第三十六話 徹頭徹尾ヌルヌルした感じの製品

「もぐもぐ……ああ、やっぱり普通のパンはおいしいですねえ……もぐもぐ」


 サルタナさん自慢の巨馬、地を這う稲妻号に牽かれること三日。わたしたちはひとまずの目的地である街に着き、酒場で食事を摂っていた。普通の馬車でも一日走ればいまは滅んだ皇都に着くという位置にある街だ。わたしたちが突っ切ろうという瘴気領域はこの街の北西に拡がっている。


 先ほどからミリーちゃんがもぐもぐしているのはいわゆる普通のパンである。大人の男のこぶしくらいの大きさで、表面にほどよい焼き目が付いている。日本で食べたパンに比べればそれでもまだ固いが、「あーそうそう。パンってこういうものだよねえ」というレベルのしっとりふわふわ感がある。


 ちぎってみると断面に黒いつぶつぶが見え、口に放り込むと小麦の味と香りがしっかり口の中に広がる。材料は全粒粉ってやつかな? バターや砂糖などは使っていないようで淡白な味わいだが、これをスープに付けて食べると主食としてちょうどよい。そうそう、こういうのでいいんだよ。


 酒場の壁には料理の名前が書かれたメニュー表が張り出されており、客たちは給仕を呼んでは様々な料理を注文している。麓の街の領主の権限もこの街までは及んでいないようで、ここではなんでもかんでも保存食にするような蛮行は行われず、自由に料理ができるようである。ミリーちゃんの反応を見るに、「石パンしか作っちゃダメだぞ」令が施行される以前にはドワーフ村でもパンが食べられていたようだ。


「えっと、この街に丸一日滞在して、次の次の東の雷鳴の刻に街を出るんだっけ?」

「はい、そのとおりでございます。陽陰が入れ替わるのは三日後のこと。一日も歩ければ瘴気領域のほとりに着き、ちょうどそのころに天が灰色に染まりはじめるでしょう」


 わたしの質問に答えたのはサルタナさんだ。日程を聞けば、たしかにぎりぎりのタイミングだったことがわかる。サルタナさんが主張した通り、凄まじい速度で進むわたしたちの馬車を襲撃してくる魔物も野盗もおらず、ここまでは目立ったトラブルもなく旅を進められている。


 よくある馬車の振動のせいでお尻や腰が痛くなった……ということもない。高速移動を前提として作られたあの馬車は内装にも十分な予算がかけられており、座席には衝撃吸収パッドのようなものが備えられつけられていたのだ。


 なんでも、ヌルパッドという数年前にどこかの冒険者が開発した新素材だそうで、ヌルゴブリンというヌルヌルしたゴブリンの亜種の分泌液を乾燥させて作り出されたのだそうだ。開発者した冒険者の名前はヌルハゲ。徹頭徹尾ヌルヌルした感じの製品だが、触っても別にヌルヌルはしない。布で覆われていたので、直接触ったら違うのかも知れないが。


「みさきさん、みさきさん、次はあれを食べてみませんか?」


 すっかり食事に夢中のミリーちゃんが指差すのは、隣の席の男が食べている皿だった。一口大で、白いしっとりした生地の中に何やら具材が詰められた料理のようだ。見た目の印象では水餃子か蒸し餃子に近い。ふむ、たしかに気になる。が……


「サルタナさん、まだ食べれます……? じゃなかった、食べれる?」

「わたしくのことはどうぞお気になさらず。護衛が空腹で力が発揮できなかったとなれば本末転倒です。どうかお好きなだけご注文くださいませ」


 サルタナさんは敬語をやめるようにわたしたちに言っていた。せっかくの女子三人という旅なのに、余計な気遣いがあっては楽しめないとのこと。いや、これは観光旅行じゃなく仕事なんだけどさ……。


 サルタナさんもずっとデスクワークで気が詰まっていたのだろう。日本での仕事のことを思い出し、なんとなく共感する。出張を嫌がる人も多かったが、わたしは出張を大いに楽しむ派だった。なお、サルタナさんはございます口調がもう身に染み付いてしまっているそうで、そのままの調子で話させてくれとのことだ。


 そういうことなら遠慮なく……と給仕を呼び、追加注文をする。ついでにおすすめがあるかと尋ねると、あの水餃子的なものを火にかけず、生野菜をくるんだ料理もあるそうなのでそれも頼んだ。生春巻的なものかな? ちょっとわくわく。


「ヒャーハハァ! いいぞ、この店で一番高けぇ酒をじゃんじゃん持ってこい!」


 奥の方で酔っ払いがひとり騒いでいる。革鎧を身に着けているし、冒険者的な職業だろうか。実入りのいい魔物でも狩れたのか、上機嫌で高い料理や酒を注文している。あ、ミリーちゃん。視線を向けちゃいけません。関わり合いになると面倒な輩ですよあれは……と思ったわたしの目が、酔っぱらいが左腕に巻いているものに引き寄せられる。


 は? え? なんで? そんなものこっちに来てから見たことないんだけど?


「だからよぉ。やっぱ他の連中が行かねえようなとこじゃねえと、は引けねえわけよ。おう、なんだ? 酒が足りねえってか。てめぇらかまわねえから好きなだけ注文しやがれ!」


 酔っ払いの周りを囲んでいるのは同じく薄汚れた装備に身を包んだ冒険者風の男たちだった。うわー、すっごい気になる。すっごい気になるけど近寄りたくないなあ。どうしようかなあ……。


「みさき様、あちらの集団がお気になるのですか?」


 わたしがちらちらと酔っ払いたちに視線をやっているのに気がついたサルタナさんが声をかけてくる。


「あっ、えー、はい。あの酔っぱらいが腕に巻いているものがちょっと気になって……」


 サルタナさんが目を細めて酔っ払いの方を見る。


「ほう……なんでしょうね、あれは。腕輪にしては見たことのない形ですが、かなり精緻な細工が施されているように見えます。素材はわかりませんが、あのような無頼が身につけているのは不自然ですね」


 サルタナさんはすっと席を立ち、酔っ払いの方へ向かってしまった。片手にはまだ中身がたっぷり入った酒瓶を持っている。え、ちょ、急にどうしたの? 何するの?


「突然失礼いたします、勇ましき冒険者の皆様方。あちらで少々耳に入ったのですが、どうやら随分な冒険をなさってきた様子。どうか、この旅の女に皆様の武勇伝をお聞かせいただけないでしょうか」


 そう言うと、間髪入れずに酔っ払いの杯に酒を注ぐ。


「おおう、こりゃべっぴんだなあ。そうかい、そうかい、そんなにおれの話が聞きてえか!」

「違げぇよ馬鹿! 鏡見てからほざきやがれ! この姉ちゃんはおれの話を聞きに来たんだよ!」

「おめえらが向かい合えば鏡なんざ要らねえよ。おれの話を聞きに来たに決まってら。なあ?」

「ふふふ、はい、ぜひ皆様のお話をお聞かせいただけましたら」


 おわー、すごい。あっという間に溶け込んじゃったよ。これがあれか、噂に聞く逆ナンってやつか。


「旅の連れもおりますので、ご一緒させていただいても?」

「おう、かまわねえよ。ここの払いもおれがぜんぶやってやらあ」


 サルタナさんはこちらに手招きをしてくる。あー、あの集団に入るのはちょっと抵抗あるなあ。でもアレが気になるのは否めないなあ。まあ、人目もあるしいざとなれば大声でも出せばいいだろう。勇気を出して向かってみることにしよう。


 わたしにしても、あの男が身につけているが気になって仕方がないのだ。


 ちなみに、ミリーちゃんは酔っ払いたちの卓上にあるまだ味わっていない料理に惹かれてとっくに席を立っていた。そのうち悪い大人に誘拐されそうで危機感をおぼえざるを得ない。

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