第46話 1 平穏が崩れる

 (1)


 *******



 その店は何も特別なことはない、個人経営の小規模な店だった。しかし、京都で人気のある店だった。京都の人々がそこにあってほしいと願う日常の一風景。


 そこのマスターはよく、こんなことを口にしていたという。


『長く続けばいいなぁ。ここに来た人が少しだけ元気になって帰っていく。そういう場所をつくれてるのって、なんかうれしくない?』


 従業員たちはそれを素面でも平気で言うような主の姿の下なので、そうあるべきだと思っていたし、そんな場所をずっと続けていけたらいいな、と心のどこかで思っていた。


 実際、マスターはそのつもりで従業員たちを鍛えて後継者育成すら考えていたし、従業員もそれに全力で応えていた。


 そしてそんな雰囲気でできた店の多くのリピーターも一番ではなくとも、お気に入りの場所の1つと数える人たちがきっと多かっただろう。


 この規模の店にしては考えられないほど多くの人が、ここを日常の一部としてとらえている。その数は想像を超えるほどに。


 今、それが消えていく。


 *******




 ごうごう。ぱちぱち。


 耳に届く音。目の前で燃える俺のバイト先。


 なんだかんだで居場所の1つだったその場所が消えていくのを自分の目で見てさえ、それを受け入れるのが難しい。言葉がでない。


「礼!」


 姉貴の勢い強めな俺を呼ぶ声が脳に届き、はっとした。


「そこの子知り合いでしょ。話聞くのとフォロー。被害者と関係者に事情聴取をするのも軍の人間の仕事よ」


 姉貴が見る先にはハッシーがいた。


 そういう名目でちゃんと話してこい、という姉貴の気遣いかもしれない。俺は素直に姉貴言う通りにしよう。


 ハッシーは見たことのない顔をしている。繁忙期で仕事が大変でも、怒られても、クソクレーマーが来ても曇ることがなかったハッシーだったけど、彼があそこまでショックを受けて泣きそうな様子なのは初めて見た。


「はっしー?」


「先輩……! まだ中にマスターがいるらしくて、でも燃えちゃって! それでおれ」


「落ち着いて。今もう中に助けに行ってる。お前は平気か?」


 事実安住がすぐに突撃してくれたから、平気だ。あいつ『どうして逃げないんだ!』と意味不明なことを言いながら突っ込んでいったからちょっと不思議だったけど。


「俺は、出前にずっと行ってたので大丈夫っすけど。けど……」


 ハッシーは燃える建物を目に焼き付けている。


 ガタン!


「ああ。ああ……」


 屋根が焼け落ちた。


「もう、こわれちゃ……」


 だめだ。声が震えている。もうショックを隠しきれていない。歯を食いしばり、俺の前で必死に情けない姿を見せないようにしてるんだ、とわかってしまう。


「おれ。おれ。ここで働くのすっごい楽しかったんですよ。バイトでもいいから、マスターが雇ってくれる限りずっとお手伝いしたくて」


 ああ。そうだね。それはそうだ。


 なんて、最近行く機会が減った俺が言うべきではないかもしれないけど。


「優しい先輩たちと、礼先輩と一緒に楽しくやっていければいいなって」


 だめだ。もう声の震えが限界だ。これ以上は、俺に弱みを見せないようにしようとする彼の意地を尊重するべきだろう。少し落ち着くまではそっとしておいた方がいいかもしれない。


 俺が今の彼にできること――。


 そうだ。


「ああ。そうだね。……俺、中に入ってくる。マスターとか、先輩が無事かどうか見てこないと」


 俺は、どうしてか泣けない。俺だってここは好きだったはずなのに。


 それはきっと今の俺には別のやることがあるから、というハッシーから見れば冷たい理由かもしれない。あるいはもう、自分の周りの不幸に慣れてしまったのか。


 自己嫌悪してる。寄り添えない自分に。


 だからせめて俺ができることで、彼の手助けに――。


 え? つかまれている。


「どうしたの?」


「行かないでください」


「でも、マスターたちを」


「いや。いや、いいんです。任せましょう。きっと軍の人だし頼りになる」


「でも」


「先輩!」


 初めて、怒鳴られた。それがちょっと怖くて気圧される。


「あ、その。いかないでいいです。もう危険です。一緒に逃げましょう」


「どうしたんだよ。そういうわけには」


「もう、街はヤバい。なんか。俺、事情を知らない一般人だけど何となくわかるんです。平和じゃなくなってる気がするんです。先輩、向こう側は危ないですよ」


「向こう側?」


「戦う側は危ないでしょ。先輩がもし怪我でもしたら」


「それは、いつものことだから平気」


「え……」


 え、って。何かおかしなこと言ったかな。俺?


 だって俺、インターンだし、そもそもあの学校通ってるし。戦って怪我するのは当たり前の環境だし。


「言った通りだったんだ。あの人の」


 あ、手が離れた。でもハッシーは俺を快く送り出してくれるわけじゃなさそう。


「先輩。あの、こんなところで訊くのは間違いですけど。でもあえて聞かせて欲しい」


「な、なに?」


「先輩は、学校を卒業したら。どうするつもりなんですか?」


 今、それを訊くのか? 完全に場違いだろう。


 でも、いつになく真面目な顔を見て。俺は答えることにした。


「そのまま戦い続けてるかもしれないし、約束を果たしたら元の生活に戻るかもしれない。それはまだわからないな」


 ふと一瞬。たった一瞬だけど。


 ハッシーに違和感を覚えた。目の色がなんか青く濁ってるような。


 でもほんの一瞬だし、気配としては弱かった。多分俺が過敏になりすぎているんだろう。ちょっと、いつもは見ない彼の姿も見たし。


 それに、同時に建物の中から嫌な気配がした。そっちの方が圧倒的に強かった。


 もしかすると、あの建物自体に何かがあってハッシーにはそれが移ったのかもしれない。


 ごぁあああ、と炎が強まる。


「じゃあ行くからな。ここからは近づいちゃだめだぞ」


「答えてくれて感謝っす先輩」


 少し、落ち着きが見られてしばらくはもつだろう、と俺は建物に近づく。煌炎で自分を守れば、たぶん問題は。


 ガタン!


 安住ががれきをぶっ飛ばして入口から出てきた。


「逃げろ!」


 へ?


 その言葉を脳で認識したと同時、ほんの一瞬のタイミングの後に屋根を突き破って、燃えた何かが空中で浮遊する。


 そして店から南西の方向に、上空を飛びながら逃げて行った。


「安住……?」


「……ああ、外の連中を襲わなかったのか。だがあれは、魔人武装の」


 安住の話を聞く余裕はなかった。


 がれきから出てきたのは、バイトの先輩のミウさんと彼女ともう1人に肩を貸してもらっている、足が片方ないマスター。


 そして、そのもう1人が。全身やけどだらけの――、

「大門! なんで!」

「お、お。良かっぜ……ぇあ」

 そしてその場で3人、倒れてしまった。

(第47話「2 お前は関わるな」に続く)

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