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 絵里は洋二の歩幅を分析しながら、決して追い越さず、かといって遅れない程度の速度を維持し、横を歩いた。洋二はきょろきょろと周囲を見渡して落ち着かず、聴覚感度を上げて耳を澄ましてその心音を聴くと、明らかに拍動が早くなっており、緊張していることが良く分かった。

 倖田研究所では、人間に仕える機械ロボットのことを相棒パートナーと呼ぶ。絵里はこれまで人工知能の習熟度を上げるために複数の職に就いてきたが、相棒パートナーになるのはこれが初めてだった。

 だから人間ようじの行動の一つ一つが新鮮で、とても楽しかった。これが人間に仕えるということか、としみじみと思った。

 倖田研究所の入るビル、中央公社を出てから十分ほど経っていた。あと五分ほどで洋二と絵里の家に到着する。家のすぐ傍には商店街があり、機械店員がそれぞれ売り込みをしていた。この島の人間は治験者だけなので、働いているのは全て機械ロボットだ。絵里がそう説明すると、洋二は興味深そうに機械ロボットを見たが、立ち止まることはなかった。

 島の南側のエリアは戸建て住宅の立ち並ぶ家族用住宅街だが、ほとんどの家は空き家だった。この島のほとんどの住居に人は住んでいない。治験者の受け入れは始まったばかりだ。

 青い屋根の家の前で、絵里は立ち止まった。ポケットに入っている鍵を取り出し、玄関を開ける。生活に必要なものは揃っている。家具も家電も備え付けられている。洋二が深呼吸をしたので「どうしました?」と尋ねる。

「ええと、新築の匂いって、こういうもんなんだね」

 洋二は照れ臭そうに笑ったので、絵里も一緒に笑った。洋二の心音は、少しずつ落ち着いて来たようだ。

 家の間取りを洋二に把握させるため、各部屋を覗いた。寝室にベッドが一つしかないことに洋二は驚いていたが、絵里が「嫌ですか?」と問うと勢いよく首を横に振った。絵里は洋二の妻役を担う相棒機械パートナーロボットだ。洋二の性処理も、絵里の仕事の内である。

 家具と家電は揃っているが、冷蔵庫の中には何も入っていないし、洋二の着替えもない。洋二の手持ちの荷物の中にも、ボロボロのスウェットが一組しかないのだと言う。絵里は買い物に行くことにした。洋二にそう伝えると、「一緒に行く」と言う。家の前から白色乗用車タクシーに乗り、島の北側にある商業施設ショッピングモールに向かった。窓の外を興味深そうに見つめる洋二に、この治験場独自のルールを少しだけ説明した。

「白い車はタクシーで、紺色の車はバスです。緊急車両の色は赤色で、それ以外は私用車です」

「へええ」

「ちなみにこの治験場では機械ロボット以外の運転が禁じられているので、洋二さんが希望された場合も私用車を運転するのは私です。島外の免許の有無を問いません」

「ええと、大丈夫。俺、免許持ってない。以前まえ持ってたんだけど、取り消しになったから」

「そうですか」

「ええと、ということは」

 洋二は身を乗り出して、白色乗用車タクシーを運転する人間ひと機械ロボットの横顔を覗き込んだ。

「この運転手も機械ロボットなの?」

 洋二はじろじろと角度を変えて、運転手のことを観察する。運転手は「はい」とだけ返事を返した。

「ええ。人間ひとのお相手をする機械ロボットは皆、外見を人間ひとに寄せてあります。この治験場では人間ひと機械ロボットが違和感なく共存することを目指していますから、少しでも人間ひとが不愉快にならないようにとの配慮なのだと聞いています」

「すげえ。全然機械ロボットっぽくないね」

 洋二は感動している様子だった。絵里は「ただし」と付け足した。

人間ひとと同居する相棒機械パートナーロボットよりも人工知能の成長度合が低いです。所掌業務以外の質問や要望に関してはお応え出来ませんので、注意して下さいね」

「ええと。成長すると、絵里、さんみたいに完璧になるってこと?」

 絵里は洋二の表情を見て、「ふふ」と笑った。

「絵里、でいいですよ」と笑うと、洋二は絵里から目を逸らし、視線を泳がせた。心拍数が上がっているのを絵里の聴覚みみが捉える。分かりやすい人だ、と絵里は思った。

 白色乗用車タクシーを降りる時、運転席と後部座席の間の端末にカードを差し込んだ。これで後日、まとめて洋二の給料から清算されることになる。カードを抜き、先に降りた洋二を見る。洋二は運転席のドアから、運転手に声をかけた。

「あの、ええと」

 言いながらごそごそと尻ポケットを漁り、財布を取り出す。

「これ、チップ。少ないけど」

「洋二さん、別にそんな」

 洋二の方に足を進めながら声をかけたが、洋二は首を横に振り、反応出来ずにいる運転手の手に何かを握らせた。

「ええと、俺の自己満足だから。ありがとう。運転、上手だったよ。仕事、頑張ってね」

 早口で告げて、洋二はそそくさと商業施設ショッピングモールの方へ行ってしまった。絵里は「待って下さい」と洋二を追いかけた。運転手の方を振り返ると、手のひらを開き、先ほど握らされた五百円玉をじっと見つめていた。

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