閑話1 いよいよお待ちかねのお風呂回である

 さて、いよいよお待ちかねのお風呂回である。


 誰に言っているかは自分でもよくわからない。しかし、誰かが待っているような気がしていたので言ってみた。誰もいない通学路で突然立ち止まり、「そこにいるのはわかっているぞ……」とつぶやく病気みたいなものである。なお、これが後ろを歩いていた同級生にたまたま聞かれてしまい、背後に立つと問答無用で裏拳でぶん殴られるらしいぞ……という不名誉な噂が流れたのは青春の甘酸っぱい1ページだ。忘れよう。


 身を清潔に保つのは多くの生物において共通の習性である。皮膚に溜まった老廃物を落とし、寄生虫や病原菌を洗い流すのはどんな生き物であっても生存戦略上有効だということなんだろう。カラスも行水くらいはするし、ハエですら両手をゴシゴシとすり合わせる。そして当然のことながら、ドワーフも入浴という文化を持つ。


 ドワーフの風呂はでかい。大広間の四分の一ほどの大きさのスペースがくり抜かれ、そこが浴場となっている。ドーム球場の四分の一サイズの大浴場だ。その半分ほどが洗い場で、残り半分が浴槽となっている。


 浴槽の深さはドワーフが座って入って肩が浸かるか浸からない程度。地霊様の力によって温泉が常に注ぎ込まれている、日本で言うなら源泉かけ流しだ。地霊様、万能かよ。おかげでヒゲモジャのドワーフ男性が浸かっても縮れた剛毛が浮くことはなく、汚れは押し流され、常に清潔な湯で満たされている。


 いま、男性の話をしたが、そう、ドワーフ温泉は男女混浴なのである。いまこの瞬間に卑しい想像をした諸兄には誠に申し訳ないことなのだが、混浴と言っても裸で入るわけではない。袖と裾を半分に切った作務衣のような入浴着があり、男女ともにそれを着て入るのが作法なのだ。へへっ、ざまーみろ。


 そんな習慣を持つドワーフ温泉なのであるが……わたしにはひとつ問題がある。そう、セーラー服だ。呼吸や通訳等のサポートをセーラー服が担っているため、わたしはセーラー服を脱ぐことができない。よって、当然のことながらセーラー服のまま入浴することになる。


 セーラー服の入浴シーンを目撃したドワーフ男女からは一瞬驚愕の視線を向けられるが、風呂場で他人の体をじっと見るのはぶしつけとされるらしく、すぐに目をそらしてくれる。幸いにして、多種族が共生するこの世界では往々にして理解不能な風習を持つ者がいるという、いわば無知の知的な認識が浸透しているらしく、「地球という地方ではセーラー服を着たまま風呂に入るのだなあ」くらいの反応だ。いやまじごめん。そんな習慣を持つ民族はいない。地球のみんな、オラをあんまり責めないでくれ。


 そんなわけでお互いじろじろ見ないのが礼儀なのであるが……一点例外もある。湯気の向こうから生暖かい視線を感じる。カガ君貧乳フェチだ。こちらから視線を返されたことに気がついたのか、慌てて湯船の中に潜りやがった。また酔い潰してやるからな。風呂に沈んで残った酒をよーく抜いておきやがれ。


 さて、さっそく湯船に浸かって一日の疲れをすっきりキレイに流したいところではあるが、その前に身体を洗わなければならない。浴槽に入る前に体をしっかり洗うというのは日本の銭湯と変わらないマナーである。


 体を洗うのに使うのはスポンジ状の茸だ。泡茸あわだけといい、石鹸的な成分でも含んでいるのか水を付けて揉むとよく泡立つ。これをセーラー服の隙間から突っ込み、全身を洗うのであるが……洗いにくいことこの上ない。特に背中。どうがんばっても届かないところがある。自慢じゃないがわたしは関節が固いのだ。うん、普通にホントに自慢じゃないな。


「みさきさん、お背中流しますね!」


 背後から声をかけてきたのはミリーちゃん。断りもなく背中に手を突っ込んでくる。おうふ、くすぐったい。あっ、そこはだめ。あっ、また視線を感じる。湯けむりの向こうにはまたカガ君貧乳フェチだ。一筋の鼻血を垂らしている。おいこら、見世もんじゃないぞ。見料払えやコラァ!


 ミリーちゃんとの泡々タイムが終わったらお待ちかねの浴槽ドボンタイムだ。ひとまず肩まで浸かってふーっと一息つく。ちなみに位置取りはカガ君貧乳フェチから視線が通らないようにしている。こちらを見ようとすればガハガハと笑っているヒゲモジャ軍団が視線を遮る算段だ。完璧。


「それにしても、地霊様ってホントにすごいんだねー」

「そうなんです! 地霊様は偉大で、なんでもできるんです!」


 何の気なしにつぶやいた言葉にミリーちゃんが満面の笑みで応える。


「ほほほ、たしかに地霊様は偉大じゃが、なんでもというわけではないぞ」


 すいーっと湯船の中をやって来たのはオババ様。湯浴み着の上からでもはっきりと浮力の分かるふたつの球と共にやってきた。ミリーちゃんのと合わせると4つである。わたしは持ってない。どこかに忘れてきたんだろうか? ああ、お袋の腹の中にな。ちくしょーめ!


「地霊様というと、地属性魔法というか……こう、土とか岩石とかを操るんですよね? どうして保冷庫や温泉が作れたりするんです?」

「うむ、たしかに客人の言うとおりじゃ。だが、偉大なる精霊となるとそれだけにはとどまらん」


 冷静さを取り戻して質問してみると、オババ様が解説してくれた。なんでも精霊同士でも格の差があるらしく、中でもこの天突あめつく岩に宿る地霊は別格で、異種の精霊であっても下位であれば使役可能なのだそうだ。会社のお偉いさんが関係のない部門の社員を顎で使うようなものだろう。


 その偉大なる地霊様に願うことによって、保冷庫や温泉などなどの便利施設が保たれているらしい。どうやって魔法を使うのかと聞いてみると、首を傾げられてしまった。


「うーむ、これまでは考えてもみなかったが、説明が難しいのう。真剣に祈りを込めれば込めるほど地霊様がそれに応えてくれるというか……。例えばほれ、適当にやるとこんなかんじじゃ」


 オババ様が水面に手をかざすと、水が浮き上がり人の形になった。しかし、まるでハニワのように凹凸もなく、顔も目の穴がふたつ空いているだけだ。


「それをもっと真面目にやると……こうじゃ」


 ハニワの形がぐにぐにと変わっていき、リアルな人間な姿になっていく。おや、セーラー服を着ているな。随分と胸部装甲が盛り上がっていますね。誰だろう? あ、セーラー服着てるのわたしだけか。ああ、大盛りはサービスってやつっすね。あざます。でもこういうのは逆に傷つくんでやめてほしいっす。


 オババ様が手を下げると、一部が誇張されたわたしの水人形は崩れ去り、ばしゃんと普通のお湯に戻った。


「と、こんな風に術の精度が変わるわけじゃな。ここでは迷惑だからやらんが、規模も変えられる。この浴槽が湯で満ちておるようにな」


 オババ様ならもっと大量の水を操ることも可能、ということなのだろう。本領の土の魔法だったらどこまでできるのだろうか。


「そうじゃのう……数日がかりじゃったが、大広間を作ったのがわしだと言えばピンとくるか?」


 ほへぇー、あのドーム球場クラスの空洞はオババ様が作ったのか。土木技術には詳しくないけれど、仮に現代日本の建機と人材が無尽蔵につぎ込めたとしても、数年はかかる大事業なんじゃないだろうか。それが数日で片付くとは……異世界魔法、おそるべし。


「オババ様、オババ様! 私も!」


 ミリーちゃんが腕をぷるぷるさせながら、水の上に手をかざしている。そこにあったのはオババ様が作ったそれの半分以下の大きさだったが、セーラー服を着たわたしの水人形だった。そして胸部装甲は見事に平坦である。うん、ミリーちゃん、現実を歪曲するのはよくない。よくないのだけれど、過度なリアル志向もどうかと思うのだよね、わたしは。


「それっ! くだっ! さいっ!」


 ミリーちゃんが作った水人形に、水中から現れた謎の人影が飛びかかる。咄嗟に拳をにぎりぶん殴ろうとする……までもなく、オババ様が作った水製の拳によってふっ飛ばされていった。南無。謎の人影とかもったいぶってみたけど、正体は言うまでもなくカガ君貧乳フェチであった。

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