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 目まぐるしく日々が過ぎて行く。洋二がこの治験場で暮らす上で、覚えなくてはいけないこともたくさんあった。さほど広くない島ではあるが、一応必要な設備は整っているらしい。

 島の真ん中にそびえるガラス張りの建物が中央公社で、一階と二階は役所業務を請け負い、三階以上は倖田研究所の施設が入っている。洋二は初めの一か月は週に一度、その後は月に一度のペースで治験者面談を受けに行かなくてはならない。

 買い物は家の近くの商店街と島の東西に一軒ずつあるコンビニ、それから島の北側にある商業施設ショッピングモールで賄う。ネットショッピングなども可能だが、注文から到着まで余分に二日ほどかかる。荷物の中身は相棒機械パートナーロボットが把握する必要があるので、「欲しいものがあれば頼んで下さい」と絵里に言われたが、生活に必要なものは大体揃っていたから、取り立てて取り寄せるものもなかった。

 給料の振込は治験場にある銀行にあらかじめ用意されていた洋二名義の口座宛だった。生活費などは絵里の持っているカードで賄い、翌月の給料から引かれると聞かされた。

 治験場だということを忘れるくらい、快適な生活だった。なんでも機械化されていることだけが洋二を戸惑わせたが、絵里がさりげなくサポートしてくれるので、深刻に捉えるほどでもない。

 絵里は本当に人間ひととほとんど変わらない。洋二と一緒に洋二より少ない量の食事を摂り、トイレにも行く。絵里に聞くと、人間ひとと同じように食物が栄養になるのだという。仕組みを説明してくれようとしたが、洋二の頭では理解が出来ないので断った。絵里はすんなり頷いた。

 性格も良かった。洋二は物分かりが悪いが、それを馬鹿にすることなく尋ねれば何でも理解するまで教えてくれた。分からなければ分かりやすい言葉や例えに置き換えてくれたおかげで、本来なら野々村のタブレットで同意した治験場の注意事項なども少しずつ把握し、覚えることが出来た。

 セックスをしてみても、人間ひととの違いは分からなかった。身体の柔らかさも、暖かさも、洋二が久しく触れていない女性の身体だった。頬を紅潮させながら控えめに反応する絵里に洋二はすっかり夢中だ。

 洋二は今の生活に満足していた。今までの失うばかりだった日々とは違い、何もかもを手に入れたという充足感。仕事も金も、住処も、優しい妻も手に入れた。人生で今が一番幸せだと思えた。しかし、そう思っていられたのは、中央公社で二度目の面談を受けるまでのほんの二週間程度のことだった。


「警察から、事情を聞きたいと言われています」

 中央公社の面談室に、野々村の冷たい声が響いた。

「ええと」と言いながら洋二は言葉の意味を考えた。警察という単語にあまり良い印象はないので身構えたが、特に心当たりもない。

「あの、なんの事情でしょう?」

 洋二が問い返すと向かいに座った野々村がタブレットを差し出した。洋二は受け取り、そこに表示されている記事を読んだ。殺人事件と言う見出しに目を丸くして掲載された写真に目をやると、洋二が治験前に勤めていた建設会社の寮の外観写真が載っていて、左上の方に顔写真が見て取れる。被害者と書かれたその氏名は洋二を解雇クビにした親方のもので、見慣れた親方の神経質そうな顔写真が白黒で載っている。

「この事件のものです」

 野々村の声が遠くに聞こえた。親方が殺された。その事実が洋二を動揺させていた。

「既に説明してありますが、機密保持の観点から、この治験場に一度入居されたら、基本的にはすぐに出ることが出来ません。場所を特定出来ないように通信制限もかかっていることはご存知ですね?」

 洋二は「ええと、はい」と答えた。絵里がそのようなことを言っていた気がする。「島外に通信を試みても、特定の単語や文章が規制対象に引っかかると、通話が切れてしまったり、SNSに投稿出来なかったりすることがありますよ」。 洋二は特に治験場の外の世界に未練などなかったから、関係ないと思っていた。スマートフォンもすっかり放置していて、基本的には家に置きっぱなしである。

「警察も直接この治験場に入島することは原則出来ません。ですがどうしても事情を聞きたいということで、特別に治験場の自治機関の機械ロボットに事情聴取をさせ、その映像を提供することで了承を得ました。この手配に大変苦労をしました。人類の今後に関わる重大なプロジェクトなのです。たくさんの権力や財力が関わっていることを理解して下さい」

 野々村の口調は変わらないが、内容を聞く限りは怒っているようだ。

「あの、すいません」

 洋二が頭を下げると、野々村は「はい」と頷き、「一応言っておきますけど」と言葉を続けた。

「もし事件に関わっているようでしたら、この治験場から出て、速やかに罪を償うことをお勧めしますよ」

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