第三十八話 お金にならない研究なんて、そうそう手を出したがる人は多くない

「瘴気領域とは何か……でございますか。改めて尋ねられると難しい質問ですね」

「ンな難しいことはねえだろうよ。どこまで行っても不毛で、たまに魔物が現れる。軽い気持ちで近づくと大やけどするってだけおぼえときゃあ不自由はねえよ」


 サルタナさんと酔っぱらいの反応が対照的だ。普通に暮らしていくだけなら、たしかに酔っぱらいの言うことが正しいのだろう。だが、わたしたちはこれからその瘴気領域を突っ切らなければならないのだ。


「わたくしは専門外でしたので詳しくは存じませんが、魔術師からは汚れた魔素が溜まった地、神学の立場からは遥か古代に倒れた邪神の呪いの残滓……などと言われているようでございます」


 そういえばサルタナさんは、緑の魔王によって滅んだという皇都で勉強していたインテリだった。瘴気領域というのは人類社会の大敵らしいし、研究が進んでいて当然だろう。


「しかし、まだまだ不明なことばかりではっきりしたことは何もわからない……というのが実情のようでございますね。調査には危険も伴いますし、直接の利益が見込める研究でもありませんから。予算もあまりなかったようでございます」


 ありゃま、あっさり肩透かしだ。思い返してみれば、地球でも温暖化やら環境汚染の研究が進んだのはごく近年に入ってからのことだった。危ない上にお金にならない研究なんて、そうそう手を出したがる人は多くないのだろう。


 あの女神モドキから「使命」なるものを授かってしまっているので真正面から向き合わざるを得ないが、それさえなければわたしだって無関心を貫いたんじゃないかと思う。


「おう、ねえちゃんの言うとおりだ。瘴気を吸うだけで寿命が縮まるっつうし、畑も作れねえ。どこの領主様だって瘴気領域になんざ興味ねえだろうよ」


 おれらみたいな冒険者は別だがな、と酔っぱらいがやけくそ気味に笑う。


 瘴気というのはドワーフ村にあの怪物が現れたときの異臭のことだろう。たしかに、あんなものを吸い続けていたら寿命が縮まっても不思議はない気がする。


「このあたりに出る魔物はお金にならないんですか?」

「このへんのゴブリンはなあ、魔石ぐらいしか売れる素材が取れねえんだよ。よーく脂がついてるから昔はそれが売れたんだが……いまじゃもっぱらアレだからな」


 と、酔っぱらいが向けた視線の先には酒場の照明がある。あれも光輝石とか言うもので光っているのだろう。この画期的照明器具は、ニワトリプチハーピー農家だけでなく、冒険者の仕事にまで影響を及ぼしていたようだ。新技術がもたらす社会への影響とは功罪両面を併せ持つものである。


 一応魔石は取れるものの、魔物狩りというのは産業として重要というほどのものではないらしい。麓の街で退治した草ゴブリンのことを思い出す。あれは狩ったところで直接的には一円にもならず、単なる害獣駆除だった。まあ、この世界で何をしようと日本円は稼げないのだけれど。


 そこからしばらくは酔っぱらいの愚痴が続いた。皇都が滅んでからめっきり景気が悪くなっただの、愛用の剣がついに折れてしまっただの、とくに実にもならない話が垂れ流される。


 それでもサルタナさんは適宜合いの手を入れ、時に酒を注いでいる。瘴気領域の周辺に現れる魔物や、地形などについての情報を聞き出しているのだ。たしかに、つい最近瘴気領域に行ったというのなら一級の情報源だろう。


 相手が女だからということで口が軽くなっているだけかもしれないが、意外なほど素直に色々な情報を教えてくれる。日本で触れてきた創作の影響で冒険者イコールヒャッハーな荒くれ者、というイメージがついていたがわたしの偏見だったようだ。


 冷静に考えれば、そんな社会性皆無な人間に依頼は集まらないだろう。日本の職業に当てはめるなら、フリーランスのなんでも屋ってところがこの世界における冒険者の在り様なのかもしれない。


「お、見てみろよ。もう十も数えたら北の雷鳴が聞こえる頃だぜ」


 少し話が途切れたところで、酔っぱらいが左腕を差し出してきて時計をアピールしてきた。秒針が少し進んだところで北の方角からぐおんぐおんと地面をゆっくり揺らすような轟音が聞こえてくる。北の雷鳴だ。


 ちなみに、この雷鳴に伴う稲光は存在しない。ただものすごい音だけが聞こえるのである。サルタナさんからのまた聞きになるが、学者たちの間では精霊が相争う音であるとか、古代にあった神々の合戦の残響がいまだに轟いているのだとか、無数の説があって有力な定説はないらしい。原因がいずれにしても、地球の常識が通用しないびっくり現象であることに違いはないが。


 酔っ払いは冒険者仲間にも腕時計を見せびらかしているが、反応は淡白だ。雷鳴が聞こえる時刻はこの世界の人間なら体感的になんとなくわかっているのである。空は一年中ほぼ変わらない明るさだし、季節の移り変わりも存在しないこの世界では、時間というものに対するプライオリティが極めて低いようなのだった。


「まあ、本当に北の雷鳴が響きましたねえ。素晴らしい道具でございますわ」


 そう言ってにっこり微笑むのはサルタナさんだ。大人の対応である。酔っぱらいもこれには思わず頬をほころばした。


「ああ、ぼちぼち寝台に入る時間だな。ええ、ねえちゃん、独り寝が寂しかったら……」

「そろそろ仲間が宿に戻る時間でございますね。今日は大変有意義な時間を過ごすことができまして、たいへんに感謝いたしますわ。それでは、また機会がございましたら」


 酔っぱらいの言葉を遮り、いくらかのお金をテーブルに置くとわたしたちを促してさっさと店を出てしまった。同い年だけれど、大人の女の貫禄がある。やはり商人ともなると、こんな風に行く先々の酒場で情報を収拾したりするものなんだろう。


 宿へ向かう途中に、サルタナさんがふっと肩を落とし、深いため息をつく。どうしたんだろう。思った以上に瘴気領域の攻略が難しそうだった……とか?


「いやはや、見知らぬ男性に声をかけるというのは緊張するものでございますね。やり慣れないことはするものではないようです」


 うおーい! あれで慣れてなかったら慣れたら一体どうなっちゃうんだよ!? コミュ力お化けか、この人は。


 そんなこんなで、わたしの中のサルタナさんへのハリウッド女優ポイントがまた一点追加されたのだった。

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