第三十二話 お嬢ちゃんも生卵を食べたことがあるんだねえ

 農家の居間に通され、テーブルを囲んで座る。この依頼主は村長的な存在で、おうちもそこそこ大きいらしい。4人が座っても、まだまだ椅子が余っている。


「作るのにちぃっとばっかしかかるからなあ。まずはこいつでも食っててくれ」


 籐細工のような籠に入って置かれたのは茹で卵だ。これならこの世界に来てからも何回か口にしているので、どうもありがたみがない。そんな微妙な反応を見て取られたのか、おじさんが付け加える。


「街には茹でてからもってくからよう、どうしたって臭くなっちまうんだ。これはさっき茹でたばっかりのもんだから、ぜんぜん味が違うんだぜ」


 そこまで言うなら……ということでコンコンとテーブルの端で殻を割って剥く。見た目には差を感じないが、料理というのは結局味だ。とくに過剰な期待を抱くこともなく一口いただく。


 ふむ、たしかに嫌な匂いがない。ドワーフ村で食べた茹で卵には硫黄のような匂いが若干あり、ぶっちゃけそれほどおいしくなかった。買い出しの直後でなければ食べられないものとして村のみんなにも一応の人気はあったが、臭みを嫌って一切手を付けない人もいた。申し訳ないが、感動するほどのものではないけれど、美味いことは美味い。日本の食べ物に例えるなら、The・茹で卵である。そのまんまか。


「おいしいですねえ、これ。村で食べる卵はこんなにおいしく感じなかったですけど、これならいくらでも食べられちゃいそうです」

「うれしいことを言ってくれるねえ、お嬢ちゃん。だけどまだ後があるからな。土産にも持たせてやるからそう詰め込まなくていいぜ。北の雷鳴の頃までに食っちまえば味は変わらねえぜ」


 次々に殻を剥き、喜んで食べているのはミリーちゃんだ。おじさんが頬を緩めておいしそうに食べる様子を見ている。北の雷鳴の頃……というと、寝る前までに食べればよいということだ。どうしても味の判定が日本基準になってしまうわたしより、ミリーちゃんの反応の方が当てになるだろう。お土産に持って帰れば買い出し班のみんなが喜んでくれそうだ。


「茹でたての卵ははじめて食ったな。なかなか悪くねえ」

「街では手に入りませんからね。領主様も街で茹でて売ることを許してくださればよいものを」


 あ、ローガンさんもサルタナさんももぐもぐしてる。この世界基準ではやはり十分に美食判定のようだ。日本の食に慣れた自分を基準にすると色々間違えそうだな……。気をつけよう。


「はーい、まちどお。次はこっちを食べてみなよ」


 大皿を持ってやってきたのは奥さんだ。テーブルに置かれたさらに載っているものを見ると、うーむ、目玉焼きですな。いっぺんに焼いてるからつながっているけれど、10個ほどの黄色い目玉が鎮座ましましておられる。


 こっちに来てから卵料理と言えば茹で卵か、それを潰してなんちゃってタルタルソース風にしたものしか食べていない。懐かしさを覚えつつ、小皿に取り分けてから頂戴する。ふむー、片面焼きだけれど黄身まで完全に火が通っておりますな。個人的には黄身はとろける半熟くらいが好みなんだけれど……。


 味付けはシンプルな塩コショウ。カリカリの焼き面が香ばしい。かなり油をたっぷり使って揚げ焼きにしたのかな。油自体にも旨味がある。鶏油で焼いたんだろうか。


「よくわかったなあ、お嬢ちゃん。プチハーピー人面鶏を捌いたときにいらねえ脂が出るから、そいつを煮出したやつで焼いてんだ」


 やめて、いま必死に脳内変換して鶏にしたんだからやめて。タマゴカエセって喚く怪生物のことを思い出させないで。


「光輝石が当たり前になってからは、灯し油ともしあぶらの引き合いはほとんどございませんからねえ」

「ああ、嬢ちゃんが料理に使い出すまではうちの村でも捨てちまってたからな」

「みさきさんのアヒージョは本当に最高ですよ!」

「へえ、ドワーフさん方でも鶏油を食ってんのかい。こんなのはうちらみたいな百姓だけがやってると思ってたがなあ」


 おじさんによると、農家では昔から鶏油を使った料理を作っていたそうだ。照明用の油の需要が高まってからは食べずに売ることが増えたそうだが、最近はまた料理に使うことが増えたとのこと。「光輝石」というのは何十年も光り続ける照明器具で、これが現れてから鶏油の需要が急減したそうだ。


 光輝石はあまりに長持ち過ぎたため、需要が一巡するとほとんど売れなくなり、これを扱って急成長した商会もいまでは細々と商売を続けているだけなのだそうだ。商売とは実に難しいものである。


 みんなで目玉焼きをつつきつつそんな雑談をしていると、奥さんが最後の料理を持ってきてくれた。見た目は円形に焼き固められた卵焼きといったところだろうか。


 格子状に包丁が入れられたそれをひとつ口の中へと放り込む。おや、色々と野菜が入ってるな。複雑な歯ごたえがして噛んでいて楽しい。ジャガイモこそ入っていないが、スパニッシュオムレツを連想するな。切り方は関西お好み焼きスタイルだったけど。


 ミリーちゃんをはじめ、同行の面々はじつにおいしそうに味わっているが……地球の卵料理の数々を知っている自分としては満足しきれない。失礼かもと思いつつ、勇気を出して言ってみる。


「あの、どれもすっごくおいしいんですが、もっとこう……半熟というか、卵のトロッとした感じを残したらどうでしょう?」

「あー、お嬢ちゃんも生卵を食べたことがあるんだねえ。どうしてもって言われりゃ考えるが、間違いなく腹を壊すようなものを他人に食わせるのはねえ……」


 おじさんによると、ちゃんと火を通していない卵は最低丸一日はトイレと友だちになることを約束された料理なのだそうだ。サルモネラ菌中毒というやつだろうか? 地球でも清潔な卵を使わないと中毒になる可能性があり、卵の生食が可能なのは日本をはじめとするわずかな国だけだと聞いた記憶がある。


「卵をよく洗ったりしてもダメなんですか?」

「何をしたってダメだねえ。偉い学者さんたちがよく洗えば食えるはずだって色々試したって話だけど、結局何をどうやったってダメだってことになったって聞いたよ」


 では、なんでおじさんが生卵や半熟卵が美味しいのかを知っているかというと、プチハーピーを飼っている農家ならば一度は通る道らしい。調理ミスで火が通らないこともあるが、一度味を知ってしまうと腹を壊すことも覚悟で食べてしまう者がいるほどなのだそうだ。日本でも、おむつをしてまで食べたいと言われるバラムツという魚がいたらしいが、それほどの美味なのだろうか。


 しかし、この世界の学者が寄ってたかって試しても生食不可能とあってはわたしとしてもお手上げである。地球であれば卵による食中毒といえばサルモネラ菌であったけれど、そもそもまったく違う生き物の卵なのだ。根本的に原因が違う可能性も高いだろう。熱変性する前のタンパク質自体が毒性を持っているのかもしれない。


 何しろここは太陽の数も多ければ、闇を放射する謎の天体もあり、おまけに地域によって重力まで異なるような世界なのだ。先ほどの茹で卵への感想と同様に、自分の常識に当てはめないほうが賢明だろう。


 一応、しっかり火を通す料理のアイデアとしては茶碗蒸しやプリンなどが思いつきはしたが、その調理法でこの世界の卵の毒性が無くせるかはわからない。余計なことを言って農家のおじさんたちが食中毒になっては大問題だ。


 日本で味わった卵料理の数々が遠のくのは非常に残念ではあるが、ここは断腸の思いで口をつぐむことにする。

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