第二十八話 時間というものは地球人類社会における大いなる共同幻想

 さて、腹も満ちたし、いよいよ冒険者ギルドに出発だ! なんてことにはならない。


 ローガンさんが席を立ち、店の奥の壁に向かっていく。そこに無数の張り紙があるのだ。張り紙の内容は「裏庭の雑草を抜く手伝いをお願いします」とか「ペットが迷子です。見つけた方には謝礼差し上げます」みたいなものが中心だ。要するに、雑用である。人が集まる飲食店にこうした張り紙をして、その日暮らしの労働者を募集しているというわけなのだ。


 文字が読めない者も多く、給仕にチップを払って手頃な依頼を探してもらうことも多いそうだ。そしてわたしもその文字が読めないものの一員であるが、セーラー服君が視界に投影してくれる翻訳済みの日本語があるので問題はない。


 その日雇い労働者が通称「冒険者」である。現地語を直訳すると「危険を冒してもなお栄光を求める者」といった意味合いの言葉らしい。なんでも昔に大出世した元冒険者が「日雇い英雄」というあだ名を付けられたのを嫌い、私財を投じて新しい名称を広めるべく一大キャンペーンを張ったそうなのだ。まったく、暇な英雄もいたものである。


 店としては、張り紙の存在は一応客寄せになるし、付き合いもあるので手数料も取らずにやっているが、直接収入にならないので内容にはほぼ関知しないとのこと。これは勝手に貼られたもので、当店には関係ございません、というスタンスなわけだ。「13歳以下の女性限定。住み込みでできる簡単なお仕事。高収入保証!」みたいな怪しいものはさすがに断るそうだが。誰だよその依頼をしたやつは。いますぐ街から追い出した方がいいぞ。


 ローガンさんが張り紙のうち一枚を手に取る。繰り返し貼って剥がせる糊みたいなものでくっついていたのか、壁も紙も綺麗なままだ。地球では二十世紀に入ってからの発明だったと記憶しているけれど、こちらの世界でも似たようなものがすでに発明されているらしい。


 ちなみにローガンさんたちも文字は読める。ドワーフの赤ちゃんは人間に比べるとごく短い妊娠期間で出産され、父母のお腹の袋の中での生活に移行するので、袋から出ないうちに簡単な文字が読める程度までは教育を済ませてしまう。有袋類的な生態を活かしたメリットだと言えるだろう。胎教ならぬ、袋教だ。


「こいつがちょうどいいな。このへんに出るやつなら岩ゴブリンよりずっと弱ぇから嬢ちゃんなら楽勝だし、ミリーにもちょうどいい相手だろう」


 ローガンさんが剥がしたのは「畑の近くに出たゴブリンの駆除をお願いします」というものだった。場所は街から少し離れた農村。普通、数匹のゴブリンが現れた程度なら農家自身が駆除してしまうが、手に負えない数が沸いてくるとこのように依頼をするのだそうだ。


 害獣駆除は行政の役割だと思うのだけれども、領主府に陳情するととにかく面倒らしい。現れたゴブリンの数はどれくらいで、放置した場合の期間ごとの想定被害額がどれくらいで、さらにその見積もりの根拠は……といった具合で、陳情書を書く気も失せるレベルだそう。


 また、陳情書を提出しても承認されるとは限らず、承認されても今度は領兵が送られてくるまでにさらに時間がかかる、来たら来たで宿舎やら歓待の準備をしなければならないし……ということで、まるで陳情を断るための仕組みになっている。いや、実際そうなのだろう。多少冷たくあしらっても農村が壊滅するわけでなし、自腹で対応できるうちは自分たちで解決してもらいたいという意図が透けて見える。


 そんな領主の悪どいやり口にとくに義憤を感じるわけでもなく、わたしは「ゴブリン退治かー。いよいよ王道ファンタジーきたなー」とか考えていた。想像だけれど、被害額を報告したがらないのは農村側も税逃れの隠田的なものを持っているからなんだろう。そこから得た無税収入を冒険者を雇うのに充てているのだとしたら、トータルでは領主と農村のどっちが損をしているのがわからない。


 ローガンさんが依頼書を差し出して給仕のお姉さんに尋ねる。


「姉ちゃんよ、この村は街からどれくらいのところにあるんだい?」

「そうさねえ。行って帰ってくるだけなら、南の雷鳴が聞こえるまでには余裕で戻ってこれるんじゃないかね」


 この世界の時刻の基準となっている雷鳴が轟く順番は東南西北。間隔は体感で6時間ごとくらいだ。東の雷鳴の後に宿を出てこの店に来たから……片道2時間やそこらってところだろうか。この世界のアバウトな時間感覚にはいまだに慣れん。


 セーラー服君に確認すれば地球時刻換算で次の雷鳴まで何時間何分何秒とはっきり教えてくれるのだが、わたしひとりだけが正確な時間を把握していても何の役にも立たない。「2時間後に集合ね!」なんて言っても、その時間を計る手段をわたししか持ち合わせていないのだ。時間というものは地球人類社会における大いなる共同幻想のひとつだったのだなあと実感させられる。


「簡単な依頼だが、ゴブリンを探すのに手間取ると時間がかかっちまうかもしれねえ。とっととサルタナの店に寄って、依頼の村まで向かっちまおう」


 そう、なぜ突然異世界ファンタジーテンプレな冒険者まがいのことをはじめようと思ったのかといえば、これがサルタナさんに課された「試し」なのである。模擬戦でも武術の腕前はわかるが、対人か人外か、整地された訓練場か予想外の地形だらけの屋外かで発揮できる力は大きく異なる、という理屈。


 地球でも、リングで最強を誇ったプロレスラーがチンピラに刺されて死んでしまったこともあるのだ。サルタナさんの懸念もごもっともだろう。


 わたしとローガンさん、ミリーちゃんは依頼書を持ってサルタナさんの商会へと向かった。なお、他のメンバーは買い出し担当である。カガ君貧乳フェチがひとり、わたしたちに同行しようと必死にアピールしていたが無視をした。

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