第三十九話 この世界ゴブリンの亜種が豊富すぎるだろ

 どこまでも見渡す限り真っ平らな荒野をわたしたちは歩いている。振り返れば街が見えたのはもうとっくに前のことだ。はじめのうちは草むらを踏みつけたような獣道を歩いていたのだが、いまではそれもない。瘴気領域に向かう者など魔物狩りをする冒険者くらいのもので、まともな道を敷こうという酔狂な施政者もいないのだ。


 街を離れるにつれて……つまり、瘴気領域に近づくにつれて、植生がどんどん貧相になっている。まばらにやたらとトゲトゲした植物が生えているだけだ。あの女神モドキが瘴気が世界に満ちると生き物が全滅してしまうと言っていたことをいまさらながらに思い出す。そんな重大なことに対抗する使命をこんな三十路OLに与えようと思ったのかまったくもって理解できない。いや、ぜんぜん期待されてなさそうだったけど。


 先ほどの街までは馬車で移動していたにも関わらず、なぜこうして徒歩移動をしているのかと言えば、単純に道が悪くて馬車が使えないためだ。また、地を這う稲妻号は大食漢である。街道を往く途中は、所々に設置された駅や街で飼い葉も水もふんだんに与えられたので問題なかったが、雑草すらろくに生えていない瘴気領域に入ってはそれも望めない。


 ちなみに、駅と言っても現代日本のような電車が止まる駅ではない。この世界における駅は、馬車や旅人向けに設置された有料の休憩所のようなものだ。簡素な作りの小屋に、食料や水、飼い葉などが備えられている。領主が派遣した兵士がその見張りをしていて、それらの物資と安全を少々お高めの値段で売ってくれるというわけだ。


「ご主人、地面から不審な震動です。真正面、2メートル先」

「みんな止まって!」


 セーラー服君からの警告に全員が足を止める。釣って実物を確認しておくべきか、迂回して安全を図るべきか。ひとまず背負っていた黒い戦鎚を手に構える。ミリーちゃんも同じく槌を、サルタナさんは片手にナイフを構えて戦闘態勢に入る。迷っているうちに、目の前の地面がもごもごと盛り上がってきた。


「ピギャーーー!」

「うぎゃーーー!」


 土を跳ね飛ばしながら地面から現れたのはブタを二足で立たせて全身をしわくちゃにしたような怪物だった。全身の所々から不規則に黒い剛毛が生えている。ちなみに先ほどの叫びは前者がこの怪物のもので、後者がわたしが上げたもの。いやだって、事前に聞いてたからってキモすぎますよこれは。


「こっちにっ、くんなっ!」


 迫ってきたキモ怪物の腹を思い切り槌で殴ると、口からなにやら形容しがたい色の粘液を吐きながら吹っ飛んでいく。もんどり打って地面を転がると、素早く立ち上がってピギィピギィと悲鳴を上げながら背を向けて逃げていった。……あ、地面に潜った。速い。まるで水に飛び込むようなスムーズさで地下に消えていく。どんな原理やねん。


「うーん、地霊様の力を弱めて地面を柔らかくしてるみたいですね」

「やっぱり魔法的な何かなんだねえ」


 先ほど現れたのは地潜じもぐりゴブリンと言われるゴブリンの変異種で、その名の通り地面に潜って生活する魔物らしい。ああやって地面から飛び出して奇襲をしてくるのだそうだ。近づいてくると独特の震動があり、それがわかる手慣れた冒険者ならむしろ格好の獲物になる……と話してくれたのは昨日の酔っぱらい冒険者さんだ。つか、この世界ゴブリンの亜種が豊富すぎるだろ。


「ともあれ、やはりみさき様にかかれば問題にもならないようでございますね」


 サルタナさんが構えていたナイフを鞘に戻しながら言う。


「でも仕留められなかったなあ。なんというか、まるで馬車に敷いてあったヌルパッドを殴りつけているような感触で」

「それは興味深くございますね。もしかすると、地潜りゴブリンから取れる素材でもヌルパッドのようなものが作れるかもしれません」


 さすがサルタナさんは商魂たくましい。こんなことからも新商品のアイデアを見逃さないようだ。ちなみに地潜りゴブリンから取れる素材とは、近年ではめっきり売れなくなったという脂だ。地潜りゴブリンは豊富な皮下脂肪を蓄えており、昔はそれがこのあたりでの照明用の油として用いられていたのだ。


「胴体をいくら殴っても効果が薄そう……ミリーちゃんも気をつけてね」

「はい。弱点は眉間でしたね」


 全身をくまなく分厚い脂肪で覆われた地潜りゴブリンだが、唯一眉間だけはそれが薄く、弱点となっているそうだ。眼球の周りに脂肪をつけると視界が塞がってしまうからだろうか。でも、地中生活ってことは視力が退化してそうな気も……ま、こんなことを考えても仕方がないか。


 それにしても、初見の怪物をためらいなく殴り飛ばした上に、あまつさえ次はそれをどうやったら仕留められるかを考え出すかなんて、わたしも物騒な考えをするようになったものだ。ドワーフ村の怪物、草ゴブリン退治と経験を重ねて、ずいぶんと荒事に慣れてきてしまったらしい。あっ、もしかしてセーラー服のやつ、黙って脳内麻薬いじってるんじゃないだろうな……。


 そんなとりとめもないことを考えつつ、わたしたちは荒野を進む。さらに二度ほど地潜りゴブリンに遭遇したが、一匹はわたしがまた仕留め損ね、もう一匹はミリーちゃんが見事に仕留めた。眉間なんてそんなピンポイントの急所に当てられんて。やはり槌の扱いではミリーちゃんに一日の長がある。


 仕留めた地潜りゴブリンも素材は取らずに放置である。先を急ぐ旅だから解体に時間なんてかけてられないし、大きな稼ぎになるわけでもない。誰か他の冒険者が見つけることがあればラッキーというものだろう。見知らぬ誰かさんよ、おめでとう。誰にも見つからずに朽ちていく可能性の方が高い気はするけれど。


 北の方角からどおんどおんと雷鳴が轟いてきた。この世界では、南の方角、すなわち「すべてが燃え尽きる地の果て」は常に赤くぼんやりと光っているため、方向音痴のわたしでも方角を見失うことがない。なお、「すべてが燃え尽きる」というのは比喩ではなく、常に大地が消えない炎で包まれ、燃え続けているそうなのだ。アマゾン森林火災とかそういうレベルではない。


「魔物に足止めをされることもほとんどございませんでしたし、今日はこのあたりで野営すると致しましょう」


 そしていよいよ、わたしの異世界初野営がスタートするのである。

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