哀しみと、苦しみと、怒りと。

 きっかけは、薫の不調にありました。

 中学2年生に進級してから、薫は日に日に元気がなくなっていきました。

 ご飯を食べなくなったり、私と話さなくなったり、部屋にこもることが多くなったり、明らかに変でした。


「大丈夫ですか。何か悩み事でもあるのですか」と何度尋ねても、「大丈夫。心配しないで」と似たような答えが返ってくるだけでした。


 最初は薫の言葉を信じていたのですが、薫の様子が変化する気配はありませんでした。むしろ、悪化していました。

 だから、私は薫のことを調べることにしました。



 結論から言うと、薫は学校でいじめを受けていました。

 いじめというものは知識にありましたが、まさか友人が被害を受けているとは思いもしませんでした。

 その事実を知ったときの、思考が上手く働かない感覚は、今でも鮮明に思い出すことができます。


 帰宅した薫が部屋にこもる前に、私は強引に引き止め、話を聞きました。


「学校でいじめられているんですか?」


 薫は泣きそうな顔をしましたが、その事実を認めようとはしませんでした。

 そんなに私は頼りないのでしょうか。アンドロイドだから、わからないとでも思っているのでしょうか。


「薫、私には話したくないですか。私が友人であるあなたを心配することはおかしいことですか」

「……それは」


 何を言えばいいのかわからない、といった様子でした。

 全てを吐き出すのをぎりぎりのところでこらえていました。


 薫が話したくない理由はよくわかりませんでしたが、私のことが嫌いだから、頼りないから、という理由ではないことは伝わってきました。


「薫、今からでも話してくれませんか。私はあなたの良き友人でいたいのです」


 震えていた薫の手を、そっと握りながら、薫に語りかけることにしました。


「私はアンドロイドです。わからない感情がまだたくさんあります。感情に触れ、学ばないといけません。しかし、それは誰かに、薫に教えてもらわないと、理解することができません。薫が何も話してくれなければ、私には薫の状況も、感じていることも、わからないのです。

 私にできることがあれば、協力は惜しみません。なんでもします。できることがなくても、薫の味方でいることができます。私の友人は薫だけですから。

 だから、お願いです。何が起こっているのか、薫は何を感じているのか、教えてくれませんか」


 私の言葉が届いたのかどうかはわかりません。

 ですが、私が薫を心配していることは伝わったのでしょう。


 薫は涙を流して、すべてを話してくれました。




 ●



 今思えば、とっくに感情を“知っていた”のでしょう。

 それが本物かどうか、確かめようがなかっただけの話でした。



 ●



「……薫は今、どんな感情を抱いているんですか?」

「……悲しい。辛い。死にたくなるほど」

「他には?」

「……怒りを感じる。自分にも、他人にも。もう、嫌だ。何もかも、嫌だよ……」


 私がやることはひとつだけでした。



 ●



 翌日、帰宅した薫はいつもより元気そうでした。


「薫に見せたいものがあるんです」

「なんだろう?」


 これですとを見せると、薫の顔は真っ青になりました。


「なに、それ……」


 震える声で、彼女は尋ねてきました。


「わかりませんか? これ、薫をいじめていた人間の首です」


 薫はその場に座り込んでしまいました。

 可哀想なくらい震えていましたが、どうしてそんなに震えているのか、私にはわかりませんでした。今でも、わからない部分があります。


「ころした、の?」

「はい」

「どう、して……?」

「薫をいじめていたからです」


 薫はとても、とても驚いていました。

 そして、私に恐怖を抱いていました。人を殺した、私に。


「殺すことは、なかったんじゃないの……」

「……? どうしてですか?」

「どうしてって、そんな……」

「だって、薫、死にたくなるほど、悲しかったのでしょう? だったら、死を持って、償うべきだと思いました」


 このときの私は、怒りを覚えていました。

 ただの怒りではありません。『自分が怒りという感情を持っている』と自覚するくらいの、深いものでした。


「人間を殺すことがいけないということは理解しています。しかし、いじめが原因で自殺する子がいます。薫だって、一歩間違えれば死んでいたかもしれません。

 それに、また同じことをするかもしれません。薫じゃない、別の誰かが標的にされるかもしれません。だから、殺しました」


 この行動が褒められたものではないことは理解していました。

 けれど、仕方のないことだとも思っていました。

 私にとっては、薫を守るためのひとつの手段でした。


 だから。


「あ、あ、あああああああああああああああああああああああああ」


 薫が絶叫して、おかしくなってしまうとは想像もしていませんでした。

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