prologue 2 現実世界の少女吸血鬼



 ――ピコン。


 ――ピコン。


 ――ピコン、ピコン、ピコン


「……う、ん?」


 断続的に響く、メッセージの着信音。

 一回一回は些細なその音も、あまりに連続すると眠っているどころではない。


「なんだよもう……うっさいなぁ……ふぁあ」


 ……どうやら、昨夜のギルドランク決定戦の後、気疲れからそのま眠ってしまっていたらしい。

 もぞもぞと布団から這い出し、大口を開けて欠伸をする。


『おはようございます、満月みつきこう様』


 機械音声の無機質な挨拶に八割がた夢の中だった意識は五割程度まで稼働率を上げた。

 ボーっと周囲を見回し……ようやくそこが、見慣れた自室であることに気がつく。


「……ああ、そうか、自分の部屋だ……帰ってきたんだった」


 ようやく現状を思い出して、感慨深く呟いた。





 紅は推薦によって今の高校の入試をパスした後……から今年の春季、三か月もの長期に亘り、現実世界へと帰ってこられなかった。


 そんな紅が現実へと帰還して……リハビリなどに励んでいる間に瞬く間に日は流れ、もうすでにひと月が経過していた。


 しかし今もまだ、ゲーム内で寝落ちしたらリアルに戻っているということに、かえって違和感を覚えるようになってしまっている……いわゆる『フルダイブ呆け』だった。




『紅様。睡眠中に、12件のメッセージがあります』

「ふぁ……メッセージ?」


 眠そうに目を擦りながら、眼前に視点を移す。


 見れば、自動的に立ち上がったらしいAR表示の受信ボックスが、眼前に浮かび上がって表示されていた。


 そこには……昨夜共に戦った『フレイ』と『フレイヤ』……リアルでも幼なじみの友人である双子の姉弟、ひじりすばるからのメッセージ。


『ねぇ、寝てるの?』

『馬鹿起きろ、遅刻するぞ!』

『私たち、先に電車で行くからね!?』


 切迫した様子のそれらのメッセージに首を傾げ……直後、ギシリと硬直した。


「い、今何時……!?」


 慌てて時計を見ると……すでに、いつも家を出る時間を超過していた。

 今から支度をしたとして、果たして学校に間に合うラストの電車にギリギリ間に合うかという時間に迫っている。


「やば、寝坊した!」


 慌ててクローゼットを開き、いまだ真新しい制服を手に取ると、急ぎ身に纏いながら階段を駆け下りる。


 リハビリを終えて、オンライン授業ではなく初めて登校してからまだ一週間。

 入学式を欠席し、初登校が数ヶ月遅れ、その特異な姿もあってただでさえ悪目立ちしているというのに、寝坊して遅刻などしてたまるかと急ぐ。


「っと『ハウスキーパー』、部屋の電気、ガス、全部留守モードな!」


 こちらの音声に従って、家の管理システム画面が表示され、同時にネットワーク経由でガスの元栓や必要以外の家電への電力供給をストップしたのが報告される。

 更には異常があった際のアラーム機能が作動したことが管理システム画面に表示されたのを、横目で確認する。


 未だ固くて慣れぬローファーに足を通し、慌てて着替えたために衣服が乱れていないか、玄関の鏡でざっとチェックする。




 鏡に映るのは……ゲームの時同様の白い髪と赤い瞳をした可憐な少女。


 可愛らしいデザインの女子制服は、今は初夏だというのに冬服のブレザーのまま。


 さらにその下、袖口から覗くのは、日差し避けに着ている長袖のブラウス。




 はっきり言って、周囲から見たら暑苦しい姿に違いない。だが、そうしなければならない理由が紅にはあった。


「時刻表、出してくれ!」


 首に装着したリング状の量子通信デバイス……NニューラルLリンケージDデバイスに触れながら、呟く。

 すると指示に従って、眼前に現在時刻といつも使用している駅の時刻表、次の電車の発車時間などが眼前に浮かび上がった。


 ――よし、ギリギリ間に合う。


 そう、ようやく安堵の息を吐きながら、玄関の扉を開く。


「……しかしまあ。世界はもう、こんなハイテクな時代だってのに」


 なんせパソコンを立ち上げる必要もなく、コマンドワード一つでどこからでもVR空間にフルダイブすることさえできるようなご時世だ。




 ……多数の行方不明者が出て大事件となった『WGOプレイヤー連続消失事件』から、すでに二十年弱。


 その間に、当時先端技術だったVR技術は急速に進歩して、今や旧時代のスマートフォンと統合される形で端末が普及した。

 それが、今、紅も身につけているチョーカー型の多機能通信端末…… NニューラルLリンケージDデバイスだ。


 脳と量子レベルで無線接続され、感覚情報の入出力さえ可能なこの機器の普及により……この日本国内においてはどこでもVR・ARの恩恵を受けることが可能な個人端末が、ほぼ全国民へと行き渡っている。パソコンですらもはや骨董品と成り果てた。




 そんな時代だからこそ、今の自分の存在が随分と場違いなようで、思わず自嘲気味に苦笑した。

 その小さな口元から……犬歯というにはやや鋭すぎる、小さな牙のようなものがちらりと覗く。


 外に出た途端に、目と肌を焼く初夏の日差し。

 痛みさえ伴うほど眩しい太陽光に目を細めながら、手にした傘……黒い日傘を開いて、溜息をついて歩く。


「このご時世に……吸血鬼ってのも、なんだかなぁ」





 ――彼の名前は、満月 紅。


 今年の春、高校入学直前にとなってしまった……男子だった。







【後書き】

■ニューラル・リンケージ・デバイス (Neural linkage device :NLD)


 作中の時代における、ごく一般的な万能通信機器。


 最も流通しているものは幅3cm、厚さ0.5cmの首輪型の機械。ファッション性を重視したものや、アスリート用のタフな構造のものなども販売されているが、基本的な規格はほぼ統一されている。首の後ろと左右には、外部接続用の端子が存在する。



 常時着用者の脳と量子通信が行われており、街中の様々な情報を取得し必要に応じて所有者の視界にAR表示してくれる他、仮想空間へ意識を移す事も可能となっている。登録された機器の遠隔操作も可能。

 その機能は入れたアプリによりいくらでも拡張でき、「従来のパソコンやスマートフォンが出来たことはだいたい可能」という高性能機器。


 元は医療機器であり、失った五感を仮想で再現したり、対応する義肢や強化外骨格のコントロールユニットにもなる。



 この時代においては生活必需品であり、何らかの理由により失った、あるいは購入できないなどの場合、緊急避難として行政より貸与してもらう事も可能(ただしその場合、機能は最低限の物になる)


 その性質上、個人情報の塊のような物であり、他者が着用しているNLDを第三者が勝手に外したり持ち去ったりした場合、重大な犯罪行為として非常に厳しい罰則が課せられる。

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