1-3
「初めまして」
洋二の前に表れたのは、まさに洋二の好みを忠実に再現した女性だった。三十代前半くらいの、幸の薄そうな色白の女性。左目の下にほくろがあって、肩位の長さの髪は黒くてサラサラだ。
「
洋二は咄嗟に言葉を発することが出来ず、固まってしまった。
「あの……?」
困ったように顔を覗き込む絵里を見て、なんとか返事をしなければと口をぱくぱくと動かす。女性と会話をするのは、久しぶりだった。
「あ、あの」
裏返った声が出てしまい、恥ずかしくなった。
「え、海老原洋二です。よろしくお願いします」
思いがけず大きな声になってしまった。恥ずかしくて、頬が赤くなるのが自分でもよく分かった。
「うふふ。洋二さんですね」
絵里は洋二を馬鹿にすることなくふわりと笑うと、洋二の手を取り、両手で包んだ。暖かかった。これが機械なんて信じられない、と洋二は思った。
「そろそろ、よろしいですか」
野々村の冷たい声が割って入った。洋二ははっと我に返り、さっと自分の手を引いた。絵里は微笑んで手を膝の上に戻した。
洋二が
路上に停められた黒いセダンに乗り込み、膝の上にボストンバッグを乗せた。無言の男達に緊張しながら後部座席に揺られていると、ペットボトルを手渡された。
「そろそろ喉が渇きませんか?」
黒服の男から受け取った水のペットボトルの蓋を開け、一気に飲み干した。洋二は面接からずっと緊張していて、喉はからからだった。飲み干した水が体にじわじわ染み渡るのを感じているうち、強烈な睡魔に襲われた。助手席に座った黒服の男はそれが分かっていたかのように「もしも眠ければ、眠ってしまっても構いませんよ」と言った。洋二は必死に目を開けようとしたが、あっけなく限界を迎え、意識を失った。
目が覚めるとこの部屋のベッドに横になっていた。真っ白い部屋に、真っ白いベッド。まるで病室のようだと思った。洋二の腕はまくられていて、注射針を抜いた後のガーゼテープが貼られていた。自分の置かれている状況が分からず、洋二は焦って体を起こした。ベッドの脇に座っていた男と目が合う。
「おはようございます」
ふちのない眼鏡をして白衣を着た青白い男の顔に、洋二は見覚えがあった。
「野々村さん……」
「はい。野々村です。海老原さん、ようこそいらっしゃいました」
目を丸くする洋二を見ても、野々村の口調は滑らかなままで、止まる気配はない。
「ここはこれからあなたに暮らしてもらう
「はあ」
「お休みの間に、身体検査をさせて頂きました。入社前の健康診断、といったものだと思って下さい。特に問題はないようですので、すぐに
野々村はここで一度言葉を切った。
「ということで早速、治験開始前に目を通していただきたい内容をまとめてあります。どうぞ」
野々村は膝に抱えていたタブレットを洋二に手渡し、立ち上がった。ベッドから数十センチほどの距離に設置されたディスプレイが三つあるパソコンの前に座り、何か作業をし始めた。キーボードを叩く音が聞こえるが、洋二の角度から画面は見えない。洋二は背中を丸めてタブレットに視線を落とした。
この島で暮らす上での注意事項はたくさんあるらしく、小さな文字がびっしりと並んでいた。洋二は文字を読むのが苦手だから、それだけで画面を目が素通りして滑っていくような気になった。
読もうと思っても、難しい漢字ばかりで嫌気がさした。恐らく漢字が読めたところで内容は理解出来ないだろうと諦め、勢いよくスクロールして盛大に読み飛ばした。最後の欄に同意のチェックマークがあったのでタッチするとレ点が入り、『同意する』の文字が表示された。迷うことなくその文字に触れる。
タブレットに『ありがとうございました』の文字が浮かぶ。野々村が「では」と立ち上がり、タブレットを洋二から受け取った。
こんこん、と扉をノックする音がして、野々村の背中の向こう側の、スライドの扉が静かに開いた。そこに立っていたのが、絵里だった。
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