。それもこれも、この自身の周りに頓着しない父の健康が心配だったがゆえ。


 ややファザコンの気があることも自認している紅なのだが……思春期真っ只中であり、父に褒められるのは嬉しいのだが、素直になれないのだ。


 だが、そんなことはお見通しとばかりに優しい目を向ける父は、美味しい、美味しいと好意的な感想を返してくれる。


「……悪かったね、紅さん。受験生にこんなことを頼んで」

「別に。第一志望は推薦で通ったから、あとは入学まで準備期間。気にしないで」

「ふふ、優秀な子を持てて、僕は幸せ者ですね。ご馳走さまでした」


 弁当を完食し終え、わしわしと頭を撫でてくる父に褒められて照れてしまい、そっぽを向く紅だった。


「それで、頼みたいことって? 新しい機材のテスターってことだったけど」


 紅がこの日、宙の職場であるNTECに来ているのは、どうしても今日リリースする新作VRMMORPG……それに合わせて開発を進めていた、ヒューマンインターフェイスのテスターをやってほしいと頼まれたからだ。


 いったい何をしているのか、ずっと忙しく飛び回っていて滅多に顔を出さない母。

 いつも忙しそうにしており、やはり滅多に帰ってこない父。


 そんな両親だったため、家に一人でいることが多かった紅だったが……しかし、寂しく思うことはあったものの、少なくとも経済面では不自由を感じたことはない。

 故に……特に母には思うところはあるものの……紅に両親に対して感謝する気持ちくらいはある。


 そのため、頼みごとがあると言われた時は基本的に引き受けている。新作のテスターの仕事だって、何回か経験済みだ。




 ……一度、父からちょっと試しに戦ってみてと軽い調子で渡された怪しげな剣術訓練ソフトで、クソ強いAIと戦わされた時は、本気で不貞腐れたけれど。


 悔しくて今も時々暇を見つけては戦っているが、未だに一度も勝ったことはない。最近ではもう開き直って、あのAIを『師匠』と呼んでいる紅だった。


 なんなんだろう、あの『Master of swordsman: Rage』とか言うクソAIはと、紅は最近ついに黒星が四桁に達した戦績を思い出し、内心で愚痴る。





 閑話休題それはさておき


 だから今回も、自分が役立てるならと二つ返事で引き受けたのだが……


「新作ゲームのテスターって聞いたけど……これ、何?」


 胡乱げな目を、以前来たときには無かった、部屋の一角を占める存在へと向ける。


 まるで滅菌室のように透明なカーテンに遮られた、父の仕事場の一角。

 その向こうに鎮座していたのは、無数のコードやチューブに繋がった、やけにメカメカしいベッドだった。


 ……これがおそらく、件の新開発のヒューマンインターフェイスなのだろう。だがしかし、どうしてもゲームの筐体には見えない。


 確か……再生治療用のジェルカプセルがこのような感じだった気がすると、紅は自分の知識の中から最も近そうな物を思い浮かべる。


「おそらく、紅さんが考えている通りだよ。この『クレイドル』は、医療用ジェルカプセルをもとに作ったものだ」

「へぇ……実物は、初めて見るよ」


 体を再生させる万能細胞のプールであり、肺への酸素供給まで行うジェルに満たされたカプセル内で、患者の再生治療を急速に行う最先端の先進医療機器。


 当然ながらその恩恵に与れるのはよほどの富裕層だけであり、そうそう庶民が見られるものではない。


 そんな珍しい機械を元にした機器。

 先程の胡乱げなものを見る目はどこへやら、興味津々にその装置を眺めていると……白衣を着直し、仕事モードに戻った父がその肩に手を置いた。


「通常の服を着たままだと駄目だから、着替えてきてもらっていいかな」

「う、うん」

「それじゃすまないけど……茜さん、案内してくれる?」

「はい、主任。紅君、こちらにどうぞ」


 いつのまにか室内で待機していた茜に促され、紅は備え付けられた更衣室へと案内されるのだった。






「着替えてきたけど……」


 指定された通りに衣類を脱ぎ、貫頭衣……これもまた、再生治療のカプセルに入る人が着せられるものに似ている気がする……へと着替えた紅が、落ち着かなさげに部屋へ戻ってくる。


「うん、お疲れ様。クライアントのダウンロードは?」

「ん……もうちょっと掛かる」


 眼前に、NLDへと大容量データがインストールされているのを示すバーが展開され、ゆっくりと伸びている。

 それは、大抵のデータは瞬時に転送するはずの現在の量子通信にしては珍しいことだ。


 つまり……なかなか進まないそのバーは、それだけ今インストールしているVRMMORPGの容量が、とても膨大なことを示していた。


 この大容量に加えて、メインプログラマーとして参加している父をはじめ、黎明期を作った伝説のゲームに携わっていた壮々たる面々が集う開発スタッフ。


 この一年、受験のためご無沙汰だったとはいえ……紅も、ゲーマーの端くれだ。否応無しに、どのような世界が待っているか胸躍らせていると。


「……紅」

「……ん、何、父さん?」


 不意に、父から掛けられる声。紅がカプセル内に座り込んだその時、不意に宙が紅を呼び止めた。


「このゲームは……お前のために作ったものだ。だから一つだけ言っておく。迷ったら、自分が思った通りに素直に選ぶといい」

「俺のため? それってどういう……?」


 いつになく真剣な表情で紅を見つめる父に、なんだろうと首を傾げる。


「今まで仕事にかまけてばかりいて、放ったらかしにしていてすまなかった」

「な、何、父さん。ちょっとゲームにフルダイブしてくるだけなのに、大仰過ぎない?」


 真剣な様子の宙に戸惑いながら、指示された通りに配線を首のNLDの入力端子へと接続していく。

 柔らかな感触のゲルクッションに包まれるようにして横になった……丁度その時、NLDへとクライアントのダウンロードが完了する。


「そ……それじゃ、ダウンロードも終わったから、俺、行くよ」

「ああ。行っておいで。……僕は、紅さんが――」


 宙が何か言い掛けたが、今度こそヒューマンインターフェイス『クレイドル』が封鎖され、その続きを聞き取ることはできなかった。


 だが、紅にはなんとなく、宙が何を言ったのか、分かる気がした。




 ――僕は、紅さんがどんな姿になったとしても、父親として変わらず君を愛しているよ。




 ……そう言っていた、と。

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