第二十九話 草が詰まった頭で人間様を出し抜こうなど数億年早い

 視界いっぱいに広がる緑の草むら。その中を駆け回る二人の少女。このシーンだけを切り取れば、極めて穏やかな農村のある日の一風景、といったところであろう。少女と言いつつ、二人とも三十路だけど。


「ミリーちゃーん。そっち一匹行ったよー」

「はい! みさきさん!」


 ニホンザルの全身を青草で覆ったような異形がミリーちゃんの方へ駆けていく。ミリーちゃんが手にした槌ですれ違いざまに胴に一撃を叩き込むと、進行方向とは真逆に吹き飛ばされてゴロゴロと転がり沈黙。うーん、お見事。撲殺天使ミリーちゃんの称号を授けよう。


 なぜミリーちゃんも一緒に「試し」を受けているのかと言えば、「村の危機を救おうとみさきさんが動いてくれようとしているのに、私たち自身が何もしないのは氏族の名折れです!」と助太刀を買って出てくれたのだ。ありがてえ……。ローガンさんが反対するかと思ったけれど、意外なことにあっさり承諾してくれた。


 なお例によってカガ君貧乳フェチも必死にアピールしていたが、わたしがものすごく嫌そうな顔をしているのを察した陶器班の先輩がみぞおちに拳を打ち込んで気絶させていた。ありがとう、陶器班パイセン。


 目の前の草むらがガサガサと動く。おっと、わたしもサボってる場合じゃない。黒い戦鎚を草に紛れているゴブリンの頭に向かってボカンと振り下ろす。沈黙。一打必殺。楽勝である。ドワーフ村での戦闘訓練で教わったので、戦鎚の扱いもいまや手慣れたものだ。


 いまわたしたちが相手をしているのは農村から駆除依頼のあったゴブリンだ。正確には草ゴブリンである。全身に青草のような体毛をもっさもっさと生やし、まだ直接目にはしていないが皮膚も樹皮のようで、このような草地での擬態に特化しているらしい。岩ゴブリンといい、この世界のゴブリンには変異種しかいないのか。っていうか生物学的な共通性が薄いようにしか見えんぞ。


 人目に隠れて野菜や鶏のような家畜プチハーピーを盗む農家の大敵であり、見つけ次第駆除するのが農家の習わしだそう。戦闘能力は低いので、大人の男が農具でガツンとやれば十分に退治できるのだが、少し規模が大きな群れがやってくるとそう簡単に行かない。草むらに隠れた草ゴブリンに一斉に石を投げつけられ、大怪我を負ったり当たりどころが悪くて死んでしまう、という事故も時々あるらしい。


 そんなわけで、自分たちで対応するのはちょっと危ないなあ……怖いなあ……というときに便利に駆り出されるのが我らが仮の姿である冒険者である。要するに命が安いわけだ。


 おっと、また一匹。おりゃっ。見た目も殴った感触も植物そのものだから罪悪感が少なくていいな。つい先日死闘を繰り広げたばかりのわたしではあるけれど、あれは脳内麻薬ドバドバでテンパりまくった状況だからこそできたこと。余裕のある状況で、動物を良心の気兼ねなくぶん殴れるほどわたしの肝は座っていない。これがもし、ニホンザルの駆除依頼だったら高確率で「いやいやいやいや、無理っす」となっていただろう。


「さすがの手際でございますね」

「だから言ったろうよ。あんなのは炉に火を入れる前に片付いちまうよ」


 とは、サルタナさんとローガンさんの会話。実力を見るためにお目付け役を同行させるとは聞いていたが、まさかサルタナさんが来るとは思っていなかった。従業員がキビキビ従っていたので相当偉い立場だと思っていたのだけれど。


 疑問に思って聞いてみたら、サルタナさんはあくまで商会店主の名代であって、当代であるサルタナさんのお父さんの代理ということらしい。なるほど、次期社長であり社長令嬢だったのか。そりゃ従業員のみなさんも素直に従いますわな。


 下の者には任せられないほど、西の交易都市への交易路再開は商会的に重要マターだった、ということなのだろう。なお、「炉に火を入れる前」というのは「朝飯前」的な意味合いのドワーフ的慣用句である。


 草ゴブリンも残り数匹だ。わたしとミリーちゃん、サルタナさんと一緒に歩いているローガンさんで三方を囲み、村の外柵に追い詰めているので逃げ場はない。こんな簡単なお仕事で食っていけるのなら冒険者というのも悪くないかも。


「ふむ、そろそろパワーアシストを切ってみましょうか」

「はい?」


 セーラー服君がいきなりとんでもないことを言う。わたしの本体は体力平均以下の三十路OLに過ぎないのだよ? 君という外付けチートがないとナメクジ以下の戦闘力しかないんだからね!?


 わたしの静止は聞き入られることなく、プチッとパワーアシストがオフに切り替わった音がする。うっわ……まずいよ、まずいよこれ。チョロいクエストだと思ってたのがいきなり超高難度になってますよねこれ。


 予想外の事態に冷や汗がぶわっと吹き出るが、覚悟していた体の重みは襲ってこない。むしろ体が軽い……? なんじゃこりゃ??


天突あめつく岩で暮らしていた頃から徐々にパワーアシストのレベルを落とし、ご主人の体を鍛えていました。村を出た後は重力が軽くなりますので、逆に体に負荷をかけ、鈍らないよう配慮をしていた次第です」


 うっわー、こいつ黙って某戦闘民族がするような肉体鍛錬をわたしに強要してたのか。ずっと筋肉痛が続いてるし、平地に降りても体が軽くなった気がしないから変だなーとは思っていたけれど、犯人は貴様だったのか!


「それよりご主人。ぼんやりとしていると逃げられますよ。素の身体能力を計測する良い機会ですので、遠慮なく全力で試してみてください」


 言われなくても油断なんかするかー! いやさっきめっちゃしてたけど。逆に負荷をかけていたんだ、と種明かしをされてもパワーアシストに頼りきりだったわたし的には不安が拭いきれない。草ゴブリンに蹂躙された後、「自分が強くなったと思った? ざんねーん、ゴブリン苗床ルートでしたー」なんて、ぷーくすくすされる可能性も否定しきれない。


 じりじりと逃げ場を探す草ゴブリンに向かって、鍛冶班の親方がプレゼントしてくれた黒いハンマーを握り直す。わたしの身長や体重を考慮して調整されたオーダーメイドの一品だ。ローガンさんがくれたミスリルの槌は布にくるんで背中に担いでいる。


 昨日、サルタナさんの商会から引き上げた後にローガンさんに返そうとしたら「ミリーの命と釣り合わせようと思ったらこれでも足りねえんだよ」と断られてしまった。そのあと、返す返さないで押し合いへし合いをした後、最終的に「借りる」という形式にすることで落ち着いた。無くそうが壊そうが売っ払おうがかまわない、というほとんど譲渡のような貸借契約であるが。


 草ゴブリンが左にぴくっと動く。わたしもそれに釣られたとぴくっと反応する。そして予想通り右脇を抜けようとしてきたのでハンマーで足を引っ掛け、無様に転んだところで後頭部にトドメの一撃。ふははは、草が詰まった頭で人間様を出し抜こうなど数億年早いのだよ、進化系統的に考えて。


 セーラー服君による孔明の罠は用意されていなかったようだ。普通にパワーアシストを切る前より身体が素早く動いてくれた。槌を振るう速度が増しすぎてちょっと身体が持っていかれそうになったけれど、背中のミスリル槌がよいカウンターウエイトになってくれた。


 顔を上げるとミリーちゃんがもう一匹を仕留めているところだった。たしか残るはあと一匹。どこに向かったのかと探してみると、あっ、ローガンさんの方に駆けている。まさか一番強そうなローガンさんの方向に活路を見出すとは。


 ローガンさんについてはまったく心配していないが、本番の交易路探索では護衛対象となる商会の人間が同行するはずだ。今回の依頼ではサルタナさんを護衛対象と見立ててもいいだろう。護衛としての立ち回りも含めての「試し」だとしたら失格にされかねない。慌てて最後の草ゴブリンの背中を追う。くそっ、間に合わないならハンマーを投げつけるか!?


 草ゴブリンがローガンさんたちまで十数歩まで近づいたとき、サルタナさんがさっと左手を上げた。なんだ? 何かを投げた? 疑問に思うまもなく、突如として吹き上がった炎に包まれた草ゴブリンがもんどり打って地面を転がる。何をしたかはわからないが、サルタナさんが仕留めたのは間違いないだろう。


 うわー、まずった。護衛対象に直接手を下させちまったよ。げへへ、こいつは失礼を。大丈夫ですか? お怪我はございませんかね? とも揉み手をしながらサルタナさんへ近づいていくと、


「ご心配は無用ですわ。この程度の自衛は商人の嗜みでございます」


 と青い前髪をさらりと撫でた。


 わーぉ。かっけー。ハリウッドアクション女優みたい。

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