第四十一話 金色の野に降り立つ少女が身につけていたものを彷彿とさせる

 野営の間は交代で見張りを立てる……のが定番であると思うが、わたしたちの場合は必要がない。索敵能力ではセーラー服君がダントツな上に、こいつは眠る必要がない。これまでの道中で現れた地潜りゴブリンを完璧に察知していたのを見ているので、サルタナさん的にも不安はない。


「これはもしかすると、かなり高位の魔道具なのではございませんか?」


 とか、サルタナさんが尋ねてきたけれどおばあちゃんの形見でもらったものなのでよくわかりませーんとすっとぼける。これはローガンさんのミスリル槌以上に売ることが許されない代物で、買い取りたいなんて言われたら困ってしまう。なにしろ文字通りの生命線である。セーラー服を脱いだら、肉体強化や言語翻訳ができなくなるどころではなく、呼吸ができるかすら怪しいのだ。


 何か危険が近づいてきたら起こしてちょ、ということで三人ともぐっすり就寝だ。一日歩いた疲れが睡眠導入剤となって、夜の女子トーク的なものに花が咲くこともなくあっさり入眠。いや、夜とは言ってみたものの、空には複数の太陽と太陰が変わらずにあるのだけれど。


 そして翌日。東の雷鳴の少し前くらいに自然に目が覚める。わたしも完全にこの世界の生活サイクルに馴染んできたようだ。以前に確認してみたのだが、セーラー服君によると雷鳴の間隔は地球時間にすると七時間強といったところらしい。つまり、一日二十八時間。地球より微妙に……いや、けっこう長いが、もはやそれほどの違和感はない。人間の適応力とは偉大である。


 またお湯を沸かして、野菜ブロックスープと石パンの食事を済ませたら出発だ。サルタナさんによると、もう少し進めば瘴気領域とされる辺りに入るらしい。人外の地なので、「ここから瘴気領域です」という標識があるわけもなく、なんとなくこの辺から瘴気領域だよねー、という程度の共通認識があるだけのようだが。


「たしかに検出される瘴気の濃度が高まっています。そろそろ口当てをされた方がよいかと」

「まだ臭いは感じませんが……もう瘴気が漂っているのでございますね」


 セーラー服君に言われ、サルタナさんが荷から取り出したマスクを全員が身につける。マスクと言っても現代日本にあったような不織布製のものなどではもちろんない。革製の口当ての左右に突起がついたガスマスクのようなものだ。


 金色の野に降り立つ国民的アニメ映画の少女が身につけていたものを彷彿とさせる。突起の中には風霊石なるものが仕込まれており、新鮮な空気を供給してくれるのだそうだ。これによって、吸うだけで身体に害となるという瘴気から身を守るというわけ。


 害と言っても少し吸ったら即死するような猛毒ではなく、長年瘴気のある地で暮らすと病気になりやすくなったり、子どもができにくくなったりというものらしい。瘴気領域の中を数日歩いた程度でどうこうなることはないそうだが、防ぐ手段があるのなら使うに越したことはないだろう。


 瘴気のフィルタリングはセーラー服君でも可能らしいのだが、それなりにエネルギーを消費するので代替手段があるなら用いた方がよいとのこと。抵抗するようなことではないので素直にそれに従う。それにこのマスクちょっとかっこいいし。厨二心がくすぐられるデザインなのである。


 マスクを着け終えると東の雷鳴が轟いた。


「おや、そろそろでございますね」

「今年も一年が終わりますねえ」


 サルタナさんとミリーちゃんが視線を空に向ける。お、いよいよ「天が灰色に染まる刻」ないし「陽陰が入れ替わる刻」か。ざっくりした説明は聞いているけれど、実際に目にするのはこれがはじめてだ。地球どころか、おそらく宇宙まで行っても目にすることが出来ないだろう天体ショーに期待が高まる。


 空を見上げていると、太陽が徐々に薄暗くなり、反対に太陰はその闇の輝きを減らしていく。徐々に徐々に暗くなり、空が灰色に染まった。


 ……。


 ……。


 ……え、これだけ?


 たとえるなら調光機能付きのシーリングライト天井照明を薄暗くしただけって感じで、なんとも拍子抜けだ。なんかもっとこう、太陽と太陰同士がぶつかり合う大迫力かつ神秘的な現象を想像していたのだけれど。


「それでは今年もよろしくお願いいたします。参りましょうか」

「はい、よろしくお願いします」


 簡単な新年の挨拶を交わすと、サルタナさんとミリーちゃんがさっさと歩き出してしまう。


 どうもこの世界の人々は時節というものに対して淡白だ。空は一日中同じような明るさで、季節の変化もない。地球において暦法は農耕のために発達したと聞いた記憶がある。そして種まきや収穫に合わせて祭りをすることで季節感というものを身に着けていったのだろう。


 季節そのものがないこの世界では、種まきも収穫も各農家が好きなタイミングでやっている。そんな環境では時節に対する関心が高まらないのも当然だ。


 空は薄暗くなったが、歩くのに困るほどではない。地面は砂利と砂に覆われ、起伏は乏しくむしろ歩きやすいくらいだ。周囲を見渡すともう草木一本生えていない。この荒涼とした光景が瘴気領域というものなのだろう。


 マスクを身に着けたものの、わずかな臭気が鼻を突く。生臭いような、焦げ臭いような、ドワーフ村で怪物が現れたときに感じたのと同じ臭いだ。ちょっとマスクを外して、じかに臭いを確かめてみよう……なんてことはちらりとも思わない不快臭。たしかに、こんなものが世界中に蔓延してしまったら、人間どころか普通の生き物はみんな生きられなくなってしまうのだろう。


 灰色の空の下を黙々と進んでいく。どこまでも続く荒れた大地に、不快な匂い、曇天を思わせる薄暗い空。三拍子揃えば誰だってテンションはだだ下がりだ。なるべく歩を進めたいので、休憩も最小限にして足を動かすことに集中する。


 唯一、幸いだったことは天が灰色に染まる刻に魔物が不活性になるという話がどうやら本当だったことだ。どれだけ進んでも周囲に魔物の気配は一切感じず、セーラー服君からの警告もない。


 これといった会話もなく、その日は丸一日歩き通しで終わった。


 そして瘴気領域に入って二日目。空はもう元の明るさを取り戻している。明るくなるときには何かしらの劇的なイベントがあるのではと少しだけ期待していたが、それまでとは入れ替わりの場所に太陽と太陰が生じただけだった。


「これで瘴気領域の半分には差し掛かったところです。この調子でしたら今日中には瘴気領域を抜けられるでしょう」

「こんなところ早く出たいですね。景色もつまらないし、鼻も曲がっちゃいそうです」


 サルタナさんの見積もりにミリーちゃんが応じる。無事安全が確保できたとして、この交易路を行き来しなければならない商人には同情を禁じえない。


「あれ? みさきさん、向こうの方に何か見えませんか?」


 顔をしかめて顔を振っていたミリーちゃんが左の方を指差す。ずっと向こうで土煙が上がっている? なんだろう?


「光学的な直接観測はできませんでしたが、この震動から察するに、多数の地潜りゴブリンが地表を走り回っているようです。進行ルートを予測しますと……このまま進むと、数匹の群れと遭遇する可能性が高いでしょう」


 セーラー服君の言葉に三人で顔を見合わせる。ここはどうするべきか。回避しようにも、ここには身を隠せるような遮蔽物は何もないし、逃げようにも向かってくるのは南から。北へ逃げて距離を取ると西の交易都市が遠のいてしまう。


「ここはそのまま進みましょう。ゴブリンの数匹程度ならさほどの脅威でもないか存じます」

「はい! 任せてください!」


 そのとおりだ。地潜りゴブリンは地中からの奇襲が怖いのであって、正面から戦えば草ゴブリン程度の強さしかない。どういう理由かは知らないが、地上を走っているのであればカモでしかないだろう。過剰にリスクを恐れて遠回りをする場面ではないと思い、わたしも同意する。


 進路を変えずにそのまま進む。しばらくすると、こちらに向かって猛然と走ってくる地潜りゴブリンが見えてきた。その数は三匹。手に手に武器を持って迎撃体勢を取る。


 待ち構えていると、突如地面が爆発し、一匹の地潜りゴブリンが唐突に宙に弾き飛ばされた。一体なにごと!? 立ち昇った土煙の中を注視していると、一瞬巨大な何かの姿が見える。


「セーラー服、いまの、なに?」

「接近するまで他の振動に紛れてわかりませんでしたが、地中に巨大な生物がいるようです。状況から推察するに、地潜りゴブリンを捕食する生物であり、こちらに向かってきたのはから逃げていた可能性が高いと考えられます」


 じっと観察していると土煙がやがておさまる。見えてきたのは――


 ――バリバリと地潜りゴブリンを噛み砕く、巨大な地潜りゴブリンのようなもの、だった。

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